ストーキングフェイス

山田小百里

第1話

 五月のゴールデンウィーク明けは、高校生だってかったるい。俺、奥井祥吾もその一人だ。長い休みで生活が夜型に傾いてるから、朝起きるのが辛い。

「あー、だりぃなぁ。学校行きたくねぇ」

 朝、電車を待つ列の中で大きなあくびをして呟いた。

 都心まで乗り換えなしで出られる俺の住む地域は再開発が盛んに行われている。先月も駅前にショッピングモールを併設したタワーマンションの入居が始まった。ゴールデンウィークが入居のピークだったらしい。俺の家も再開発の地区になっていて、今の家を売って今月中にそのタワーマンションに引っ越す予定だ。

 そこそこ良い値段で売れたらしく、両親は笑いが止まらないようだ。夏休みには両親と兄貴と俺、家族で北海道旅行へ行こうと言っている。今までは兄貴と相部屋だったのだが、一人部屋をもらえるのでオレも楽しみにはしている。ただ一つ、引っ越しが面倒くさい。

「部屋の荷物、そのままポンッと移す方法ないかなぁ」

 たかだか歩いて数分の距離の引っ越しなのに、いちいち段ボールに荷物を詰めて、また開けて仕舞うなんて面倒でしかなたい。パソコンの操作みたいにさ、タンスごとドラック&ドロップ、なんてできないのかなぁ。「早く荷造りしなさいよ」って言うお袋の小言が耳に蘇ってきて、家にも帰りたくなくなった。

 あー、こんなにいい天気なのに朝から、気が滅入るなぁ。なんか良いことないかな。

 微かな期待を込めて、そっと周囲を伺う。

 おっ。少し離れた列に可愛い女子を発見。今まで見たことない子だ。あのタワーマンションに引っ越してきた子かな?

 清楚な和風の美少女だ。クセのない長い黒髪に、白い肌。本を読んでいるせいで俯き加減の横顔は控えめ、と言うよりは地味な印象を受ける。バッチリ化粧をした派手な女子は苦手なので、俺的には好みのタイプだ。

 あの制服はどこの学校だろう? 見たことがないなぁ。引っ越し前に通ってた学校の制服かな。

 ホームにアナウンスが流れ、電車が滑り込んできた。俺と彼女は人の列に押されるまま、別の車両に吸い込まれた。


「へぇ、いいじゃん。今度見かけたら声かけてみれば?」

 その日の昼休み。同じクラスの友たち、ユウキに今朝見かけた彼女の話をしたら軽い調子で言ってきた。

「いや、可愛いとは思うけど、付き合いたいとかそういうんじゃないんだよなぁ」

「ショウゴは真面目だなぁ。付き合ってみて、思ってたのと違ったら分かれりゃ良いじゃん」

「ユウキはそういうタイプだよな」

「それって褒めてくれてんの?」

 ユウキはほぼ金髪に近いくらい色を抜いた髪をかきあげた。友たち想いの良い奴なんだけど、女関係はちょっと褒められたもんじゃないけど。

「褒めてはないなぁ。付き合って一ヶ月も持たないなんて、どうなんだよ」

「えー、外だけ見てても分かんないこと多いじゃん。取りあえず付き合ってみないと。で、違ったーってなったら仕方ない。だいたいオレ、いっつもふられる側なんだけど」

 思ってたのと違ったって言われんだよね、とユウキは溜め息をついた。確かに、外見のちゃらちゃらしたイメージと違って、熱い奴だからなぁ。

「オレの話よりもさ、ショウゴだよ。彼女欲しくない? 前の子と別れてもう二ヶ月じゃん」

「別に今は良いよ。それに『もう』じゃなくて『まだ』だからな」

「あの子とは中学から付き合ってたんだっけ。付き合い長いと、別れた後、引きずるもん? オレ、そんな長い期間付き合ったことないからわかんねーけど」

「まぁ、なぁ。別れ方もなぁ。いきなり『好きな人が出来たから別れて』って。その前の日にLINEでゴールデンウィークはどこ遊びに行くとか話してたのにさ。訳分かんねぇ」

「あー、そりゃ引きずるわ。しかし、もったいないねー。ショウゴは顔も声もいいのにな。身長もあるからステージ映えするのになー」

「…バンドはやんないぞ」

 ユウキの話の展開を読んで、先に釘を刺した。バンドでベースとボーカルをやっているユウキは事あるごとに俺を自分のバンドに入らないかと誘ってくる。自分はベース一筋でやりたいらしい。

