Chapter 5
5-1 味方しない天運
黒乃が言った、「勝った」という言葉の真意は、皐にとってはどうでもいいことだった。
少なくとも、減りつつあった体力を心配する邪念は去り、乱れかけていた集中力を整えるには十分の鼓舞であったことは間違いなかった。
口端に嘔吐液をくっつけながらも未だにゲームを楽しんでいるであろう、活き活きとした顔。
どうやら宣言通り、死ぬほどゲームを楽しんでいるらしい。
空手を通して、普段から強者と戦い慣れている自分にも手に取れる心持ちである筈。
「フフッ」
引き籠り気味で運動が嫌いな黒乃が強者との闘いを楽しめて、どうして自分が出来ないのか。
思わず自分に呆れ笑った。
笑う余裕があることを知らされると、身体は軽くなった。
「──《
「むっ」
バステトはスキルを叫び、獣人の愛らしい肉球の両手を、距離の空いた皐へと突き付けるように翳す。
左右上下に合わせて中央にも二つ。皐を狙った黄金に輝く魔法陣が六つの数展開される。
魔法陣の円を割って現れたのはUFOキャッチャーのアームだった。
──ゴォオオ!
と唸りを上げて、とてもゲームセンターに置かれている遊具の比ではない速度で次々と迫りくる。
「ぅぷ……皐!」
「大丈夫だ!」
一のアームをしゃがんで躱し、その反動で足に力を溜めて横っ飛びで二と三のアームは空を切る。
避けた皐目掛けて、四と五のアームは斜め上空の左右から同時に迫り、皐はボスとの距離を詰め、前進突進することでアームは皐の頭上を通って地面を叩かされる。
最後のアームが天から叩きつけられたところを、旋回移動──回避と同時にボスの背後へつけた。
余裕のカウンターの、間。
「ぉおおおおおおおおおお!!」
此処はスキルよりも手数。
黒乃が復活するまでに少しでもHPバーを赤色へ変えたい。
皐は両足の踏ん張りを強く保ち、深腰からの正拳を最高速度で繰り出し続けた。
バステトが着るメイド服のフリルが揺れ続ける。殴打され続ける背中に、これでもかと服皺が寄る。
「……ニャァアア……アアアアアアアア!!」
まるで感情システムを備えているかのような。
単なる立体映像の筈である獣人は怒気らしい気迫を跳ね上げて、上半身を捻り、爪をヒステリーに薙ぐ。
直前、皐はしゃがみ込み、蹲った体勢をくるりと回転させてボスの足を足でもって払った。
体勢を崩したボスへ再び叩き込めるだけの連打を叩き込む。
反撃を躱しては反撃を入れていく。
反撃を誘発させて反撃を行う。
「──《
皐の連撃を受けながら、そんな微々たる攻撃などどうでもいい様子で、バスケットボール一つ分の隙間を空けて肉球の平同士を向い合せる。
その肉球の間に、ぽわんと間の抜けた効果音と共に、ボス自身をファンシー化させたような、ぬいぐるみが出現する。
──ボムと言った。
皐は少しのヒントを頼りに即座にボスの横側へ大きく移動し、歩道を乗り越えて車道へ。
瞬く間に真反対道路へ出た辺りで────ドーーーーーン!!
と、ボスの近くにピンク色の濃厚な煙が破裂した。
「危なかった……」
ボム、と言われなければ爆弾と察知できず、その広い効果範囲内に巻き込まれていたかもしれない。
今更揺らぐことはない精神だったが、再び体温が低下していくのを感じた。
乗り越えたかと思えた死への恐怖は、再び皐の身体を捕まえていた。
それは皐がボスを一手に引き受けて、黒乃とバトンタッチしてから一五分が経った頃のことだった。
「──
「……ク、クロ?」
モコモコとした、手で握り取れそうな肉厚の煙が晴れる──。
煙がキラキラと細かいラメのような光に変わって消えていく中──一本のクナイをボスに突き立てている黒乃が居た。
ふとボスの名前──、《バステト》の下にあるHPバーを見れば皐の度重なる攻撃では1㎝ほどを赤色に変えていた。
これだけ殴っても1㎝かと思うや否や、名前の横には緑色の水疱が浮いていた。
それは皐にとっては身をもって知った苦い記憶──ステータス異常、《毒》を示すマークだった。
②
「クロ、あの女と同じ技を使えたのか!?」
「まさか!」
「ニャァアアアアア!!」
ヘイト蓄積量は皐のほうが上。
対面側歩道に居る皐目掛けて飛び上がる。
「──《
「ギロチン・ネイル!」
──シャアアアアアン!
