●10
気絶したわけではない。スタンビームを食らって四肢がマヒしているのだ。しかも目隠しの布袋を被せられているのだ。そのまま引きずられる。痛い。シャレになってない。目隠しを取られる頃には全身のあちこちを擦りむいていた。
「ボロ雑巾のようだね」
眩しさに目を閉じる。
「その声は……父さん⁉」
ゆっくりと眼を開ける。
「あたしの声、そこまで低いか」
見覚えのある輪郭。
「冗談ですよ、先輩」
ウェーブのかかったセミロング、淡い色の毛先。
「生きててよかったね、モクニ君」
2重の意味で同意した。
見ると、エンタープライズで目が覚めた時よりもさらに狭く、殺風景な密室だった。独房だろうか。
「先輩とこんな場所に二人きりなんて、まるで現実じゃないみたいです」
「ま、現実じゃあない」
「確かめてみますか?」
俺は猫型ロボットの声を真似て、なぜか未だに所有していたリアル確認機(マジックハンド)を取り出すと、おもむろに自分の小指をつまんだ。痛い痛い痛い。
「ってえなクソ、ボケが」
真っ二つにへし折り、床にたたきつける。
「というワケで、痛いんです。これが現実じゃないと言い切れますか?」
「怖いよ」
「やだなあ、いつも通りですよ僕は」
落ち着いてくると、またもや自分の恰好が気になり始めた。相も変わらず上裸である。
「思うんだけど、モクニ君」
「なんですか」
「周りが服を着ていて自分だけ裸だと恥ずかしいけど、逆に銭湯や温泉なんかで、周りがハダカなのに自分だけ服を着てるのもまた恥ずかしいってよく言うよね」
「言いますかね、あまり聴いた事ありませんが」
「それじゃあ、この状況はどう説明すればいい?」
「明らかに僕の方が恥ずかしい恰好してるのでは」
「なるほど、露出度が高いほうが恥ずかしいと」
「違いますか?」
「でもモクニ君、本当にそう言い切れる? 今この空間に居るのは二人、完全に対等な一体一、どちらかが多数派というわけじゃないんだよ」
「先輩のその恰好、よくお似合いですよ」
「この場合、何が標準……つまり普通なのかは定義ができないんだよ」
「今年の流行を完全に網羅してますよね」
会話の不成立に気づいたエクリン先輩は言葉を発するのを止めた。かに見えたが、大きく息を吸って言い放つ。
「この粉もんくさい縞々模様のどこに流行る要素があるか!」
先輩は食い倒れ人形のコスプレをしていた。していたのだが、軽めな怒声とともにそれを脱ぎ捨てた。俺は素早く、脱ぎ捨てられたそれを奪い取り、身に着けた。サイズが合わず全身タイツのようなピチピチ感だ。
「ぷっ……よくお似合いよ、モクニ君」
振り向くと、肌色のアウトラインで囲われた乳白色が目の前に飛び込んでくる。慌てて目をそらす。
「せせ先輩こそ素晴らしいプロポーションですよ」
「まともにこっち向いて言ったら? これでお互い、もう恥ずかしくもなんともないでしょ、一件落着」
「いやでもそのあの先輩がそんな恰好してると」
「私のカラダ、見すぼらしくて色気もくそもない恥ずかしさだって言いたいの?」
ちらりと横目で先輩を見る。あれ、おかしい。
「見てごらんよ、この透き通るような素肌を、カーブを、生まれたままの姿を」
凝視する、まじまじと、生まれたままの先輩を。透き通るように白い肌を。
顔は確かに先輩だったが。首から下は透き通りすぎていて、向こう側が見える。形状はまったくもって女性のカラダだが、表面はまるでビニール袋のような色、質感だ。俺はため息をついた。
「いまだに信じられませんよ、ここがゲームの中だなんて」
先輩の今のボディは、要するにプレイヤーキャラクターのデフォルト設定だ。装備アイテムを何も身に着けず、キャラクリ……つまりアバターの作成をもすっ飛ばしてゲームを開始すると、体が半透明になる。
「ほんと、汗の上を冷たい空気の流れていく感じとか、煙とか、イオンの匂いまで本物そのままだもんね」
たとえば視力の低下に気が付いて、生まれて初めて眼鏡をかけた時に感じるような……現実以上のリアリティとでも形容すればいいのか。
「世界はこんなにも鮮明だったのか、とか思っちゃうよね」
