2 浦島太郎







「俺は学んだぞ。人は何も食わずには生きていけないということを」


 決してあの幼女に誘惑されたのではない。食事というものに誘惑されただけである。


「いや、これもまた言い訳がましいわけだな」


 とはいえ、村とはどこなのだろうか。


 海岸線をずっと歩いているが、村らしきものは見当たらない。


「俺はバカか」


 一時間以上何をしていたのか、と嘆く。


 砂浜の景色の美しさと空腹による頭の回転の悪さで一時間も無駄にしてしまった。


「海沿いに村なんてある訳がない」


 こんな舗装もされていない海の近くに村を構えるなど、自殺に等しい。きっと、山の中か、少し離れた場所にあるはずである。


「もう少し突き詰めると、川があった方がいい」


 農耕のためには川は必須であり、古来より人間は川とともに生きてきた。かの古代文明が始まったのも川からだった。


「古代文明、か」


 だが、川を探すとなると、河口が必要である。となると、浜辺を歩いていた俺は正解だったのかもしれない。だが。だがしかし、である。いつまで歩いていれば俺は川にたどりつけるのか。


「やーいっ!やいやい!」


「うほっ!うほうほ!」


「キャッキャウフフ!」


 俺の視線の先に三人ほどの子どもが映る。先ほどの幼女と同じくらいか。肉体もそうだが、精神年齢も同じくらいだろう。


 ガキどもは浜辺で騒いでいる。


 ガキどもの足元には、大きな黒い物体が。


「あれはカメ。それもウミガメだな」


 今や?絶滅の危機に瀕しているとさえ言われているウミガメを子どもたちはおもちゃにしているようだった。


 足で蹴り飛ばしたり、枝で甲羅の中をつついたりしている。


「これは、許すまじというものですな」


 まさかの、ウラシマキターー!


 でも、俺はカメを助けない。だって、お腹減ってるんだもの。


「おい!お前ら!何してる!」


 おおっ。


 どうやら本物の浦島太郎が現れたようだった。でも、浦島太郎ってフィクションじゃなかったっけ?


「コイツはワシの獲物じゃ!」


 ボーイソプラノが響き渡る。


 腰にエサの入った笹籠を吊った、村人な恰好。肩には釣竿を担ぎ、伸びた髪を後ろで一まとめに結っている。


 って、あれ?


 アイツ、さっき、獲物って言ったか?


「カメは高値で売れるんだ。キズモノにするんじゃねえ!」


「鬼畜か!それとも反社会勢力か!」


 カメのべっ甲を売るとなると、当然、裏ルートとなる。


「誰じゃ!」


 浦島太郎が俺を睨む。


 男にしては意外と綺麗な顔つき。顔が垢で汚れてなければ立派な男の娘だ。


「うわっ!鬼だ!」


「鬼畜だぁ!」


「逃げろ!」


 いや、鬼畜はアンタらの傍にいる浦島太郎だよ、ガキども。


 ガキどもは俺に恐れをなして、一目散に逃げ出す。


「ったく、度胸がねえなぁ」


 男は度胸、女は愛嬌って聞いてたんだが、話が違うわな。


「な、なんじゃ。鬼がしゃべった」


 そうか。鬼とはしゃべらないものなのか。


 はてさて。どうするべきか。


「ワタクシはペリーです。クロフネでエドをオドシにキマシタ!」


 ジャパニーズギャグの炸裂である。


 カタカナのところは英語っぽく。


「な、なんじゃ、お前!来るな!こっちに来るな!」


 おお!?これは俺に本気でビビっている。なんだかうれしい。


 それに、このまま上手くいけば、カメも助けられるぞ。


「やめろ!来るな!近づくな!来ないで……お願いだから……」


 あれ?急に声が高くなって、女の子みたいな子になったぞ?それに、今にも泣きそうで。これはもしや……?