ボスのスキルより先に黒乃の断刀がボスの肩フリルへと落下する。
「──《
技キャンセルすることは叶わなかったまでも、再び皐は距離を取って、三メートル級のオムライス落下を躱しきった。
未だボスのターゲットは皐。
逃げ回る皐を追いかけ、その間に出来た隙を利用して黒乃が爪で引っ掻いて行く。
「あの女の技、毒舌は対象に毒を付与する攻撃じゃなかったんだ!」
「どういうことだ!?」
「此処に来る前、小町に会った! その時も、毒舌を放つ前にクナイ先を舌で舐めたんだ!」
「そうか!」
「最初は公園で見た時は格好つけてるのかと思ってたけど、二度やるか!?」
「……そうか、武器に毒を付与するスキルということか!」
「そう! 念の為に公園で投げられた時のクナイは拾っておいた! まさか役に立つとはね!」
二人は回避に重きを置いて、一先ずバステトのHP減少量に目をやる。
体感的には三〇秒で1%の割合かつ固定ダメージ。
「毒が効くと、よく知ってたな!」
「知らないさ! ただ可能性は高いと踏んだ! このバステトは……レベルを上げたくらいじゃ耐えきれないほどに攻撃力が高い!
かといって高防御力を高めようとして重装備になると、今度は攻撃が早くて躱せない!
強いかつ早いは、アクションRPGの中じゃ卑怯過ぎるんだよ! 何処かに抜け道を用意しないとクリアは出来ない!
その代表と言ってもいいのが毒だ!
ゲームによってはボスに毒を入れ込んで後は耐久戦に持ち込んで、毒によるダメージをメインに戦うゲームもある!」
オムライスや膨れ上がる肉球スキルの轟音が、まるで橋の上で戦争でも行われているかのように鳴りやまない。
しかし攻撃を引き付けている皐にとって、自分が攻撃を入れさえしなければ、躱すこと自体は難しくはなかった。
既に、攻撃は行わなくてもボスのHPは減って行くのだから。
「……毒が駄目だったらどうするつもりだったんだ!」
「そん時の為に使わないでおいたスキルポイントさ! 思いつく限り違う種類のスキルを取得しまくって、片っ端から試すだけだったよ!
サービス開始後、初めてのボスだからね! クリア出来ることを証明出来る程度の強さじゃないと……もっと他にも抜け道がないとプレイヤーのやる気が保てないだろ!」
三〇秒につき1%の割合かつ固定ダメージ──単純計算でいけば、ボスのHPを全て失わせるには五〇分。
持続時間は、毒への治癒行為を行わなければ永遠であることは、皐が毒を喰った際に知っていること。
つまり、五〇分間、攻撃を避け切れば勝てる。
その間に攻撃を加えていけば、ボスが全てのHPを失うまでに掛かる時間もまた減る。
「つまり抜け道方法を見据えて、勝ったと言ってたのか!?」
「ごめん、アレは嘘だった! 言ったろ! 毒が効くかどうかはギャンブルだったんだよ!」
「フッ! そうか!」
「実のところ……躱すだけでも体力がいずれ底を付くだろうし、仮に何とか体力を繋いで片っ端からスキルを試していたとしても時間が掛かり過ぎる! その内警官が戻って来てゲームオーバーかなって思ってたよ!」
運も味方していたことを言葉で交わし合いながらも、二人は躱し、引っ掻く。
「皐! 合わせろ!」
「む?」
「フフフ……まだ奥の手はあるんだよ!」
バステトがUFOキャッチャーのアームを出す技の切れ目。
大きく空いた隙を目掛けて黒乃が懐へ潜りこみ、黒制服の内側から、シャラァンと一本の剣を抜く。
手に握ることを子供の頃から憧れた──鋼の刀身が秋葉原の夜空を鈍く映すほどに研磨された剣。
グリップを握る感触が、黒乃のテンションを引き上げる。
「──アーマースラッシュ!」
スキル名を叫びながら対象の身を十字に切断するモーションが必要である、その技の効果は防御ダウン。
猫ではない職業、『ソードマスター』の影響で取得していた技だった。
ボスのメイド服が数か所崩れ落ち、中身部分の胸元がぺろんと出て来る。
どうやら防御ダウンが成功したことを知らせる為の、服飾破壊演出らしい。
綺麗なピンク色を帯びた胸突起が零れ出て、旋回して移動した黒乃の視線を奪った。
「え、エロい!」
「ベアスイング!」
即座に距離を詰めた皐が、ボスを上空へ打ち上げる。
その真下地点。
「からの──
黒乃がコンクリート道路を爪で、ギィイイと引っ掻いた。
黒乃の両手が黄色い光りに包まれる。
スキル、《爪砥》──スキル使用後の一撃限定で攻撃力を150%引き上げることが出来る。
猫のジョブによるバフスキルだった。
「からの──ギロチン・ネイル!」
落下して来るボスへ向かって四つ足を蹴り上げて飛び込み、効果範囲内にまで詰め寄って猫パンチ型に腕を振り下ろす。
爪型の白い斬撃が、空中に居るボスの首元へと豪速で落下する──。
出血モーションはない。しかし肉を裂く歪な音が夜空へ鳴り響く。
「デバフからの、バフからの、大技だ!」
「す、凄いな……」
今の連携だけでボスのHPは1㎝ほどは減っていた。
皐の加え続けた連撃に比べれば、数倍もの威力を叩きだしている。
「RPGじゃ鉄板の攻撃方法だ! 毒も継続中だぞ!」
