●13
部室に現れた光景は、よく見るとすべてCGだった。
足元の草は一本一本がほぼ同じ形状をしていて、虫食いや枯れ方の位置が違うだけ。その虫食いにしたって特定のパターンから選ばれたものにすぎず、いくつかの草で全く同じ形の穴が開いている。人々の顔つきにはどことなく生気のない印象を受ける。地面を足元から順にまじまじ見ると、ある一定の距離から先は、境界線をまたいだように岩や砂の形が大雑把になっている。
「ようするに、VRゲーム部ってことか」
丁度、俺や天野が生まれたばかりの頃、VR=仮想現実ゲームが初めて世に広まったらしい。仮想現実といえば聞こえはカッコいいが、最初のブームから二十年近い時の流れを経た現代の技術でも、結局、目と耳を経由して、観たり聴いたりするタイプのデバイスだ。SFによく登場する、脳を直接繋げてダイヴする完全な仮想現実には程遠いのがザ・現実である。
俺は歩を進めた。
八歩ほど歩いたところで、目の前に半透明な幕が現れた。方眼紙のような模様がある。これ以上進むと危険です、というサインだ。それを無視してさらに歩くと、頭を壁にぶつけた。
「アホちゃうか」
もちろんゲームの中の世界は目の前にどこまでも広がっている。だが、俺は現実の世界で部室の壁にぶつかったのだ。
「やっぱり、見えない壁はあるんだよな」
ゲームの中で物を食べても味はしないし、匂いもない。触覚は専用のグローブやスーツを身につければそれっぽい感じは再現できているが、やはり本物とはどこか違う。何より、自分の足で歩き回れる範囲が狭い。大型のテーマパークに設置してあるアトラクションならともかく、家庭用のVRゲームの場合、現実世界の部屋と同じ程度の領域しか、自分で歩き回ることができないのだ。
当然である。完全な仮想現実の実現には、脳へのアクセスが必須になるからだ。娯楽目的で簡単に研究できる技術ではない。安全性というリスクが、VR技術の前に大きな壁として立ちはだかり、ある時点から進歩はほぼ止まったままだ。俺が見ているのは、仮想現実の仮想実現といったところ、その程度の代物なのだ。
「どや!」
「ゲーム。昔よく遊んだよな」
誰に対してでもなく、俺はぽつりと言った。
「今は遊ばんの?」
「ああ」
「モクニ、お前」
空を仰ぐ。
澄み切っている。
どこまでも高い、永遠に続くかのような空。
おそらく、本当に空がどこまでも続いているんだろう。
中世の世界には宇宙空間なんて無いのだ。
現実世界の空よりもずっと高く、蒼く感じた。作り物であるが故の、世界の広さ。
「お前、目ぇ赤いで。ひょっとして泣いてる?」
「なんだって?」
思わず、バイザーを乱暴に外した。
草原も青空も消え去り、元の、白い壁や天井に囲まれた無機質な部室に帰ってくる。
「あんなに夢中やったのに、ゲーム」
そうだった。
「天野、よく聴け」
「おう、どうした」
「お前金髪似合わねえよ、それにロン毛すぎるだろ」
「すまんな、モテ期を逃したないんや」
「俺をこのサークルに勧誘するつもりなら、やめとけ。ハタチ近い歳にもなって架空の世界に夢中になってるのは馬鹿馬鹿しい。企業が金儲けのために作った娯楽にどっぷりハマるのは子供だけだ」
そこまで言うと、急に理由のわからない不安に駆られた。沈黙が訪れる。天野はキョトンとした顔でこっちを見ていた。
「遊びじゃないから」
エクリン先輩の声がした。
「プロゲーマーでも目指すんですか?」
「そうじゃなくて、遊びじゃないの、つまり……ええと、遊ぶ側じゃないってこと」
どういう意味だろう。
「せやで。そう、そう、そーなんです! ある意味では遊びやけど、でも遊ぶ側やない」
まさかとは思うけれど。いやでも。
「さっき見せたあの世界、俺らが『創った』んやで」
耳を疑った。
「はあ?」
創った。創作した。創造した。創建した。
本当かよ。ありえない。混乱してきたぞ。あっていいはずがない。
エクリン先輩が俺の腕を軽く掴み、外したバイザーを戻すよう促してきた。微笑みがなんか怖いが、それに従い、恐る恐るバイザーを耳にかけ、目を開けた。
再び眼前に広がったその光景を、くまなく見渡す。
「あえてもう一度言おう、どや?」
「こんなの、ありえないだろ、おかしいって。 トップクラスにでかいゲーム会社のそれに匹敵する精緻さ、リアルさだぞ」
「どや?」
「本当に学生が作ったのか? これを?」
エクリン先輩が「どやあっ!」天野のモノマネをする。
「ま、二十人ちょいの人間が、半年ほど死に物狂いやったけどな」
