14. 白い牢獄
立花は山に立っている城を見上げる。
そこは立花にとって何の思い入れもない場所であった。
無理矢理に言葉を当てはめようとすると出てくるのは「牢獄」という二文字であった。
それは立花が城に捕らえられているという意味ではない。
捕えられているのは立花ではない少女。
威厳を示すためだけに白く塗られた白い壁に屋根から垂れ下がった黒い影が上塗りされていた。
立花がその少女と出会ったのは12の頃であった。
残念ながら子宝に恵まれなかった橘家は一人の女の子だけが跡取りだった。男が優位に立つ世では女である立花は望まれぬ存在であった。
子どもの頃から立花は婿を取らされるのだと聞かされていた。父も母も口をそろえてそう言う。
己は不要であると、子どもの頃から言い渡されていたのである。
立花はそれが不服であった。
自分が自分であることを否定されていたのだから仕方がない。
故に、誰よりも強くあろうとした。
結果、誰よりも強くなった。
剣術では父を超えている。体術であっても立花に敵う者に立花はまだ相まみえたことはない。
それでも、父は苦い顔をし、母は家に入るのが女の幸せであると説き続けた。
立花には誰一人見方がいなかったのだ。
橘家は土岐家に仕える一族であった。それは少し昔に将であった土岐家の先祖に認められて地位をいただいたためだという。それもまた立花には気に入らないものであったのだろう。
立花は女の身でありながら橘家の当主となる。その儀を土岐城で行う。そのために立花は土岐城へ始めて足を踏み入れた。
森の湿っぽさと土の濃い匂いが漂う城であった。山の上にあるのだから仕方がないとは思いつつも、どこか花の香しさを恋しく思った。
城の門をくぐり、建物へと向かう途中、立花は甘い花の匂いを感じた。それは自分の幻想が生み出したものなのだ、己はまだ甘いと自分を戒めたが、それは幻想の産物ではなく、現実の匂いであったことを立花は思い知らされた。
城の影となる部分に一つ、染みのように黄色い塊が生まれていた。そして、その塊には一つの人影がある。
後ろ姿は美しかった。綺麗な着物を着ていた。自分が拒んできたものであった。美しい着物は己よりも見劣る黄色い花を必死で世話していたのだ。
それは立花にとって奇妙な光景だった。自分よりも劣るものを愛でるとはいかなるものか。
立花は自分でも気づかぬうちに、その綺麗な後ろ姿に声をかけていた。
「なにをしているのだ」
「ひやっ」
その後ろ姿は立花の声に驚くというよりも怯えるといった風に体を大きく揺らす。
後ろ姿はくるりと振り返った。
「おさむらいさんですか?」
その顔は美しかった。見事に整ったかんばせであった。それが故に、どこか印象が薄い。そしてなにより、その顔は驚くほど幼かった。
「なにかようですか?」
怯えるような小さな声ではあったが、怯えている素振りはなく、立花はその少女がそのようなか細い声をしているのだと理解した。
「あ、あの…」
少女に声をかけられ立花は自分がしばらくの間少女に見とれていたことに気がついた。
「いや。何故そのような野の花をめでているのかと思ってな」
衣服を見ればその少女が城でなかなかの地位にあることがわかる。本来ならば立花は坐して尋ねねばならないのだろう。だが、そうはしなかった。そうしてしまえばなにか大切なものが己と少女の中で失われてしまう。それをなにより恐れたのだ。
「だって……」
少女は一瞬うつむいたが再び顔を上げ立花に答える。
「この子たちにはここしか居場所がないから」
何が起こったのかは立花には分からない。
立花の目には野の花が少女と同じくらい輝いて見えた。それは少女が野の花と同格になったのか、少女の言葉で立花の心の中に映る野の花が少女の姿と同じくらい輝いて見えたのか――
いくらでも話したい言葉が出てきた。でも、それは立花の中で言葉にはならなかった。その言葉にならない何かを必死で言葉にしたいのに、立花はそのための言葉を持ち合わせてはいなかったのだ。
「あなたは…」
「美姫っ!」
少女の言葉を遮り怒声がこだまする。
それは醜い言葉だった。強い言葉だった。
声とともに男が一人少女と立花の傍へと近づいてくる。
「またそんな草を集めて。勝手に城から出るなと言っただろう!」
少女が途端にうろたえだす。その少女の姿を目の当たりにして立花は初めて声の主を見た。
それは男だった。彫りの深い顔をした、武士のような顔立ち。身に纏っている衣服は土岐家の紋をあしらっている。
「貴様、橘の者だな。今すぐそこの草を踏み潰せ」
何を言われているのか立花には理解できなかった。
ただ色んなものが渦巻きそして、収束していく。
目の前の男は紛れもなく土岐城の城主。己が仕える存在である。
その存在が野の花を踏み潰せと言っている。
少女の姿そのものとも言える野の花を――
「し、しかし――」
眉を顰めた立花に対し城主はより機嫌を悪くしたようだった。
「女の身でありながら当主と認めるのはわしじゃ。逆らったらどうなるか…」
一変してニタリと笑う男に対し立花は嫌悪以外感じようがなかった。しかし――
オノレはナニユエここまできたノカ?
オノレがなりたかったモノはすぐソコまできているダロウ?
ナニをタメラウヒツヨウがアル?
すーっと、立花の体から何かが抜けていく。
心がそれだけで楽になった。
そして――
立花は花を全て泥に帰した。
立花は城主についていく。
これから当主となる儀が執り行われる。
美姫と呼ばれた少女の傍には多くの女性が寄り添っている。
美姫は立花の顔を見た。
立花は息をのんだ。
美姫は笑顔だったのだ。
恨まれて仕方がないと思っていたのに。
仕方がないよ、と立花を許すように。
立花の胸はその笑顔を見た時からずっと軋んでいる。叫び声をあげている。
恨んでくれればどれだけ気が楽だっただろうか、と。
「それからわたしは知ったのだ。姫が城に捕らえられていると。この城が姫にとっての牢獄であることが」
立花はあの時と同じ場所に立っている。そこにはたった一輪の黄色い花が咲いていた。その花に背を向けて、望まぬ来訪者に相対していた。
「わたしは橘家当主、橘立花。橘家当主の名において不埒者たる貴様を切り捨てる!」
鬼のような来訪者は立花をバカにするように冷ややかな笑みを送った――
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