4-6 其の後

 ①

 黒乃はポケットから携帯を取り出し、一見して直ぐにしまう。


「皐! ゼェ……ゼェ……今二時四〇分!」

「わかった」


 黄金色の闘気に包まれたボス──《バステト》。

 猫の神の名を頭上に浮かべたメイドさんは、愛くるしい印象を一気に逆走させ、一〇〇の魔物を掻き分けて豪速で飛び出した。

 それは黒乃と同じ、四つ足移動の爆走スタイルで、金毛の毛並みを風に切らせて黒乃へ突進──。

 相対する黒猫プレイヤーは、黄色の瞳でしかとボスを捉えた。

 その捉えきれないほどの速さではないボスの攻撃を、黄色い猫目で体感すると、瞬間的に鴉間に対する罪悪感が込み上げた。


「あの時……噛み付いて悪かったよ鴉間……やっぱりお前は……ハァハァ……ちゃんとした開発者だったな」


 ──躱せないほどではない。毎度不可避の攻撃を繰り出すような理不尽さはない。

 挑戦することがそのまま死ではない。攻略出来ないからこそ死するのだ。

 難易度こそ高いかもしれないが、決してクリアさせる気がないような難易度ではないことを、黒乃は身をもって知った。


 真っ直ぐと飛び込んできた獣人の爪先を躱す。

 ──ビュンビュン!

 クロス状に裂かれた猫神の爪は、黒乃の頬先と髪先から僅かに隙間を開けたところで空を切った。

 そのまま自分の横を通過していくボスの、ガラ空きだった横っ腹に一発、お見舞いしようと思えば出来たのかもしれない。

 しかし黒乃も皐も、未だ作戦を進行している途中。

 二人が予め決めていた計画手順に準じる為に、今は自分の命を維持することだけに集中していた。


 ボスの攻撃が躱せたからと言って、黒乃と皐の二人にはちょっとした安堵も油断も許されない。

 次から次へと魔物の拳が、爪が、牙が、脚が、吐いた炎が二人に向かって飛び込んで来る。

 魔物の中には魔法を使う者が居て、赤、青、紫、緑──色とりどりの魔法陣の印鑑が、橋と上空にポンポンポンポン押されていく。 


 黒乃は瞬きを許さないことを己に課した。

 全ての攻撃を躱せる隙間を見出しては四つ足でコンクリを叩き上げて飛び込んでいく。

 ──やっぱり、ゲームしていてよかった。

 学校、サボっておいてよかった、と黒乃は噛みしめる。

 元々皐のように戦闘慣れしているわけでもない。

 相手の細かな初動を見切って、どんな攻撃が繰り出され、どういう回避行動を取ればいいのかと正確に判断する勘や経験測がない。

 ボスと戦うと決めた一週間で、そんな不足している戦闘経験が埋まる筈もない。

 

 しかしこの戦場の仕様は、半分がゲーム。ゲームであれば皐よりも遥かに得意である。経験がある。知識がある。運動ゲーム神経がある。

 黒乃はアクション性の高いハンティングアクションプレイや、反射神経の必要な横スクロール全力ダッシュ縛りプレイ、超高難度シューティングゲームに一週間を使い、元々高かったゲーム神経を更に研ぎ澄ましていた。

 そのゲーム神経を、一週間掛けて実際の戦闘感覚と擦り合わせた。

 上空にコントローラーを握る自分の視点を置き、実際に動く自分をキャラクターとして操るという陶酔能力から成る──その対応力は、戦闘慣れした皐に匹敵するまでに育っていたのだった。


 テレビゲームが人を強くする。そんな馬鹿げた奇跡が起きていた。


 回避一辺倒。一匹の黒猫は橋の上をバタバタと暴れまわっていた。


 皐は黒乃とスタイルはやや違うものの、腰を落とし、迫りくる攻撃が腕であれば腕の側面を引っ叩き、脚であれば脚の側面を引っ叩き、攻撃をキャンセルさせる回避法を主とし、黒乃と同様に回避一辺倒のスタイルを取った。

 黒乃が教えた訳でもないのに、詠唱中の魔物が近場に見つけたならば、吹き飛ばすほどの拳と蹴りを深々と入れ込んで詠唱をキャンセルさせている。


「ゼェゼェ……あ……あと五分!」

「わかった!」


 二人は隙を見つけては携帯で時計を確認し、声に出して伝達し合った。

 魔物の数は一匹たりとも減らない。

 二人を狙う魔法陣は休むことなく橋に出現し、爆炎が、氷塊が、落雷が──ありとあらゆる幻想が、命を奪おうと二人に襲い掛かる。

 ──時間よ早く過ぎ去れ。

 そう強く願い、遂に二人が予め決めていた一〇分の時間が経った。


「クロ! 体力大丈夫か!」

「無理……多分……吐く!」


 繰り出される攻撃の見極めや、対応力、回避力は皐と肩を並べていても、たった一週間其処らでは体力が追い付く筈はなかった。


「フッ……吐くことまで……何かもクロの予想通りだな!」


 皐は橋の横側を囲む手すりの上へ飛びあがり、指を忙しく動かした。

《所持品》のパネルを押し、展開させる。

 アイテムを指定し、《取り出す》をタップする。


「一〇分だ!」


 叫んで皐は、手すりの上にアイテムを設置した。

 皐が立つ手すりを中心に聖気とも言える真っ白な光が円状に広がって行く──その光は半径500メートル先まで広がり、白円の内に滞在する全ての雑魚モンスターを呑み込んだ。