おかしな話だ。俺と先輩はお互いに両手の平を交互に見ていた。
「だから余計に恥ずかしかったんでしょうか。昔VRゲームで遊んでた頃は、自分の肉体を丸ごとトレースしたアバターでストリーキングしても心はノーダメージでしたし」
ようやく、というべきか、俺は自分自身を取り巻く状況が掴めてきた。俺たちは要するにあのラクシーとかいう薬で眠らされて、何かとてつもなく高い技術的ハードルを乗り越えた最先端技術でどこかのVRゲームに繋がれた。そうして電子の世界にぶち込まれた挙句さらに鉄格子の結界にブチ込まれたのだ。
「加添はどこに居るんでしょうね」
「黒幕だし、この船のブリッジでふんぞり返ってるんじゃないかな」
「まあ、どうでもいいです、エクリン先輩さえ傍にいてくれたなら」
俺は先輩の指を取り、手の甲に口づけた。
「何してる……のよ……」
表情が完全に固まっている先輩が見えた。俺は時間を数えた。一秒二秒三秒四秒。二十一秒三十二秒四十三秒五十四秒。
「あ、そうか」
何かに気づいたのか、途端に普段のとぼけた表情に戻る。
「モクニ君て結構タラシなんだね」
そんな事ありません、と返す間もなく付け入るスキを与えず、先輩は早口で捲し立てる。
「いや馬鹿だな私、結構本気で混乱してた悩み始めてたホント」
面白いので口をはさむのは止めた。
「ダサいなあ恋愛経験ないわけじゃないのにちゃんとした恋人が居たことだってあったのに」
いたいけなチェリーボーイにとっては衝撃的であろう事実がポロっとこぼれ出た気がするが、俺はイタイだけのチェリーボーイなので一ミリもショックを受けない。
「やっと、思い出してくれたんですね。あの頃の僕らはまだガキだった。やり直しませんか」
「あなたとはつい先日知り合ったばかりですが」
俺は再びアイスピックを探した。
「よくよく考えてみるとあれですね、粉もん臭そうなピエロもどきのコスプレ野郎にキスされて喜ぶ女性というのもなかなか稀有でしょうね」
「いや嬉しかったけど」
「先輩はハイ稀有なんですね」
「レジェンド稀有。うそうそ、私なんて石ころみたいにその辺に転がってる女だよ?」
「恋人が居たんですよね?」
現代日本において、リアル世界でたった一度でも彼氏彼女がいたことのある人間の割合はなんと三割に満たない。俺と先輩の年齢である一九から二十歳ぐらいの時点だと一割と五分を下回るのである。十分稀有です。ハイ稀有。ウルトラ稀有。
「知りたいの?」
「もちろん。僕をフるならその昔の男とやらがどれほどスペック的に勝っていたのか説明していただかなければ納得いきませんね」
「じゃあ教えない」
落胆するのは早い。俺の廃人色の頭脳はフル回転する。教えない、つまり反義である。さっき俺はこう言ったのだ、フるなら教えてくれと。しかし教えないのである。
「僕をフらないとフルオートで恋人まっしぐらですがそれでも教えない、と」
先輩は眉をひそめ、しかし歪みなくまっすぐな視線でこちらを見据える。何かを見極めようとしている。そしてこう問う。
「ねえ、本気で私と恋人同士になりたいの?」
もちろん俺はこう返す。
「馬鹿言っちゃいけません、そんなわけないでしょう」
呆けた顔をしている。付け入るスキを与えず俺は素早く大きく息を吸って言い放つ。
「すきだの嫌いだの付き合うだの付き合わないだの恋人だの嫁だの彼氏だの何だの。そんなものは不特定多数の人間の性欲と独占欲と社会的要求との妥協の産物です。大勢の人間が気に食わない奴をいじめるために法律とか裁判とか回りくどい立て付け経るのと同じようなもんです。もし先輩が裁判や法律をお好きなら僕も付き合うだの恋人だのについてまじめに検討させていただきますが」
そこまで言って、自分の犯した過ちに気づく。不特定多数の人間が妥協によって生み出したものなら、それに乗っかるのが普通の人間ではないのか。また俺は普通を踏み外してしまうのか。今からでも訂正して謝罪してマトモな不純異性交遊許可証のお申込みはこちらのアドレスまで奮ってご応募ください的アプローチに切り替えるべきではないのか?
