第81話 パックス・サルバトーレ

 ワット式蒸気機関の一号機が完成して三日後、私は早速それを使っての実験を行うことを決定した。一度、二度の起動だけで完璧とはいいがたいからね。

 実験を行う為、工房周囲の火はすべて落とし、従業員及び、周辺の住民には避難をしてもらっている。


 同時にこういう時のための魔法使いということで領内の魔法使いはほとんどをかき集めて万が一に備えさせた。

 本当はよその広い土地で実験をしたかったけど、一度分解して、もう一度組み立てるという作業がきつい。

 何より、やっと完成した代物だから、それで壊れたりするのが怖かった。

 実験に失敗して壊れたならまだしも。


「さぁ、大掛かりよ! みんな、事故には気を付けて頂戴ね! これからやることは相応の危険も伴うことよ! 治癒魔法が使える人たちは安全区域に待機! 命知らずたちは細心の注意を払って機材を動かして!」


 蒸気機関工房は大慌て。近くにある小銃研究工房に至っては火薬類の類をすべて別の場所に移動させた。もとより、別の地帯に工場を構えさせる予定だったからちょうどよかった。

 私はとにかく従業員たちに細かく指示を出し続ける。工房内は蒸気のせいか、蒸し暑く、私はたいして動いてもいないのに汗だらけ。

 各員も同じ状態だ。もしもに備えて交代要員も用意してある。


「注水状況は!」


 私は、私の目の前を横切ろうとした従業員の首根っこをつかむ。

 彼は一瞬、怪訝そうな顔をしたが、私だと気がつくとすぐさま姿勢を正した。


「半分といったところです!」

「何のために魔法使ってるの! 踏ん張らせて!」

「ハァーッ!」


 きびきびとした礼をしながら、彼は言われた通りのことを行う。

 蒸気機関に必要なのは極端な話が、水だ。都市部に水を引くには膨大な工事がかかる。もちろん、それは行ってはいるし、サルバトーレは水路が整備された、ある意味では古代ローマ並みの建築技術はある。

 だけど今回の実験に使うには少々もの足りない。何より領民の生活水でもあるから、独占も出来ないのだ。工場の稼働に使う分の水は確保できても、今回は万が一の事故を防ぐため、シャットアウトしている。

 なので、私は魔法使いたちの中から、水を出すことができるものたちに給水機の代わりをさせていた。

 魔法も使いようてわけよ。


「石炭の準備! ボイラー内部は正常かしら?」

「ハッ! 埃一つもございません! いつでも稼働可能です!」

「よろしい。シリンダーの調子は!」

「雑音も聞こえません。正常です」

「よし。念のため、もう一度チェックよ。気にしすぎて損はないわ」


 これから行うのはちょっとした起動実験ではなく、全力稼働実験。まぁいわば耐久限界を調べたいのだ。おおよそ、どれぐらいの連蔵稼働が可能か、稼働した場合、どの部位の消耗が多いか。それらをチェックすることで、今後の量産体制の糧になる。


「みんな聞いて。この蒸気機関開発が成功したら、私たちの生活は大きく変わるわ。でも安心なさい。機械ができて、人の代わりをしようとも、あなたたちの仕事はなくならないわ。むしろ忙しくなるわよ。機械は疲れ知らずだけど、壊れやすい。そして作るのも、動かすのも専門的な知識が必要となる。あなたたちはプロフェッショナルとなるの。その自信と責任を胸に刻みなさい!」


