●4

僕は死にませーん!


でした。死にませんでした。


代わりに、地獄が待っていました。


床を転がりまわってはいけません、とか、大声で叫んではいけません、とか、そういう幼い頃に教え込まれた社会的規範を一つまた一つと放棄するのは、まあそれはそれで気持ちがいい。だがしかし、その快感を塗りつぶしてなお余りある苦痛が俺を襲っている。これが断末魔の苦しみか。


「ごオオおぉぉああぎイイああがガェぇ」


などと冷静に己を分析できいいる思考回路のリソースはまあああああだ残っていたがあああ、己の状態を俯瞰するこの態度すら消えええええええあああああてしまうと真の意味で地獄があああああああ待っていそううううううううおおおな気がして、必死に思考回路が苦ううう痛にいぃぃ支配されるのを防いでいるというワケだ。


痛みが引いてきた。助かった。俺は改めて叫び声を上げた。まだ叫べることを確認したかった。思考が働く事を確認したかった。叫べなかったり思考できなかったりするレベルの苦痛というものがほんの少しだけ想像できてしまうところまで追い詰められていた。呼吸音と心拍音が信じられないぐらいうるさいのを知って、なぜか落ち着きを取り戻した。


床はカーペットのように柔らかい。


身を起こして周囲を確認する。駅か、空港のような案内板。ずらりと並ぶオレンジのロングソファ。ガラスのような素材でできた、ドーム状の建築物の中に居た。


首筋に手をやる。ズキズキと鈍く重い痛みを感じた。首だけ包帯でグルグル巻きにされていた。


「起きたか、クソ野郎」


男の声がしたので無視してそのまま目を閉じ眠ることにした。


「おい、クソ野郎」


背中を蹴り飛ばされた。


「小卒ヤンキーの馬上君か。俺は今しがた自分の身に起こった一連の出来事について理知的解釈を試みてるところなんだほっといてくれ」


馬上はため息をついて、それきり黙った。


「ある意味、お前には感謝してるぜ。お前が俺にあのクスリを打たなかったら、俺たちはあの感覚を知らなかったワケだからな」


どうだろうな。天野はとっくに中毒だったわけだし、エクリン先輩はなんだかんだで試していた気がする。


「ところで、ここは何処だ。宇宙は大丈夫なのか」


「知らねえよ、リセットされたんじゃねえか?」


えぇ。


「人類はついに滅んだのか。やったぜせいせいした」


「人類? 人類どころか全知的生命体の記憶がリセットされただろうぜ。まあもちろんNPCだけだがな」


何を言ってるんだねキミは。


「馬上、まじめに答えてくれ。まじめな会話がしたいんだ」


「そのセリフをお前が言うんじゃねえよ」


「ここは……どこだ?」


答えに窮したのか、間が開いた。馬上は俺が何を聞きたかったのか悟ったようだった。


「ゼノンの中だ。ゲームワールドのリセット後の、最初のスポーンポイント」


地平線が光っているのが見えた。太陽が昇ってくる。真っ白な大地、真っ黒な空。


「ここは月か?」


「月面基地とか、そんなんじゃねえか」


ドームの中央には巨大な銀色の立方体があった。よく見ると、立方体から杭のようなものが無数に突き出している。それぞれの杭から次々と人が出てくる。どいつもこいつもてんでバラバラの外見をしている。


「プレイヤーの皆さんがお目覚めだぜ」


やはり、エンタープライズに置いてあったオッカムとやらの発動でスターゲもとい正式名称ゼノン世界はリセットされたらしい。立方体から少しずつ湧き出てくる皆さんは、各々アバターのセッティングを終えてログインしてきたところなんだろうか。


「なんで俺だけマイナスからのスタートなんだ」


首の包帯に手をやる。痛む個所は、たしか例の25HOURSで自分で刺した場所と一致している。現実の自分の肉体が反映されたのだろうか。いやしかし、刺した直後つまり前回ログインした時は傷なんてなかったし、そもそも、あの後まともに生き延びることが出来るとは思えない。


