第101話 のろまな亀の出航

『気球を武器にするだって!?』


 長距離通信用の水晶の向こう側で、ケイン先生が悲鳴にも似た甲高い声で叫んでいた。彼の後ろで作業を進めている部下たちは何事だと言わんばかりに視線を向けているのがわかる。

 ケイン先生は現在、マッケンジー領の工房であれやこれやと作業をしている。今では技術顧問のような立場にいて、欠かせない人材の一人だった。


「そうです。なので、熱に強い繊維……タフタなどを大至急準備してほしいんです。もう最悪、羊皮でも良いですし、薄い紙でもいいんです。とにかく、今から私が言うものを準備してください。時間はありません。コスタのお尻を蹴飛ばしてかき集めさせて、錬金術師たちも総動員です。それと……」


 気球の材料をかき集めさせて、即席でもなんでもいいから準備させる。もはや試作も何もあったものじゃない。とにかく形を作り、とにかく空が飛べることを実証し、とにかく実戦投入。

 常識では考えられないことを私はしようとしている。

 ある意味では悪名高い特攻兵器の製作にも似た状況だった。


『イスズ、君の話はわかったが、危険すぎやしないか!?』

「戦争です。危険など当たり前です。ですが、やらねば同盟国は潰え、サルバトーレも窮地に陥ります」

『しかし、その、敵が強大であるのはわかるが、ダウ・ルーは我が大陸最強の海軍をもって』

「敵は、海を越えるのですよ。それに、この強気な宣戦布告。連中は、勝てると見込んで攻めてきたんです……!」

『君の、本当のご両親の事は聞いた。ドウレブの事も……奴らが情報を流していたんだね?』

「でしょうね。皇国での地位を約束されて、そんなウソに騙されていたんでしょう。そんなことはどうでもいいんです」


 おそらく、裏切者はサルバトーレだけではないはず。大陸各国に連中のスパイ、内通者がいるはずだ。だけど、連中も今頃は顔を青くしているかもしれない。なんせ、同じくスパイをしていたはずの夫婦が目の前で斬殺でもされれば、今後の自分たちの立場を考えることだろう。

 自分たちが流した情報で、自分たちが死ぬかもしれない。自業自得ね。だけど、そんな彼らでも予想できなかったことはあるはず。

 それが私の存在だろう。


「連中は鉄鋼戦艦の事を知らない。知っていても、詳細までは不明でしょう。なにより気球のことなど寝耳に水のはず。徹底した情報統制、そしてつい今しがた許可を受けた作戦ですもの。逆を言えば、それが私たちの強みです。それをさらに補強したいのですわ」

『わ、わかったよ。できるだけ、やってみる。だが、どう急ピッチで進んでも二日はかかる。本当なら一週間以上の準備が欲しいのだが』

「お金を積めば実験に協力してくれる命知らずは多いはずよ。最悪、無人でもいいの。お願い、やって」


 これだけは切実な願いだったから。

 それまでの間、果たしてダウ・ルーが敵を海上に抑え込めるかどうかは、ちょっと賭けになるのだけど。


「イスズ!」


 そんな時だ。

 アルバートが息を切らしながら駆け込んできた。


「先生、通信を切ります。どうしたの?」

「キリングス陛下が鉄鋼戦艦の出陣を要請された」

「今から!? もう少し伏せるのではなくて?」


 確かそんなことを言っていたような気がするんだけど!?


「敵の威勢を挫くとのことだ。温存して、結局使いませんでしたでは話にならんということだ。そこで、俺と父上が鉄鋼戦艦を任されることになった」

「どういうこと? あなたたちは海運業者ではあるけど、海軍ではないはずだわ」

「馬鹿を言え。貴族たるもの、王からの要請があれば将兵として馳せ参じる。それに、父上は元海軍だ」

「言っておくけど、どうなっても知らないわよ。それで、グレースには伝えたの?」

「人妻にそんなことできるか。それより、もしもの場合は、お前たちはいつでも国から出られるようにしておけ」

「馬鹿言わないでよ、誰があの船を整備できると思ってるの。内部の蒸気機関はうちのスタッフじゃないと無理よ。あんたたちの国じゃまだノウハウがないでしょうが。それよりも、壊したらあんたたちの家から補填してもらうから」

「がめつい女め。とにかく、伝えるだけはした。あとの動きはそっちで考えてくれ。ではな!」


 慌ただしく状況が動こうとしていた。


***


 それから三時間後の事だった。

 鉄鋼戦艦は仮名称としてクンク・タートルという名が与えられて、ろくなテストもしないまま初の航海にして実戦に投入されることとなった。巨大な鉄の塊が海に浮き、蒸気と轟音を出しながら進んでいく姿は、多くのダウ・ルー国民を驚かせたことだろう。

 原理を知らない人たちからすればまるで巨大な生物が鎧をまとっているように見えたらしく、シードラゴンだとかリヴァイアサンだとか色々と叫んでいるらしい。

 鉄鋼戦艦に搭載された大砲は従来のもので、火力だけの話を持ち出すと実は他と大差ない。唯一の利点は堅牢な防御力と蒸気機関による加速性能だけだ。風がなくとも、あの船は動く。

 外輪を破壊されない限りは突き進む。その外輪も装甲で蓋をするようにカバーされ、へしゃげでもしない限りは問題なく稼働することだろう。

 あとは、錬鉄装甲が果たしてどこまで敵の大砲に耐えられるか。そして、撃沈されることなく戻ってこれるのか。

 こればかりは祈るしかない。

 多くの国民が見守る中、クンク・タートル、のろまな奴というなかなかに酷い名前を付けられた鉄鋼戦艦が進んでいく。


「母上、ケイン先生から連絡がありました」


 出航を見送る途中、アザリーが水晶をもってやってくる。


「準備が整ったそうです」

「そう。ならば始めるわよ。あなたの復讐もね」

「はい。できるなら、この場で身分を明かし、鉄鋼戦艦に乗り込みたいところでしたが……」

「出番はまだあるわ……さぁ、始めるわよ。人類は、ついに空をも手にすると、理解させるの」


 

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