第4話 ビオットの祭り(体験プログラム)
次の日の朝、病院の研究室に向かう車中で、まどかは、ダニエルとアレックスが
どうして首都のパリの病院ではなく、リゾート地の南フランスの病院で研究をしているのかを聞いてみた。
ほとんどの日本人が、フランスといえばパリを思い浮べるのにもれず、まどかもその内の一人だったので、研究成果を上げるための研究技術や人材の確保、治療の需要などは
パリの方が適しているのではないかと思ったのだ。
コート・ダジュールのソフィアアンチポリス市には、フランス政府の誘致で、各国の研究所が集まっている。そのため何かと技術提供を受けやすく、また資産家が集まる地域のなので、投資目的にしろ、寄付にしろ、資金援助も受けやすいという理由で、研究の拠点をこちらの病院に置いたらしい。
広々とした丘陵地帯に建つ大きな病院の駐車場に着いた一行は、関係者用のエントランスから中に入った。
本来なら、一般人の研究所への立ち入りや、申請なしの施設使用は受け入れられないが、この研究の第一人者であるダニエルと登吾の二人のドクターと、ダニエルの助手のアレックスが許可を求めたので、南仏ののんびり気質に反して、その場ですぐ書類が用意され、サイン一つで研究施設の使用許可が下りた。
ダニエルのアクセスカードを使い、関係者以外立ち入り禁止の表示がある扉を入ると、そこには小さな部屋があり、体調をチェックするための血圧計、心音チェック機械などが所狭しと並んでいた。
アレックスとまどかは、一通りのチェックを受け、空港にあるボディースキャナーのようなゲートを通ると、次のコントロールルームに入った。
沢山のモニター、機械、操作パネル、マイク、脳波計、心音計などが並び、まるでコックピットの様だ。壁にはめ込まれた細長いガラス窓からは、次の部屋の施術室の様子がよく見えた。
アレックスに連れられ、施術室に入ったまどかは、コントロール室にいる両親を見ようと振り返ったが、ミラーガラスになっていて部屋の中は見えなかった。
施術室には、頭上にMRI型の装置に似たものが設置された簡易ベッドが2つと、そこから少し離れた場所に、全体を包み込む大きなマッサージチェアの様なものが2つあった。
『マドカ、こっちへ来て座って』
アレックスが並んだ片方のアームチェアーにまどかを導き、ゴーグルのついたヘルメットを被せながら、説明を始めた。
『リラックスして。最初は動かない自分の状態を認識しているのに、バーチャルの中で現実の様に行動するから、脳が混乱して酔った感じになるかもしれない。でもすぐに慣れるから安心して。とにかく俺を信じてついてきてくれ。いいね?』
リラックスと言われても、これから始まることへの期待感で胸が高鳴り、自然と身体に力が入ってしまう。
ゴーグルで遮断された視界に、早く何かを捉えようと視線を動かしていたまどかは、ひじ掛けに載せた手をアレックスの大きな手に覆われて、びくっと身体を震わせた。
アレックスの体温の高い手に包まれて、労わるように指全体でそっと手の甲を叩かれるのが心地よくて、まどかの全身の力が抜けていった。
『そう、それでいいよ。ヘルメットの内側に電極がついていて、感知できないほどの軽い微電流が流れるけれど、脳内ではいつも起きていることだから、心配しないで大丈夫だからね。マドカのやりたいと思った行動の電波を、コンピューターが瞬時に解析して、
繋がれた俺に映像として送ってくるから、目の前で普段動いているのと同じように見えるんだ』
『えっ?でも、このゴーグルに背景を映すとして、等身大のアレックスをどうやって登場させるの?』
『最初の部屋で、色々測定した時に、俺たちの身体的特徴やビジュアルもコンピューターに取り入れたから、視神経を刺激して、その情報が目の前にいるように錯覚させるんだ。あまり詳しく説明すると混乱すると思うから、実際に始めよう。もし気分が悪くなってやめたいときは、左手にあるレバーのボタンを押してくれ。誘導するから…。
ただ途中でリタイアすると、ここでの記憶は忘れたり、曖昧になる可能性がある。
カウントするよ。用意はいいかい?
