●7

「一番だ」


「なるほど。やっぱり君、なかなか面白いよ」


「どうせシュレディンガーの猫とサイコロをかけてんだろ」


物質の状態、世界のありさまは観測者によって確定され、結果は完全なランダムとなる。アインシュタインが涙目で「ぼくが考えたさいきょうの神はサイコロを振ったりしないんだい!」と抗うも結局死ぬまで理論的に反証し切れなかった量子力学の基本原理である。




「二番だ」


「なるほど。やっぱり君、なかなか面白いよ」


「どうせ人間原理に基づいてこの宇宙は観測者の頭の中のソフトウェアとでも言いたいんだろ。じゃあせんべいって何だ」




「三番だ」


「なるほど。やっぱり君、なかなか面白いよ」


「どうせ愛とEYEをかけてんだろ。あとついでに一人称のiをかけて自分自身の認知能力がイコールで宇宙だとでも言いたいんだろ」




ていうか、すべての選択肢が同じジャンプ先だったじゃねえか。


「言い忘れてたけど、この問題、僕が考案したんだ。だから当然、回答も知っている。君が出したその答えは、半分正解だ。そしてこの問題においては、半分正解というのが、導き出せるもののうちで最も正解に近い答えだ」


「加添君が何を言ってるのかさっぱりわからないよ!」


俺は眼前の耐えられない気障ったらしさをぶん殴った。


「賽は投げられたって事さ」



『1』



「正解は」



『0』






目を覚ますと、自分が大学入学に合わせ一人暮らしを始めたことを思い出す。体が重い。姿勢を楽にするため腕を伸ばすと、何か柔らかいものに指先が触れた。これはひょっとして安っぽいコミックライクストーリーにありがちなラッキースケベ的展開ではないかという恐れを抱き飛び起きると、頭をぶつけた。真っ暗な円筒状のカプセル部屋に居た。指先に触れたのはエアコンの風圧だった。


「出せ! ここから出せ!」


天井を思い切り叩いた後で足元が明るいのに気が付いた。閉じ込められていたわけではなかった。すんなりとカプセルから抜け出すことが出来て、どうやらここがカプセルホテルの一室らしいと気付く。俺たちがクスリを打ったバーの上には確かホテルがあった。


オレンジの照明が照らす薄暗い通路を行く。壁際にぎっしりとカプセルが並んでいるが、ほとんど空だった。奥まった場所に休憩室のような一角があり、背もたれのない緑色のクッションにはエクリン先輩が腰かけていた。


「リアルに帰ってこられたわけか」


「おはよう、お帰り」


「ただいま帰りました先輩もご無事で何よりです。ほかの奴らは?」


「シャワー浴びてるよ」


先輩は白いガウン一枚だけの姿だった。髪は濡れていて、非常口の明かりがぼんやりと照りかえっている。頭がぼうっとして言葉が出ないままの俺を見るなり、座っているクッションの隣りの座面を軽く二度叩いた。俺がそこへ腰かけるとこう言った。


