第11話 つかんだ夢
2017 au Japon
4月直前に帰国したまどかは、旅行会社に新入社員として勤務する傍ら、休みの日にはフランスで下書きした漫画の原稿にペンを入れ、ようやく作品を仕上げて投稿した。
そして、2か月後の夏、待ちに待った結果が出た。
「佳作」に入賞しました。という連絡を出版社からもらった時、まどかは素直には信じられず、本当ですか?と何度も聞いた。
嬉しかった!その後、結果が載った誌面まで買って、「佳作」の文字を確かめた。
今まで幾度投稿してもだめだった。そんな時には、真剣に打ち込んでいないから、結果を気にしないというポーズをとって、落胆しないように誤魔化していた。
でも、もう見え透いた芝居を打たなくてもいいし、自分の気持ちを偽らなくて済むのだ。
大賞ではなかったが、まどかにとって、親の目を気にしたり、周囲の目を気にすることもなく本気を出して描いた作品だったので、受賞とデビューを決めた意味は大きかった。
アレックスの回復を願っての共同作業が報われた瞬間でもあった。
登吾も和美も、まどかの手から生み出された作品を、手放しで喜んでくれた。
アレックスにも真っ先に電話で知らせた。電話口で歓声を上げたアレックスは、祝いに駆け付けると言ったが、まどかのせいで、すでに長い間仕事を抜けるはめになったのだから、無理な休暇をとらないように説得した。
本当はアレックスにとても会いたかった。
会いたくて、会いたくて、その気持ちだけで、ストーリーが描けそうだった。
でも、心に引っ掛かっている懸念が、素直に愛情を示すことを拒んでいた。
だから、まどかは、自分に夢を課した。一つは漫画家になること。
もっともっと努力して、いつか、世界中に知られる作品を生み出して、カレーレストランで会った漫画ヲタクのテオや、パリのジャパン・エキスポを訪れる人たちに知られるくらい有名になろう。
そうしたら、アレックスの側に行けるだろうか?できればまだ恋人のいないアレックスの側で、物語を紡ぐことができたら、どんなに幸せだろう。
その時に描く物語は冒険もので、タイトルは、もちろん「紋章の思い出」にするつもりだ。そんなことを、とりとめもなく考えていたら、余計に虚しくなって、アレックス恋しさに泣けてきた。
今日は土曜日で会社はなく、まどかは朝からネームを練っていた。
ふと、階下が騒がしく感じられ、階段に複数の足音がするのに気が付いた。
クスクス笑う声や話声から、愛莉と愛羅だと分かり、まどかは机から顔をあげ、椅子ごとドアの方へ身体を向けた。
ノックに返事をすると、ドアが開き、察した通りに愛羅が駆け寄って、綺麗に包装されたプレゼントを差し出した。
「まどか、入賞おめでとう…ございます!これお祝い、です。漫画すごく良かったよ…です」
「ありがとう愛羅。うれしいわ。でもなぜに丁寧語?しかも変だし」
愛羅がぎこちなく、へへっと笑うので、まどかは愛羅の不可思議な行動の解説を、愛莉に求めようとした。長年の付き合いで、まどかの視線の問いかけを分かっているはずなのに、それをわざと無視して愛莉がしゃべりまくる。
「まどか、作品読んだわ。今までそつなくまとめましたって感じだったのに、感情が溢れて迫る作品だった。規定枚数が少ないから少し描ききれない部分があるって感じたけど、とにかくよかった。引き込まれた。じゃあ、私たち帰るから」
「えっ?もう帰るの?」
おかしい!なぜこんなに愛莉が焦りまくっているのか、絶対に変だ。
二人の顔を交互に見比べている時に、まどかは部屋に流れこんだ懐かしい香りをかぎ取り、まさか!?と立ち上がった。
顔をドアに向けた瞬間、アッシュブラウンの髪と優しい笑みを湛えたブルーグレーの瞳が目に飛び込んできた。
『アレックス!』
愛莉と愛羅がにんまり笑って脇に寄り、まどかは二人の間を走り抜けてアレックスに飛びついた。
『マドカ、受賞とデビューおめでとう。君に会いたくて飛んできた』
『私も、会いたかった!アレックスにずっと会いたかった』
抱き合ってキスを交わす二人を見て愛羅がたまらず声をあげた。
「すごい。生のドラマだ!」
「あのね、作り事じゃないんだから、ドラマって言わないの。まどか邪魔してごめんね。そこで偶然会っちゃったから、一緒に来たんだけど、もう帰るから、扉の前からどいてくれる?」