確かに労力はかかるだろうが、それでも普通に考えて、十人/年程度の作業量で作れる代物ではないはず。ひと昔前のゲーム業界では、年に何百本もの新作が発売・サービスインされていたらしいのだが。俺たちの世代が生まれた頃から、新たなゲームサービスのリリースは年々減少の一途をたどり、近年は一年に一本新作が出るか出ないかという状況だ。いまこの時点でサービスが継続しているゲームタイトルは、世界にたった八種類しか存在しない。
「なあモクニ」
俺の疑問を天野がポケットに手を突っ込んで恰好をつけながら遮った。
「俺はな、昔から思とったわ」
俺は自分の両耳に人差し指を突っ込み、うすら寒い目を繕って天野を見た。
「ゲーム作りたないか? 世界を、作ってみたくないか? 今やごくごく限られた一部の人間だけが、イチから仮想現実世界を作る権利を牛耳っとる。G7の、クリエイター気取りの会社員共や」
たった七種類の、世界中ほぼすべてのゲーマーを独占するゲームサービス。それらはまとめて〈G7〉と呼ばれていた。そして、G7のうち最も人気のないタイトルでさえ、アクティブプレイヤー数は億人を超えている。
史上空前の寡占状態である。
それに挑もうというのか。アホらしいというか天野らしいというか。どうせ本気じゃないんだろカッコつけたくてポーズ取ってんだろ、とばかりに、鼻の穴に人差し指を突っ込もうとして失敗し、仕方なく口に指を突っ込んで真横に広げた。エクリン先輩が爆笑している。
「計算してみた。今なお生きとる、つまりサービスが継続しとるゲームタイトル群の根幹部分を作り上げたメインスタッフの人数を、合計するとやな」
「たったの、六十四人だろ」
俺は天野の話を遮るように答えた、ヨダレのついた指で天を指して。ティッシュでそれを拭き取りながらこう続けた。
「現代の世界には二種類の人間がいる。好き好んで仮想現実に住んでいる人間と、嫌々ながら仕方なく仮想現実に住んでいる人間だ。毎日どこかの仮想現実にログインするのが当たり前の時代で、映画を見るのも本を読むのも、友人と遊ぶのもデートするのも、勉強もスポーツもファッションも、冠婚葬祭、果ては仕事すら仮想現実の中で行う。それを誰が仕組んだか、生み出したのは何者なのか、知らないわけないだろ。中学でも高校でも、散々授業の中で教えられて来たろうが」
天野はニヤリと笑った。
「まさに神やな」
神。そうかもしれない。インフラと呼べるまでに成長し、常に人々の生活の中心に据えられ『食事と睡眠と出産以外はすべて賄える』とまで言われる仮想現実の、その創造主というのは、半ば神のようなものかもしれない。
「モクニ。神になりたくないか」
いつの間にか、あたりの光景は塗り替わり、小奇麗なオフィスの中に居た。窓の外には広い空と灰色の街並み、米粒よりも小さな人や車。
「これが俺の夢や。天下取るで」
CEOが据わるようなご立派なデスクに腰かけ、肘をついて指を組み親指を突き合わせ、上目で睨むように天野はこう言った。
「宿舞。俺と一緒に、人類の新たな住処を創らないか」
「断る」
沈黙。
「即答やな。その答えは、でも予想がついとったわ」
「なんで俺が四年間、一度もVR世界にログインしなかったか判るか?」
「わからん。知りたいわ。リアルに死んだかと思てたよ」
「見えない壁にぶち当たるのに飽きたんだよ」
「は?」
「俺は普通の人間になりたいんだ。奇人でも変人でも野蛮人でも悪人でも芸人でも聖人でも未開人でも未完成人でも宇宙人でも未来人でも異世界人でも恐竜人でもげっ歯類人でもクリンゴン人でもモンカラマリ星人でもなく、マルキストでもコミュニストでもアナーキストでもなく、魔法使いでも勇者でもましてや神なんかじゃなくて、ふ・つ・う・の人間だ」
「普通の人間はゲームにログインするやろ、友達も恋人もできない一生送りたいんか?」
「この世に俺以外の普通の人間が居なくなっても俺は断固普通の人間で居続ける。たとえ天地がひっくり返っても巨大隕石が落下しても核戦争が起こっても、俺は、さっさとそれらに纏わるめんどくさい事象からログアウトする」
「それはもはや現実世界からのログアウトやな」
「とにかく俺はもう……」
一瞬だけ言葉に詰まった。何かに引っかかって押し込めようとした言葉を、構わず無理矢理に吐き出した。
「俺はもう、お前の知ってる生出沐丹じゃない」
なんか微妙に気持ち悪い言い回しのような気がするが、まあいい。
「のっぴきならない関係なのかな」
エクリン先輩が食いついてきた。
天野を見ると、体力ゲージが尽きたラグドールのような――死体のように無表情な――顔だ。呆れているのだろうか。だが、やがてこちらを睨みつけ、言い放った。
