●11

トンネルを抜けると星空だった。


いややっぱり夕焼け空だった。

正確には星空と夕焼け空のハイブリッド的光景が窓の向こうに広がっていた。窓に額を押し付けた俺の視界の、上半分に星々をちりばめた巨大な闇。下半分がやけにぼんやりとした赤茶けた空。いや空じゃない。

あれは大地だ。赤い大地と、それを覆ううっすらとした大気、今にも消えそうなまだら模様の細長い雲。

一体何がどうなってる?

確かめようと、さらに身を乗り出す。すると、反動で逆に窓から遠ざかる。

「おわっ」

体の制御が聞かず、思わず声を漏らす。頭が何かにぶつかる。さらに体が回転し始める。とにかく目の前にある何かにしがみつこうと手を伸ばし、掴んだのはピンクの毛。

「イたたたたた」

聴き覚えのある声がした。手を放す。

「あれ、広い食い男のモクニさんじゃないスか」

「その声はキンバリーことコンステラちゃん。なんで回転してんだバカみたいだよあははは」

「モクニさんこそ実にモクニさんらしく無意味な回転を続けてまスよハハハ」

我々は空中で回っていた。これは俗にいうところの無重力状態とかいう奴。

「ていうか上半身裸じゃないか俺、ケダモノのような目でこっち見るんじゃねえ」

「誰が男のハダカなんか見まスか。ていうかワタシだってかなりラフな状態なんで目え瞑ってくだサイ!」

俺は上半身裸というか、ボクサーパンツ一丁で他には何も身に着けていない。

「少なくとも何かもう一枚着るまでは嫌だ! ステラちゃん、そのタンクトップ的なトップスを俺に寄こすんだ」

「これ脱いだらワタシが上半身裸でス絶対嫌でス!」

「心配しなくても俺はピュアなチェリーボーイだから女性のあられもない姿を直視できないさあ寄こすんだ」

「うわあキモイでス、ていうかワタシだってピュアな……なに言わせるんスか」

「繰り返すが俺は童貞だから他人に自分のあられもない姿をさらすのが恥ずかしくてしょうがないんださあそのスポブラみたいな何かを寄こせぐへあ」

「死ね童貞野郎」

男の声がしたかと思うと腹に衝撃が走る。

この声は忘れもしない、小卒ヤンキーの馬上君だ。タックルを食らわせてきやがった。が、おかげで壁に手をつくことができた。きわめて優秀な空間把握力のおかげなのか、この数十秒で無重力に適応した俺は体の回転を止め姿勢を立て直す。

「大丈夫かキンバリーぐへあ」

ステラちゃんに顔を蹴り飛ばされる馬上。奴も下着一枚の姿だ。はたから見ると少女を襲って返り討ちにあった強〇魔のようにしか見えない。それはどうでもいいとして、なぜ俺はこんな所にいるのだろう。

たしか少し前に自らの命を絶ったはずだが。ここは天国なのだろうか。重力が無い……かまたは限りなく弱いということで、天の彼方に居るのは間違いないのだろうが。周囲を見渡す。記憶と照らし合わせると、一瞬で思い当たった。疑う余地はなかった。

「これ、この船、エンタープライズ号だ」

思わず独り言ちた。

「なんだって?」

小卒ヤンキーでも、さすがに知っているか。

「なんスか……その……キンダープライズって」

キンダープライズについて小一時間かけステラちゃんに説明したあと。

「ちなみにえんたーぷらいずはうちゅーせん」

本題は一言で済ませた。

「キンバリー、もうコイツと会話するのやめようぜ」

「珍しく意見会いまスね、シンスケ」

「エンタープライズはすごいうちゅーせん、男のロマン」

「キンバリー、とにかく今は状況を整理するのが大事だ。俺はさっき目が覚めた」

「そうスね、ワタシも気が付いたら……なんでこんなとこに居るンでしょ」

無視され続けるのも癪なので多少は博識なところをアピールしてやることにした。

「エンタープライズ号ってのは、火星を目指して半年前に旅立った有人宇宙船の名前だ。米軍の宇宙局が設計し、7ヵ国が建設に参加した。人類初の有人火星探査船であるコロンビア号――旧称IMM――の後継機だ」