「私、やっぱり作りたい」


ゲームの話か。


「凄かった。スターゲは何回かやった事あったけど、別物だった。まるであっちの世界が本物みたいに感じて、最初はしばらく、怖くて動けなかったよ」


「あの薬がまともに市販されるようになったら、ますますリアル世界の過疎化が進むんでしょうね」


クスリ。ラクシー。俺や先輩の体内に入っているはずのアレはどうなったのか。普通に過ごしていればそのうち排泄されるのだろうか。あるいはそれとも……。


そこまで考え、重要なことを思い出す。首筋に手をやる。


「先輩、俺ラクシー打ってませんよ」


「え」


「俺が自分の首筋に打ったのはただのチタニウムです」


「え?」


「アイスピックのニードルです」


「生きてるじゃん、それにどこにも穴なんて開いてないよ」


おかしい。記憶に齟齬があるのだろうか。


「先輩、たしか面白さを追求するあまりに自滅する俺を目撃しませんでした?」


先輩は俯く。


「あんまり覚えてないなあ」


ますますおかしい。


「こいつのいう事は話半分で聴いとったらええねん」


ガウン姿で髪の濡れた天野が現れた。エクリン先輩をはさんだ反対側に座る。二人はまるでシャワーを浴びた後のカップルのようだ。


「モクニ。お前よくも俺の船ぶっ潰してくれたな」


「俺がぶっ潰したわけじゃねえよ。ていうか、どうせうちゅうはかい爆弾で何もかもリセットされる直前だったじゃねえか」


ふう、とため息をついた後、床に座り込む天野。


「それもそやね、所詮バイトやし、まじめにプレイしとったわけでもないしな」


「いつからこんなアブナイ研究に加担してんだ? ヤク中向けのリハビリセンター紹介してやろうか? いくら金がないからってさすがにクスリは止めとこうぜ」


今のこいつの懐事情は分からない。が、昔の天野は決して裕福とは言えない家庭で暮らしていた。


「別に金を稼ぐためにやっとった訳やない、単に楽しくて止められなくなっただけや。創世記部が……俺のせいで空中分解してもうた頃、こいつの存在を知った」


天野の手には空の注射器があった。


「もっと早く教えてくれればよかったのに」


エクリン先輩がそう言うと、天野は笑って首を振る。


「エクリンには大分世話んなったし、遊び惚けとるとこ見られたくなかったんや」


この二人はたしか会長と副会長だった。二人とも二年生である、俺が入学する前のたった一年間で色々と元気にやらかし回っていた様子。


「ねえ、天野君とモクニ君ていつどこで知り合ったの?」


「小学五年の時やったな。俺は転校生やった。中三までよくつるんどったな。卒業と同時に俺はまた関東を離れて、それきり連絡つかんようになった」


「そうだったのか。解説ありがとう」


「モクニは昔から、こういう既知の外の住人やった」


「基地の外でキ〇ィちゃんもとい『キチィちゃうん?』の侵入を防いでるんだ」


頬杖をついて笑っていた先輩は、立ち上がりながら言った。


「ちょっと、ステラちゃんの様子見てくるね」


先輩は去り、俺はついに天野と二人で取り残される。


「エクリンもキンバリーもシンスケも俺がサークルに誘ったんやで」


「お前が創世記部を作った?」


「いや、立ち上げたのが誰かは知らん。俺が入部したころは幽霊部員だらけで存続の危機やったな。何年か前までは加添も部員やったらしい。このバイト始めた頃に本人に聞いて知ったんやけど」


「部室のあのモノリスは何なんだ? どこで手に入れた?」


「知りたいか? うちの部員に成るなら話すわ」


「お断りします」


「ホンマに、頭おかしいのは変わらんくせに、いらんとこだけ大人になってもうた?」


「みたいだな」


天野はため息をつき、それから直ぐに、一見いかにも人懐こそうに見える笑いを取り繕ってこう言った。


「なあ、覚えとるか? 黄金のこん棒とか」


懐かしい名前だ。


「あの頃のヘッドセット、クソ重かったよな」


「首痛くなったな」


「結局、見つかんなかったな、黄金のこん棒」


「俺は見つけたで」


「マジか、どこにあった」


「甲申高等学校や」


明治初期を模した世界。幽霊でも出そうなあの古めかしい木造校舎。校門の手前の、似非洋風モダン茶屋。俺達のたまり場。


「灯台もと暗し、か」


「せやな。まあ、もはや存在せえへんけどな、甲申高も黄金のこん棒も、あの頃俺らが夢中で遊んでた世界の、なにもかも」


なにもかも。そう、何もかも消えた。


「儚いもんだな」


「お前がゲームに愛想つかしたんは、ひょっとしてイッパチがサービス終了したせいなんとちゃうん?」


『永久闘争1884』通称イッパチ。19世紀末から20世紀初頭の東洋世界を舞台とした、初期のオンラインVRゲームだ。黄金のこん棒も、甲申高も、そこにあった。俺の子供時代の思い出は、ほとんど全てあの世界に置き去りにされたまま、永遠に失われてしまったのだ。