「えー。もったいねー。ショウゴ歌上手いし、絶対ボーカルいけると思うんだよなー」

「褒めたって入んないからな」

「えー。じゃぁ、一回ライブ見に来てよ。なんだかんだ言って見にきてくれたことないじゃん。それから考えて。今月末にあるんだ。対バンなんだけどさ」

 ユウキは自分のカバンを漁って、ライブの告知チラシを出してきた。出演予定のバンドの名前がいくつ書かれている。「対バン」っていうのはいくつかのバンドが出演する形式のことのようだ。

 場所は都心のライブハウス。遊びに行くついでに見ていってもいいかもしれない。

「仕方ないなぁ。見に行くよ」

「やったー! オレ、ショウゴが入りたいって思ってくれるように頑張るからさ、ちゃんと考えてくれよな」

「おう、頑張れ。楽しみにしてる」

 心底嬉しそうなユウキの頭をクシャリと撫でた。


 翌日の朝、例の彼女をホームで見かけた。前の日と同じく、制服姿で文庫本を読んでいた。

 その翌日も、そのまた翌日も同じ時間に場所で彼女を見かける。そして、毎日同じく声をかけないまま電車の別の車両に乗って別れる。その繰り返しだった。

 声をかけなかったのはユウキにも言った通り、今彼女が欲しい気分じゃないってのも大きいけど、彼女のオーラというか、雰囲気のせいだ。

 品良くまとまった顔には表情が乏しく、人形のようだ。じっと本を見つめている様子は他人を拒んでいるように、俺には感じられる。

 駅のホームで見かけるだけの関係が少し変化したきっかけは俺の引越しだ。

 駅前のタワーマンションへの引越しの時、エレベーターに乗ろうとする彼女を見かけた。もしかして、ここに住んでるんじゃないかとは思ってたけど、実際に見かけると驚くもんだな。

「祥吾、どうした?」

 俺と同じくダンボールを抱えた兄貴が遅れてやってきた。俺の視線の先でエレベータの扉が閉まったのを見て残念そうにため息をついた。

「エレベーター行っちゃったじゃん。祥吾、声かけて待って貰えばよかったじゃん」

 立ち止まったままの俺を追い越して、兄貴はエレベータのボタンを押した。

「あ、ごめん。ちょっと…」

「何? なんかあったのか?」

 兄貴は俺に問いかけ、ヨイショ、とダンボールを抱えなおした。

「なんかっていうか、いつも駅で見かける子がいてびっくりしただけ」

「へぇ。美人?」

「まぁ、どっちかといえば」

「前の彼女より美人なのか?」

 ニヤッと意地の悪い顔で聞いてくる。兄弟だから遠慮がないのか、単に兄貴の性格が悪いのか。普通、そういうデリカシーのないこと聞いてくるか?

「どっちだっていいだろ」

「ふーん。また見かけたら教えろよ。お兄ちゃんがジャッジしてやろう」

「余計なお世話だよ」

「そんな怖い顔すんなよ。ほら、荷物持ってくぞ」

 エレベーターの扉が開き、兄貴が先に乗り込んだ。俺もそれに続く。

「俺なりに祥吾を心配してんだよ。前の彼女に振られてしばらく落ち込んでただろ」

「それは、まぁ、心配かけたかも知んないけどさ」

「新しい彼女作って楽しくやって欲しいなぁって。でないと、俺も家に彼女連れてきづらいじゃん」

「…結局は自分のためかよ」

「せっかくの一人部屋だぜ。彼女連れ込みたいじゃん」

 兄貴はニヤリと笑った。下心がダダ漏れだ。

「だらしねぇ顔。兄貴の彼女に見せてやりたい。俺に気なんか遣わないで、連れ込みたいなら連れ込んだら?」

 今まで弟を人間とも思わないような扱いをしてたクセによく言う。

「だよな。祥吾ならそう言ってくれると思ってた。うーん、来週末くらいに誘ってみるかぁ。ほら、祥吾、着いたぞ」

 音もなくエレベーターが目的の階に着いた。俺と兄貴は段ボールを抱えなおし、エレベーターを降りた。


 引っ越しは週末の間に何とか荷物を運び終え、後は細かいものを片づけるだけになった。

「行ってきます」

 月曜日の朝、引っ越し前のと同じ時間に家を出る。地図上では駅との距離が近くなっても、今までと違ってエレベーターで一階まで降りる必要があるからだ。朝のラッシュの時間帯ってエレベーターも混みそうだ。

 しかし、現実は肩すかしを食らった感じだ。俺が乗る階で既にエレベーターが待っていた。途中で乗ってくる人も三、四人と少ない。

 もっと待たされたり、ギュウギュウ詰めになるのかと構えてたのにな。密かに、同じエレベーターになるかと思っていた例の彼女とも出会わなかった。まだ、降りてきてないのか?