「知るかよ。さっきから俺にばっかり質問してやがるが、知ってることなんてお前とほとんど変わんねぇよ」


「馬鹿な! 俺は小卒ヤンキーと同等の知識レベルだっていうのか! そんなの死んだほうがマシだ!」


言い終わるころには胸倉を掴まれた。俺の服は、今回は安っぽいがまともだ。二十五世紀の宇宙探査船の乗組員が着てそうなオレンジのレトロSFボディスーツだった。


「俺はお前と同じ大学の学生だ! ヤンキーじゃねえ堅気だ! プロ並みの腕前を持った創世記部フィジックスエンジニアだ!」


元、じゃなくて?


「じゃあ、お伺いしますが、宇宙の最小単位ってわかる?」


「はあ?」


俺を掴み上げていた腕を下ろし、考え込む馬上。


「時空と素粒子とエネルギーじゃねえか? 馬鹿にしてんのか?」


ステラちゃんよりレベルの低い回答だった。


「てめえ、その目は俺を馬鹿にしてやがるな。わかった、わかったぞ、超ひもだな⁉ メンブレーンだな⁉」


「そんなもん計算機の中から出てきた机上の理論の中の存在じゃねえか。PEが聴いてあきれるぞ」


フィジックスエンジニアというのは、ゲーム世界の物理法則を作り上げる仕事の事だ。厳密にいうと、現実の世界の物理法則を模倣したり捻じ曲げたりして、魔法とかモンスターとか宇宙船を、理論的な破綻なく存在させるための物理学を構築する仕事だ。あくまで、プロの世界の話だが。


「そもそも、俺はマニースーツの男の葬式に出ていたはずなんだが」


「加添の葬式に出てたんじゃねえのかよ。誰だマニースーツって」


そうだ、そこまではこいつも知っていたはず。


「馬上、お前はなんでまたここに居るんだ? ひょっとして例の薬をまたキメたくなっちゃったのか? つい出来心で手を出しちゃったのか?」


「キメてねえよ。あの後三日間吐き気が収まらなかったからな。今は普通にヘッドセット使ってプレイしてんだよ。キンバリーと副会長と、ゼノンにもう一回ログインしてみる約束になってたんだよ」


アバターが本人の体をトレースしているだけか。


「じゃあ、お前は今現実の世界に居て、そこは別に消滅なんてしてないんだな?」


「当たり前だろうが。何言ってんだお前は」


俺の予想は、まともに考えればそれこそ起こりえない想像だったが、実際に起こらなかった事が確認できると、やはり安堵を覚える。チェインの着信音が鳴った。


「すまん出るぞ」


馬上のヘッドセットが、彼の部屋の音を拾っていた。


「ああ、副会長。どうした、おい、落ち着けって」


エクリン先輩からの電話のようだった。馬上のアバターは無表情を貫くが、それが現実の馬上の動揺を示唆していた事に気が付いた。


「エクリン先輩から? 何だって?」


電話を終えたらしい馬上は、俺をまじまじと見て、それから後ずさる。


「お前……誰だ?」


声が震えていた。どうも俺の事を恐れている模様なので、エンターテイナーな俺は馬上君をさらに怖がらせてあげようと両目を大きく見開き、四つん這いで奇声を発しながら高速で彼に近づく。馬上は情けない叫び声を上げて逃げていく。


ところで、俺は誰だ?


何か、とてもとても重要な事が抜け落ちている気がする。


理由の分からない焦燥を感じ、その場に立ち尽くす。


「しんでしまうとはなにごとだ」


振り返ると、なんとエクリン先輩がいた。宇宙服のような厚手の黒いスーツの上に、白くヒラヒラした素材でできた、ダンサーのような、それでいて王妃のような、妙な装束を羽織っていた。