「さあ、どうだろうな」


別に大げさな爆弾なんぞ使わなくても、ボタン一つで、エンターキーを叩くだけで、あっけなく世界は終わる。宇宙は消える。俺は中学卒業を目前にして、その事実を知った。


「それともアレやったか? ロコシィ」


また、思い出したくもない名前を聴かされた。


「イやあああ!」


叫び声が聴こえたので渋々向かうと、エクリン先輩とステラちゃんがこちらに背を向け床を見ている。近づくと、馬上が口を押えて四つん這いになっていた。


「こんなとこでリバースしないでくだサイ! 私だってトイレまで我慢したんデスから!」


蘇生直後にリバースすか馬上君。体張ってる割にあんまり面白くないよ。


「やっぱり副作用とかあるのかな」


先輩は不安げに馬上の背中をさする。どうやらステラちゃんもかなり具合を悪くしている様子だった。


「しゃあないな。俺も最初のうちはログアウトするたびに二日酔い状態やったからな」


「気分が悪くなるだけか? ほかに何か異常は?」


「ラクシー歴3ヵ月たらずやけど、今んとこ健康やで」


「馬上君かなりやばいよ、せめてなんか、ゴミ袋と……水とかないかな」


「下の階の店の中にあるんじゃないですか、水割り用のペットボトルとか」


そういえば、加添はどこに行ったのだろう。


「私、取ってくる」


先輩は階段へ向かった。


「最悪だ。なんで俺がこんな目に……もう二度とこんなクスリやらねえぞ俺は……うぷ」


馬上はイライラをぶちまけながらキラキラをぶちまけそうになっている。


「シンスケ。ごめンね、ワタシが誘ったばっかりにこんな目に合わせて」


ステラちゃんはなぜ馬上を下の名前で呼ぶのだろう。謎は増える一方だ。


「そもそも、なんでこんな怪しげな集会に首ツッコんだんだよ、ステラちゃん」


そう聞くと、ステラちゃんは握っていた空の注射器を見つめ答えた。


「噂を聞いたんでス、最先端のVRシステムがあるって」


「それがラクシーだったってわけやな。結局、俺ら似たもん同氏は似たようなもんに惹かれて再び集う運命なんやな」


「ワタシは戻りまセンよ、あなたが会長を続けている限り」


「合宿ん時の事はまじめに謝るわ。ホンマ、すまんかった」


何があったのか知らないが、関西弁の謝罪はなぜか軽く感じる。


「あの事は関係ないし別にもう気にしてないでス! ていうか思い出したくもないでス!」


視線をずらして身をよじるステラちゃん。


「きゃあああああ‼」


再び悲鳴が響く。


声の主に思い至った俺は猛ダッシュで階段へ向かい、1段飛ばしどころか前段飛ばしジャンプをキメて階下のバーに駆け込んだ。


先輩が抱き着いてきた。俺はどさくさに紛れて先輩の二の腕をぷにぷに揉んだ。本当は別の部分を揉みたいが勇気が出ないのだ。先輩は震えていた。


「あ、あれ、あれ!」


指さすその先には、真っ赤な水たまりが。


「は、はは」


乾いた笑いがこみあげてくる。


人が倒れている。微動だにしない。目が開いている。おそらく瞳孔も開いている。


死体だ。


首には、無数の大きな丸い刺し傷。


「はははは」


自身の血の気が引くのが分かる。心拍数が上昇する。このままではビビっているのが先輩に伝わってしまう。


強がりとか、あるいは先輩への優しいやさしい気遣い、そんな言葉の一つでも出れば、この恐怖と、それに連動した心臓の鼓動も少しは収まるだろうが。


「はははははははははは」


なにか、慰めの言葉一つでも。


「はははは犯人は俺だ」


言えた。



バーの床で、加添崇刕が死んでいた。



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