GAME 9 ( ゲームキュウ ) 5
――10年前(40歳のとき、季節は晩秋)
8月に逮捕されて、取調べの間は留置施設にいた。
起訴されてからも同じ留置施設にいた。
裁判が始まってから、執行猶予判決が出るまで3ヵ月もかかった。
出所したときには、もう11月になっていた。
生活費に困って、深夜、営業終了後のある店舗にカネを盗みに入ったものの、そんなに大金には在りつけなかった。
結局、手元におカネが残っていなかったし、自供もしなかったので、建造物侵入罪のみで決着した。
久しぶりにアパートの一室に帰ってきた。
何か月も誰もいなかった部屋の空気の味……、これは経験したものでしかわからない。
カーテンを開け、続いて、閉め切った窓を豪快に開けた。
そこには見慣れた光景があった。
ちょうど下校の時間か……。
数人の小学生が目の前の道を歩いていた。
私の時代と違って、ランドセルの色は様々だ。
家では虐待、学校ではいじめ、そんな小学生時代を過ごした私は、あの登下校時の、歩いている時間だけが唯一の心の拠り所だった。
ただ、私は誰かと一緒に下校したことはなかった。
全ての始まりは、初めての集団生活である幼稚園時代に起きていた。
私は三歳だった。
あのとき、身体が細くで弱かっただけでなく、一人だけ箸を持てなくてスプーンやフォークで食べていたり、挨拶が怖くてできなかったり、一人だけ着替えができなかったり、言われたことを私一人だけが何一つできなかった。
みんなは、それを淡々と、当たり前のようにやっていた。
決定的だったのが、一人でトイレに行けなかったことだ。
排泄・排尿の仕方がわからなかった。
教室で何度もお漏らしをして、いじめの対象となった。
それがどれほどの苦しみで、どれほど私の精神を破壊したかなんて、誰にわかるだろう。
生活習慣を何も教わらずに、突然、集団生活にぶち込まれると何が起こるか?育児放棄の恐ろしさは、自分がそれを体験しないとわからない。
虐待は離れれば、大半の場合は解決する。
ただ、育児放棄は、生涯、引きずる。
これが、どちらも経験した私の答えだ。
しかも、育児放棄を食らって同学年の連中との間についた差は、歳を重ねるごとに、どんどん開いていく。
そして、最後はもう、手が届かなくなる。
今から、他人より数十年遅れで、生まれて初めてデートをしようとしても、生まれて初めてセックスをしようとしても、もうできないのである。
歯車というのは、噛み合わないと、徐々に綻びが大きくなっていき、壊れてしまうね。
それは、機械も人間も同じ……。
排尿・排泄の仕方を、いつ、誰に教わったかを覚えている人は、いったいどれくらいいるのだろう?
全国民を対象にしても、ほとんどいない気がする。
なぜなら、みんなはそれを当たり前だと思っているから……。
誰かに教わってそれができるようになったと思っていないから……。
私はハッキリと覚えている。
三歳のときに、生まれて初めて、それを園長先生に教えてもらったからね。
それなのに、小学校3年生のときに、再び、教室でお漏らしをしている。
このときは、トイレの仕方がわからなかったのではなく、「先生、おしっこ」が言えなかった。
三歳のときから続くいじめで、根暗、無口、真面目、臆病、気弱……いう性格が形成され、それが歳を重ねるごとに酷くなっていった。
あまりにも酷かったため、施設に移すかもしれないという話を担任の先生から聞かされた。
先生はとても優しい口調と態度で、その話を私にした。
それは今でもハッキリと覚えている。
なんの施設だったのかは、今でもよくわからない。
どっちみち、先生は、一生、私の面倒を見てくれるわけではない。
所詮、他人でしかない。
家族主義国家では家族以外は全て他人なのだ。言い換えれば、敵なのだ。
私はその家族ですら、敵だった。
一人でどうにかするしかないのだけど、人生の歯車は一度狂い始めると、もう自分の力では止められない。その歯車が最初から壊れていて、私には非が無いとわかっていても……。
その歯車の狂いは、当然、この年齢になっても続いている。
裏を返せば、もし、きちんと育児がなされていたなら、私はみんなと同じように健全に成長できた気がする。
生涯を、友人なし、恋人なし、結婚なし、子供なしに加え、会話の相手一人なし、デート経験とセックス経験無しで終わることはなかっただろう。
家族主義国家日本では、誰もいない世界で生きるというのは簡単ではない。
人間への憎しみ・恐怖、そこから孤独・孤立という世界へと誘われ、最後は何もかもが信じられなくなった。
決定的だったのが、その次の年の、小学四年生のときの出来事だ。
給食後の掃除の時間、私はいじめっ子軍団に校舎裏に強制連行された。
名前も覚えている。
軍団のリーダーである佐藤泰明と、副リーダー格の表洋二郎が中心になった不良グループだった。
あくまで中学生・高校生の話ではなく、小学4年生のときの話だ。
今の時代からしたら、信じられないような話かもしれないけど……、実話である。
そのとき、私は怯えていた。
恐怖に対して、何の抵抗もできない状態だった。
佐藤たちに殴られて私はグッタリしていた。
当時、放送されていたプロレス中継を模倣したプロレスごっこと言う名のいじめである。
彼らは、動けなくなってうつ伏せで倒れていた私の髪の毛をつかんだ。強引に持ち上げて、そのまま近くに野ざらしにされていた、出来立てホヤホヤの犬のうんちの上にもっていった。