しかしたった1㎝。
されど──毒効果も相まって既にボスの残命量は半分が赤色に浸食されていた。
塵も積もれば──を、ボスに体現させていたのだった。
「ふふふ……おっしゃー! これ本当に勝っただろ!」
「フフ……フフフ……」
半分──既に半分を赤色に変えられた。
勝利が目の前に在る。
御伽りんごの命そのものが目前に迫る。
掴み取れる──あと数十分間、攻撃を与えながら一撃ももらわなければ、りんごを救うことが出来る。
「──お邪魔しま~す」
「──っ!?」
「誰だ!?」
一人、飄々とした細身の男が橋の手すりの上に立っていた。
オレンジ色の髪をオールバックにして、甘いマスクを全快に見せびらかせている。
やや面長の顔輪郭上部に垂れ目が甘く添えられ、申し訳なさそうに笑って手すりを蹴った。
「誰だってあんた……名前なら上に書いてあるでしょーが」
現れた男の頭上には、《サキト》と在る。
何ともシンプルなプレイヤーネームを掲げて現れた彼は二十代半ばほどに見える若者であり、服装は前開きのパーカーにダメージデニムと──異世界23区の装備などで身を固めているようには見えない。
明らかに低防御力のまま、この切迫した戦場に身を置くにしては、場違いなほど緊張感がなく、緩く──困り顔を浮かべたまま皐の懐に潜り込んだ。
「っ!」
「あ~ごめんね? お呼びじゃないのは知ってるんだけどさっ」
ケロっという男の身のこなしは速い。
ジョブの影響か、それとも元々か。
皐に近づくも、何かすることはなく──離れようとする皐にぴったりとくっついて共に移動している。
どの道戦闘経験に長けていることは見て取れる身のこなし。
ヘイト量は未だ皐に対して濃いまま。
正体不明、動機不明の襲い来るプレイヤーとボスの二名に皐は距離を詰められる。
「《
「くっ!」
「皐ぃ!」
心配を飛ばす黒乃の視界先は、ピンク色の煙に包まれた。
プレイヤー、《サキト》が爆発に巻き込まれず無事であることを、晴れていく煙の中に確認する。
煙を掻き分けて、《サツキグマ》の青い文字と一緒に皐は飛び出てきた。
「皐! 無事だったか!」
「……いや」
黒乃の横へ来た皐──その太ももからはおびただしい流血。
パーティーメンバーのHPを即座に確認すると、皐のHPは二割ほどが赤色に変わっている。
ボスからダメージを受けていれば皐は既に死んでいる筈。
となれば攻撃をしたのは、あのサキトという色男。
「……言っておくけど、別に俺はクリアしに来たんじゃないよ。だからパーティーに誘って、三人でクリア報酬を受け取ろうよ、なんて交渉は無駄~」
「くっ!」
今正に、黒乃はその交渉を頭に浮かべていた。
クリア報酬を受け取れるのは五人。
あのサキトと名乗る男をパーティーに加え、襲われる危険を取り除いた上でボスを倒せる。報酬は問題なく受け取れる。
しかし黒乃が瞬時に組み立てた作戦は、先手を払われ消え去った。
「じゃあ何が──」
「ニャアアアアア!」
「げぇっ!」
異世界23区の魔物は空気が読めない。
泣いている少女をなだめている時であっても、見知らぬ男がボスとの交戦中に攻撃を仕掛けて来たとしても、それでも敵は迫って来る。
ボスが自身の肉球を膨れ上げ、ボスンボスンと上空から散歩を繰り広げた。
回避と同時に黒乃は頭を回す──あの男の目的。
しかし考えても分からない。聞いても嘘を言われるかもしれない。
クリアが目的ではないという言葉が、本当なのかどうかも分からない。
男を相手にしながらボスも相手するしかない。
最大の問題は、トドメを持って行かれるかもしれないということだった。
そうなれば報酬は受け取れない──りんごは救えない。
その問題についてをどう解決するか──先に答えを出したのは黒乃ではなく、皐のほうだった。
「──ベアスイング!」
「痛っ!」
痛がる声を上げながらも、両腕を身体の前でクロスさせ、しっかり防御したサキトだった。
皐が万世橋から南──神田方面へ向けて男に吹き飛ばしスキルを使った。
「…………ば……馬鹿皐!」
強制的に吹き飛ばされる男の後を追って、皐もまた全速力で駆け出していく。
確かに──皐が遠くへ足止めし、吹き飛ばしスキルが再装填されれば更に遠くへと引き離すことが出来る。
それを繰り返せばボスから遠ざけることが可能であり、一つの危険は去る──しかし。
クリア時に10メートル以内に居ない者は、例えクリア者とパーティー関係にあっても報酬を受け取ることが出来ない。
皐にも説明してあることではあった。
皐も承知していることだった。
故に、だろうか────。
「クロ──間違えるなよ!」
「…………な……」
黒乃は即座に、《所持品》パネルから、《薬草》を連打タップして、三つ四つ一辺に飲み込んだ。
回復効果によってヘイト量を皐から奪い取り、黄金に輝く殺意の猫目は黒乃に注がれることとなった。
橋の上には最早人の姿はなく──黒い耳の猫と、黄金の耳の猫の二匹が居るばかりだった。
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