●12
チェインのログをたどり、未来旅行研究会とかいう怪しげなサークルの催す新人歓迎トリップ会というこれまた怪しげな合法的集会の現場にたどり着いた。大通りに面した雑居ビルの三階、クラブハウスを思わせる小洒落たバル。さらに上の階はなぜかカプセルホテルらしいが今はどうでもいい。エアダクトから忍び込もうとして通報されかけるも、後からやってきたエクリン先輩に事情を説明してもらい平謝りした結果解放され、無事に家路に着く事が出来た。
「いや帰っちゃダメでしょ」
首根っこをつかまれた。先輩のツッコみは落ち着いたトーンで淡々としているがタイミング的な切れ味はなかなかのモノだ。二人で正面切って堂々と入店。
『25 HOURS PRAYING』それが店名だった。
「意外と広い店ですね」
「でもお客さん……いない?」
「ほらあそこ」
ブラックライトやネオンの輝く薄暗い店内だったが、俺は一瞬でピンクメッシュの後姿を見つけた。なにしろ俺たちを含めても客が四人しかいない。彼女はカウンターに腰かけている。右隣の席の男と楽し気に会話している。
「あれ、あれれ、馬上君じゃない?」
エクリン先輩に着いて歩き、淦氏らの真後ろに二人で並んだ。
「ステラちゃん、助けに来たよ!」
振りむいた淦氏の目は一瞬丸くなり、しかしやがてじっとりと視線が据わる。
「そのセリフ柳中さんに言ってほしかった」
ステラの右隣に座っていた男がいきなり胸倉を掴んでくる。
「テメェ誰だ⁉ キンバリーに何の用だ!」
ハードワックスでツンツンに固められた頭はシルバーグレイに染められていた。耳にはでっかいニードルピアス。襟を握る腕からは血管が浮き出ている。体格差というか、色々と格差が半端じゃない。まあ身長については、少なく見積もっても俺より十センチは低いのだが。
「くっ……殺せ」
そんな相手を前に、俺は胸倉を掴まれた刹那戦わずして敗北する前に降伏した。
「キンバリーっていうのは、ステラちゃんのことね。どこかのおバカ会長さんが淦をキムと読み間違えて、そこから転じてキンバリー」
解説ありがとうございます、先輩。
「副会長?」
胸倉を掴んでいた男は、エクリン先輩に気づくとその手を放した。俺はその場にヘタレ……いやヘタリこんだ。
「お久しぶり、馬上君」
「オス!」
両手を揃え直角にお辞儀をする馬上とかいう男。体育会系のようだった。
「柳中さん、来てくれたんでスね!」
両手でエクリン先輩の左手を取るステラちゃん。
「エクリン先輩ってすげえ人望あるんですね」
「ま、会長がアレな人だからねぇ」
「なるほど良くわかります」
「モクニ君に紹介しようかな。頭ツンツンの男の子の方が馬上真介さっきも会ったと思うけど、この女の子はステラちゃん。二人とも、創世記部のメンバーだよ」
「元、メンバーです」
二人分の声がした。
「副会長、こいつ誰なんだ?」
馬上が俺を指さしたので、俺は馬上を刺した。さっき襟を掴み上げられた復讐をするのなら今がチャンスと思ったまでだ。俺の一撃を受けた馬上の、報復の拳がギリギリ頬を掠める。
「いきなり何しやがんだテメェ!」
「それはこっちのセリフだ。男と二人きりの女子になれなれしく声をかけただけでなぜ胸倉掴まれなきゃならんのだ。お前は淦氏改めステラちゃんまたはキンバリーの飼い主か何かなのか?」
馬上君の顔が真っ赤になり、かと思いきや、直後、真っ青になる。お前はフランス国旗か。
「うっ……腹が」
腐乱死体のごとき顔色のまま店の奥へ引っ込む馬上。手刀をお見舞いしてやった……と見せかけて種痘で下剤を刺してやったのだ。三十分はトイレに籠っているだろう。