「あ」

 一階でエレベーターを降りると、エントランスを出て行く例の彼女の背中が見えた。距離にして十数メートル。他のエレベーターに乗っていたようだ。

 俺は声をかけるでもなく、そのままの距離を保って駅まで歩いた。そのまま、今まで通り列に並び、隣の車両に乗って登校する。新しい「いつも」が始まった。


「ショウゴ、ライブどうだった? オレたちのバンドか一番かっよかったっしょ?」

 ユウキに誘われていたライブの後、打ち上げーとは言っても近くのファミレスーに他のメンバーたちと一緒に来ていた。他のメンバーたちは俺とユウキとは違う高校なので初めて会ったんだけど、同い年のせいか話しやすくて良い奴ばっかりだった。

 ユウキは俺のことを他のメンバーに散々話していたらしく、会うなり「ユウキ推薦のボーカルなら間違いない。メンバーになってくれ」って言われたのには参ったけど。

「どうって言われても、よくわかんねぇんだけど。まぁ、一番勢いあったんじゃない? 周りの客もすげーノってたし」

「でしょでしょ。スゲーでしょ」

 向かいに座っているユウキがグイっと身を乗り出してきた。オレの感想に気を良くしたらしい。

「ショウゴが入ってくれたら、もっと良くなると思うんだ。なぁ、だから入ってよー」

 額と額がぶつかりそうなほど顔を寄せてくる。ユウキ、顔が近すぎる。ぶつからないよう、俺はとっさに顔を背けた。

 背けた先に、女の子が一人で本を読んでいた。テーブルには飲みかけのグラスが一つ。見覚えのある女の子は、例の彼女だった。

「あれ?」

「ん? …あれ誰?」

 俺の視線を追って、ユウキも彼女を見つけた。

「例の、ホームで見かける子」

「へぇ。なんか、雛人形みたいな子。うーん、俺の好みではないなー」

 彼女をみながら、ひそひそと話す。

「いつもは朝しか見かけないんだ。こんな時間にこんなところにいるなんて、意外だな。なぁ、ユウキ。あの子の制服、どこの学校のかわかるか?」

「うーん、わかんないなー。なぁ、お前らあの子の制服、どこの学校か知ってる?」

 ユウキが他のメンバーに質問してくれたけど、みんな知らなかった。

「ショウゴくん、あの子のこと好きなん? 可愛いけど、好きなタイプじゃないや」

「確かにー。可愛いけどなー」

 ユウキ以外のメンバーも感想を口にする。

 その声が聞こえたのか、彼女は読んでいた本を閉じ、帰り支度を始めた。

「聞こえたのかな?」

「いや、どうだろう」

 彼女はこちらを見ることもなく、支払いを済ませて帰っていった。

「なんか、独特な雰囲気の子だな。目立つわけじゃないけど、なんとなく見ちゃうっていうか、気になるっていうか…」

 ユウキのつぶやきに、俺も頷いた。


 この日を境に、彼女の姿を朝の通学以外でも見かけるようになった。

 帰りの電車や買い物途中、ユウキたちと行ったカラオケボックス…。ある時はカフェで隣の席に座って本を読んでいた。

 俺を見ることもなく、一人でただいるだけなのでそんな偶然もあるんだな、と思っていた。…校外学習先で彼女を見かけるまでは。

 平日の朝の横浜。校外学習で俺とユウキたちのグループは中華街に来ていた。名目は『中国の食文化について調べる』なんて言ってるけど、要するにグルメツアーだ。同じグループの女子が張り切ってたてていた予定によると、五軒くらいハシゴをするらしい。想像するだけで胸やけがする。

