第80話 異世界に響く蒸気の音

 蒸気機関と一口に言っても時代や種類が様々ある。実用化されたものを上げていけば、ニューコメンの蒸気機関。性能だけを言えば、効率が悪く石炭を大量に消費するのだけど、それでも数多くが作られて十八世紀のヨーロッパ諸国を支えた。

 実際、これの普及がなかったら蒸気機関の技術は廃れていたと思う。

 何より、人力では重労働だった作業を疲れ知らずの機械が行うのだから、それは画期的な発明だった。


 その次に、ニューコメンの効率の悪さを改善して、さらに上下のみの往復運動だけじゃなく、回転式の動力に発展したワットの蒸気機関だ。これによって蒸気機関は産業革命の一歩を進んだ。

 問題点としてはやはりボイラーの爆発事故だけど、こればかりはどうしても付きまとう問題であり、宿命だ。


 その後、何十年かしてワットの蒸気機関をさらに発展させた高圧蒸気機関が誕生する。高圧蒸気の理論はワットが存命の頃からすでに存在していたのだけど、危険性を恐れてワットがそれを許さなかった。

 彼による特許が失効した瞬間には、今まで抑えられていた高圧蒸気技術があっという間に拡散。


 さて、これらの歴史の中で、私がまず実現したいのは何よりもワットの蒸気機関だ。これを普及させたうえで、高圧蒸気機関の開発にも着手させたい所だけど、まずはこれ。

 なんだかんだと現状で再現できる蒸気機関はこれぐらいだろうし、いきなりとびぬけさせすぎるのは、それこそ危険が多い。

 そして、乗り物の動力としてかろうじて利用できるギリギリの発明という部分が大きい。

 とはいえ、間違いなく事故は起こるだろう。でもそれを恐れていちゃ発展も何もない。それに、蒸気機関の発明はさらに炭鉱の開発にだって貢献できる。一度にたくさんの鉱石が運べるようになるし、山の切り崩しだって早くなる。単純に、作業効率が上昇するし、石炭の需要も上がる。

 そしてサルバトーレの石炭の大半を握るのは私たち。まぁ、簡単に言えばお金が手に入る。捕らぬ狸の皮算用とは思うけど、決して不可能ではない。


「──それで、先生。完成のめどはどうです?」


 ケイン先生の協力を得られたことは本当に僥倖だった。

 もともと、それらを実現させようとしていた人だったということも手伝ってか、蒸気機関の理論は固まりつつある。あとは実物を作って、何度かのテストを行うことになるのだけど、それでも飛躍的な前進を遂げた。

 とにかくワット式の蒸気機関を実用化させることが出来れば大きなアドバンテージになる。

 乱暴な話、蒸気機関で動く鉄の塊があるだけでも作業は楽になる。

 まぁ、本格的かつ安定した実用性には欠けるだろうけど……


「基本的に、残すところは実機の耐久性ぐらいだ。こればかりは、徐々に、徐々に形を作り上げるしかない。僕としては君たちが作り上げたこの基本構造の蒸気機関だけでも十分に実用可能だと思っているけれどね」


 先生が言うのはニューコメン型の事だろう。実際、これも実用化は考えずに、実験及び実証の為には研究させていた。ゲヒルトの来訪の際に見せたのがそれである。


「水を熱すれば蒸気が湧き上がる。この蒸気には、僕たちが想像する以上のパワーが秘められていることは分かっていた。過去、大きな戦いの中で、水と炎の魔法が衝突した際に膨大なエネルギーが発生したという文献もある。ある時期の魔法使いたちはこれを最大の兵器として利用しようとしたが、非常に危険で、むしろ失敗しか起きなかった。なので、禁忌の魔法ということで封印されてしまったんだ。ちなみに、この魔法による被害規模はすさまじく当時戦場なった山が更地に──」

「先生、話がそれています」


 ついでに、この先生。

 興味のあることはどうやら早口になるようだった。まぁ、そりゃ、マへリア的にはマイナス印象でしょうね。ようはぶつぶつと急に独り言を始めるわけだし。

 でもその気持ち、わからなくはない。私もマニアの一人だしね。

 

「ん、あぁ、すまない。だけどね、マへリア。これは本当に画期的で、世紀の発明になるんだよ。僕たちの身の回りにある些細なものが、とてつもない力を発揮する。これは、魔法以上に素晴らしいことなんだよ」


