22. 花萌ゆる

 






 なんだかんだでそろそろ梅雨も明けてしまって、夏の風が吹き始めていた。


 静かだった村もいつの間にか新しい仲間が増えて、その仲間だけでなくて村の人間も元気になった。いつもいつも騒がしいのが当たり前になってしまって、本当にそれでいいのかってつい不安になって。


「姫様! こんな鬼に触れてはなりませぬ! 童貞がうつりますぞ!」


「童貞がうつるってなんだよ!」


「我をその汚い目で見るな! 穢れる!」


「立花。フランちゃんはもう立たないんだから……」


「美姫。お前は意図せずに言ったんだろうけどな、俺は世界で一番傷付いたぞ。女児に立たないとか言われるとか。俺はもう家出する!」


「しろ」


「うるせぇ! 誰がお前の言うことなんて聞くか!」


 少し、うるさすぎるかな。


 それに、毎日喧嘩ばかりで。仕方がないな。


「あなたたち、うるさいわよ。もうちょっと静かにしてくれないかしら」


 わたしの代わりに言ったのは、水羊羹だった。


「ニートに言われたくねえ」


「何を言っているのか分からないけれど、バカにされていることはわかるわね。ちんぽ切るわよ」


「……お前が言うと冗談じゃなくなるな」


「ふっ。これだから童貞は」


「あなたのちんぽも潰すわよ」


「我は女だ!」


 まさか、フランちゃんと立花の言い争いを止めるとは。


「あら。緑子。どうしたの?」


「うっ……い、いや?」


 言い争いを止めようと家に上ったはいいものの、水羊羹が言い争いを止めてしまったのでその場で迷子になってしまっていたのだ。


「朝から元気だな。ご飯は食べたのか?」


 ま、どうせまだ作ってもないだろうし。


「あ、できたんだった」


 美姫が思い出したように言う。


 美姫はわたしの知らないうちにたくましくなっていく。


「緑子も一緒にどう?」


「う、うん。わたしは食べたから。それより、ツキカゲ呼んでくるね」


 まだご飯を食べてないのについ、そんなことを言ってしまって。足が自然と逃げるように外へと向かっていって。


 こうやって、いつも、何かから逃げるためにツキカゲを使っているんだ――




「どうかしたでごじゃりゅか?」


「え?」


 ツキカゲから声がかかったのでつい驚いてしまう。


「なにかぼーとしてたでごじゃりゅ」


「な、なんでもない。それより、ツキカゲもそろそろ姿を見せて一緒に食べようよ」


 そうすれば、わたしもツキカゲを使ってみんなと同じ輪に入れる。


「残念ながら、それはできないでごじゃりゅ。しぇっしゃは忍でごじゃりゅ」


「でももう戦わなくても――」


「じんしぇいというのは戦いでごじゃりゅ。誰かを守るためには力がいりゅでごじゃりゅ。決して誰かを傷付けるためではない力が」


「そっか……」


 ツキカゲも声を聴いている限りではわたしより年上なのに自分のためじゃなくて誰かのために頑張ってるんだ。姿を現したくても我慢して。


「しぇっしゃ、なにか悪いことをいったでごじゃりゅか?」


「ううん。なんでもないから。ご飯取ってくるから待っててね」


 わたしは、醜い。




 びっくりするほど大きな月が浮かんでいる。


 どこまでもわたしを見つめていて、影を生み出して。


 わたしはふとどうしたかったのだろうと考えてみる。緑子という少女は一体なにを想い生きてきたのか。


 ただ、怖かった。


 誰かを失うのが。


 世界を恨んでいた。


 そうすれば楽になれた。


 でも――それが違うことに気がつかされて、どうすればいいのか分からなくなって――


「違う。わたしはただ――」


 寂しいだけなんだ。独りぼっちで。


 いつも独りぼっちだったから怖くなんてなかったのに。今はとても怖くて、恐ろしくて。体が震えてしまって――


「そんなところで何をしているのだ?」


「立花……」


 美姫の家の庭で月を見ていた。立花はそんなわたしに気がついたのか庭に出てきたのだ。


「夏と言えども冷えるだろう?」


「そうだね。でも、それでいい」