 先を行くユウキたちの背中を見ながら、俺は溜め息をついた。ふっとそらした視線の先を例の彼女が横切った。いつもの制服姿だ。 

 なんで、ここに? 学校は? しかも一人だなんて不自然だ。

 驚きのあまり、俺は立ち止まった。

「ショウゴ、どうした?」

 俺が遅れているのに気付いたユウキが走って戻ってきた。

「あぁ、例の彼女がいたんだ」

「へ? 彼女も校外学習か?」

「それが、一人だったんだよ」

「こんな時間にこんなとこで一人?」

「ああ、そうなんだ」

 俺とユウキは顔を見合わせて首を傾げた。

「二人とも何してんの! お店入るよ」

 リーダー格の女子が手を振って呼びかけてきた。ここでユウキと二人でいくら考えてもなぜ彼女が横浜にいるのかわからない。何より、女子に逆らうと後が面倒だ。俺とユウキはダッシュでグループに合流した。


「それってストーカーじゃないの?」

「奥井くん、見た目だけは良いから」

 合流したグループの女子たちに二人で何を話していたのか聞かれたので、彼女の話しをしたら、そんな答えが返ってきた。

 見た目だけは良いって、褒め言葉なのか?

「別にずっとつけられてるとか、こっちを見てるとかじゃないけど、それもストーかっていうのか?」

「でも、気付いたら、いるんでしょ。絶対につけてるよ、それ。キモい」

「何回も偶然みたいに近付いて運命感じさせるとか? あざとーい」

 女子たちはキャラキャラと楽しそうに笑いながら、彼女をストーカー認定した。

「ねぇ、いたら教えて。どんなキモい子なのか見てみたい」

「それそれ。見てみたい。絶対に教えてよ」

「あぁ、いたらな」

 そうは言いつつも、今日はもういないんじゃないかと感じていた。

が、俺のカンなんて全くあてにならない。

 最後に入ったパンケーキの店に彼女がいた。やっぱり一人で本を読んでいる。

「え? なに? いたの?」

 俺の様子に感づいた女子が話しかけてきた。ユウキも彼女を見て「あー、いるわー」と言わんばかりの顔をしている。

「どの子?」

 俺は顎先で彼女を指し示した。彼女の様子を伺いながら、女子たちは小声で彼女の品評会を始めた。

「清楚系って言えなくもないかな。カワイイ系ではないよね」

「肌も髪もきれいなんだけど、ジミじゃない?」

 八〇パーセントの好奇心と二〇パーセントの悪意の混ざった声。女子たちの話に参加する気にもなれず、意味もなくストローでグラスの中をかき混ぜた。俺の隣に座ったユウキも同じようで、興味なさそうに頬杖をついている。

「ジミって言うか、暗くない? じめじめ系」

「あー、ウェッティな感じね。わかるぅ」

「一人でこんなとこで本読んでて楽しいのかな。声かけられるの待ってるとか?」

「うぁっ、ひくわぁ。小説の主人公みたいに、彼と運命の出会いをしたいって?」

「なにそれ、ウケるぅ」

「でもさ、頭良さそうに見せたいだけだったりして」

「それもウケるんですけど」

 くすくすと笑い合う。意地の悪い会話を止めようとしたところに、注文したパンケーキが運ばれてきた。

 俺が止める前に、女子たちの興味はパンケーキに移ったようだ。ひそかにほっとしたところへ女子が何気なくこう言った。

「奥井くん、気をつけないとずっとあの子に付きまとわれるわよ。絶対そういうタイプ」

「そうそう、気をつけてね」

「あ、ああ…」

「ショウゴっ、気にすんな」

 ユウキが小さくフォローしてくれたが、何気ない言葉だからこそ俺の心に影を落とした。

 偶然に見かけたと思っていたけど、そうじゃなかったのか…?


 その想いが俺の中で確信に変わったのが、夏休み。北海道への家族旅行の時だった。

 住んでいる関東からずっと離れた北海道・函館。景色も空気もまったく違う。どこかいつも急いでいる関東と違って、ゆっくりと時間が流れているようだ。

 「大学生にもなって家族旅行なんてダサい」と文句を言っていた兄貴も、来てみれば結構楽しんでいるように見える。ガイドブックを見ながら、「次は五稜郭タワーに昇るぞ」なんて両親や俺を引っ張っていく。