沈黙。あるいは絶句だろうか。馬上が回転しながら冷や汗をかき始めた。ステラちゃんは事態がまだ飲み込み切れていない様子だったが、やがてみるみるうちに目を丸くした。

「なんでワタシらがそンな場所に⁉」

ステラちゃんは黒いボクサーパンツと丈の短いタンクトップ姿だった。こちらの視線に気づかれ、俺は慌てて目をそらした。 『ただ会話するためだけに視線を向けたんですよ』アピールのため代わりに馬上の方を見ると、奴はパンツ一丁で冷や汗をかきながら回転していた。吐きそうになったので死に物狂いで壁をたどり己の知識を総動員し、とあるスイッチ群を探し当てる。起動してやると、遠くで小さな破裂音が聞こえた。

「うわ、何スか」

金属のきしむ音。徐々に壁がのしかかってくるような錯覚を覚え、その圧迫はやがて床の方へ移動していった。壁につかまり、ゆっくりと床に足をつける。内臓や血液が足元に引っ張られるのを感じた。

「重力装置だよ」

正確には、宇宙船の回転による遠心力だが。うまく接地できなかったのか、俺を除く二人は床に転んでいた。起き上がった馬上が言う。

「はあ、落ち着いてきたぜ、やっぱ地に足がついてねえとな」

「ワタシは全く落ち着けませンよ、なんで半裸で半裸の男二人と密室に閉じ込められなきゃいけないんスか!」

歩けるようになってみると、部屋がいかに狭いか分かる。大学近くの俺のアパートは八畳間だったが、アレよりふたまわりほど狭い。無重力状態では空間をフルに使えたから、そのあたり、たいして気にならなかったのだが。

「狭い……二人とも今すぐそこの窓から出てってくだサイ!」

「はぁーい」

もちろん、宇宙船の窓が開いたりはしない。だが半裸の女性を前に俺は窓の外を眺める事しかできないのだった。赤い惑星が回っていた。たぶん火星だ。この船は本当にエンタープライズで、無事目的地に到着したところ、とでもいうのだろうか。

「おい、アレ外に通じてるんじゃねえか」

馬上は天井を指さす。見上げると、天井には扉らしきものがある。ドアノブはなく、代わりに潜水艦映画でよく見るような大型のハンドルがついていた。窓の反対側の壁には梯子状に金属のパイプが連なっていて、そこから登れそうだ。

「今すぐそこから出てってくだサイ!」

ステラちゃんは部屋の隅の、ベッドのような柔らかい台座の上で体育座りをしている。

「無茶言うなよ、すぐ外は真空かもしれねえぞ」

「じゃあ確かめてみよう」

俺は梯子を上って扉のハンドルを回した。

「おい止めろバカ野郎! 俺を二度殺す気か!」

あの怪しいバー『25なんちゃら』で俺に刺されたのは覚えているらしい。おそらく、この宇宙船が加添の言っていた『あっちの世界』とやらなのだろう。……では、なぜステラちゃんがここに?

「ステラちゃん、クスリ打ったの?」

すぐに返事は来なかった。ハンドルがやたら軽くなったのを確かめると、そいつを今度は手前に引っ張る。ビビりの馬上君は身構えた。宇宙船外につながる扉は必ずエアロックを挟んだ2重になってるし、この部屋がエアロックなわけないだろうが。

「ごめんなさい、お二人が旅立たれたあの後、ワタシ一人で取り残されて、どうしていいか分かんなくなっちゃって」

天井の扉の向こうには上に伸びる円筒状の通路があり、梯子が壁を這っていた。一段ずつ足をかけ手を伸ばし、俺は登っていった。

「つい出来心でトリップしちゃった、というワケか。不良娘め」

待て、今なんて言った? お二人が旅立たれた? 確かにエクリン先輩はクスリを打ちはしたが、俺の方はといえばアイスピックで己を討ったはず。

「ところで、俺はさっき死亡したような気がするのだけど」

声は通路に反響した。下の部屋にもよく届いているはずだ。反応を確かめるためという名目で下を見ると、半裸の馬上が腋の下を見せつけながら梯子を一段一段昇りながら近づいてくる。逃げなきゃやられる!