「もうええわ。話にならん。バイトもあるし、今日はこのへんで帰るわ」
今日は、って事は再び勧誘でもするつもりか。それにツッコむ間もなく天野は部室を後にした。ふたたび、俺はエクリン先輩と二人きりになった。
「忙しい人だなあ」
先輩は苦笑する。ちなみに先輩とはエクリン先輩の事である。天野も一応は先輩だが、結局のところタメだし、何より彼は相変わらず天野なので先輩扱いなど真っ平ごめんである。
「エクリン先輩、本気なんですか、今の話、天野の奴がやろうとしてる事」
「本気、みたいだよ。専門的な事は分からないけど、〈ロケットモンスターランチャー〉とか、〈スターゲイトボール〉みたいな感じの、なんていうの、本格的なちゃんとしたゲームが作れる環境があるし、作るんだって」
先輩が俗称を挙げた二つのタイトルは、どちらも〈G7〉の一角である。
「騙されてないですか」
「人には騙されてみるもんだよ」
はにかんだ。この人はいつも笑っているのだろうか。どこかつかみどころのない、フワフワとした印象を与える。
「先輩はひょっとして怒った事がないんですか」
「つい今しがたモクニ君に蹴られて激怒しましたが」
あれが激怒だったのか。状況を楽しんでいるようにしか見えなかったのだが。
「すみません」
「いいよ、何度も謝らなくて」
「本当にすみません、先輩を傷物にしてしまったお詫びの印に僕が」
「また私を激怒させるつもりなのですか」
と言った直後、先輩はクスクスと肩を揺らし、次いで堰を切ったように笑い転げた。
「面白いですか?」
「いいや。何も面白くない」
そう言いつつも涙を拭う先輩。笑い涙という奴だ。
「ねえ、生出モクニ君。本当にうちのサークルに来る気ない? 楽しいよ、人を楽しませるのって。お客さんを笑わせたり、怒らせたり、興奮させたり悲しませたりする計画を、みんなで企むんだよ」
口調がわずかに変わった。どこか芯のようなものがある。フワフワしただけの人かと思っていたが、どうやら勘違いのようだった。
「娯楽なんて、所詮SⅤEです」
「えすぶい……?」
自分の声のトーンが落ちていく。
「セックス・バイオレンス・エクスキューズです」
それを聞き、腕を組み、下唇をつまむ先輩。やや冷たい目線。ふうん、とでも言いそうな感じだ。
「悪の企業とか帝国とか魔王とかエイリアンを分かるよ分かるよ君にも事情があるんだもんねと相手に同情しつつ可能な限り残虐にぶち殺しまくって大衆に称えられながらちょうどいい感じにエロくて清楚なヒロインと結ばれるファッキーエンドを一切嫉妬もせず仲間たちが黙って祝福してくれるのが六割、そのアレンジが三割、アレンジのアレンジが一割です。同じなんですよ、つまりみんな」
「ファッキーエンド?」
「ファッキンハッピーエンドの略ですかね知りませんよ」
眉を片方釣り上げて訝しげな表情をする先輩。ため息をついてから、先輩は答えた。
「天野君も同じこと言ってたよ、エンタメなんて所詮はセ……」
言いよどむ先輩。無理して反復しなくても。
俺は苦笑しつつ目をそらす。嗤われたと思ったのか、ムッとしてから軽く息を吸って先輩は言った。
「セ、セックスバイオレンスエクスキューズでしょ。でもね、エクスキューズが一番面白いんだって、そう言ってた」
それってどういう意味だろう。自分で言っておいてナンですが、SⅤEとかいう言葉が意味不明です。
「あ、そうだ入学おめでとう」
唐突に先輩の口から放たれた、ごく適当なトーンの祝い文句。俺は深々と頭を下げた。
●13
午前五時の部室で明らかに不法侵入した3名の学生が出会い寝ぼけた会話を交わしたとある日から数えて、約二週間が経った。
入学式に出席しなかった生徒として目をつけられていたらしく、ゼミに顔を出すなり同級生の前で一人だけ延々叱られ続けたことで早速体制への恨みが募った俺は復讐として大学の権威をいざ失墜せしめんと第三次安保闘争を引き起こすべく綿密かつ詳細な計画を練り上げ教授にレポートとして提出した。
「お前なにもんだ」
教授の引きつった顔が忘れられない。恨みを晴らした俺は早速翌日から授業をサボり、キャンパスを徘徊して人間観察を始めた。
人体を観て察する。目に焼き付ける。カメラさえ取り出さなければ写真さえ撮らなければ健全な趣味の一つである。
あれ? おかしいぞ。
あいつもこいつもどいつも皆が黒い衣装を身にまとっている。学校全体がまるで喪に服しているかのようだ。教祖さま……いや学長でも死んだのかな?