 私の言葉に周囲の者たちが一斉に返事をする。

 みな、今から行うことの重要性に気が付いているというわけだ。

 これは間違いなく、歴史を動かす発明となる。一足早い蒸気文明の訪れ。その産声が果たして換気に包まれるのか、悲鳴になるのかはわからない。

 そして何より、私は間違いなく、土地をむしばむ存在になるでしょうね。

 そこを、どう折り合いをつけていくのかが、今後の課題になるかもだけど。 

 なにより、燃料さえ与えれば稼働し続けるエンジンを手に入れるということは、この世界の、他のどこの国よりも未来を走る。上に立てているということになる。


「マへリ……イスズ様、そろそろ結界までお下がりください」

「先生」


 一応、現場の中心人物ということになるケイン先生が完全防備な姿で現れる。長袖に、軽装だけど鎧を身に着けている。防護服の代わりである。ボイラーの爆発事後をその程度で防げるとは思えないけど、まぁないよりはましだろう。


「責任者に何かあると計画が立ち行かなくなる。設計図なんかはまとめてある。君は早く下がりなさい」

「えぇ、そうさせてもらいます」


 普通、こういう場合なら私も現場に付き合うとかいうべきかもしれないけど、そうもいかない。私は技術屋じゃなくて、それを扱う立場の人間だから。現場至上主義じゃない。なんて言ってるけど、他の事では毎回現場まで引っ張られてる気がする。


「成功して頂戴よ。そうなれば、王家からも資金援助とかもらえるんだから」


 とりあえず、私は先生にそういって、安全区域に下がっていった。


***


「よう、ついにというべきだな」


 結界まで下がると、アベルがラウ……いえ、アザリーを連れてやってきた。

 アベルの方は領民たちの避難を担当してくれていた。こういう時、炭鉱夫たちは頼りになる。こういった現場には慣れているし、危機管理能力が他よりも高い。命がけの仕事をしていた人たちというのはそれだけ、他とは違う。

 ベルケイドたち騎士団は領地外部の警護に当たっている。ないとは思うけど、万が一、どこぞのバカがこの隙を狙ってくるとも限らないし。


「蒸気機関。俺には想像もつかねぇが、こいつが完成するとでけぇ仕事がはかどるんだろ?」

「準備期間は必要だけどね。資源確保、開発、運搬、設置……費用経費その他もろもろ。計算しなきゃならないことがいっぱい。でも、間違いなく、サルバトーレは大きくなるわ。保障する」

「ほーん、なんだかよくわからねぇところまで来ちまったなぁ」

「何言ってんの、これからよ。蒸気機関を量産して、あちこちで稼働させるようにしなきゃ。動力としての転用だって続けないと。まだ終わらないわよ。私たち人間の進歩はね」

「恐れ入るよ全く。お前にゃ、この先の世界が見えてるのか?」

「イメージはね。でも、実際にその通りになるとは思えないわ」


 この世界には魔法があるからね。

 蒸気機関の理論が実現した今、それこそファンタジーな魔法動力だって生まれるかもしれない。それが現実世界との大きな違い。こればかりは、私にも未来を想像することはできないし。


「母上は凄いのですね。こんなもの、私たちでは考えられなかった」


 ラウは結界の内側から見聞きできる工房内の様子を眺めながらつぶやく。

 彼も、もう何度も見ているはずの蒸気機関。だけど、今までとは雰囲気が違うことを感じ取っているのだろう。


「いいえ、違うわアザリー」


 周囲の目もあるので、ラウのことはアザリー呼び。


「これは、いずれ人類が到達する技術なの。それだけの話よ」


 それを、ちょっと先にお借りしただけ。


「さぁ、二人とも祈っていてよ。これが成功すれば、私たちの地位はゆるぎないものになる。サルバトーレが世界の覇権を握れる日も近いわよ」


 もとより、私はこの国にはかつてのヴィクトリア朝を目指してもらいたいしね。

 世界の工場と呼ばれ、パックスブリタニカを掲げていた黄金時代。

 この世界においてはパックス・サルバトーレというべきかしら。

 平和を意味するパックス。そしてサルバトーレとは私たちの世界では救世主の意味。救世主による平和。う~んいい響きね。


「パックス・サルバトーレ。いい言葉じゃない。この国にはぜひとも、大帝国になってもらわなくちゃね?」

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