7. 緑子好感度アップ大作戦
「いやまあ、ラブコメの定番を忠実に再現してくれるのはいい。だがな……」
俺の下腹部には美姫の頭がある。気持ちよさそうに毛布にくるまりながら俺の下半身にしがみついている。
「でも、俺のテンションは朝からダダ下がりであった」
ダダとはダダイズムだ。覚えておけ。
どうして俺のテンションは下がっているのか。こういうのってテンション上がるもんなのでしょうと思ったあなた。幼女にしがみつかれて嬉しいと思うロリコンは多い。だがな。だがしかし。俺の大事な修道服と美姫の鼻の穴との間に光り輝く水晶でできた橋が生まれているのですよ。
「どうしたんですか?そんなに落ち込んで」
「いや、なんでもない」
昨日の農作業で汚れた上に幼女の鼻水に汚してもらえるなんて――サイコーだな!
「今度は急に踊り出しました」
「そうでもしないと現実逃避できないんだよ」
飯を食い終わった俺は村長の所へ行って新しい服を支給してもらえないか尋ねることにする。
そういや、服とかどこで手に入れているんだろうか?織物を作る装置は村にないから、市ででも仕入れているのか?
村長の家の前まで来た時に、中から何やら声が聞こえてきたので、耳を澄ましてみる。
この声は――緑子か?
「おじいさま。どうか、あの子にもっと食事と着るものを――」
「あのよそ者のことかのぉ」
やっぱ、なんだか食えないクソジジイだな。
「はい……」
だが、緑子はクソジジイの言葉を聞いただけで貝のように押し黙ってしまう。
「あれはどうもいいところの娘みたいじゃと思ってかくまっておったが、実際はどうなのかわかりはせん。下手をすればわしら村のものまでも被害に遭うかもしれんぞ」
「しかし……」
「食い扶持が増えるだけじゃ。殺してしまうかの」
「……っそれは!」
「なんじゃ?」
クソジジイの嘗め回すような気色の悪い声が聞こえてくる。
ホント、天然ナメクジやろうだな。
「オイオイオイ。穏やかじゃねえ話をしてるじゃねーか」
確かに、この国は昔食い扶持を減らすために――という話は都市伝説のように耳にするが、やっぱり穏やかじゃないわね。
「穏やかじゃないわね」
「どうして二度いう……?」
「穏やかじゃないわね」
なんとなくマイブームなんだよ。穏やかじゃないわね。
「何の用じゃ。鬼が」
「もっと可愛く呼んだらどうだ。フランちゃんとかな」
「気色悪いわ」
あ、やっぱ気色悪いんだね。俺の価値観が違ったわけではないようだ。
「俺はただ単にもっと動きやすい服を貰いに来たんだ」
「鬼が催促かの?」
「鬼は奪うものだろうが」
これは奪ってやろうかという脅しであるし、どうも頭のよさげなクソジジイはそのあたりを汲み取ったようだ。
「わしを襲えばただではおれんぞ」
「襲うつもりはねーが、どうも自信家のようだな。クソジジイ一人が殺されたくらいで村の人間が鬼に立ち向かうとでも?そんなに簡単に済めば桃太郎なんていらねーんだよ」
今度は老人が口をつぐむ番だった。
「俺もそこそこ役立ってるだろ。俺は別に追われてるわけじゃないからな。よそ者かお前の村のバカが漏らさねー限りは面倒ごとは起ねー。あと、飯にゃ困ってねーが、もっと鍋やら毛布をよこせ。布団はあるか?」
「そんなものはない。ぬしらの望むものを全て渡せば、この村の平均水準にまでなってしまうわい」
まあ、それほど裕福ではないとは分かっていたがな。
「どれだけ汚くてもいーから、服と毛布をもう一枚。それと、炭くらいはあるだろう?ちーとよこせ。火付け用くらいで構わない」
「ずいぶんと偉そうじゃな」
俺はクソジジイを黙って睨む。クソジジイは俺から目を逸らさずにじっと俺を睨んでいた。やっぱり、このジジイ、骨だけはしっかりしてやがる。あと10年は生きてるだろうな。
「あと、俺は血を見ると鬼に戻るんでな。美姫を殺しでもすると暴れて村人を皆殺しにするかもしれん」
俺はそう言ってジジイの家から出て行った。
内心、ちょっとイラッとしていた。
なんだかよく分からず、畑を耕した。あまり力を入れ過ぎると時間はかかるし、深く掘り過ぎてしまうので、なかなか力加減が難しい。力をセーブするにも力がいるのでなんだか矛盾しているようにも思える作業を午前中はこなした。
