4-5 黒猫大乱舞

 ①

 秋葉原に点在するプレイヤー同士は睨みを利かせ合い、無駄に命を落とすまいと距離を取り合っていた。

 それでいて何時でも襲い掛かれるように、そして何時襲われてもいいように──互いの間には見えない垣根が敷かれていた。


 そう緊張感の継続を必至とされた戦場秋葉原で、鈍い地鳴り音がプレイヤーの注意を引き付けていた。


「何だ……?」「魔物か?」「誰か戦闘中か?」


 頭の中に直接鳴り響くようなその重低音は、地面や建物を揺らしてはいない。

 その原因を推測するのは簡単だった。

 異世界23区の魔物ならば、本来実体のない者であり、歩いたり走ったりする音だけを頭へ届けることが出来る。

 それは理解出来るが、どうしてこんな大群を成しているかのような騒音にまで達しようとしているのか。


 魔物同士が徒党を組んで、プレイヤーを襲うようなシステムは組まれていない筈。

 そんなシステムはないのに、どうしてこんな魔物の集合音が鳴るのだろうか──周辺に居合わせたプレイヤーが、騒音のするほうを怪訝に眺めた。


《ピクシー》《サキュバス》《ウンディーネ》《エキドナ》《オークレディ》《シルキー》《シルフィード》《スキュラ》《キャットウォリアー》etc──。


 他にも魔物はその名を無数に浮かび上げ、大群となって近場のプレイヤーへ押し寄せて来ていた。

 ──ズズズズズズズズズ……!!

 地鳴りの音は電気街の大通りを怒涛の勢いで行進している。

 どうやら女型モンスターが多いことが異世界23区が定めた秋葉原の特色らしい。


 その群れの先頭に一匹だけ男が居た──一匹だけ、名前の青い者が居た。


 背後には既に三〇以上の魔物を引き連れ、その魔物の名前は全て赤色の為、戦闘状態にあることは分かる。

 まるで魔物を率いているかのような、その百鬼夜行かのような群れの先端に、《黒猫》の文字が走っている。


 黒乃は自らが名乗る、猫の名に恥じない素早い四足歩行で、地を這って手近なプレイヤーに魔物と一緒になって突っ込んでいく。


「さ……最悪だぁあああ!」「逃げろぉおおおお!!」

「無理だ! 戦え! 戦え!」「駅だ! 駅に逃げろぉおおおお!」


 脅威を目の当たりにしたプレイヤーたちは、自分の身を守る為に逃避か戦闘かの選択を取り始める。


 黒乃は万世橋を開始地点に走り出し、アクティブモンスターを見かけた先から攻撃範囲に入り、何度も何度もそれを繰り返し、既に三〇以上の魔物が黒乃を狙って追ってきている状態を作り出した。

 そうして背後に迫る魔物の数を増殖させながら、プレイヤーを発見するなり群れを引き連れて突進していく。

 あまりの光景に狼狽えるプレイヤーの隙を突いて上空をジャンプして飛び越え、行進の止まらない魔物群はプレイヤーに突っ込み、かれていく。

 そうして強引に魔物の身体に触れさせられた者は、攻撃対象が黒乃からその者へと移行する。

 ──強制エンカウント行為。

 MMORPGなどでは、必ずと言っていいほど一人は居る迷惑プレイヤーが行う、その代表的な超ド級の迷惑行為だった。


「アッハッハッハ!! 逃げるか戦うか、直ぐに選んでよ!」


 まるで悪を楽しむように黒乃は他プレイヤーを嘲笑った。


「この糞ガキがぁあああ!」「あいつをぶっ殺せえええええ!!」「んなことしてる場合じゃねぇ! 逃げろぉおおお!」


 今のところ他プレイヤーの中で黒乃の四足歩行に追いつける者はいない。

 黒乃は様々な脅威から余裕を持って距離を取り、未だ名前の青い魔物に身体をぶつけて百鬼夜行の群れに加えていく。

 名前が赤く変わって群れに加わった魔物と、黒乃に怒りを覚えたプレイヤーが必死に黒乃を追いかけ始める──両名合わさったことで、そのパレードは気づけば七〇の数を越えていた。