「モクニ君、今馬上君に何したの? 大丈夫なのアレ?」
「平気ですよ。なんか人数が増えてうるさいから減らしたんです」
「怖いっス! この広い食い男完全にイッちゃってマス!」
ドン引きしているステラさんをしり目に、俺はカウンターに仁王立ちして言い放つ。
「さあ、悪は潰えました。二人とも帰りましょう」
「悪ってなんスか」
「え? あの馬上とかいうオラついた小卒ヤンキーの事だよ。あいつが未来旅行研の部長かなんかだったんでしょ?」
「じゃあ、他の部員はドコ行ったんスか?」
「きっと部長以外は幽霊部員なんだよ。部長ももうすぐ幽霊になるけどね」
「怖いっス!」
「さっき大丈夫だって言ってなかったっけ……」
どうやら先輩にもドン引きされたようだ。
「信じてください先輩、俺は単に種痘で下剤を打っただけで……」
「下剤を持ち歩くなよ。ていうか今の時代に種痘なんかどこにあるのよ」
「ごめんなさい、本当はそこのテーブルに置いてあった注射器を打ったんです。中身は何だかわかりません」
カウンターテーブルのすぐ横、四人席のテーブル上に、どうにも場違いな小型の注射器が3本。予防接種なんかでよく使われる、針のないタイプの空気式の奴だ。
「ナニコレ……ワタシらが来たときは無かったのに……」
「わかんない……注射器でしょ」
エクリン先輩の、というかステラちゃんも、みるみるうちに顔が青ざめていく。
「図らずも、俺の言葉が当たっちゃいましたね。もうすぐ幽霊に……」
馬上を追ってトイレにダッシュする二人。 『大丈夫⁉』とか『しっかりして!』などと聴こえてくるが、俺はカウンターから降りて店の商品をあさり、アイスピックを盗んでチェイサーをがぶ飲みした後丸椅子に腰かけ、誰もいなくなった店内を見渡しながら優雅にまた水の入ったグラスを傾ける。
『いやあ、楽しいコントだった』
『ああでも、クソ、普通の人間からまた一歩遠ざかってしまった。天野の奴に再会してからどうにも昔の自分に戻りかけてる気が』
『そんな事ないって。僕の目には、君は特別に普通の人間に見えるよ。それこそ、この世の誰も敵わないぐらいにね』
『嬉しいこと言ってくれますね、独り言だけどな』
『独り言だったのかい? じゃあ僕はひょっとして、君の残像か何かかな?』
ふと我に返ると、カウンター越しに男が立っていた。驚いた俺はビクついて、ぶつけたつま先にテーブルが揺れ、二人分のグラスが中に浮く。
「誰だよ、お前」
男はスーツ姿だった。タキシードではない。であるが故にバーテンには見えないが、英国式バーテンダーか何かなのだろうかいやそんな馬鹿な。しかもよく見るととんでもなく高価な奴だ。有るマニーだ。マニーが有る奴のマニースーツだ。
「君と同じ、裁火大学の生徒だよ。医学部の四年生だ。あと、このバーと、上の階のモーテルの店長もやっています」
「クソうさん臭いですね。すごく気に入りません、特に店の名前が」
「それは光栄です。初めまして、生出君。加添崇刕と申します。未来旅行研究会の会長を務めさせていただいてます。本日は、当研究会の新人歓迎会にお越しいただき有難うございます」
「モクニ君、ちょっと手伝って! 重くて引きずれない!」
エクリン先輩の声がした。先輩が尻を出した。トイレへ向かう通路からこちらへ何かを引きずっているようで、臀部と左足だけが最初に顔を出したのだ。何を引っ張ってきたのやら。
「ねえ、手伝ってってば」
「死体の運び方はそうじゃありませんよ」
仕方なく店の奥まで歩いていく。エクリン先輩が引き、ステラちゃんが必至で押している人体の正体が判明した。
「こんなとこにいたのか」
横たわるは天野輝明だった。