 まぁ、現実世界だと魔法も何もなかったせいで、それを頼るしかなかったんだけどね。


「まぁ、とにかく。研究は順調なようで何よりです。また、何か足りなくなればおっしゃってください。私は、協力を惜しみませんので」

「それは、ありがたいことだが……マへリア、君は、本当に変わったのだな」

「いろいろありましたので。あと、私はマへリアではありません。イスズです」

「あぁ、すまない……慣れないな……君は、マへリアじゃなくてイスズとなり、そいてハイカルンの王子、ラウ様は、アザリーという少女を名乗り……わけがわからなくなってくる……」


 先生が私に協力してくれる決め手となったのは間違いなくラウの存在があるからだ。ある意味でグレース並みにお人好しな人なようだし。科学の研究をしているのも、国民に幸せになってもらいたいという部分が最も強い。

 技術は人を幸せにするものだから、それを追求し続けるのだとか。


「あら、物事はとても単純ですわ。私たちの国を狙う敵がいる。私たちはそれを迎え撃たなければならない。それだけの話です。そのために、私は山を掘り、鉄を作り、そして今まさに蒸気機関を作ろうとしている。先生にしてみれば、納得のいかないことでしょうけど」

「戦争の道具に使われるのは、確かに嫌だ……」

「でも、遅かれ早かれそうなることです」


 今後一切、戦争なんて起きませんとは口が裂けても言えない。

 理由はなんであれ、絶対に、争いは起きるわ。でも、そうなったとき、何とかするには結局力がないといけないわけだし、この国にはそうなってもらわないといけない。

 なぜかって? そりゃ、私が今生きている国だからよ。あとはそうね、顔見知りがいるから、ぐらいかしら。

 そういう立場になってしまったから、それを守りたいだけ。私たちを頼ってくるから、それにこたえてあげるだけ。

 まぁ一番の理由は……皇国とやらが私の癇に障ったから。


「先生、私、一発殴られたら、やり返さないと気が済まない性格なんです」

「ど、どうした、急に。それは知っている。君はそういう性格だった。プライドが高かったからね」

「それだけじゃありませんよ。敵は卑劣にもだまし討ちを狙い、漁夫の利を狙い、いまだに直接的な武力で攻め込んですらいません。関与しているだけで、知らぬ存ぜぬを通されればそれまでです。こんな後ろから手ぐすねを引くような卑怯者に嘲笑われるのって、耐えられないと思いませんか?」


 言ってて気が付く。これ、私も同じじゃないか。

 あぁ、わかった。これ、同族嫌悪なんだ。なぁんだ、簡単なことじゃない。


「私も似たようなものですけど、やられたら、非常に、頭にくるわ。えぇ、好き勝手やって、国を滅ぼして、毒を垂れ流して。戦争とはいえ、踏み越えちゃいけないラインってのがあります。こういう手合いは、一度、痛い目を見るべきよ。そう、私のようにね?」

「ま、マへリア……?」

「ですから先生、ぜひとも蒸気機関を完成させてください。動力というものは、それがあるだけで力になります。工業力を見せつけてやるんです。そして……産業革命を起こすのですよ。そうすれば、この国は……世界を取れる」


 それぐらいはしてくれなきゃ困るのよね。

 それぐらい、安定してくれなきゃ困るのよ。

 まだラジオすらも実現できていないのだから。せめて、無線で音楽ぐらいは聴きたいじゃない。

 私は立ち上がり、先生の手を取る。


「ですから、先生。ぜひともその頭脳で、協力してください。さすれば、あなたは、歴史に名を残す」

「き、君は、いったい……何が見えているんだ」

「素晴らしい世界よ、先生。きっと、グレースも喜ぶ」


 別に、嘘は言っていないわ。

 

***


 それから、一か月後の事である。

 先生より連絡があった。ワット式の蒸気機関、その一号機が完成をしたという報告だった。

 それと同時に甲高い音が響き渡る。

 それは、吹き出す蒸気が笛を鳴らしている音。蒸気の音だ。動作確認のために備え付けさせた笛の甲高い音がマッケンジー領に響き渡る。

 それこそ、この世界の、革新の音だった。


「さぁ、次は、実用化実験ね。蒸気船ぐらいは実現しなくちゃね。それに、次は小銃、鉄鋼船……これも、国のため、そして私のためよ」


 産業革命が訪れれば、この世界はもっと住みやすくなる。

 でも気を付けなくちゃいけない。ここで調子に乗れば痛い目を見る。慎重にならなくちゃ。

 だって、この国、二度も裏切り者を出しているわけだしね?

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