アレックスのカウントに続いて、真っ暗だった目の前が明るくなり、見覚えのある
ビオットの街並みが現れた。
そのビジュアルはバーチャルの世界だと思えないほどの存在感がある。
まどかは感嘆しながら、周囲を見回した。
バーチャルリアリティーの中のビオットの入口は、まどかが本物の街で見たのと同じ朽ち果てた城門だった。
門をくぐると、石造りの家やパステルカラーの建物の間を、縫うように走る階段がある。段差が低くて、奥行きが広い階段を上がりながら、その意味をまどかは考えた。
ずっと下を見て歩数を調整しなければつま先を引っ掛けてしまう。
人間の歩幅を考えてないってことは、ああ、そうか!
多分馬が上り下りしやすいように考えられたものなんだわ。
階段が終わって、ピンクや黄色のプリムラ、シクラメンなどの花が、壁面一杯に飾られた住居を抜けると、その先には開けた広いストリートがあり、黒いマントに身を包んだ聖十字軍の騎士たちが「さぁどうぞ」というように、まどかたちを招き入れた。
鎖帷子と鎖頭巾を身に纏った十字軍騎士があちこちに闊歩していて、矢じりを4つ合わせた形のマルタ十字を、背に縫いつけた黒いマントを翻している。
その周りをおもちゃの剣を持った子供たちが取り囲んだ。
『マドカおいで、騎士の叙任を見られるよ』
周りの風景に気をとられ、すっかりその存在を忘れていた声に呼ばて、まどかが驚いて振り向くと、背の高さも顔も本物そっくりのアレックスが、騎士と男の子たちを指さした。
栗色の髪にくりくりのハシバミ色の瞳を持った5歳くらいの男の子が、道路に跪き、地面に刺した剣の柄を両手で握って、騎士を真剣なまなざしで見上げている。
兜を片手に剣を持った騎士が、男の子の両肩に剣を交互に触れさせ、フランス語で何かを語り、三度肩を剣の峰で叩くと、従騎士になった男の子が誓いの言葉を呟いて、叙任の儀式を終えた。
騎士になった男の子の誇らし気な顔を見て、まどかは受け継がれる文化の大切さを知った。
道の両側には屋台だろうか、テントが沢山張られていて、中世の衣装を身に付けた人々がそれぞれの店を覗き込んでいる。
とても映像だとは思えないほどリアルな世界に感心しながら、傍らを通り過ぎた美しいドレス姿の女性を眼で追った。
撮影された過去の映像の中で、自分達だけが意思を持って動いているのが不思議
だった。現実ではない気楽さから、気になる店を片っ端から冷やかすことを決めた
まどかは、アレックスを従者のように従えて、歩き出した。
日本の屋台を想像し、どんな食べ物が売られているのだろうと、空いているテントを興味津々で覗き込んだ途端、まどかは唖然として固まってしまった。
売られていたのは食べ物ではなく、歴史を再現する出し物だった。
例えば、「お金の歴史」と題名が出ているテントには、テラコッタの皿に入れた沢山の異なるコインが時代別に並べられ、テーブルの上にコインの写真とその説明のボードが置かれて勉強できるようになっている。
隣のテントは鍛冶屋の再現で、レンガ色の長袖シャツ、ダークブラウンのパンツに灰色の厚い皮手袋を身に付けた鍛冶屋が、金床の上に載せた精錬された鉄を火バサミで固定して、金槌を打ち下ろすフリをしていた。
まどかが夢中になって一連の動作を観察していると、鍛冶屋のテントに繋がるテーブルに居た男性が、アレックスに話しかけた。
アレックスは戸惑うような表情を浮かべたが、まどかが好奇心でいっぱいの顔を向けると、少し考えるように首を傾げ、まどかに質問をした。
『ここでは、溶かした銀を使って紋章を作ることができるんだけど、マドカはやってみたい?』
『すごく興味はあるけれど、これって、組み込まれた映像なんでしょ?どうしてこの人だけが、私たちに話しかけたの?』
『所々プログラムを変更できる箇所があって、ここはその一つなんだよ。俺の方に切り替えレバーがあって、型通りの見学と、自分達で想像して行動できる空間を選べる』
『ふ~ん…面白そうだけど、私が思い描く作品ができるのかしら?それともゲームみたいに、型や色を選ぶと勝手に出来上がるの?』
『想像力が豊かな人には、上手下手はおいといて、思う通りの紋章が作れると思う。多分、マドカならいけるかな。ただし慣れないうちは、かなり脳が疲弊するから覚悟してくれ。マドカが紋章から恐ろしい悪魔を呼び出す想像をしたって、俺が制御するから安心してくれればいい』