「お前、もしかして」


 バタリ。


 俺の声を顔面いっぱいに浴びた浦島太郎はそのまま倒れてしまった。




 浦島太郎の脇を蟹が通り過ぎていった。


 すごいな。海にも蟹がいるのか。サワガニっぽいやつが。蟹は泡を吹きながら通り過ぎていく。そして、その傍の浦島太郎もまた、泡を吹いていた。


「泡吹いてるやつをどう治せばいいのか分からん」


 まさか人工呼吸で治るわけあるまい。


 ちょっとだけ浦島太郎の唇を眺めてしまう。意外と柔らかそうだと思った。


 サワガニがまた通り抜け、また別のサワガニが通り抜け、浦島太郎がサワガニのように泡を吹き、を繰り返して数回、とうとう浦島太郎が目を覚ます。


「よぉ、浦島さん」


「お、おおお、おま、おまえまえまえわわわわっ!」


 また気絶しそうな勢いでどもっていた。


 俺がこのまま「鬼です」とでも言おうものなら、また気絶するだろう。


 ……


 面白そうだな。やってみようか。


 しかし、お腹と相談して、断念する。


「俺は人間だ」


「騙そうったって、そうは問屋が落とさないよ!」


 問屋、あるのかよ。


「そんな真っ白な肌に、変な色の目をしてるやつが、人間なわけがない!あと、髪の毛も変!」


 そりゃそうだろうよ。西洋人だし。


「でも、言葉を話せてるだろう?大丈夫だ。お前を取って食ったりしない」


 と、言った傍から名案が。


「食い物をよこさないとお前を食うぞ!」


 ちょっと凄味を聞かせる。


「さっき、食わないって言ったのに……」


 なんだか恐怖の目から胡散臭い目に変わったみたいだった。


「なるほど。どうもおまんは人間のようじゃの」


「急に口調変えるなよ。びっくりするだろ!」


「急に大声出すな!びっくりするじゃろ!」


 どうもお互い様のようだった。


「どうも人間臭いおまんはこんなところでなにしとる?泳ぐんこ?」


「もう、水は十分だ」


 俺は船から落とされて、こんな所まで流されてきたんだ。もう、水は十分だ。


「そうか」


 浦島太郎は立ち上がり、ウミガメのもとへと歩んでいく。


「お前、そいつを売るのか?」


 陸に上がっているせいなのか、ウミガメはピクリとも動かない。


「カメは高値で売れる」


「でも、可哀想じゃないか」


 少しもそうは思っていないが、価値あるものが失われるのはちょっと残念だった。


「可哀想か」


 ガハガハと浦島太郎は豪快に笑う。


「そんなんじゃ生きていけんぜよ。命を奪って命を長らえる。それが人間じゃき」


 浦島太郎の目は笑っていなかった。


「それに、コイツはとっくに死んどーと」


「そうなのか」


 死んでしまったらどうしようもない。スープにするなり、甲羅を加工するなりしておくれ。


「しかしまあ、おまんには迷惑をかけたようじゃの……わたしが気絶している間に変なことしてないよね」


 急に口調が標準語になる。いや、方言っぽいのもなんだか適当だし。ここ、高知じゃないですよ。


 俺は素直に首を振る。もちろん横に。


「変なところ、触ってないよね」


 よっぽど信用されていないと見える。


「変な所とはどこのことかな?」


 俺は悪戯っぽく尋ねてみる。


「~~~!」


 浦島太郎は赤面してしまった。


 釣竿を太刀のように構えている。


「待て待て。こちらとな、四日間も何も食べていないんだ。そういう気分じゃないし、そもそも、もうちょっと成長してから言え」


 確かに、貧乳は素晴らしい。巨乳が栄える昨今、貧乳は選ばれしもののみが手にできる宝物なのである。


 だが――流石に子どもはな。


 浦島太郎はさきほどの謎の幼女よりは成長しているものの、あどけなさが残るというか、やっぱりあどけない。もしかしたら、あの幼女と齢自体は変わらないかもしれない。


「わたしの名前は緑子だ。覚えておけ!」


 いや、思いっきり記憶を飛ばしに来てません!?


