21. ツキカゲ風雲録

 






 拙者は忍でござる。


 名はツキカゲ。


 おじさんのおじさんからずっと引き継がれてきた名前でござる。


 故に、拙者の本当の名ではなく、しかし、もとより本当の名など持ち合わせてはおらぬのでござる。


「このごじゃりゅというのもひきつがりぇちぇいりゅじぇごじゃりゅ」


 言いにくいでござる!


 絶対に言いにくいでござる!


「みんなで飯を食うけど、ツキカゲは食うか?」


 村娘の緑子が拙者を呼ぶ。しかし、その方向に拙者はいない。拙者は人前に姿を現さないのでござる。


「あとで食べるでごじゃる。おいておいてほしいでごじゃりゅ」


 忍術、にて姿を現さず声だけにて伝える。


 忍術、とは言うものの、それが明確な術なのか実はよく分かっていない。なんとなくできるのでござる。


「みんなで食べる方が美味しいぞ」


 緑子はいつも拙者を食事に誘う。しかし、拙者は人前に姿を現さない。いや、顕してはいけないのでござる。


「かたじけのうごじゃる」


「そうか」


 毎日、この寂しそうな顔を見るのは忍びない。忍なれども忍びない。


 フランちゃんみたいなダジャレでござる。


 どうして、そこまでして拙者を呼ぼうとするのか分からない。水鏡様でさえ、拙者に触れようとはしなかった。


 どうして、拙者みたいな者に――




 生まれた時から、全ては決まっていた。


 貧相で育つ作物もない場所では何を生業として生きるのか。それは、暗殺でござる。


 拙者たちの住む里は、遠い昔からそうやって生きてきた。


 暗殺とは完全な人殺しでござる。


 それを拙者は決して肯定することができなかった。


 幼いころから血を浴びて育った。何かを殺して生きてきた。そこに抵抗はない。殺すことなど息をするのと変わりなかった。


 人は簡単に死ぬ。しかし、簡単には殺せない。殺す方がためらってしまう。そんなあまっちょろい戯言をほざかぬよう、拙者たちは幼いころから訓練されてきた。命によって殺し、報酬を得る。それが正しいことなのだと教えられてきた。執拗すぎるほどに。その執拗すぎるところに大人たちの罪悪感の表れが見えたが、それを知ってもなお、拙者は殺すことをなんとも思いはしなかった。


 ただ、死は貴重なもので、簡単に与えてはいけないという狂った考えと、自分が異常であるという自覚とだけが並存していただけでござる。


 幼いながら一流の暗殺者となり、多くの人間を殺した。


 自分より年の小さな子どもさえ殺した。


 殺すことに抵抗はない。


 でも、人を殺していく度に、自分が異常であるという自覚が芽生えて行ってしまった。


 水鏡様は、おかしな人だった。


 拙者は水鏡様に心から仕えているというよりは、報酬のために雇われていたのでござった。他にも優秀な忍がいたというのに、水鏡様は拙者を選んだ。


 そして、人殺しをさせようとはしなかった。


 今まで仕えた人間でそんな人間はいなかった。みな、拙者に人を殺せと言った。水鏡様は人を殺せと言わなかった。


 ずっと不思議には思っていたものの、深くは考えなかった。


 そんな水鏡様が唯一殺せと言ったのがフランちゃんだった。


 フランちゃんという鬼については拙者もよく知らない。しかし、水鏡様が殺せと言うほどなのだから、よっぽど水鏡様にとって邪魔なのだろうと思った。


 敵国の姫が傍にいるというのに何故鬼を狙うのかは不思議でたまらなかったでござる。


 拙者は、水鏡様の顔をわざと見ないようにした。


 人を殺すことをさせなかった水鏡様がどのような気持ちで人を殺せとおっしゃったのか。それを知ってしまうと、拙者の中の、大事にこねくり回された心の堰が壊れてしまいそうだったからでござる。




 あの夜、拙者は村へと侵入した。犬さえも飼われていないので簡単に侵入できたでござる。一国の姫君をこのような場所に匿っているというのは非常に歪なことだと感じた。


 ボロい小屋に二人はいた。


 囲炉裏の傍で布に包まり一人の鬼が寝ていた。大きな男だった。肌の色も髪の色も違う。月の光が差し込み照らされた髪の色は宝石のように輝いている。白い肌もまた、紙のような色で、幻想の世界から抜け出したような、そんな不思議な存在だった。