『それって、眠れる森の美女に出てくるフィリップ王子みたいね。剣を振りかざしてドラゴンに立ち向かうのを想像しちゃったわ。アレックスって自分で研究バカと
いいながら、本当はロマンチストだったりして・・・』
『君なら言葉だけでドラゴンを退治できるよ。逆に俺の方が眠れる森の王子役になりそうだ』
アレックスが冗談を言っていると分かっていても、どうしてだか、まどかは笑えなかった。このウィットに富んだ会話を紡ぎ出す唇が、シニカルに歪むことがなく引き結ばれ、感情が高ぶった時に見せる瞳の色の変化を、閉じた瞼で見られず、生き生きとした表情が無になる瞬間を想像するのは苦痛でさえあった。
戸惑いのせいで、まどかの表情が曇ったのを見たアレックスが、不安のためと勘違いして、明るく元気づけるように促した。
『マドカ大丈夫?じゃあ切り替えるよ。最初は違和感があるかもしれないけれど、
少し我慢して。
さぁ、マドカこのテーブルについて、紙に紋章をデザインしてくれ、そのあとは紙のデザインを粘土に押しつけて模様を写し、彫刻刀で彫って、その溝に溶かした銀を流し込む。冷えたら出来上がりだ』
人によってはバーチャルの映像と、自分の想像をミックスさせた空間を作るのは難しいとアレックスの説明は続いたが、いつも創作の世界に容易く入ってしまうまどかにとって、この手の切り替えは造作のないことだった。
『私の想像したデザインをどうやってアレックスは見ることができるの?』
『さっき説明したように、脳に送られる情報はある意味電気信号みたいなものだ。
まどかの脳が発した信号を電極が拾って、コンピューターが瞬時に解読し、
俺に同じ様な画像を見せる。ただ、隣の部屋で観察している両親たちには
プログラムした映像は見られても、俺たちが共有している空間は見られない。
だからどんなデザインでも遠慮せず作ってくれ』
『最初から期待してないっていうことでしょ?見てなさいよ~。びっくりさせてあげるから!』
啖呵を切ったものの、風景やあるものを描くのではなく、紋章をデザインすることは初めてなので、まどかはあれこれ考えアレックスに質問した。
『アレックスの名前ってどんな意味があるの?』
『えっ?意味?確か、アレクサンドロスの守る
『うわ~、かっこいい!じゃあ、守るとか、知識をイメージするものって何かある?』
『鷲の上半身とライオンの下半身を持つグリフォンかな。黄金を発見して守るという言い伝えから知識を象徴するんだ。王家の紋章としても使われているよ』
『あっ、アレックスにぴったり!鷲の巣村に住んでいて、ドクターでこんなすごい研究をしているんだもの』
『ははは・・。現実世界にいる時に持ち上げてくれれば、美味しいものでも
ご馳走したのに、バーチャルじゃあ何もできないよ』
まどかは残念と言いながら、イメージした図案を転写シートにサラサラと描いていった。
ただの絵ならもっと細かい部分も描くことができるが、このあと彫刻刀で彫ることを考え、浮彫にしたい部分だけをしっかりと描いた。
鷲の鋭い目と嘴、雄々しい翼、今にもとびかかりそうな鉤づめには剣を持たせ、
下半身には逞しいライオンの脚と尻尾。背景となる台座は盾形にして、
知識を象徴する本と生命を表す植物も描いた。
出来上がった図案を見たアレックスが目を見開いた。
やるね~と首を小刻みに振りながら、ふうっと溜息をついた。
『マドカ、君は素晴らしいアーティストだ!こんなにも素敵なデザインを描くとは
思ってもみなかった。ちょっと感動してる』
『ちょっと?う~ん、でもね、彫った後でまたその言葉をもらえるように頑張るわ。描くのと彫るのは違うもの』
まどかは小刀を取り、転写した輪郭をなぞりだした。強く打ち出したい部分は深く彫り、羽の模様は細かく浅く彫る想像をしながら小刀を動かした。
そして出来上がった型に溶かした銀を入れ、固まるのを待っている間に盾形の台座も作った。そして、時間が経ってから取り出した紋章を、残った銀で盾形の台座に接着した。
『アレックス王国の紋章のできあがり』
ふざけてまどかがそれを差し出すと、アレックスは両手で大切そうに受けながら、ぼそっと呟いた。