 設置したアイテムは、《不可侵の盾》──橋の上から、ボス以外の全ての魔物が消えた。


「ハァ……ハァ……へ……っへっへっへ……」

「フフ……フフフ……」


 自分たちが練った作戦の、約半分は達成出来たことへ、二人は思わず笑いを零した。


 ──二人が完遂した半分の作戦。

 秋葉原を駆け回り、魔物とプレイヤーをかき集めながら警官の意識を橋から外させる。

 橋から警官が去った頃に橋へ戻り、今度はボスを呼び出すことで連れて来たプレイヤーに恐れを与えさせ、逃がす。去らせる。

 そうすることで横やりを入れられる可能性を消す。

 更に一〇分間、回避一辺倒のスタイルで生存を維持し、他プレイヤーが遠くまで逃げるのを待つ。直ぐに魔物を消してしまっては、再びボス戦を邪魔しようというプレイヤーが現れてしまう為だった。

 そして余った一〇〇の魔物を不可侵の盾で消せば、ボス対、黒乃と皐の一対二の図式が完成する。


 異世界23区というモンスターが溢れる危険世界の中へ、安住の地を作る貴重なアイテムは二つしか与えられない。

 その内の一つを、自分の生活を守る為ではなく、ボス攻略に使ったのだった。


 こうして作戦の完遂まではもう半分──ボスの討伐を残すのみとなった。


「さ……ざぁ……ボス戦……だ……う! ……ぉぅぇ…………っ」


 黒乃が手すりから身を乗り出して、下に流れる川に向かって胃液をぶちまける──ボス戦開始の狼煙は、黒乃のゲロによって上がった。




 ②

 不可侵の盾を設置して即座に、皐がボスの懐に入った。

 一発もらえば死ぬ──そんな恐怖を乗り越えるのは、男前の皐にとっては朝飯前であるようだった。


「ベアスイング!」


 アルウラネ戦の時と同様、皐は栗毛の猫ボスを上空に打ち上げた。

 しかし今友人は連携が取れない。

 ただでさえ、元々体力の少ない引きこもりの身体に鞭を打って秋葉原を駆け回っていたのだ。

 グロッキーは当然のことであり、下に流れる川を汚してしまっているのも無理はない。

 此処までも黒乃と皐の打ち合わせ通りであり、作戦は次の段階へ移行していた。


「ざ……ざつき…………頼んだぞ……ぉぇっ……」

「あぁ、任せろ」


 皐は黒乃のように秋葉原を走り回っていたわけではない為、体力は十分に残っている。

 雑魚を消し去った後は、自分がボスを引き受け黒乃を暫く休ませる。

 バトンタッチ方式の作戦が二人の間で組まれていた。

 その後、黒乃の復活を待ち二人で猛攻を仕掛ける──。


 皐はその作戦の第一歩として、再び目先空間に指を伸ばしてパネルをタップした。

 再び、《所持品》から、《薬草》を取り出す。

 現れた緑の葉っぱを乱暴に呑み込んだ。


 MMORPGには、仮に今のような二対一状況にある場合、ボスが皐と黒乃のどちらを狙うのかは、ボスに加えたダメージ量で左右するという、ヘイト機能というものが備わっている。

 単純に多くのダメージを与えた者が狙われ、そのヘイト量は攻撃を受けると減少するという仕様が基本仕様。

 そして攻撃を加えること以外にも、爆発的にヘイト量を蓄積させる方法があった。

 それは回復行為である。


 アタッカー陣が殴り続けヘイトを蓄積していたのに、一人の回復士が行った回復魔法により、狙われるのは回復士になってしまい、防御力の低い回復士が即殺されパーティー壊滅なんていう話はMMORPGでは、あるある話である。


 そして今のように皐が回復行動を取れば、一撃も殴らずにいた黒乃にヘイトが溜まることはなく──もう直ぐ橋の上に着地して戻って来るボスに狙われることなく、橋の隅っこに身体を寄せて、安心してゲロ出来るというものだった。


「──オウェロロロロロロロロロロロロロロ」

「……だ、大丈夫かクロ」


 返事も出来ないままに黒乃は首を横へ二度三度。


「フっ、暫く休んでろ」

「……あ……あい……」


 レベルを引き上げていた、《ベアスイング》はボスを30メートルほど上空に打ち上げていた。

 そのボスは地に足を着く前に攻撃を開始させる──落下しながら秋葉原の夜空へ向かって、肉球愛らしい手を翳す。


「……皐! 何か来るぞ!」

「む」

「ニャァア……《殺意の手料理ファッキン・オム・スタンプ》!!」


 プレイヤーのようにスキルを放つボス──その技の名が叫ばれると同時に、皐の上空に一枚のドデカい皿の底が現れた。


「なっ!」


 ──ズドーン!