 

 開始地点の万世橋の上では皐が携帯電話を耳に充て、通報を繰り返していた。


「何やら電気街方面で暴れている者が居ます」


 警察組織は連日続く不審死で敏感になっており、最寄りの警察署である万世橋警察署と近くの交番から、次々と警官の手配を始めた。

 黒乃が一五分も走っていると、秋葉原には──警官、魔物、プレイヤーの三勢力が集合し、各々が仕事を全うし始めるのだった。


 警官はその場で暴れまわっている者を捉えようとはしても、黒乃を追おうとはしない。

 それもその筈、彼ら警官にとっては、黒乃というキャスケット帽を被る少年の行動は、ただ夜の秋葉原を走っている少年だったからに他ならない。

 魔物の行列を見ることもない為、その群れを率いているのが黒乃であることも悟られない。

 四つ足を着いている為に明らかに変ではあるが、ただ走っているだけの彼に、罪はない。

 それよりも見えない何かを相手に戦っているかのように、奇声を上げて暴れている者を制するほうが優先事項だった。


 黒乃の思惑は順調に進行していた。

 バフスキル、《四足歩行》の効果で強制的に移動速度を上げている為、二足で普通に走るのに比べれば体力の消耗は激しくはなく、肩で息を始めてはいるものの、気分がハイになっているお陰で自分が疲れている実感が薄い。


 引き続き走り回り、他プレイヤーに迷惑を掛け、黒乃を追う魔物とプレイヤーの数が一〇〇を越えた頃、黒乃の独壇場を阻む者が現れた。

 速度で言えば敵なしだった黒乃に軽々と追いつき、《小町》と頭上に青文字の名を浮かべて、谷間以外の身体を黒装束に包み込む、艶やかなしのびのプレイヤーだった。



 ②

 彼女は黒乃の横につけるなり怒鳴り声を飛ばした。


「貴方、随分なプレイヤーに変貌したじゃない!?」

「あ、この間の! あの後大変だったんだぞ! お前許さないからな!」

「っはん! あのおじ様は死ななかった口ぶりね! 残念だわ!」

「お前なぁ……!!」


 黒乃は一度足を止め、横目で魔物軍との距離を測る。

 近くはないが止まっている場合でもない。直ぐに詰められてしまう、20メートルほどの距離間。

 それでも構わず、小町に睨みを利かせた。

 この忍びの女と決着をつけるのに設けることの出来る時間は、三〇秒が制限時間といったところだった。


「言っとくけどなぁ……お前が殺そうとしたおじ様ってのは……ピカピカの高校一年生だからな!」


 動きを止めず、黒乃の周囲を走り回る小町に向かって叫びをぶつけた。


「冗談言ってないでかかって来たらどう?」

「や、冗談じゃないし。そっちから来いよ。悪いけどお前の攻略なんて一人なら余裕なんだよ!」

「言ってくれるじゃない!」


 黒乃の挑発に乗るものの、くるくると回っていたその走りは黒乃の背後でビタっと直覚状に曲げられ、一本のクナイを握りしめて背中から突き刺しに向かう。

 直前で、クナイの先端をペロリと舐めた。

 それは──毒攻撃スキルの必要モーションだった。


 黒乃はその間で振り向き、勢いよく地面を蹴る合間で剣士の黒制服の内側に引っ掛けてある短刀を抜いた。

 それは《四足歩行》を辞め、スピードを捨てる戦術だった。


「そんな初期装備の短刀で、舐められたものだわ!」

「正式名ショートダガーな!」


 黒装束と黒制服の──二つの黒影が正面衝突する。


 最初に行動を起こしたのは黒乃のほうだった。

 二人の身体が接触する手前、小町の足元へ目掛けてショートダガーを投げつけていた。

 小町は放たれた短刀を軽々と飛び越え──「毒舌どくぜつ!」とスキル名の叫びをあげクナイを振り上げて、ジャンプの勢いを乗せて突き立てに掛かる──黒乃は即座に両手を地面に着き、もう一度、《四足歩行》の効果を得て、彼女の横を通り過ぎた。

 ──ザン!

