第8話 開扉された記憶
2017 au Japon
「まどか!まどか。大丈夫か?」
うっすらと目を開けると、眩しい光に瞳を刺され、ぎゅっと瞼を閉じてから、瞬きする。何度かそうするうちに痛みが薄れ、視界に心配そうな登吾と和美の姿が写った。
そっと周りを見回すと、他のスタッフが数人部屋にいた。
どうして日本人ばかりなのだろう?フランス人のスタッフがいない。
ムッシュー・ダニエルはどこだろうと、ぼんやりした頭で考えた途端、まどかは現実にかえって、ベッドの上に起き上がった。
「アレックスは?お父さん、アレックスはどこ?」
登吾と和美が視線を交わし、首を振った。
他のスタッフを下がらせ、親子3人になると、登吾がまどかに静かに話しかけた。
「まどか、ここは日本だ。」
「日本?フランスじゃなくて・・・日本にいるの?」
「ああ、そうだ。大学病院の研究室で倒れて、お前は丸一日意識がなかった」
「待って・・・そうだわ、私・・・写真を見て、フランスで何があったかパソコンで調べようとして・・・」
「今日が何年の何月何日か分かるか?」
「・・・ええ、分かるわ。2017年2月2日ね。お父さん、私、分かったの。
全部思い出したの。アレックスがどうやって私を助けてくれたかも・・・。
私、フランスへ行かなきゃ・・・。私のせいでアレックスが・・・」
和美が声を詰まらせたまどかの肩を抱き、そっと背中を撫でる。
「あなたが気を失っている間、お父さんと話したの。目をそらしていたことから逃げずに、
正面から受け止めようって…。例えどんな結果が出たとしても、今まで時間をくれたアレックスやそれを許してくれたあちらのご両親に感謝しようって」
和美の言葉は決意に満ちていたが、その表情には希望というより、その先にある厳しい未来を覚悟しているような苦悩を滲ませていた。
「まどかがどんな結末をも恐れないなら、父さんも腹をくくって協力する。例え職を失っても後悔はしない」
「どういうこと?」
まどかは、自分の望むことが、周囲にどう影響するか分からず、心配になった。
「施術をできるのは心理学を勉強し、この施術の訓練を受けた脳科学外科のドクターだけだ。意識のないアレックスにはパネルを操作できないから、お前がやることになる」
「それって、医師法違反とかになるんじゃないの」
「そういうことだ。バレればお前も確実に罪に問われることになる。お前は何も知らなかった。父に言われた通り治療を受けていただけだと言えば、罪は軽くなるかもしれないが、その覚悟はあるか?」
和美が登吾の腕を思わず掴んで俯いた。でも否定はせず、ゆっくりと顔を上げると、まどかに確認をした。
「アレックスの居場所を知るのはまどかだけなのよね?」
「ええ、お母さん。私にしか入っていけない闇の中で置き去りになっているの。お父さん、お願い。どうかアレックスを見殺しにしないで!助けにいかせて」
「分かった。ダニエルに連絡して、あちらで訓練をしよう。施術には監視役、コンダクター、患者の3人が必要だから、ダニエルに監視役を頼んで、私がお前にパネル操作を教える」
「ありがとう。お父さん。お母さんもありがとう」
普段なら照れて言い出せないお礼も、今言わなければ伝えられなくなるかもしれないと思い、まどかは深く頭を垂れ、両親に感謝した。
まどかの気持ちを汲んで危険に立ち向かえるように、立場を捨てても協力すると言ってくれた父、娘が戻らなくなるかもしれない恐怖に打ち勝ち、恩人を救いにいくことを許してくれた母、この両親に育てられてよかったとまどかは心から思った。
甘えているばかりではいけない。今度は私が救う立場になるんだ。
まどかは自分の心の弱さに打ち勝とうと決心したのだった。
家に戻ったまどかは、両親がまどかの目に触れさせないようにするため、
隠していたスーツケースの存在を聞き出し、部屋の中に中身を広げた。
施術訓練に関しては、どんなことでも耐えようと思うが、まどかには残された課題があった。
別れの時に、アレックスが出したものだ。
―自分に打ち勝つ方法を見つけるんだ。もし、また
アレックスは、ややもすると恐怖に飲み込まれそうになるまどかに、自分を保つ術を探せと告げたのだ。
そしてこうも言った。
―マドカがパニックを起こしても、ここで俺の気力が続く限り君の混乱をセーブしてみせる。でも、気力が尽きたら、俺はここで溺れ死ぬかもしれない―
アレックスの今の状態を知ることはできないが、ダニエルが自分の研究を捨ててまでアレックスを救うために転院しようとしたことを考えると、多分猶予はないだろう。
アレックスをこれ以上苦しめるわけにはいかない。それでなくても、まどかは記憶を取り戻す時に、混乱して意識まで失ったのだ。