心なしか、村人が距離を取っているように見える。もう、朝のクソジジイとのあれこれが伝わっているようだった。
太陽が真上に来た頃、女たちが昼飯を持ってきた。
俺も休憩に入る。
「よう。フランちゃん」
「緑子か」
なだらかな斜面に座っていた俺の横に緑子が腰を掛ける。
「ほら。飯だ」
包みから出てきたのはおにぎりだった。
「これはお前が?」
「そんなに驚いた顔をするなよ……」
いや、だって、緑子が料理できるなんて思ってなかったからさ。
「失礼なこと考えてただろ」
「そうでもなかとですよ」
まさか、毒とか入ってたり……しても問題はないか。
「いただくぞ」
「ああ。たんと食え」
俺は握り飯を頬張る。
ご時世的に薄味なのは仕方がないが、白飯というのはやはりうまい。
「米はほとんど戦場に送られるから、農作業をしている男たちしか食えないんだ」
「盗み食いくらいしてるだろ」
「ま、ちょっとな」
緑子は嬉しそうに笑った。
「フランちゃん。今朝はありがとう」
「感謝なんてするなよ」
ツンデレとかそういう話でもなく、また、感謝されるほどのことをしたわけじゃない、とかいう義賊的な意味でもなかった。
「根本的な解決にはならねーだろ」
昨日今日のことを鑑みるに、やはり、緑子は美姫のことが心配なようだった。
「わたしが海に行っていた理由、知りたいって言ってただろ」
「ああ」
話を逸らされた気がするが、勇気が出ないのならば仕方がない。戦場に突然吹き飛ばされて今すぐ戦えなんてバカなことを俺は言うつもりはない。
「わたしはずっと考えていたんだ。海の外にはどんな国があるのかって」
「この時代の人間にそんな考えがあったなんてな」
新本という国が国ではなく、天下と呼ばれていた時代に海の外に国があるなど誰が信じていただろうか、みたいな設定だと思ってたんだがな。
「わたしはよくおつかいでふもとの市まで行くことがあったんだ。そこで時々海の外から来たっていうやつがいたからな。似たような顔なのに話す言葉が違うから驚いたよ」
まあ、新本語とは全く違う言葉ではあるだろう。この時代となると地方の人間でも月の言葉を話すかもしれないが。
「フランちゃん。フランちゃんは外の国から来たんだろ?」
「まあ、そういうことになるか」
「外の国ってのはどんな具合だ?いいところか?」
「なんとも言えんな。いいところかどうかなんて人の価値観による」
「難しいことを言うな。じゃあ、簡単に聞く。外の世界には身分が違っても仲良くなることができる国があるのかな」
「……」
俺は溜息を吐く。
呆れてしまったからだ。
「今はまだ、ない、な。お前が海を眺めていたのはそんなつまらないことなのか」
「そうだよな。つまらないよな」
別に緑子の気持ちをバカにするつもりはない。
「お前は何を恐れているんだ?美姫とお前が村の中では仲良くできないことか?それとも、美姫が遠い存在になることか?」
「どっちもだよ」
なるほど、と俺は思う。
でもまあ、杞憂だろうな。
「俺に言えることはただ一つだ。いついかなる時も人間は二つの選択肢を強いられる。世界を変えるか、自分が変わるか。夢に破れて自分を変えるのはいい。挑戦する前から諦めたっていい。だがな、ありもしないものを望むのは間違っている。いや、望むこと自体は間違ってはいない。ただ、望むばかりで世界を変えようともせず、超常の力を求め、幻想の世界へと潜り込むのは間違っている」
「じゃあ、わたしはどうすればいい」
「そんなこと、自分で決めろ」
俺は厳しいのかもしれない。
けれど、世界を変えるためにはそれほどまでの決意が必要なんだ。
俺には分かっている。緑子が決して夢を諦めないことを。
「ったく、女の子にはもっとやさしくしろよ」
「お前がそんなタマかよ」
緑子は清々しそうに立ち上がった。
「わしだって女の子じゃき。ちーとはあまえとうなるんじゃで」
俺は鼻で笑っておく。
甘やかすのは趣味じゃないんでね。
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