 何かを切断する音が、二人が交差すると同時に響いていた。


「っち」


 小町は舌打ちを一つ鳴らして、自分の横を通り抜けて行った黒乃のほうを振り向いた。


「ホント、厄介な目だこと」


 それは小町の攻撃が空振りに終わっていたことを意味していたが、彼女の身体もまた無傷であることを示す悪態でもあった。


「何だ、お姉さん結構美人なんだね」

「……は?」


 ハラリと、黒頭巾だった布が地に落ちた。地に落ちた時には、元の姿であるニット帽が切断された状態で広がっていた。

 細目を釣り気味にした、妖艶な狐顔が露わとなる。

 異世界23区の武器は、本当は刃物ではない為に衣服などは切れない。

 しかし黒乃の爪は違う。

《猫の爪》のスキルレベルを2にまで引き上げて強固となった爪は、それだけで凶器と化していた。

 黒乃は小町とのすれ違いざまに、爪で彼女の黒頭巾だけではなく、衣服をも切り刻んでいた。

 故に小町のHPに支障はなく身体にも傷はないが、彼女は秋葉原の大道路上で──全裸となった。


「きゃ……きゃあああああああああああ!!」


 黒頭巾から零れ出た長い金髪を巻き込んで、両腕で豊満な胸元を隠し、下半身を隠すように片膝を立てて道路上に座り込む。


「HPを失えばゲームオーバーっていうゲーム性に囚われ過ぎなんだよ」

「このガキぃい……」


 小町は鼻頭までも真っ赤にしながら、恨みの籠った目を向けている。

 黒乃はそんな彼女を無視して明後日の方向へ、くるりと翻して、

「──おぉおおおまわーりさぁあああああああああん!! この女の人、公然わいせつ罪でぇええええええす!!」

 と叫ぶと、遠くに居たプレイヤーと警官の両方が、小町の二次元レベルの美貌を拝もうと走り寄るスピードを格段に上げた。


「な、な、な、な、な!!」

「露出性癖に目覚めたんだったらまた来なよ……何度もでも、剥いてやるから」


 鋭利に立てた爪を見せつけながら、黄色い猫目で睨みを返した。

 小町が黒装束だった衣服の破片をその場へ残して逃げ去るまで、もうすぐ三〇秒が経とうとしている頃だった。


「…………めちゃめちゃエロかったな……」


 遅ればせながら黒乃は頬を赤く染めて、魔物と怒り狂ったプレイヤーの混合軍を再び背負う。

 そしてまた両手を地面について、その混合軍を更に膨れ上げるべく電気街方面を走り回っていた。



 ③

 秋葉原の電気街を中心に、北上した末広町駅と西の御茶ノ水駅付近は、黒乃の迷惑行為によって混沌を極めていた。

 魔物の群れを当て逃げされたプレイヤーは駅へと避難し更に遠くに離れる者と、その場で魔物に応戦し警官に捉えられる者、そして怒りに満ちて黒乃を追う者と三手に分かれていた。


『クロ、作戦通りこっちガラ空きになったぞ』

「おっけ。こっちもざっと見だけど魔物は一〇〇くらいで、後を追って来てるプレイヤーは三〇いかないくらいには成った。そっち戻るよ」


 異世界23区の魔物とプレイヤー同士を戦わせることで警官をおびき出し、それを複数箇所用意することで、秋葉原に滞在する警官を枯渇させつつあった。

 黒乃は万世橋には近寄らないように走り回っていた為、元々万世橋に手配されていた警備も他の場所へと応援に回されていた。

 これで暫くの間、ボス戦を行うにあたって警官の邪魔は入らないという算段だった。

 