それから、誰も何も一言も喋ることなく時間が流れ、店の面する車道を行く車の音もまばらになり始めた。
眼下にて天野と馬上が眠っている、ひょっとすると永遠に。意識のある三名でなんとか二人を店の二人掛け席へ横たえてやったのだった。
「この人殺シ!」
ステラちゃんの罵声がつらい。せめてもの罪滅ぼしに俺は両手を合わせ適当に法蓮華経を唱えた。
「難病放れ~んで今日包丁頂戴」
倒れていた天野の右手にも、例の注射器が握られていた。天野と馬上はクスリを打って死んだのだ。正確に言えば馬上は俺がヤったのだがそれは秘密だ。
「どうしましょう、なんかつねっても殴っても一切反応返しませンよ、二人とも!」
「どうにもならないでしょ……いや心臓マッサージとか、かなあ」
先輩とステラちゃんは青い顔をしていた。というか天野も馬上も俺もその場にいる全員が青い顔をしている。青二才集団である。
「この注射器だよね……なんとか中身の成分とかが分かれば」
慌てる二人。仕方ない、こんな場合の対処法を教えてやろう。
「とりあえず救急車呼びましょう、あとついでにれ」
「霊柩車は呼ばないで!」
鋭い突っ込みだ。やはり、俺と先輩はいい漫才コンビになれそうだ。
「お寛ぎください、と、そう申し上げたはずですが」
マニーさんがカウンター越しに見ていた。
「誰スかこの人」
「この店の名物マニーさんだろう」
「未来旅行研究会の会長でしょ。確か加添君とか言ったよね」
さっきの会話は普通に先輩の耳にも届いていたらしい。マニーさんは石膏で固めたようなうさん臭い笑いを崩さず、声のトーンは落としてこう言った。
「そこの二人は大丈夫です、保証しますよ。ただ単にあっちの世界へ逝ってるだけですから」
「やっぱり無事死亡してるんじゃねえか」
あまりに古臭いスラングを使ってしまった。その昔我が家で親父がよく使っていたせいで息子に伝染してしまっているお。
「あっちの世界というのは、あの世じゃありません。この世界とは別の世界、いわゆるパラレルワールドをイメージしてもらえば、分かりやすいと思います」
ますますうさん臭くなってきた。
「このクスリ……我々はラクシーと呼んでいますが」
「アンラクシーじゃなくて?」
先輩、誰とでもコンビ組めるんですね。俺じゃなくてもいいんですねショックです。
「ははは、面白いお嬢さんだ」
「ははは、じゃねえよその芝居がかった、安っぽい黒幕みたいなセリフだけで充分お前も面白いお兄さんだよ」
加添の、上から目線というか上様目線のセリフが気に食わず、俺は食って掛かった。
「君ほど面白くはないが。で話を続けさせてもらうとだね」
テーブルに置いてあった、残りの――ラクシーとやら――を、両手にそれぞれ装備し加添めがけて投げつける。2連撃は華麗なスナップでキャッチされた。
「語頭のアンを取ったので、安楽死とはまったく反対の意味になります。そこのお二人……天野君と、たしか馬上君? 彼らは今、最高に生を謳歌している最中です」
「そいつぁ朗報だ。さあ先輩、帰りましょう」
「ちょっとモクニ君黙ってて!」
叱られた。先輩から目をそらした先にて、俺の視線はステラちゃんの軽蔑のまなざしと遭遇した。
「加添さん、この二人はうちのサークルの基幹メンバーなんだけど。もし二人に何かあったら私ブチ切れるから。というか、今の状況をはっきり分かるように説明してくれないなら、ソッコーで警察呼ぶから」
もし警察を呼ばれたら。馬上を刺した俺も過失致死罪は免れないだろう。ここは加添黒幕説に人生を掛けるしかない。
「柳中さん、でしたっけ? まあ、そう興奮なさらずに。こうしましょう、僕を含め、今この場、目が覚めている全員で、同時にこれを使ってみる、というのはどうでしょう?」