「お、覚えてませンよワタシはなにも」

声がうわずっていた。キョドっていた。

「ていうか、モクニさんが死んだって事はここがあの世だって事じゃないスか、しかも高確率で地獄だって事じゃないでスか」

「どう見ても天の上じゃないか」

通路の先には同じような扉があった。馬上が迫ってくるぞ急げ! と、ハンドルを必死で回す。

「でも窓から見えるあれ、どう見ても地獄でス。大地も空も真っ赤に染まってまス」

2つ目の扉に手を付けると、また体がだいぶ軽くなり、宙に浮かび始めた。遠心力を利用した疑似重力も、回転する船の中心部あたりはゼロGの状態だ。力をこめ難かったが、全身のバネを使いなんとか半分ほど開けて、するりと抜ける。

今度は結構な広さの空間に出た。計器類の下に操縦桿、アルミフレームのチェア、強化ガラスを組み合わせた巨大な窓。間違いなくエンタープライズ号のブリッジだった。どういうわけか無人だ。ここが本当にエンタープライズ号なら、クルーはどこへ行ったんだろう。

「ステラちゃんも早く来なよ」

「シンスケのケツが見える状態で登りたくないでス」

さっそく座席に腰かけ、ベルトで体を固定する。浮かび上がる前髪が邪魔だった。コンソールに興味深いものを見つける。赤く塗られたひときわ目立つ丸い押しボタン。台座は黄色と黒の警戒色でペイントされている。どう見ても危険なスイッチだ。

ここで自問する、〝なぜ人はボタンを押す〟のだろうか。愚問だ。

「そこにスイッチがあるからさ」

ポチっとな、と心でつぶやく。さすがに恥ずかしいので口には出さない。

「おいてめえ、今何のボタンを押した⁉」

背後から馬上の声がする。

「知るかよそこにスイッチがあるからさ」

俺はブリッジのコンソールパネルについているツマミ、スライダ、トグルやボタンを片っ端から現状とは正反対の位置へ移動させていった。

「正気かよこの気狂い野郎」

「器具類野郎で結構だ。というか狂った人間に正気かどうか聞くなんてなかなかやるじゃないかお前」

「嘘つきのパラドックスでスね」

ステラちゃんもブリッジに入ってきた。入ってきたというか、頭だけ覗かせている。馬上は必死に俺が操作したコンソールパネルをもとの状態に戻している。

「あ、UFOだ!」

「何だと⁉ どこだ!」

馬上は馬鹿なのか。馬上という姓は実のところ『馬鹿のさらに上』を略したものだったりするのか。彼が窓の外を見ているうちに、ふたたびコンソールのツマミやトグルやボタンを片っ端からスイッチした。

「てめえ騙しやがったな」

「あ、UFOでス!」

今度はステラちゃんが馬上を馬鹿にしている。

「キンバリーまで俺をだますのか」

「いや、マジでス」

二人を交互に見ると、ブリッジから仰ぐ船の前方に視線をくぎ付けにされていた。二人の顔が青くなっていったかと思うと、ブリッジ全体に青白い光が差し込む。どうせ強化ガラスの向こうで何かとんでもない事が起こっているのだろうが、とりえず驚愕するのは二人に任せてスイッチする作業に戻った。

「おい、おい何だよあれはッ」

「ちょっと、モクニさんモクニさんあれあれあれ見て見て見てくくだだだサい」

「ダサいのは馬上の髪型だろう」

しぶしぶ窓の外に目をやると、白一色。何か巨大な物体が光を放っている。光は徐々に弱まり、今度は窓一面が黒に覆われた。

「もうワケわかんないでス、ワタシはもう気絶しまス」

そう言って目を閉じるステラちゃん。

「今がチャンスだ馬上、チューしてやれ」

慌てて目を開けるステラちゃん。

「バカ言ってる場合じゃねえだろ、一体何なんだよこの状況はッ」

よく見ると、窓の外にあるのは巨大な人工物。三角形を二つ繋いだような、二重クサビ型の……あれも宇宙船だろうか。徐々に近づいてくる。突然アラーム音が鳴り響く。警報装置らしき赤いランプがクルクル回る。

