第2話発砲
ダァーンと鼓膜が破裂しそうな音が響いた。
長谷川は飛び起きて耳を押さえ、周囲を見ると灰色のコンクリートが目の前にあった。
左右も同じ色だ。トイレと布団。そしてノートパソコンが置いてある。
「え?」
自分の置かれた状況がわからず、彼は夢を見ているのかと思った。
当然だがそこは自分の部屋ではない。
「おはようございます、長谷川さん」
背後から声をかけられ、人生で最も早く振り向くと美和が立っていた。
彼女の表情は明るい。その耳にはイヤーマフがついており、手にはライフルが握られていること、そしてお互いの間が鉄格子で隔てられていることを除けば相変わらず惚れ惚れする美しさだ。
自分は狭い鉄格子のある部屋に監禁されていた。
「昨夜も言いましたが、1日1万字の小説を書いてください」
「は?」
「1日1万字書くんですよ。このイラストをテーマにしてください。書けなかったら殺していいという約束でしたよね?長谷川さんならきっとできます」
美和は馬に乗った騎士のイラストを鉄格子の隙間から差し込んだ。
待ってくれ。
そう言おうとしたが彼女の持つライフルが恐ろしくて舌が動かなかった。
さっきの轟音はもちろんこのライフルを発射したのだろう。火薬の音と匂いがする。
「朝ごはんをどうぞ」
彼女が檻の前に何かが入った白いビニル袋を置いた。
そこには全国にある有名なコンビニのロゴが印刷されている。
「あの……」
「お昼もそこに入っています。夕方にまた来ます」
そう言うと彼女は去っていった。
私が途方に暮れていると右側のどこかでガシャンと扉が閉じる音がした。
それから5分後、彼はやっと常識を取り戻して絶叫した。
「出してくれーーー!誰かーー!」
いくら叫んでもどうしようもない。
叫びつかれた頃に檻の前のコンビニの袋が気になって開けると牛乳とクリームパンが入っていた。変なものが混ぜられている可能性を考えると口をつける勇気はない。
しかし、長谷川は朝食を必ず食べる習慣なので空腹に耐えられなくなって少しだけ口にした。甘いクリームとパンの匂いが唾液をあふれさせ、一噛みすると濃いクリームの味が口いっぱいに広がった。
(1日1万字書けって……そう言ったよな?)
彼は昨晩の会話を思い出す。
そんな会話があった気もする。
彼はノートパソコンを空けて電源を入れた。
コンセントと繋がっているので現地切れの心配はないが、案の定インターネットに繋がってなかった。もちろん持っていたスマホは没収されている。外部に助けを求める手段がない。
(1万字書けって……え?こんなことをして……彼女に何の得が?俺は何か恨まれることでもしたのか?)
彼は必死に考えてみたが思い当たることがない。
昨晩、酔いに任せて酷いことでもしたのだろうか。
1万字書かないと殺す。
普通に考えれば冗談だ。それでもあのライフルとその轟音を思い出すと彼女が本気であると考えざるをえなかった。少なくとも1万字を書かないで彼女が本気か試す勇気は彼にはない。書くしかなかった。
そのノートパソコンには執筆用のソフトがいくつかインストールされており、彼は1つを起動させると困惑しながらもキーを叩いて物語を書き始めた。そう大変なことではない。作りかけのものを書いていけば1ヶ月くらいは1日1万字というルールを守れるだろう。しかし、その後は。いつまで書けばいいのか。
作品を完成させなければ本当にあのライフルで撃たれるのか。
それを考えると長谷川は胃がじんわりと重たくなり、さっきのパンを戻しそうになった。
小説を書き始めてから10時間ほど経過した。
その間に昼食を済ませ、文字数を計測してみるとすでに1万字ほどになっていた。ノルマまではあと少し。一度書いたことのある話なのだから大した苦ではない。しかし、頭の中にはゆくゆくネタ切れになる将来が浮び、気分が悪くなっていた。
ガシャンと重い扉が開く音がした。
ずるずると大きい何かが引き摺られる音も続いた。
「ふう、けっこう重たかったです」
美和は意識のない大人の男を一人引き摺ってきた。
その男はジャージとジャンパーを着た遊び人という感じの男で、胸が上下してるので息をしてることだけはわかる。
彼女は肩にかけたライフル銃を持つと長谷川のほうを見た。
「この人には悪いですけど、私が真剣だって証明しますね」
「え?」
彼女はまた寝ている男をライフルの先で指した。
「あの……その男は誰なんだ?」
私は勇気を振り絞って説明を求めた。
何も言わないのはあんまりだろうと思ってだ。
「さあ。よく知りませんしどうでもいいです。ただの生贄です」
「いけにえ?」
「一応、聞いてみましょうか。無駄でしょうけど」
謎の発言をすると美和は足で男の原を思い切り踏みつけた。
「ぎゃあ!」
男は目を覚まし、目の前のライフルを持つ女を見て一瞬ひるんだ。
「な、なにやってんだ……ここはどこだ?」
「一応聞きますけど、長谷川さんの身の回りのお世話をする気はありますか?」
「は?」
「それならしばらく生きる権利をあげますけど」
「何を……何を言ってるんだよ、美和ちゃん?」
それが男の最後の言葉になった。
早朝に聞いた轟音がまた鳴り響き、男の胸から大量の血が吹き出た。
「うわあああああああっ!」
長谷川はスイカが破裂したような部位を見て悲鳴を上げた。
男は胸元からびゅーびゅーと赤い液体を溢れさせながらどさりと倒れた。どうみても即死だ。
床に広がってゆく血の海を見ながら美和は言った。
「私が真剣だとわかりましたよね、長谷川さん?じゃあ、明日の朝に確認するのでそれまでがんばって書いてください。朝とお昼はコンビニで済ませちゃってごめんなさい。夕飯はちゃんと作りますね」
それから美和はバスタオルとゴム手袋、掃除用具一式を持ってきて死体の掃除を始めた。血液をモップで拭き、男の死体をビニルシートに包んで引き摺っていく。
それから1時間ほどして暖かいビーフシチューが運ばれてきた。
長谷川は一度も口をつけなかったが、朝までに3度嘔吐した。
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