表たち数人が私の身体を押さえつけ、佐藤がそのまま勢いよく、私の顔をうんちに押し付けた。
事の発端は、野球の試合をやるから、全員強制参加という佐藤の招集命令に私が従わなかったから……。
私は弱いくせに、長いものには巻かれない……、そういうところがある。
だから、こういう目に合うのだろう。
もともといじめられていたから、報復攻撃には激しさが加わる。
犬の生うんちを食べさせられたのは、もちろん、このときが初めてだった。
ねっとりとした感触と悪臭は死ぬまで忘れない。
これも、壊れた歯車の延長戦上にあった出来事であり、私のせいではない。
集団リンチとは、ただ暴力の被害者になるというだけではない。
人間性を破壊してしまう。
私は、このあたりから、善悪の区別がつかなくなっていた。
自殺と殺人に対するハードルが無くなったのも、この頃だったと思う。
何の躊躇いもなく自殺できるし、人を殺しても、多分、心に波風一つたたない。
あのうんち事件は、それで終わりじゃなかった。
それが掃除の時間だったため、若い担任の先生が、「お宅の子供は掃除の時間に、掃除をさぼって、どこかで遊んでいる」と家に連絡をしてしまった。
当然、家に帰ったら、「俺に恥をかかせやがって」と父親に殴る蹴るの暴行のみならず、私が生涯忘れられない、心を抉り取られる一言を言い放たれた。
こいつらは、ただ単に、私が規則を守れない子供と判断したのかもしれないけど、私に言わせれば、育児放棄の結果、いじめの対象になり、必然的にこうなっているのに、なぜ、お前に殴られなければならないのか?という認識だった。
躾をせず、社会習慣も含め、何も教えられずに、突然、集団生活にぶちこまれた結果によって起きた必然的な悲劇であり、私には何の非もない。
これ以来、学校にも家にも、居場所が無くなった。
私は、その次の日から、包丁を持って学校に登校するようになった。
しかも、二本……。
その何カ月後かに、大号泣しながら、そいつら(いじめっ子軍団)の前で包丁を振り回して大暴れしたことがあった。
そうしたら、どうだろう。
腫れ物に触るような扱いに変わり、急に、いじめられなくなった。
驚いたね。
時は、米ソ冷戦時代……、核大国同士がなぜ戦争にならないかを、この身を持って学んだ瞬間でもあった。
おかげで施設がどうのこうのという話が本格化してしまったけどね。
小学生の姿を見ていると、遠い過去の記憶が、勝手に浮かんできて困るね。
一瞬で、瞑想の世界に突入してしまう。
ああ、そうだ!
そう言えば……。
二ヵ月くらい前だったかな?
留置施設にいたとき、新聞に、ある事故の記事が載っていた。
犬に噛まれて、その後、感染症を発症して亡くなった……という記事だった。
まぁ、どこにでもありそうと言ってしまえばそれまでなんだけど、私がなぜ、その記事のことを覚えているかというと、亡くなられた方の名前が「土木作業員、表洋二郎(おもて・ようじろう)さん」と書かれてあったからだ。
写真は載っていなかったから、そいつかどうかはわからないけど……。
まさか、ね……。
あの二人について知っている情報は、それほど多くないけど、私が高校生のときに表洋二郎が何かで検挙されたというのは知っている。
ただ、佐藤泰明については全くわからなかったけど、同窓会サイトに登録したとき、そのサイトの掲示板で、どっかの大学の研究員になったという書き込みを見たから知っている。
本当かどうかまではわからないけど……。
あの佐藤が???わからんもんだね、人の人生は……と思ったのを覚えている。
私も40歳を過ぎて、老化を肌で感じるようになった。
特に、寒くなると調子が良くない。
天涯孤独で怖いのは体調不良だ。
意識があるうちは、どこにいようが関係ないけど、意識不明の重体に陥るときに、玄関の中にいるか、外にいるかで生死を分けてしまう。
この世で独りの人生って、そういうものだ。
以前、倒れたときは、外だったから今こうして生きている。
その日の夜、目まいと立ちくらみが激しく、しばらく床にうずくまっていた。
ちょっと異質な感覚だったけど、そのときは、ただの体調不良としか思わなかった。
翌日、いつものように、ポータルサイトのトピックスを見ていた。
トピックスには、その時々の最新ニュースが表示される。
政治・経済のニュースだけでなく、スポーツ・エンタメなど、ジャンルは様々だ。
ちょっと興味を引かれる見出しがあったものの、精神的に疲れていたせいもあり、特にクリックすることなく「そんな奴がいるんだ……、世の中、広いね」と思っただけで、詳細は確認しなかった。
そこには、こう書かれてあった。
「ブラジルで、オオアナコンダに飲みこまれた日本人研究員が死亡……。昨夜、環境省の外郭団体で、生態系調査を専門とする会社の日本人研究員、佐藤泰明(40)さんが、ブラジルのアマゾン川流域の……。」
その日、メールボックスの迷惑フォルダに1通のメールが届いていた。
ゲームソフト「GAME 9」からのお知らせです。
「ジャクニクキョウショク」が実行されました。GAME3クリアです。おめでとうございます。今回は早かったですね。ゲーム指定がありませんので、GAME4を開始します。
頑張ってください。
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