 もう、わたしは不要なんだ。美姫にはもう必要ない。だって、美姫はもう一人じゃない。美姫にとってわたしはもう要らない子なんだ。


「やっぱり何か悩んでいるのか」


「別に」


「ツキカゲの言った通りだな」


「何か言ってたの?」


 ちょっと不機嫌になる。わたしのことを分かっているみたいでなんだか嫌だ。


「なにか様子がおかしい、発情期じゃないかってな」


「よし。飯抜きだ」


 当たり前だ。


「でも、姫様がいたくお前のことを気にしてな。緑子は素直じゃないから、きっと我慢しているってな」


「なにを分かったようなことを」


 ちょっぴり嬉しい。でも、なんだか上から目線でイラッとする。


「姫さまも同じだからだよ。ずっと一人で我慢してたから」


 そう……なのだろう。


 私と美姫は似ている。


「これは我の、特に関係のない話だ。付き合え」


「嫌だ」


「あれは我が初めて戦場へと赴いた時だ」


 嫌だと言ったのに聞いていやしない。


「我も未熟者でな。戦場を見ておくために前線に赴いた。そして、我のもとに一つ、流れた矢が飛んで来たのだ」


「戦場の話なんかして自慢?」


「そして、我をかばって、一人の足軽が犠牲となった」


 もっと嫌味を言ってやろうと思って、言葉に詰まる。


「その足軽の名を誰一人知らなかった。戦が終わった時、その場には多くの死者が横たわっていた。それが誰であったのか、誰一人知らない。我をかばった足軽について分かったことはただ一つ。我と同じくらいの娘がいたことと、我を娘の代わりだと思って、命を懸けて守るつもりだと言っていたことだ」


 まさか。いや、きっと、他人だろう。


 でも――


「それから我は共に戦う者の名前とその家族を覚えるようになった。ずっと、足軽の家族に詫びたかった。己の未熟さと、命を軽く見ていたことが全ての原因であると」


「世の中、いいことなんて一つもないから、笑えよ」


「は?」


「わたしの父ちゃんの口癖。戦場で死んだ」


 何故立花が今こんな話をしたのか分からない。話をすり替えられてしまった気分だ。


 でも、やっぱ、笑顔は、父ちゃんと母ちゃんの笑顔は、素敵だった。そして、美姫の満面の笑みにそっくりだった。


 だから、守りたいと思った。


「泣いているくせに笑顔とはどういう了見だ?」


「女の子なんだ。泣きたいときは泣いちゃうんだ」


 悲しいことはたくさんあるから。だから、笑顔が欲しい。


「誰かを笑顔にするためには自分も笑顔でなければならないだろう。でも、笑顔のままでいるのはなかなか辛いことでもある。だから、今のうちに泣いておけ。笑顔にしたい者の前で涙を流さぬように」




「いや、結局前後のテーマ的な? 文脈的なのどうなっちゃってるんだよ。すり替えられちゃったよ!?」


「うるさいぞ、フランちゃん。女にしてやろうか?」


「おっぱいが貰えるならしてもらいたいものですな!」


 なんというか、わたし自身が負い目を感じてた的な?


「細かいこと気にしても仕方がないだろ!?」


「いや、一番お前の口調が安定しない……」


「昨日、ちょうどいい穴を掘ったんだ。そこで眠らせてやろう」


「やめて! 美姫さん!? 水羊羹さん!? 助けてくれません!?」


「発情期の犬は鎖で縛らないといけないわ」


「そうですね」


「いやいやいやいや。何故怒ってるんですか?」


「別に。フランちゃんが女の子に看病されているからとかそういうことじゃないですよ」


「いや、さっきも粥をわざと顔にひっつけられたのだが?」


「お約束ですね。もう一度地獄を見ましょうか」


「いやいやいやいやいや! もうちょっとなにかさ。前後の文脈的な? 設定とかさ、気にしようさ!」


 フランちゃんをいじめることで仲間の輪に入ることができた。


 ふふ。最低な人間だな。


「しかし、本当に適当になってしまったな。先行きが不安だぞ」


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