双子の会話を聞いて、アレックスが堪らずに笑い出した。
まどかの意識下にいるときに、日本語が大体分かるようになっていたらしく、焦る二人を引き留めて自己紹介を交わした。
愛羅が握手をしながら、アレックスと会ったらと用意してきた言葉を口にしたが、途中で忘れたらしく、アドリブに切り替えた。
「私の親友のまどかを・・・助けてくれてありがとう。うまく言えないけど・・・アレックスさんがどんなに・・・頑張ってまどかを支えてくれたかと思うと、・・・本当に感謝でいっぱいです。ありがとう」
いつも言葉足らずな愛羅が、考え、考え、言葉を述べたのとは反対に、愛莉はまどかから聞いた二人の戦いを思い出して胸がいっぱいになり、掠れ声で「ありがとう」とだけ言って、泣くのを堪えているようだった。
アレックスは、二人の肩に手を置いて、自分のいない間、まどかを見守っていてくれてありがとうとお礼を返した。
微笑んだアレックスの顔を見上げた愛羅が、「かっこいい!」とせっかくの感動の場面を台無しにするようなことを言ったので、愛莉が詫びを入れ「また来るね」と愛羅を連れて慌ただしく帰っていった。
『素晴らしい友人を持って、君は幸せだね』
去っていく二人を窓から見ながら、アレックスがにっこり笑った。
「本当に私は、友人にも、両親にも、特に、恋人にも恵まれたわ」
アレックスが窓から離れて、まどかの目の前に立った。
『まだ、俺を恋人と思っていてくれるんだね。とても嬉しいよ。でも、今日は、もう一度恋人から昇格させてくれるように頼みに来た』
アレックスが上着のポケットから小さな箱を取り出して、目の前で蓋を開けた。
まどかが、何かを言いたそうに、箱の中身とアレックスの顔を交互に見比べるのを、アレックスは優しく見つめ、そして真顔になった。
『愛してる。マドカの側で一緒に生きていきたい。俺から逃げるなら、その訳を教えてくれ』
まどかの顔が苦し気に歪み、それでも一縷の希望にでもすがろうとするように、アレックスを仰ぎ見た。
「あなたを苦しめた私を、本当に許してくれるの?」
ずっと聞けずに、しまい込んでいた悔恨が思わず漏れる。
『自分で選んだ道だ。どんな犠牲を払ったって、マドカを助けたかった』
「でも私は、私のせいで、アレックスがボロボロになった姿を忘れられない。愛する人を苦しめた自分を許せない」
『マドカは自分がどうなるか分からないのに、俺を救いに来てくれただろう?それだけで俺は報われたよ』
まどかが探るようにアレックスを見つめると、アレックスは本気だと分からせたくて、まどかの肩をつかんで揺さぶった。
『もし、あの時、マドカの中に俺を置き去りにするよりも、マドカ自身を消した方がよかったと思っているなら、あるはずのないこれからの人生を俺にくれないか?助かってよかったと思わせるから』
まどかはアレックスにしがみつき、声を上げて泣いた。
溢れる悔恨と愛情の涙で、アレックスのシャツは透けるほど濡れた。
アレックスに優しく背中を撫でられて、まどかの涙は何とか引っ込んだものの、しゃくりあげるのを止められず言葉がうまく紡げなかった。
その代わり、左手を出しながら、本当の気持ちを、つっかえつっかえ何とか押し出した。
「一生を…かけ…て、アレ‥クスを…愛します」
まどかの震える手を取ってアレックスが薬指に指輪をはめると、窓からの日差しを受けて、二人を祝福するようにリングがきらめいた。
変わり映えのしない日常は、いつもそこにあると思っていた。
でもそれは大きな誤りで、平穏な日々は簡単に破れることも、安らぎは努力の上に成り立つことも、今の私は知っている。
もし、また自分の弱さに屈しそうになったら、思い出せばいい。
あの日、私を助けるために、アレックスが託した命の時間を・・・。
心の中の呼び声に応え、愛する人のために勇気を奮い起こした瞬間を・・・。
“trois(3),due(2),une(1)″
さあ、恐れずに未来の扉を開くんだ。
デジャヴー封印された過去ー マスカレード @Masquerade
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