 皐が瞬時にバックステップし、空いた道路上へ皿は落とされた。

 よく見れば皿の上には、『殺』とケチャップで書かれたオムライスが乗っていた。

 轟音も間もなくオムライスは、パッと咲くような光に変わり姿を消し──その多量の粒子の中から、脇を締めながら皐が走り抜けた。


 どうやら実体化されていない筈の薬草でもスキル、《野生の食事》は発動するらしい。皐の身体から青い粒子が滝昇っている。

 

「──せぁあっ!!」


 大股の一歩でボスの懐へ潜り──ゴンゴン!

 皐が新たに装備した、赤く光る手甲が深々と突き刺さる重く硬い音が響いた。

 深追いはせず、拳を突き出す所作に美を感じる洗練された二連撃。

 左、右と──瞬く間に叩き込み直ぐにバックステップ。そして腰を落として型を整える。

 先刻のベアスイングと合わせて計三撃。

 しかも食事行動によりステータスを引き上げた状態で、ボスにダメージを入れている筈だった。

 しかしHPの減り具合は、目を凝らして何とか見て取れるほどのミリ単位の減少量。

 相変わらず無表情な皐の、額を冷や汗がサラリと撫でた。

 果たしてこの先もボスからは一撃も喰らわずに、ミリでしか減らない攻撃を与え続けられるのだろうかと、皐の精神に陰りが滲み出る。

 

 ──そんなことは分かっていたこと。

 どうせボスは硬いのだろうと、そんなことは黒乃から聞いていたことなのだと気持ちを立て直す。


 正面に捉えて猫神が、可愛い八重歯をキラリと覗かせた。


「フルルルニャァアアアアアア!!」


 耳を突くような鳴き声と共に、四つ足に込めた力を爆発させ飛びあがる。


「──《肉球大行進キャット・ウォーク》!」


 ボスの猫手が幅1メートルに膨れ上がる。

 ──ボスン! ボスン! ボスン! ボスン!

 膨れ上がった肉球で皐を押しつぶそうと、万世橋上に手を叩きつけての大行進。 


「っく! っふ! っは!」


 皐は蛇行気味に後方へ飛びながらやり過ごした。

 スキル動作の切れ目を狙って皐は駆け出して行き、距離を一気に詰める。

 その度に、幾ら屈強な肉体を持ち、物怖じしない性格を持つ皐でも心臓に恐怖の針が刺さる。

 ──喰らえば終了。

 汗が冷たい。その先に待つ死の気配が身体を冷やす。

 

「っらぁあ!!」


 だから己に喝を上げて跳ねのける。逆境に心は燃やす。

 ──ゴゴンッ!

 再び二連撃を叩き込み、即座に距離を空ける。

 ボスのHPが青から赤への変色量は、さっきと変化しているかどうかすらわからないほど。


 ──これを、勝つまでやるのか?

 途端、身に流れる汗を冷たく感じた。

 繰り出されるのは滅茶苦茶な方法の攻撃ばかり。どれも格闘家の自分が戦ってきた相手とは違う、常識を超えた存在。

 一撃は致死量。

 幾ら毎日鍛え上げている自分でも、勝利を得るまで体力が持つのだろうか。精神は持つのだろうか。


「ハァ……ハァ……」


 気付けば皐の呼吸は荒くなっていた。

 作戦が上手くいっている内は自覚しないでいられる。

 体力の減少とはそういうものである。

 少しでも陰りが見えれば、今までこれほど減っていたのかと体力の減少は自覚させられ、絶望までの歩みはより速く感じられる。

 ──ひょっとして、無理なんじゃないか?

 皐の心に疑念が過った時だった──。


「──皐ぃいいい!」

「クロ……?」

「ハハ! これは……勝ったな!」


 グロッキーの友人は、口から薄黄色い液体を垂れ流しながら、この絶望的状況を笑い飛ばすのだった。

 ──どうやら作戦があるらしい。

 そしてその作戦は黒乃の体力回復を待たねばならないことに変わりはないようだ。

 黒乃の笑いながらも青ざめた肌がそれを示している。

 ──躱せ。一撃ももらうことなく躱しきれ。

 ──そうすれば、勝つのだから。

 友人は恐らくそう言っている。


 必要な時にしか無茶を言わない友人だ。

 どうやって、だとか。嘘だ、だとか。そんな風に喚く必要はない。

 自分の返答は、いつでも決まっているのだ。


「──そうか」


 皐は短く言って、万世橋の上で舞い続けた。

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