20. こころからねがうもの
「何がワクワク生活だよ、全く。作者の意図しない発言をしたせいで、一か月もでんまほ止まっちまったじゃねえか」
俺の名はフランチェン・シグノマイヤー。
物語の主人公だと錯覚して無茶をした挙句、今は庭の隅で土になっているのさ。
「フランちゃん……静かに眠ってね」
「ホント、バカな奴だったよ、フランちゃんは」
我が愛すべき姫君たる美姫とそのご友人とか言う気に食わぬ泥棒猫の緑子がクソ童貞の死を労わっていた。
「死後になってようやく他人に慰められるようになるとは。つくづく童貞だな」
「おい、今までのモノローグ、全部お前のもんだってばれてっぞ。立花」
まったく、何を言っているのか。フランチェンは死んだ。というか、我が殺したではないか。
「死んでねえ! 確かに今は床から一切動けない状態だけどな!」
というわけでまあ、これから少しばかり、俺様、フランちゃんが不在の物語になる。なんなら読み飛ばしても構わんぞ。なにせ、一番の人気キャラだからな、俺は。
この村に来てからもう一週間は経つ。美姫を城から奪還してから何事もなくて、とても不吉だった。
「だってのにねえ」
この村はとても平和だった。こんな戦乱の世の中で、いつこの村だって戦禍に飲まれるのか分かったもんじゃないのに。でも、それはお気楽なんかじゃなくって、今がどんな状況なのか村人にも分かっているみたいだった。それでも、どれだけ苦しい時代でも生きて行こうと、そう考えているようだった。どうして、そんな風に考えられるようになったのか――
「ホント、暇ね」
妖術師として生きていた頃は昼間は滅多に陽のもとにでなかった。一応お姫様なのだけれど、わたしのことを城はあまり必要としていないし、妖術師なんて不吉な存在だから、人と関わるのを避けていた。
桜は散ってしまって、春の花々は花を閉じ、今度は青い草が野を染めている。
乳母が生きていた頃は外で元気に遊んでいたっけな。
「あ、水羊羹さん」
「なに?」
少し怯えたようなか弱い声がわたしを呼ぶ。あまり好きではない声だ。誰かに守ってもらいながら生きてきて、誰も守ってくれない世界ではすぐに消えてしまう、そんな弱者の声。
水羊羹と呼ばれることは別にどうだっていい。
なにせ、水鏡というのも偽名だ。
人間の名が誰かから名づけられる以上、本当の名など、この世界のどこにもないのだ。
「いえ、あの……」
「ちっ。はっきり言いなさいよ」
全ての元凶は――この美姫という少女なのだ。敵国の姫。わたしから大切なものを奪った張本人――ではないけれど。
「――! ぴくにっくというものに行きましょう!」
「はぁ!?」
ぴくにっく?
聞いたことのない言葉だった。
「フランちゃんが言ってたんです。天気のいい日にはぴくにっくをするものなんだって。ぼーえんきょーを使って辺りを見渡すとかっぷるがお楽しみをしているからと――」
「あの童貞。幼女にこんな卑猥なことを言わせるのが趣味だったのね」
「へ?」
話の内容はよく分からなかったけれど、何を言っているのかは分かる。あの鬼畜の考えることならなおさらに。
「みんなでちょっと遠くにお散歩して、お弁当を持って遊ぶんです! 行きましょう!」
「あなた、今の状況が分かっているのかしら」
この村はいつ攻めてこられてもおかしくはない。そんな状況で遠くへと遊びに行くなど――
「あの鬼が使えない以上、一番危ないのはあなたなのよ。バカじゃないの?」
美姫の顔が一瞬曇る。瞳がうるうると輝く。ちょっときつく言い過ぎたのかしら。
でも、このくらいで泣くなんて。この先そんなんじゃ生きていけないわ。
「立花がいるし、大丈夫だよ……」
「なるほど。あのメスゴリラがいれば問題ないわね」
でも、そうなると、村の警護がおろそかになる。どちらにせよバカな話だ。
「誰がメスゴリラだ」
ドスドスと地響きを立てながらメスゴリラが入場してくる。
「ふじ~あおいこうえん~」
「バカにしているのだけは分かるぞ」
ったく。そうカリカリしているから男が寄ってこないのよ。
「メスゴリラがいれば問題ないって言っただけなのだけれど?」
メスゴリラ、というところを強調する。すると、メスゴリラは面白いほどに顔を赤くする。
「ほおぅ。やるのか。この年増」
ぶち。
「あなたこそ、五体満足で見逃してあげると思わないことね」
ばちばちと、互いの戦略領域がぶつかり合い干渉するような、そんな音が響き渡る。戦の音だ。戦の時はこの音がどこからでも聞こえてくる。だからわたしは暗い部屋でずっと耳を塞いでいたんだ。
「やめろよ。ったく、仲がいいな」
「誰がだ!」
「冗談じゃないわ」
村娘緑子が話に割って入ってくる。
この露出狂め。
「何か言ったか? 水羊羹」
「いいえ。露出狂なんて言葉、戦国時代にはありませんことよ。おほほほほほほ」
そういう性癖はあると聞いたことはあるけれど。
「ほら。ぴくにっくとやらに行くぞ」
「いいのかしら。緑子さん。わたしたちが本当に村を出てしまって」
一人で何人分にもなるメスゴリラが出てしまってはこの村は万が一の時、どうしようもなくなる。
「問題ない。水羊羹の考えていることは分かるが、この村はそんなに弱くない。これでも戦乱の時代を上手く生きてきたんだ。それに、万が一の時はフランちゃんを無理矢理たたき起こせと言ってある」