『マドカ、ごめん。こんな素晴らしいものを作ってもらってなんだけど、実はこれ子供用のイベントなんだ』
『はぁ?』
『子供たちが歴史を学ぶ一貫の紋章づくりの体験なんだ。東洋人の顔は若く見えるから、判断ミスで…あっ、こら、ちょっと待て』
手渡したばかりの紋章を奪い、まどかが走って逃げたので、アレックスが笑いながら追いかけた。
だから、さっき、係の人がアレックスに問いかけた時、微妙な顔をしていたんだと思い出し、まどかもおかしくなった。
『ごめんマドカ。お詫びに中世のパレードを見せるから、こっちへ来て』
アレックスがまどかの腕をとり、大きな館の前でバルコニーを見上げる人混みの中に入っていく。
すると、建物の中から従者と侍女が出てきて、二人の前で立ち止まり恭しくお辞儀をした。
その途端、アレックスがしまった!とつぶやくのを聞き、まどかはよからぬことに巻き込まれたんじゃないかと不安になった。
『想像モードのままだったのを忘れてた!マドカ、ここも切り替えポイントだから普通の観光にもどろうか?』
どうして、アレックスはこんなに焦るんだろうとまどかは不思議に思ったが、さっきの仕返しにいじめてやりたくなり、このままの想像モードで行こうと提案した。
困り顔のアレックスと好奇心いっぱいのまどかの前に、迎えに出た執事と女官頭を先頭にして、従者と女官が二手に分かれてずらりと並び、館へと
マドカに何か言いたそうなアレックスを遮ったのは執事と女官頭で、「お待ちしておりました」と二人を建物の中に案内した。
『さぁ、旦那様、奥方様お着換えを・・』
『アレックスどういうこと?』
『この村の支配者が迎えた妻をお披露目するシーンだ。バルコニーから民衆に向かって手を振ったあと…パレードに出る』
なぜかしらアレックスの目が泳ぐ。
『私がアレックスの奥方として、紹介されるの?』
思ってもみなかった展開で、現実ではないにしろ、アレックスと夫婦になると想像しただけで、まどかは平静でいられなくなった。
それはアレックスも同じようで、きょろきょろ辺りを見回すと、慌てて一つの扉を指さした。
『とにかく着替えだ。マドカはあちらの部屋で、俺はここで用意するから・・』
想像なら一瞬で着替えられるのだから、着替えの部屋なんかいらないのにと可笑しくなったが、まどかは逆らわず、豪華に飾り立てられた応接室を女官頭の後についていき、女主人の部屋に案内された。
優雅なロココ調の家具や、淡いパステル色の壁、きらめくシャンデリアに目を奪われながら進むと、続き部屋に用意された白く美しいシルクのドレスに目が釘付けになった。
襟元や裾には、紋章や花などが金糸で刺繍されて浮かびあがり、ゴージャスさを際立たせている。
何て素敵!感嘆して手に取った次の瞬間、まどかはそのドレスを身にまとい、
鏡の前に立っていた。
全身をしなやかに覆う光沢のあるシルクが、シャンデリアの光を浴びて、
より煌めきを増し、目にまばゆいほどだった。
金糸の刺繍に覆われた大きく開いたデコルデは、こぼれんばかりに露出した胸や
肌の瑞々しさを一層引き立てている。
白いドレスは、清楚なイメージを演出するはずなのに、艶めく黒髪となめらかな肌が、まどかの上に知らない女を炙り出していた。
想像って便利ねと苦笑しながら、ついでに髪も膨らませハーフアップにして、
宝石のついた飾りでとめた。
見越したようにドアが開き、金糸の豪華な刺繍が施された白いチュニックを纏ったアレックスが現れた。背が高く、肩幅の広さや胸板の厚さが男らしさを強調し、白い毛皮のふち飾りがあるマントが領主の威厳を引き立たせている。
表は白、裏地が赤のお揃いのマントを侍女に羽織らせてもらい、まどかはアレックスの目の前に立った。
こんなの想像の世界だと思うのに、照れて頬をうっすらとピンクに染めたまどかは、匂いたつような美しさに包まれていた。
『マドカ、君はとっても綺麗だ。こちらの衣装がこんなに似合うとは思わなかった。驚いたよ』
アレックスの食い入るような視線が熱く感じられ、まどかはなかなか視線を合わせられず、俯きながらぼそりと呟いた。
『アレックスも、とっても似合うわ。本当の領主様みたい』
『第三者として観光映像を見ている分にはいいけれど、自分がこんなのを着て演じるのは、さすがに恥ずかしいよ』