 皐からの連絡を受け、黒乃は携帯をポケットにしまい直して四足移動を再開させる。

 最早、軍の規模となっていた量のモンスターと、三〇名以上のプレイヤーを引き連れながらボスの居る万世橋へと駆け出した。

 黒乃が橋に帰還して、今度は集まった魔物からの攻撃を躱し始め、橋から移動する様子を見せなくなった。

 ──これで恨みが晴らせる。

 魔物と戦いながらも黒乃を追って来ただけあって、戦闘能力に自信がある様子と共に黒乃を睨みつけるプレイヤーたちだった。


「……このガキぃ……なんて迷惑なことしやがんだ」「ぶっ殺す!」「死ねぇ! 猫野郎」


 橋の上に居る一〇〇を越える魔物から身を躱しながら、他プレイヤーは続々と黒乃へ迫っていく。

 迫る来る様々な猛攻を黄色い猫目でしかと捉えながら、スルスルと群れの隙間を抜けて、遂には普段滅多に使われることのない船着き場に降り立った。

 ニヤリと──他プレイヤーに向けて口端を上げるサマを、同じく回避に徹する皐が見ていた。


 黒乃が船着き場へ立つと同時に、淡い輝きを放つ立体映像が地面から生え伸びる。

 細めで白色の支柱がにゅっと伸び、先端には青いボタンのようなものが置かれている──ボス戦を開始する為の起動パネル。

 今から黒猫というプレイヤーが何をする気なのか、他プレイヤーは即座に察知した。


「お、おいまさか……」「辞めろ!」「お前も死ぬぞ!」


 数々の制止する声を浴びながら、黒乃は引きつった笑顔を浮かべてボタンを押した。

 ボス戦が始まる恐怖と、作戦が進んでいく嬉々と、その両方が合わさった歪な笑みだった。


『──只今より、ボス戦を開始致します』


 リリーによるガイダンスが黒乃と、そしてパーティー関係性にある皐の頭に流れた。

 数少ない車通りが、ボスの姿を霞ませる中、どうやら人型らしいことを車の隙間に見つける。

 しかし、風に揺れているかのような演出の施されている黄金の毛並みが次第に目に留まり、今度は二つの突き出た耳が見えた。

 亜人タイプ──猫型の半人半獣。

 車通りが無くなった瞬間に亜人のボスが纏う衣服が全て見えた──メイド服だった。

 華憐に揺れるフリル、裾の長いエプロンスカート、獣耳と合わさったヘッドドレス。 


 「ハハッツ……秋葉原らしいな」


 そう零した黒乃の周りで、既に黒乃に関心をなくしたプレイヤーが次々と悲鳴を上げる。

 

「よ、呼びやがった……」「逃げろ! 逃げろぉおおおおお!!」「あの黒猫とかいうやつ、俺たちを殺す為に、これを狙ってやがったんだぁあああ!」


 猫型のボスは頭上に──、《バステト》と猫の神族である名を掲げ、長い黄金の尻尾に鞭を打たせて瞳に殺意の赤色を塗りたくっている。

 その様子に怯えて、一人のプレイヤーは尻餅をついた。


「お、俺は知ってる……レベル30以上の奴が挑んでも一発で終いだった……無理だ……この場に居る奴は……全員死ぬぞぉおおおおお!!」

「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 バステト神は百鬼夜行の中心で雄たけびと同時に、メイド服の上から身と同じく黄金の闘気を放つと、その命に迫る危機感はプレイヤーという蜘蛛の子を、あっという間に散らした。

 二人の作戦は、逃げていったプレイヤーが言うような、他プレイヤーの殺害にはなかった。

 橋の上にはその答えの半分を示す、一〇〇の魔物とバステト対、黒乃と皐の絵図が描かれていた。

 警官とプレイヤーという二勢力の排除に、二人は成功した。


 二人が描いた絵図は数でも実力でも圧倒的不利状況にあり、正に地獄絵図だったと言える。

 それでも──二人は作戦が順調に進行していることへの喜びを分かち合うように、互いに視線を飛ばし合って、その身を橋の上で踊らせていた。

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