どうか、アレックスが無事でありますように…と祈りながら、紋章付きの日記帳を手に取った。
浮き彫りされたエンブレムを撫でると、思わず涙がこぼれた。
日記帳をプレゼントされたその夜から、書き留めた南フランスの思い出が溢れて、まどかは焦がれるような郷愁に包まれた。
まどかの故郷は日本なのに、このノスタルジアはひょっとしてアレックスのものではないかと考えると、閉じ込めてしまったその身を思って辛くなり、ごめんなさいと謝った。
日記帳に続いて鍵も手に取ってみたが、バーチャルの中では本物のようだったエンブレムと鍵は、現実と幻想を区別するには役立たないと分かっていた。
自分がしっかりすればいいだけの話だが、万が一にもアレックスにダメージを与えたくない。
現実とバーチャルの違いを認識できるものは何だろう…必死で考えている時、愛莉からメールが入った。
昨日電話した時に、まどかが病院で倒れたことを和美から聞き、心配していたという。
まどかは、体調は戻ったし、もう家に帰ってきたと告げると、愛羅と一緒に今からお見舞いに行ってもいいかと聞いてきた。
オッケーの返事をしてから一時間後、二人はやって来た。
「まどか寝てなくて大丈夫?押しかけてごめんね」
愛羅がケーキの箱をまどかに手渡しながら、心配そうに顔をのぞきこむ。
「お茶の用意とかはいいから、ケーキは後で食べて。卒業旅行の行先だけ決められたら、私たちで手配しようかなと思って来たの」
愛莉がキッチンに立とうとするまどかを止めて、持ってきたパンフレットを掲げて見せた。
まどかは二人を2階の自分の部屋に上げると、ごめんと謝った。
「旅行は行けなくなったの。楽しみにしていたけど、行かなくちゃいけないところがあって…。ごめんね」
ひょっとしたら、この二人にも、もう会えなくなるかもしれないと思い、まどかの瞳に涙が浮かんだ。
「そんな!どうして急に?どこに行くの」
愛羅がまどかの腕をつかんで揺する。
「まどか、どうして泣くの?どこか悪くて入院でもするの?」
愛莉は、まどかが倒れたことこと、涙を見せたことから推測して、自分たちに秘密にしようとしていることを探ろうとした。
まどかは忘れていた南フランスの出来事を話し始めた。
パニックになるかもしれないという不安から、テロの詳細は話さなかったが、二人には十分にまどかの気持ちが通じて、抱き合って泣いた。
「そんな辛いことがあったんだ。ごめんね。何もできなくて…。実は、まどかのお母さんから、まどかがフランスに行って記憶をなくしたことを黙っていてほしいと頼まれたの。記憶の混乱を招くといけないから、本人が思い出すのを待たなくちゃいけないからって…」
ああ、だからあの時、愛莉が愛羅を遮ったんだ!と先日のことを思い出した。
まどかがフランスに行ったことがあるのを愛羅が話しそうになった時、愛莉がパンフレットで小突いて邪魔をしたのだ。そのあと、わざとらしく話題を変えたのも、まどかを思ってしてくれたんだと胸が熱くなる。
「まどか、私もアレックスに会いたい。まどかを支えてくれてありがとうってお礼を言いたいの。ねぇ愛莉、卒業旅行は南フランスに行かない?まどかが施術している間、そばで声をかけてあげたら怖い幻を見なくて済むんじゃない?」
「素人がやっちゃいけない施術で、声をかけて目立たせたらだめでしょう。それよりも現実と幻を見分ける何かを探さなきゃ」
現実的な愛莉の言葉を機に、まどかはスーツケースに入っていたお土産を二人に見せて、自分が見落とした物がないか確認することにした。
エズでアレックスに買ってもらったミニチュアの靴、イレーヌにプレゼントしてもらったエンブレムの入った日記帳とその鍵、まどかが自分用に買ったビオットのグラスや絵ハガキなどを手に取って、愛莉とまどかはああでもない、こうでもないと真剣に議論した。
それを後目に、愛羅が衣類に包れた香水瓶を発見した。
「わぁー。これまどかのオリジナルの香水?素敵!つけていい?」
まどかが頷くと、愛羅が自分の手首にシュッとひと吹きした。
「愛羅は気楽なんだから。あっ、でも、いい香り。まどかこれ何の香水?」
「すみれなの。最初はスパイシーだけど、だんだん香りが変わるの」
「あっ、ほんとだ!肌で温まったからかな?なんか甘い香りもする。私ね、眠る前に、枕にローズのコロンをかけるの。気持ちが安らぐし、眠っている時も好きな香りに包まれるのって幸せ…」
愛羅がうっとりした顔で話している途中で、まどかが大声で叫んだ。
「愛羅、それ!それだわ!」
まどかは“
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