コンソールにはTRACTOR BEAM ALERTの文字。

「光を放って出現するということは……ワープしてきたとか?」

「ゲームかよッふざけてんじゃねえぞ」

「これは夢でス! これは夢でス!」

頭を壁に打ち付けるステラちゃん。

「リアル確認機ぃ~♪」

俺はなぜか座席の下にあったマジックハンドを高らかに掲げ、親父の好きなアニメに出てくる青い猫型ロボットの声を真似た。そいつで馬上の耳をつまみ引きちぎらんばかりに力を籠める。

「ってえ! 痛え! やめろクソ野郎」

「だそうだ。これは夢でもゲームでもないぞ」

少なくとも、痛覚を再現するようなVRゲームは今のところ存在しない。

二重クサビ型宇宙船の、こちらに面した先端部が二つに分かれる。その中に見える闇が、徐々に近づく。やがて窓の外が完全な暗闇となった。

僅かな時間、あたりを静寂が支配する。

どうやらエンタープライズは、火星軌道上でワープアウトしてきた謎の巨大宇宙船に捕獲されたらしい。格納されるその瞬間、俺達のいるブリッジに重力が発生した。巨大宇宙船は回ってなどいなかったので、これは回転運動による疑似重力ではない。

やがてブリッジの真後ろから、エアロックの扉の留め金を切り刻むサーキュラーソーのような音がし始めた。

両目を瞑り歯をがちがちと鳴らしてうずくまる淦ステラ氏。

さっき俺が使ったひみつ道具のリアル確認機(マジックハンド)を構える馬上君。

サーキュラーの音が止み、代わりに寺の鐘のような鈍い音が響く。何者かによってエアロックの扉がついに破られたようだ。足音がする。なぜかコーホーコーホーという空気ポンプの音もする。侵入者はガスマスクを着けているのか。

「うおおおお」

馬上はやはり馬鹿だ。叫び声を上げながら奇襲をかけるとは。

「よっしゃ俺が一番乗りや!」

微妙にノイズの混じった嬉しそうな関西弁が聴こえた。

「食らえ!」

金属音が響く。およそ奇襲として成立していない愚かな一撃は仮面の侵入者の剣というか光る警棒に防がれた。馬上と仮面の男が鍔競りあう。ちなみにひょっとこ仮面だ。

「うわあぶなっ! ていうか馬上やん」

「その声は……会長⁉」

脱ぎ捨てられたひょっとこガスマスクの下の顔は、忘れもしない天野輝明のそれだった。

「キンバリーもおるやん。お前ら下着姿で密室で何やっとんねん!」

ステラちゃんは相変わらずガチガチ歯を鳴らしている。

「ここはVRゲームの中ってことでいいんだよな」

俺は真っ先に質問した。

「当たり前やろ、それよりお前らいつの間にそんな立派な大学生らしい関係に」

「さよならウラヌスの観過ぎだ天野」

〝さよならウラヌス・また来てネプチューン〟無重力ラブシーンばかり有名なカルト映画である。

床材のアルミ板を踏みつける、無数の足音が鳴り響く。

「誤解だ会長、少なくともこのクソ野郎は俺達とは何の関係も」

「シンスケともそんな関係になった覚えはありマセン! あり得マセン!」

気が付くとひょっとこ仮面に黒い法被のお祭り集団が俺たちを取り囲み、銃口を向けていた。連中を引き連れてきたであろう天野を除いて。

「こらマズイわ、こいつら自動制御のNPCやから、俺の命令聞かへんねん。お前ら逃げたほうがええで」

「天野お前なんでこんなとこに居るんだ、何やってんだ」

「バイトや」

銃口が火を噴き、視界が暗転する。

「反乱軍のクズどもを捕らえたぞ」

聞き覚えのあるヴォイスがする。わりと人気のあるアクターの声だ。途端にゲームの中である実感が沸き始めた。どうにもやる気を失ったのも手伝い、俺はぶっ倒れた。撃たれたみたいだし。

「監房にブチ込んでおけ」

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