 緑子は俺を狙って釣竿を振り回し続けた。




 俺は緑子の命の恩人であると説得して、なんとか逆鱗を鎮める。


 まあ、緑子が気絶した理由はもちろん俺にある訳だが、世の中、都合がいいことは都合よく利用させてもらおう。


「すまないな。カメの甲羅を背負わせて」


「ソ、ソデスネー」


 緑子を気絶させた原因は俺にもあるので、カメの甲羅くらいは持つと言ってはや一時間以上。もう、二時間は経っているんじゃないだろうか。


 その間、ずっと俺は山道を歩いている。だんだん山の奥に連れ込まれていくわけだが、一体コイツ、どこに住んでるんだ?


「というか、マジドラゴンボール気分なんですけど……」


 カメの甲羅なんて重くないだろう、マリオも投げていることだし、と気楽に考えていたが、死ぬほど重い。コイツ、こんなのをどうやって持って帰るつもりだったんだ?


「なにをごちゃごちゃ言っている?さては、またいやらしい目でわたしを――」


「そういうのを自意識過剰というんだ。知ってるか?」


 緑子は風のような回し蹴りを放つ。


 しかし、俺は背中のカメの甲羅でブロックする。


 流石、るろ剣で唯一出た防具。その性能は伊達じゃない。


「くっ。おぬし、やるなっ」


「口調は一定にしておいた方がいいぞ。この後、続々キャラが出てくるだろうから」


「そうこうしているうちに村についた」


「なんだか、感動がない到着だな!」


 俺としてはこんなところで立ち話というのもなんだからな。


 家でゆっくりしよう。


「まるでお前の家のようだな。まさか、家に――」


「被害妄想が過ぎる!」


 まだガキだろが!


「そう言えば」


 緑子は少しかしこまって、俺に言う。


「お前の名前を聞いとらんかった。教えてくれんかのお」


 なんだか、ポケモンみたいだな。物忘れの激しい爺さんだぜ。


「俺の名前を言ってみろ!」


「急にどうしたんだ!?」


 世紀末ごっこだよ。時々叫びたくなるじゃん?


「俺はフランチェン。フランチェン・シグノマイヤーだ」


「ふ、フランちゃん?苗字があるということは、武家か公家か?」


 確かに、俺の家は今は落ちぶれているものの、昔はそこそこ活躍した一族らしい。


「だから、フランちゃん言うなよ!」


 この国の人間にはそう聞こえるのか。


「なんじゃ、フランちゃん。照れておるのか?」


「ちがーわいっ!」


 この際、ちゃん付けだろうとどうだろうとどうでもいい。


「それより、飯」


「お前は亭主か。はっ――」


「もうええわい!ラーメンセット一つ」


「らーめん?もしかしてエロいなにかなのか!?」


「俺が犯罪者扱いされるから、エロから離れろ」


 ちゅーか、エロなんて言葉、あったのかよ。


「それより、飯だな。待っていろ。何か持ってくる」


 緑子は甲羅をひょいと受け取った。


 軽々と持ちやがったぜ、コイツ。亀仙人か。


「くれぐれも、村の中に入るなよ。わしはじいちゃんと村の人を説得してくるから。それでもしばらく村の外かもしれんが、我慢してくれ」


 俺は頷く。


飯さえ食えればそれでいい。人間の尊厳など気にはしない。


 緑子は俺が頷くのを見ると、安心したように去っていった。




 森はそれ自体が生き物のように輝いていた。鼻を突き抜ける新鮮な香りからも生命の若々しさを感じ取ることができる。


 結局のところはただのド田舎で、急に獣に襲われても文句は言えない状況なのだが、襲われない限りはこういう自然も悪くはない。


 近くに滝でもあるのか、マイナスイオンを発生させていそうな音が響いてくる。となると、近くに川もあるはずだ。だからと言って川遊びをするという話でもない。


 頬を濡らす水分が心地いいといったくらいだろう。伸びきった髭に湿気がまとわりつく。


「あれ?フランちゃん?」


 先ほどの緑子とは違い、あどけなさの残るどころか、思いっきり幼稚で知性の欠片も残ってはいない声が響く。


「この声。お前はまさか!?」


 俺の目の前に現れたそれは――




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