よく見ると、全員が列をなしある一点に向かい進んでいく。行列の終着点に目をやる。そこにはカップアイスクリームの自販機が。というか、アイスクリームの自販機の前の大地に白濁した粘液の詰まったカップがひっくり返っていて、行列の終点になっている。なーんだ、みんなアイスが食べたかっただけなんだね。学生だもんね、タダなら食うよね。
「乞食どもが。お前らをその煩悩から解放してやるぞ」
愚民に向かって言い放つと、俺はアイスのカップを天高く持ち上げ、自分の口元へと近づけた。
「ストップストップストップストップストップ!」
何やら声がしたので。
「じゃあミニストップします」
と、俺はカップを持つ手を制止させた。見ると、エクリン先輩がいた。渋いというかシックというか……例えるならば1930年代の田舎の米国人のような年代がかった服装をしている。隣には見知らぬ女がいた。チャラいムービープリントのジャケットの中にかなり裾の短いTシャツを着ている。90年代と2010年代に続いて3度目の流行中の奴だ。Tシャツにはヒトの手の絵がデカデカと中指をおっ立てている。墨のように黒い髪にはピンクのメッシュが入っている。アタマ悪そうだなあ。
「こんにちは、一週間ぶりぐらい? 土が……っていうか蟻んこがついてるけどそのアイス、食べる気なの?」
「もちろん」
俺の『もちろん』がかかる先は『一週間』の方で、もちろん一週間ぶりという意味だったのだが。
そして、俺が観察していたのは人ではなく蟻だったようだ。まあ似たようなものだが……天から見下ろす俯瞰視点だった時点でおかしいと気付くべきだろう。
どうやら俺は自分を神だと思っていたらしい。
神にはなりたくない、俺は普通の人間になりたいんだ。まあ、とらえ方によっては似たようなものかもしれないが。悪い人によると人間は生成途上の神らしいし、英語の聖書では創造主の事をCREATORクリエイターと呼んでいる。近頃は己をクリエイターつまり神と呼ぶいかれた野郎も加速度的に増える一方だ。
「いや、アイスぐらい買ったげようか」
優しいエクリン先輩にアイスを買ってもらい、カップの蓋を開け。
「ほら食え愚民ども」
そのまま地面にたたきつけた。愚民どもがワラワラと群がりだす。
「あはははひひどい」
先輩が乾いた笑いを漏らしながら言った。それを見ていたピンクメッシュ女が言った。
「柳中さん、誰スかこいつ? 拾い食いするような……そして柳中さんの好意を踏みにじる様なゲス男とどこで知り合ったんスか?」
「柳中さんてそもそも誰スか?」
チャラい見た目が気に食わなかったので彼女の口調を真似したうえ質問に質問で返してやった。
「私だよ、柳中植久里っていうの、もう忘れちゃった?」
「なんだ、エクリン先輩の事でしたか。で、隣の人は? 先輩の彼女さんですか?」
俺がそう口にするや否や、ピンクメッシュ女子の顔がぱあっと明るくなつた。
「ハイハイ! そうス! ワタシ、柳中さんの未来の嫁の淦抄衒(コンステラ)でス!」
急に態度が変わった。どうやら先輩が好きらしい。
「未来の嫁ってマジですか? 奇遇ですね僕もです。仲良くなれそうだなあ!」
ピンクメッシュ女もとい淦さんの手を握った。
「ハァ⁉ 殺スぞ」
またまた急に態度が変わった。どうやらマジもんの意味でエクリン先輩が好きらしい。
「残念だったな俺はすでに死んでいる!」
己の両手を大地にかざす。白き衣を両の腕(かいな!)に纏いむしゃむしゃ咀嚼する。
「キャアアア‼」
先輩の悲鳴もよそに、甘美な舌触りのそれを飲下する。
土の味がする。
「社会的にな!」
「こいつ広い食いしヤがった‼」
それから。
吐き気を我慢しつつベンチで横になった。隣のベンチにはエクリン先輩と淦氏が仲良く相席中で、何やらしゃべっている。