「あら。随分あの鬼を信用しているみたいね」
「頭はバカだけど、力だけはあるからな」
そういうことではないのだけれど。
あの鬼を簡単に信用していいのかしら。
「あの鬼を簡単に信用していいでごじゃるか?」
ツキカゲが声だけで尋ねかけてくる。あなたも来るのかしら。もしかして。
わたしはツキカゲの姿を見たことがないのだけれどね。
「しぇっしゃたちのいないあいだに人妻にてをだしているかもしれないでごじゃる」
「大丈夫だよ。縄で縛ってきたから」
「え?」
美姫が言ったのかしら。笑顔で。
なんて……恐ろしい子……
「だから行こう! 水鏡さん!」
またも、わたしに笑顔を見せてくる。少し陰ってはいるけれど、でも、誰よりも優しい笑顔。
わたしにはやはり、明るすぎる。
ぴくにっくとかいう大層な言葉を使うからどんなことをするのかと思えば、ただの散歩と変わりはしなかった。
「姫様。お足は痛くございませんか。我がおんぶを――」
「いらない」
「姫さまぁ!」
「美姫はアンタの知ってる美姫じゃないんだ。わたしが調教したからな」
「貴様、羨ましいぞ!」
「うらやましいんかい」
わたしの言葉に一同ピクリと停止する。思わず突っ込んでしまったのだけれどまるで信じられないものを見るような目だ。
「まさか、あの水羊羹がツッコミを入れるとは」
「なによ。立花のキャラ変は受け入れられてわたしは受け入れられないって言うの?」
戦国時代にキャラとかそんな言葉はない?
もう、知らないわよ、そんなこと。
「ツンデレでごじゃるな」
「ツンデレだね」
……
この幼女ども。犯すわよ。
一時間ほどの、平野への入り口で食事をとる。今日の目的地はここみたいだった。
ここからでも、あの遠くの場所が見える。わたしの国と、そして、乳母のいた小屋の残骸と。
「本当に元気よね。ご飯を食べ終わってすぐだというのに」
わたしは残っていたおにぎりを全て食べ終える。
美姫と立花が楽しそうに追いかけっこしているけど、背丈的にもう、親子に見えなくもない。それとも立花の精神年齢が低いのだろうか。
「当たり前よね。ずっと自分を偽って我慢してきたのだもの」
白米、というところで、子どもたちの遠足に白米を出す村人の正気を疑う。白米は今や金以上に価値のある代物なのに。
美姫やわたしが高貴な人間であるから気を配っているのか。
「みんな、せめて平和な今だけは楽しんで欲しいって思ってるだけなんだよ」
「え?」
突然緑子が心を見透かしたようなことを言ってくるので驚きの声を上げる。
緑子は自然にわたしの隣に腰を下ろす。
「美姫は、わがままを決して言わない幼女なんだ。みんな、それを心配しててね。実はわたしたちの村はずっと美姫に不自由な暮らしをさせていて、それを申し訳なく思っているんだ」
「姫君だったから?」
立場が分かれば手の平を返す。これだから人間は醜い。
「ううん。違う。わたしたちの村は、ずっと暗かった。戦の恐怖におびえて眠れない日だって多かった。でも、美姫とフランちゃんがそれを変えてしまった。どうして変わったのか分からないけど、二人ともマイペースで、わたしたちの無くしてしまったものを持っていたから。それを思い出させてくれたから」
「それは美化し過ぎよ」
「そうだね。人の心は一つじゃなくて、幾つもの考えが同時に存在してる。でも、フランちゃん亡き今、美姫に笑っていて欲しいという気持ちはみんな一緒だから」
「それに付き合わされるわたしの身にもなって欲しいのだけれど」
今も村を離れたことが心配だ。
ふと、乳母のことが脳裏に浮かんでしまう。
「水羊羹を連れて行こうと言ったのは美姫なんだ。美姫は多分、自分のためじゃなくて水羊羹に笑顔になって欲しかったんだと思う」
「おーい。二人とも! あそぼ!」
「そんな顔をしていると小じわが増えるぞ、年増」
ブチ。
「ホント、自分のことを心配しなさいってのに。心底嫌いだわ、そういうところ」
多分、そんな美姫だからこそ、村人は一番笑顔になって欲しいと願うんだと思った。
だって、人を笑顔にするのはとっても難しい。
わたしにはできなかったことだから。
「ほら。一緒に遊ぼう!」
美姫が駆け寄って、わたしに手を差し出す。
明るい笑顔を向けながら。
それは影であるわたしを溶かしてしまうものだ。
とても危険なもの。
美姫の笑顔が乳母の笑顔と重なる。
乳母はあまり笑わないわたしにいつも笑顔を向けてくれていた。きっと困ってしまうことも多かっただろうに。
「ふん。わたしは子どもじゃないのよ」
なんて言いながら、美姫の手を握る。幹の手はビックリするほど小さくて、ゾッとするほど冷たい。思わず目を丸くする。
「どうしたの?」
この子の中の闇は、とても深くて恐ろしいのではないか。自分よりも暗い世界にいたのではないか。わたしではこの子を救うことは叶わない。
そんな思考が駆け巡った。
「なんでもないわ。ふふ。わたしのスピードについてこれるかしら」
この青空の下。
草木の香る草原の上。
いつかこの子の笑顔が本当の輝きを得られますように。
そう心から願った。
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