「絶対いや」
「ラクシーがどういう類のものかは、アッチの世界で説明しますよ」
未来旅行研究会の実態はヤク中サークルだったのだろうか。トリップとか言ってる時点で薄々感づいて叱るべきだった。叱ったところでヤク中は治らないだろうが。
「だから嫌だって……あれ」
あっさりと、加添は自分の首元に注射器を押し付け、投薬ボタンを押下す。注射器の表示が緑から赤に変わり、点滅し、やがて消えた。残量確認スリットから覗いていた、中の液体が無くなっていた。
「では、僕は上のホテルでこの体をベッドに横たえます。皆さんの事、お待ちしてますよ。お先に失礼」
カッコよさげに、店の奥へ消えて行ってくれた加添を尻目に、俺は店のカウンターの下から持ち出したアイスピックを……
自らの首元に当てる。
「僕もあの世で皆さんの事を末永くお待ちしてますよ、どうぞお元気で」
「ちょっと待って待って、モクニ君の行動の事は黙ってるから自殺はやめて、そして警察呼ばせて」
「今警察呼ばれたら僕は人殺しなので。まあ個人的にはオラついたヤンキーからの正当防衛だと……」
見ると、エクリン先輩は注射器を手に取り、ゆっくりと、それを自身の首筋に押し付ける。
「ステラちゃん、悪いんだけどそこの二人の脈拍と呼吸を確認してくれる?」
「ええ。ワタシにオトコのカラダに触れっていうんでスか」
返事は沈黙。しぶしぶ、先輩の指示に従うステラちゃん。鼻をつまんで呼吸を止め、天野と馬上の胸や口に耳を近づける。
「たぶン、死んでないかと。気絶してるだけみたいス」
それだけ言うと、先輩は俺をにらみつけながら、自身に押し当てていた注射器のボタンを押し下した。そして言った。
「モクニ君たしか、普通の人間になりたいって言ってたよね。それは普通の人間のとる行動なの?」
俺は答える。
「そんなわけないでしょう。いつか、いつの日かこういう、破滅的な事態が訪れると分かっていたから、だから普通の人間になりたかったんですよ」
先輩が何か言いかけるが、遮り、俺は続ける。
「昔から、俺はおかしかった。俺の中に俺じゃない何かが住み着いていて、形容しがたい奇怪な行動を取らせるんです。まるで遊び半分に俺の人生に介入してるみたいに」
そこまで俺の話を聞いてから、先輩は言いかけた台詞を続ける。
「今、わたしはラクシーとかいう薬を打った。たぶん馬上君や天野君と同じところに行くと思う。あの加添とかいう男の言葉を信じて、あいつに会いに行ってみる。あなたも付いてきて」
俺は答える、真心から。
「でも、もう手遅れみたいです。最後にエクリン先輩に会えてよかった。俺はどうやら、先輩の事が好きになってたみたいです」
その、我ながら珍しくもごく平凡な、愛の告白チックな言葉を辞世の句として、俺は自らの首筋にアイスピックを突き立てた。
先輩の絶叫が聞こえる。あるいは、俺の絶叫だったのかもしれない。のこり一生涯分の生への執着が今まさに、水風船の穴のごとく、喉から噴き出していく。
憤怒と悲壮と悶絶の声のハーモニーとして。
あかいあかい体液として。
俺はあの世を信じない。
故に、自分が死んだことを自覚する日は来ないのだろう。
われ思う、故にまだ生きている。
自らの思考と認識、それら一切に感謝を捧げようと思った。
終わりがやってくる、その瞬間まで。
見えない壁に、押しつぶされていく。
サイ、ゴニナニガアル?
サイヲフッテ、ナニガデル?
サイヲナクシテ、ナガノコル?
サイノ、ソノアト、ナニカイル?
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