 このような存在を己の手で殺すのか。


 一瞬心に迷いが生じる。


 しかし、拙者は迷ってはいけない。迷ってしまえば、今まで行ってきた全てが、拙者に呪いとなって襲いかかってくる。


「みじゅきゃ――しゃむのおっしゃったことがわかっちゃでごじゃる。おぬしはころしゃないといけないでごじゃりゅ」


 この鬼は危険だ、と心の奥のさらに奥が告げている。


 故に、殺す。


「うにゃぁ。だめだよぉ。なかよぐすー」


「にゃ!?」


 毛布の中から幼い子どもの声がして目を丸くする。


 よく見れば鬼の毛布の腰当たりのところがもぞもぞと動いている。


 拙者にはまだはやいでごじゃりゅ――!!


 しかし、これも任務。拙者の姿を見たものはみんな死んでしまうでござる。


 震える小さな手で毛布を拭い去る。はためく汚い布。宙を舞う、細く長い黒髪。まるで作り物のように均一な造りの顔。小さな桃色の唇。


 一瞬で心を奪われかけてしまった。


 これが、水鏡様のおっしゃっていた美姫、なのか。


「けんかはらめぇ」


「まぎらわしいでごじゃりゅ!」


 美姫と鬼はともに眠っているだけであった。過ちがあったというわけではないようだが、美姫は鬼の腰にしがみついていてなんとも言えないでござる。


 でも、その時、拙者には美姫が鬼を、守ろうとしているように見えてしまったでござる。


 一番命を狙われているはずの自分を守るその姿はやはり歪で、それ以上に、拙者にはこの少女に触れる権利すらないと思ってしまったでござる。


 それと同時に、すごく腹立たしかった。


 ずるいと思った。


 いいな、と思った。




「ツキカゲ。ごはんだよ」


「かたじけないでごじゃりゅ」


 緑子が外へと出てきて、お皿を地面に置く。


 拙者がそうして欲しいと頼んでいるためである。


「緑子殿。どうして拙者をそれほど気に掛けるでごじゃるか?」


 拙者は穢れている。


 あの姫のように清廉ではない。


 故に、拙者を理解出来る影の世界の住人、フランちゃんこそが拙者の理解者であると思った。美姫からフランちゃんを奪いたかった。拙者の心は汚い。


「一人だけ仲間外れなんて、寂しいじゃん」


「拙者は多くの人を殺したでござる」


「そういうとこ、美姫そっくり」


「どこがでごじゃるか!?」


 突然思いもしない言葉が出てきて、拙者は驚く。声が上ずる。


「すごく似てる。あの子も自分に自信がなくて、いつもそこにいていいのかって遠慮しててさ。それがわたしは気に食わなかった」


「じゃあ、せっしゃのこともきにくわないでごじゃるな」


「でも、一番それを気に入ってないのはツキカゲでしょ」


 なにを――!


「って。多分、フランちゃんならそう言うかな」


「緑子殿はどう思っているでごじゃりゅか」


 先ほどから人の言葉を借りてばかり。


「わたしも同じ。ツキカゲにも、いつか、一緒にみんなと明るい光の下で遊んでほしいと思ってる。そんな時代を心から願ってる」


「そんな時代など――」


「わたしたちが作るんだよ。そういう時代を。だって、欲しいから。そういう時代が。平和な日常が」


 ツキカゲはどう思うの、と緑子が聞いた。


 答えなどとっくに出ている。


「そうでごじゃりゅな。そういう時代が欲しいでごじゃりゅな」


「でしょう?」


 でも、なにか気に食わないでごじゃりゅ。心を見透かされたようで嫌でごじゃりゅ。


「ちなみに、しぇっしゃは心より惚れた者の前にしか姿をあらわしゃないでごじゃりゅ。故に、しぇっしゃはフランちゃんに惚れていりゅでごじゃりゅ」


 面白いことになる、と思った。


 でも、どうしてでござろうか。


 とても、顔が熱くてたまらないでごじゃりゅ。


「そっか。ツキカゲもなんだ」

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