だが、見ると先輩は腹を抱えて笑い転げていた。あまりに可笑しくて声も出ないといったご様子だ。故にしゃべり終わるまで気づかなかった。
「ふー、ふー、あは、あはははは、くっかっはははははは」
「死なないでください!」
「だ、ダメ、死ぬ……死……あはははは」
先輩が落ち着くまで俺は部屋の隅で落ち込むことにした。
「笑った笑った。ああ、そうだね、モクニ君になら話してもいいかな、いや今のはなんか偉そうだね……ええと、聴いてほしいかな」
先輩は涙を拭いながら、上を向き、そしてすぐ俯いた。
「高校2年生の春だったなあ」
「ちょうど僕がヘーゲル弁証法とマルクスの唯物史観の対比研究を始めた頃ですね」
「学校で?」
「もちろん引きこもってました」
「で、現代文の授業で、小説を読んでレポートを出せっていう授業があってさ。ほとんど小説なんて私普段、読まなかったから、友達と、どうしようかって話をして。してたら、突然、廊下で、不良っぽい上級生が割り込んできてさ、本を差し出して、これを読め、っていう。一回も話したことなんてなかったのに、ある日突然さ」
「イケメンじゃなきゃ許されない行為ですね」
「そんなことないよ。まあ、確かに顔は奇麗だったけど。でね、私は無言で受け取ったのよ。読んだんだ、半分ぐらい意味が分からなかった。でも、なんだか物凄く、続きが気になった。分厚い本で、五百ページはあったと思うんだけど、徹夜して読み切った。読み終わって気が付くと、心臓がバクバクしてて、手が震えてて、頬が濡れて冷たくなってた。すごいよね、書いてある言葉の意味が、半分ぐらいしか分からなかったのに、なんでこんな事になってるんだろうって。朝焼けを眺めながら、これを書いた人間や、貸してくれた不良の子の事が気になって仕方なかった。本を返そうとして、不良の……唐九里(からくり)枢(くるる)っていう人なんだけど……会おうとしたら、学校に来てなくて。週一でしか登校しない人なんだって分かってね」
「どこが不良なんですか。素晴らしい生き方だ」
とりあえず褒める。大物への第一歩だ、敵を褒める。
「だよね。で、何を思ったか私は、直接その人の家に本を返しに行った。すごい古いボロボロアパートで、一人暮らしみたいな狭い部屋。その人は玄関の扉を開けて私を見つけると、驚いて、でもすぐにはにかんで、迎え入れてくれた。いっぱい本があって、なんかすごくドキドキした」
「作家ですもんね、先輩」
「その頃はまだ違ったよ。作家だったのは、その人の方なんだ。誰が、こんな掴みどころのない不思議な感動を与えてくれる本を書くんだろうって、私がちょっと茶化して笑ってたら、自分の事指さしてた。本当にビックリした」
「それが馴れ初めですか」
「そうだね。で、まあ色々あって、私たちはどんどん親密になった。ほとんど毎日、どっちかの家に通い詰めて、日が暮れるまでおしゃべりして、ゲームして、ずっと仕事の邪魔してたね」
俺の中でSHITの炎が燃え上がる。ニューラルなネットが大炎上中である。
爆発音とともに警報が鳴り響く。
「何回かお泊まりもしたなぁ。二人だけで旅行に行った事とかもあったなあ。部屋に温泉が付いてる個室でさ、ちょっと恥ずかしかったけど、裸ではしゃぎながら、二人でいつまでも仲良しでいようねって誓い合った」
こ〇してやるこ〇してやるこ〇してやるこ〇してやるこ〇してやるこ〇してやる!
と、天井のスピーカーから物騒な声が響いてくる。断じて俺の心の声ではない。
「だから、その年のクリスマスに、愛してる、恋人になってくださいって言われて、本当にビックリした。私は全くそんな事意識してなかったからね」
「いやおかしいだろあんた。何度もお泊りして温泉付き個室で裸で抱き合いながら朝まで爛れた愛を肉体言語にて語り合っといてどの面下げて意識してなかっただよ。ていうかその唐九里とかいうクソ野郎も今更恋人になってくださいってなんだよじゃあ今まで恋人じゃなかったのかよ遊びだったとでも言うのかおい」
俺は興奮のあまり敬語を捨て去り、慣れないツッコみ役に回されていた。
「すいません、ちょっと興奮して我を忘れてしまいました」
「いや普通にお風呂に入ってただけで、別に抱き合ったりはしてないけど。ま、そりゃそうだよね、私がおかしいよね、枢の方はあんなに色々意識させるような事してくれてたのにね。どうして気が付いてあげられなかったんだろ」
枢というのは唐九里の下の名前だ。かわいい名前だな。落ち着きを取り戻した俺はとりあえず褒める、心の中だけで。
「僕は人様に向かってあれこれ言えるようなまっとうな人間ではありませんので。先輩と唐九里とかいうクソ野郎……いえ美男子がどこで何をやっていようが現実を受け入れる所存でございます」
けたたましく警報は鳴り続けている。
「美男子? まあイケメンには見えるかもね。でも女の子だよ、枢……唐九里さんは」
なんてこったい。
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