「ごめんなさい、もうしません」


「よしよし、分かればいい」


頭を撫でてもらった。


「ところで、僕はマジで死んだんですか」


「ちょっと待って! 幽霊は死んだ事を自覚すると成仏しちゃうらしいから、まだ自覚しないで」


「それが本当ならもはや手遅れですよ」


「そっか。じゃあ、遺言とか、何か未練があったら言ってごらん。聞くだけ聞いてあげるよ」


俺たちは涙目だった。二人とも、おそらく全く別々の理由で。


「もともとは馬上君とスターゲで待ち合わせてたんだけど、なんか来る気になれなくて、でも馬上君からモクニ君に会ったって話を聞いて、慌ててログインした」


「加添は? あいつ、実は死んでなかったりしませんでした?」


それを聴くと、先輩は目を丸くした。


「さ、さあ、もう天国に行っちゃったんじゃない?」


死体を発見したのは俺と先輩だ。何度確認しても、呼吸も脈拍も途絶えていた。葬式の途中で奇跡の復活を遂げたかと思いきやその勢いで宇宙を破壊してたような気もするが、それは無視できる些末な出来事なのでやはり加添はくたばったのだ。


「ねえ、モクニ君」


今まで聴いた事がないほど落ち着いたトーンで、先輩は俺に問いかける。


「教えてくれない? どうして、そんなにゲームを嫌うのか」


「べつに、嫌ってなんかいませんよ」


「天野君がね、たまに、話してくれたんだよ、昔よくつるんでた奴がいたって」


あいつめ。


「そいつはいつも超然とラりってて、今日はどうやって、何して遊ぶかばかり考えて、みんなを巻き込んで、あの頃は最高に楽しかったって、キマッてたってさ」


何がキマッてただよ。ヤク中集団じゃねえか。


だが、過去に触れて……いや、触れられそうで触れられない、触れてはいけない部分のギリギリ手前あたりでじらされた挙句現実に引き戻されたというか月面に着陸した俺は、なにを思ったか、ちょっとだけなら、と、思い出話をすることにした。


「昔、僕は好調だったんです。中学のころです。つまり校長だったんです」


「なるほど、わからん」


「先輩、ずいぶん古いスラング知ってますね」


「君もだよね。まあ、ママがね」


「僕はパパのせいです」


「天野と一緒になって学校を作ったんです、とあるゲームの中に。校舎作って、人を集めて、毎日学園祭開いてました」


「すごい、いいなあ」


「最初の頃は、リアルで通っていた中学の生徒を呼び込んでましたが、そのうち別の学校の生徒も来るようになり、いつの間にか全国から、海外から、どんどん生徒が集まってきます。年齢も小学生から大学院生まで幅広く。天野は生徒会長でした」


「あははは。天野君らしいなぁ」


「というか、昔ばなしなんてしてる場合じゃないですよ」


先輩は、そうだね、とでもいう様に頷いた。


「加添君の葬儀で、爆発があったらしいんだ」


それが本当なら現実世界の宇宙は木っ端みじんのはずだが。


「建物が倒壊して、参列者の生存は絶望的だって」


「大丈夫ですよ、僕はすでに一度死んでいるんで。本当に先輩はあの無様なバージンスーサイド野郎を見てないんですか」


「ううん、見たよ、モクニ君がアイスピックで自分を刺すところ。見間違いだってずっと自分に言い聞かせてたけど」


俺は首の包帯を指さし、言った。


「ほら、大丈夫だったじゃないですか」


「よくわかんない、あの式場の爆発は何なの。モクニ君今さらっとバージンとかカムアウトした? セレモニーホールの建物がぐちゃぐちゃで、みんな瓦礫の下だよ」


眼に涙をためていた。知り合いがいきなりくたばったら、そりゃ怖くもなるはずだ。別に俺に対して特別な感情があるから泣いているわけではないだろう。


「テレビで緊急特番やってるよ。ネットもその話だらけだよ。フレーダーセンが死んだって」


俺が死んだ事について特番してくれないのは百歩譲って許すとしても、フレーダーセンだっていつ死んでもおかしくないようなヨボヨボのジジイに見えたのだが。


「特番組むほどの出来事でしょうか?」


「どうでもいいよ! とにかく今どこに居るのか教えて!」


「ここに居ますよ」


「リアルの話だって!」


「確かめてみましょうか?」


俺は手ごろな自殺道具がその辺に落ちていないか探す。なかった。代わりに、ディスプレイを見つけた。ドームの中の一か所に人だかりが出来ている。彼らのさらに向こうには巨大なモニタがあり、現実世界の映像を流している。スターゲの世界観とは全くかかわりのない、公共放送のニュース番組だ。