アレックスはしかめっ面をしながら、チュニックを引っ張った。
『ああ、だからスイッチを観光に切り替えようとしたのね。じゃあ、このままにして大正解だわ。めったに見られないアレックスのもじもじ姿が見られたんだもの』
いつものように、気持ちよく返ってくる言葉のジャブを期待したまどかに、アレックスが意味ありげににやりと笑った。
『美しい我が奥方よ。覚えてろ!あとでからかったことを後悔させてやるからな』
まどかが何かを言うより先に、執事が二人の会話に割って入った。
『さぁ、旦那様。領民が奥方様のお披露目を待ちかねております』
執事について大広間に移ると、バルコニーに面したフレンチドアが従者の手でさっと両側から開かれ、アレックスとまどかはバルコニーの先へと踏み出した。
途端に歓声が沸き起こる。アレックスが手を振るのに習って、まどかもぎこちなく手を振った。すると歓声はより大きくなり、二人の名前を呼ぶ声も聞こえた。
領民が何かをリクエストする声に、アレックスは苦笑して了解の手を上げる。
アレックスがまどかの腰に手を回し、隣に引き寄せたので、想像のはずなのに、
まどかは触れられた箇所が熱を持ったように感じて、胸がどきどき高鳴った。
なぜこんなことをと思い、まどかがアレックスを見上げると、領民へ向けた笑顔が、ゆっくりとまどかに向けられ、表情が引き締まる。
端正なアレックスの顔が、純白の衣装と太陽の光に照らされて、本物の支配者だと錯覚させた。まどかの揺れるまなざしにふっと笑みを浮かべたアレックスの顔が近づき、眩しい太陽の光を遮った。
ブルーグレーの瞳に映った自分の顔がだんだん大きくなり、その視界はぼやけ唇が重なった。
キスされた?まどかの驚きは頂点になり、その質感まで唇に感じるようで、思わずあえいでしまった。
すると、突然耳元でデジタル音が鳴り、ダニエルの声が割り込んだ。
『アレックス、画像がパレード直前で止まっているが、今何をしている?マドカの心拍数が上がっているのに、会話が聞こえない。二人とも意識はあるか?』
拘束されていた腰の腕がほどけ、二人の身体に隙間ができると、アレックスがため息をついた。
『そろそろ戻ろうかと思っていたんだ。タイミングが良すぎる介入をありがとう』
まどかはその落胆した素振りがおかしくて、先ほどのショックも薄れて笑いだした。
気持ちが高ぶっているせいか一度入ったスイッチが切り替わらず、まどかが涙を出して笑うのを、アレックスは恨みがましそうな眼で見ている。
『せっかく綺麗に変身した大人の女性が、またおてんば娘に戻ってしまったな。
ほら、いつまでも笑ってないで、元の世界に戻るぞ』
うん、うん、と頷きながらまどかは、必死で笑いをかみ殺した。
アレックスの操作で一度通常の体験モードに戻り、元来た道を戻ってスタート地点の門に辿り着いた。
『ここからでないと帰れないの?』
『いや、緊急の場合は途中で現実に戻るように操作できる。ただその場合、せっかく体験したことや、治療に効果があった部分を忘れてしまうことが多いんだ』
『思い出せないの?』
『実験で研究者同士が試した時は、一人は何か月か経って思い出したけれど、もう一人は忘れたままだ。どう作用するか分からないから、本当に緊急の場合にしか使ってはいけないことになっている』
『そう…。こんな素敵な体験を忘れたらもったいないわね。ありがとうアレックス。とても楽しかったわ』
『どういたしまして。さぁ、切り替えるよ。用意はいいかい? trois,due, une』
そしてきらめいていた世界が萎んでいき、やがて無に帰って真っ暗になった。
装置を取り去る時、部屋の眩しさにまどかは顔をしかめたが、だんだん慣れて
視点の先にアレックスの姿を認めると、アレックスが照れ笑いをした。
バーチャル空間への旅は終わったのに、まだ心がアレックスと繋がっているような、不思議なざわめきとときめきを覚えた。
あのキスはプログラム上必要なことだったのだろうか?
まどかは恥ずかしくて、アレックスに問いただすこともできず、両親が部屋に入って来て、質問するのに適当に答えながら、気持ちを紛らわせたのだった。
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