「ねえステラちゃん、本当にダメかな」
ステラというのはたしか淦氏の下の名前だったかな。ジョンイルとかジョンウンじゃないぞステラだぞ。
「ごめンなさい、柳中さんの事が嫌いになったわけじゃないでスけど」
込み入った話のようだ。聴いてていいのだろうか。
「や、そういう事じゃなくてさ、やっぱり創世記部に戻ってくる気とかって」
「柳中さんはワタシの事嫌いでスか?」
「え? いやもちろん好きだよ」
沈黙。勝手な予想だが、たぶんステラちゃんは不服そうな顔をしてるんだろう。
「じゃあ、ワタシと一緒に未来旅行研究会に入部してくだサイ‼」
「いやいや唐突すぎでしょ。なんだその怪しげなサークルは」
「怪しげと言ったら創世記部だって大概ス。今夜、新入生歓迎トリップ会やるんで、柳中さんもぜひ来てください。続きはそこで話しましょう」
「トリップ⁉」
足音が聞こえる。まるで徒競走のような爆速エイトビートを刻みステラちゃんは去っていった。
「楽しんでこいよ~」
俺は手を振った。エクリン先輩は頭を抱えていたが、やがて俺を見つけると苦笑したように手を振った。
「もう具合大丈夫?」
「死んだんで……いやチェインの診断では大丈夫だそうです」
そっか、とため息をつく先輩。
「追いかけなくていいんですか、彼女さん」
「え? いや、ステラちゃんと私は別に付き合ってるわけじゃ」
「それは見れば分かりますけど」
「だよね」
空を見ると日が暮れかけていた。どうやら今日も有意義な一日を過ごせたようだ。一日の終わりを迎えるには早い時間だったが、あたりは余りにも静かだった。
「世界は空っぽになりかけてますね」
関東の大学では有数の広さを誇るキャンパスは閑散として、ほとんど人がいない。人間観察の余地がないので蟻んこ観察で代える他なかったのだ。誰もかれもが仮想の世界に浸るので忙しいのだ。
「昔は大学って、きっともっと賑やかだったんだろうなあ。憧れてたキャンパスライフには、なんだかすっかり縁遠くなっちまったい」
「エクリン先輩は〝あっち側〟の世界には行かないんですか? 創世記部ってゲーム作ってるんでしょ?」
「遊ぶより作るほうが興味あるんだよね。ほら私って一応」
照れくさそうに、しかし誇らしげに。
「作家だし」
自らを作家と呼ぶのだ。これは間違いなく、同人とか二次創作とかそういう類ではなく。
「天野がちらっとそんな事言ってましたが。なんとプロの作家先生とお近づきになれるとは」
「まあでも、売れっ子には程遠いし、どっちかっていうとステラちゃんの方が凄いよ。あの子、まだ高校生なのにスターゲのデザイナーやってるんだよ」
うそーん、と、俺は両の眼をひん剥いてできるだけ驚いた振りをした。スターゲとかいうゲームの世界を一度も拝見したことがない手前、真の意味で驚くのを中断せざるを得なかったのだ。
「その顔は驚きすぎでしょ。白目剥かなくていいから」
「あのステラって子、元創世記部員なんですね。ていうか高校生なのに大学のサークル入って良いんですか」
「ま、付属高校の人だし、作業はみんな自宅が基本だったし、ミーティングはVR空間だしで、特に問題はなかったなあ」
「エクリン先輩にフラれて辞めちゃったとか?」
「なんつぅ直球の質問だよ」
俺はしれっと先輩の隣に腰かけ、夕焼けに霞む空を眺める先輩の横顔を見つめた。相変わらず、笑みを作っている。なにか悲壮なものが、この唇に長いこと微笑みを強いて、張り付け続けているんじゃないか。ふとそんな気がした。
「それはでも、たぶん違うよ。あの子は本当にプロだから」
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