「あれだよ、爆発の現場」


先輩も同じものを見ていた。ドローンの映像。コンクリートの街並み。グレーとブラックのコントラストで描かれた無意味な形状の山。巨大地震でも起きたかのように建物は崩壊していた。 LIVEとテロップされており、救助隊員らしきオレンジの作業着が人型の物体を運び出す様が見えた。見覚えのある柄のスーツだ。


「いや」


声を上げた先輩の目をふさぐ。画面に映し出された黒焦げマニースーツの頭部にはモザイクがかかっていた。視線を逸らすと、見覚えのある黒い球体を見つけた。発光している。多分数字が表示されているんだろう。


「うちゅうはかい爆弾だ」


点滅している。数字がカウントダウンしているのだ。


「先輩、あのクスリ、ラクシー、いま持ってますか?」


「え、持ってない! いや、あの持ってるけど、なんでバレてるの」


「打ってください」


隊員たちはオッカムには目もくれず救助活動を続けている。そりゃそうだ、オモチャにしか見えない。


ちょっと待て。じゃあ、あそこで爆発したものは何だ?


誰かが、知っていたのだろうか。


「今すぐ使ってください!」


俺はなんでこんな風に先輩を急かしているのか。予感は当たるものだからだ。あの式場で爆発したのはうちゅうをはかいしない方の、ごく普通のプラスチック爆弾か何かで、加添がオッカムを持ち込んでいるのを知っていた誰かが、その起爆を防ぐために仕掛けたのだとしたら。


光がモニターを覆い、ノイズ音が耳をつんざき、人だかりから叫び声が上がったかと思うと、一瞬で静寂が訪れた。モニターに群がっていた人々は倒れ、動かなくなった。


「先輩?」


俺はエクリン先輩の顔を見た。


表情が消えていた。


力尽きたように崩れ落ちた。


「先輩!」


揺さぶる。頬をはたく。鼻の穴に指を突っ込む。反応がない。


襟を掴んでぐわんぐわんと振り回す。上着の裾が揺れてヘソがチラチラ見えた。


「人工呼吸しかない」


また独り言ちた。


申し訳程度に心臓マッサージでもしようかと手を伸ばすも胸のふくらみに触れてしまう事実に気づき慌てて中止した後、俺はやってしまった。


先輩の唇を奪った。


正確には本人にそっくりなアバターの唇だが。


感想はない。物理的に正確な触角があっただけだ。俺しか知らない、相手とは共有できない事実に過ぎぬ口づけなど空しいものでしかないのが分かった。人工呼吸ですらない単なるハラスメントであることも。


しかし童話の眠り姫は本人の許可を得ないハラスメント的接吻によってその目を覚ます。


ひょっとしたら? あるわけない。


「う……ん」


あった。先輩は目を覚ます。


「しんでしまうとはなにごとだ」


俺は冗談めかして言った。


「ごめんなさい、もうしません」


先輩の頭を撫でた。驚いて丸くした目をそのまま細めてはにかんだ。


「やっちまった。また打っちゃった、このクスリ」


モニターの前の死体の山。静寂。つい今しがたログインしてきたばかりの群衆は、皆バタバタ倒れている。ありのままに死体事をして居る。あたりは死体置き場と化している。倒れたプレイヤーキャラは、そのまま誰一人、微動だにしない。おそらく宇宙港のスタッフであろうNPCたちは混乱し始めている。


「よかったです、先輩だけでも救うことが出来て」


「何が起きてるの?」


「よく分かりませんが、たぶん」


憔悴しきっていた俺は、自分でも驚くほどやる気のない声で、真実を伝えた。


「リアルの宇宙が、終わったんじゃないですか」




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