 日常とはまったく違う非日常。そんなところで出会うなんてただの偶然では片付けられない。

 だが、彼女はそこにいた。いつものように一人で、いつもの制服で、五稜郭タワーの展望台にいた。静かに、真っ直ぐに五稜郭を見下ろしていた。

 彼女の姿を見つけ、俺はゾッとした。血の気が引き、立っていられるのが不思議なほどの目まいと動悸を感じる。

 いつもの場所から一〇〇〇キロ以上離れたここで出会うなんて、偶然のはずがない。運命なはずもない。つけられていたとしても、こんな場所まで来るなんて、ありえない。

「祥吾、どうした? 顔色悪いぞ」

 兄貴が立ち尽くしている俺の顔を心配そうに覗き込んだ。俺はよっぽどひどい顔色だったのだろう。兄貴が焦ったようにホテルへ帰ろうと言い出した。

「祥吾、今日はもう帰ろう。まだ旅行はまだ二日もあるんだからさ、今日はゆっくり休もうぜ」

「あ、ああ。ありがとう、兄貴」

「思ったより移動に時間かかったもんな。疲れたんだろ」

「そう、だな」

 兄貴や両親に心配をかけまいと、ぎこちなさを自覚しながらも笑って頷く。重い足を引きずるように五稜郭タワーを後にした。

 タワーを降りるエレベーターに乗る間際、こちらに向かって薄く笑う彼女が見えた、気がした。


 旅行の間中、視界の隅を横切る彼女に俺は悩まされ続けた。すっと横切っては消えて行く彼女に文句を言うこともできず、ストレスはたまる一方だった。兄貴にも両親にも顔色が悪いと心配をかけてしまった。

 旅行から帰ってきても、彼女の影がちらつく。気になりだすと、無視できない。

 旅行の土産を渡すという口実でファミレスにユウキを呼び出した。

「ショウゴ、大丈夫か? 死人みたいな顔してるぞ」

 会うなり、ユウキに心配される。両親にも兄貴にも言えなかったことをユウキにぶちまける。

「ああ、ユウキ、実はな…」

 旅行先で彼女を見かけたことを話すと、ユウキの顔がこわばった。

「何だよそれ、ほんとにストーカーじゃん」

「だよな、ユウキもそう思うよな」

「北海道まで行くなんて、普通じゃない。気味悪いな」

 ユウキに話して、少しだけ気持ちが軽くなった。

「またいるんじゃないかと思うと、気持ち悪くて出かけるのが怖いんだ」

「あー、そうなるよな」

 ユウキはバリバリと頭をかいた。俺が心配だけど、何もしてやれないという状況にじれったさを感じているのだろう。

「付きまとうなって言ってやりたいんだけど、すぐにどっか行っちまうし…」

「ショウゴ、ショウゴ!!!」

 大きく目を見開いたユウキが慌てたように俺の腕を引いた。

「となり、見ろ」

「え?」

 言われて隣を見ると、いつの間にか彼女が座って本を読んでいた。いつものように、一人で、制服で。

「わっ」

 俺は思わずのけぞって、後ずさった。俺が来たときにはいなかったはずだ。あまりにも静かで気付かなかったのか?

 もしかして、これはチャンスなのか? 混乱の中、俺はひらめいた。付きまとうのをやめるように言うなら、今しかない。慌てて体勢を立て直し、やや上ずった声で彼女に声をかけた。

「ちょ、ちょっといいかな」

「ショウゴ、やばいって」

 いきなりの俺の行動にユウキが慌てて裾を引いて止めようとする。だが、口から出た言葉はもう返らない。 彼女はゆっくりと本から目を離し、こちらを見た。何も移していないかのようなうつろな瞳。思い返せば、彼女の顔を正面から見るのはこれが初めてだ。

「お、俺に付きまとうのをやめてくれないかな。北海道まで来てただろ。わかってんだからな」

 彼女は心底何を言われているのかわからないといった様子で首を傾げた。表情はまったく変わらない。

「それ、本当に私でしたか?」

 初めて効いた彼女の声はどこかふわふわとした、高くも低くもない声だった。

「あんただよ。その顔にその制服。間違いない」

「本当に私でしたか?」

 彼女は再び俺に問いかける。シラを切るつもりか?

「ああ、間違いない。往生際悪いな。認めろよ」

「だって、この顔も制服も、こんなにたくさんいるじゃないですか」

 彼女はすっと店内を指差した。指し示すその先には彼女と同じ顔と制服の彼女が、いや彼女たちがいた。みな同じように、同じポーズで本を読んでいる。

「え?」

「な、なんだよこれっ」

 俺もユウキもありえない光景に驚き声を上げた。その声に反応して、彼女たちが一斉にこちらを向く。みんな同じ、うつろな瞳。受け止めきれない事態に、俺の心は限界を超えた。視界がブラックアウトする。ユウキも同じように倒れたようだった。

 その後、病院で目が覚めるまでの記憶が俺にもユウキにもない。あれ以来、彼女が俺の前に現れることはなかった。いったい、彼女は何者だったのだろう。

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