4-2 理不尽か高難度か

 元々体力の多いタイプではない。皐の家から鴉間の居る店まで、ずっと全力で走っていられるような距離でもない。

 だから切れた体力の代わりに怒りに身を任せて走り切った。

 この深い悲しみと憎しみを、あの悪魔にどういった形で放つべきか、それのみを考えた。 

 苛立ちの根源は、りんごが最初から死ぬことを決められてゲームがスタートしたことだった。

 ──そんなものはゲームじゃない。不具合だ。

 そう噛みついてやると決めた。

 仮にゲームだったとしても、そんなものは詰みゲーだと言ってやる。

 お前は詰みゲーを作ってしまった、駄作を生み出したつまらないゲーム開発者だと言って、一切の誇りをへし折ってやろうと憎悪に身を任せて走った。


 気付いた時には、鴉間の胸ぐらが自分の拳の中に在った──。


「御伽りんごの病気は不具合の範囲だ!」

「……あっはぁ」


 溜息と笑みを同時に零しながら、鴉間は黒乃が一言噛みついただけで何もかもを察した様子を見せる。


「…………天使病のことかなぁ?」


 返された一言だけで確信したのは黒乃も一緒だった。


 こいつは全てを知った上で施したのだ。

 りんごが手続き書に書いた、『天使』の職を再現する為に、天使病が命を落としてしまう病気と知ってデータに組み込んだのだ。

 御伽りんごがゲームを続けていれば、いずれは羽を成長させて死んでしまうことをこいつは知っていたのだ。

 ならば計画通りに噛みつくだけ。

 いずれ必ずバッドエンドを迎えるゲームなど、何が楽しいのかと叩きつけてやるしかない。


「こんなもん……御伽さんからすれば詰みゲーだろうが! お前はもっと誇り高い開発者だと思ってたぞ!」

「…………此方こそ、もう少し誇り高いプレイヤーだと……黒猫君のことは買っていたんだけどねぇ?」


 鴉間は黒乃に構わずティーカップに手を伸ばす。

 落ち着いて紅茶を一口含み、喉を通った音が鳴った頃、黒乃は突き飛ばすように白衣を手放した。

 沈黙が少し流れ、鴉間はもう一度カップを口まで持って来て喋り出す。


「黒猫君には三点の誤解点があるねぇ」

「何?」

「先ずは僕についてだぁ。不具合だから直せとは、これはまた……ボクと黒猫君との距離は何時からそんなに近しいものになったのかなぁ。

 君が言う、『天使病など詰み仕様だ』なんて言い分は武器防具屋のオヤジに言うべきものではない……即ちボクは運営としてそのクレームに耳を貸すことになるわけぇつって。その運営である僕はさぁ──」


 ──殺人者なんだよ。

 そう鴉間がニタっと笑うと、その言葉の悍ましさは、近づきつつあった黒乃と鴉間の距離を再び強く引き離したようだった。

 黒乃は確かに忘れていた。

 こいつがボタン一つでプレイヤーを殺した奴であるということ──確かにその恐怖は褪せていた。


「ニュースはちゃんと見てるのかい? 見ていないなら今の内だけでも見ることをお勧めするねぇ。東京ドームシティでは眠るように死んでいる謎の死体が二〇以上は発見されたんだよ?

 それらぜーんぶがさぁ……ボクを含めた運営の仕業であるわけなんだよぉ? 黒猫君は本当に……誰に頼み事をしてるか分かってるのかねぇ?」


 鴉間は頬杖の上で勝ち誇ったように口端を上げる。

 それでも黒乃は、今も苦しんでいるりんごの為に何かを言わなければならない。

 今しがた与えられた恐怖心を跳ねのけて、黒乃は駄々っ子のように言葉をぶつける。


「じゃあ何か……? お前は……クリア出来ずに苦しんでいるプレイヤーを見て自分の自尊心を高めてるような……そういう……高難度と理不尽さを履き違えているような、勘違い運営だったのかよ!」

「まさかぁ……ボクもその手のゲームは嫌いだよぉ」

「だったら治せよ! 天使病のシステムを取り払え!」

「無理だねぇ……ボクに非があれば勿論そうするさ。けどねぇ……誤解点、その二だぁ黒猫君……先ず──書かなければよかったんだよぉ?」

「何をだ!」


 黒乃はじわじわと蝕んで来る敗北感を取り払うように怒鳴った。


「先ず、天使と希望職に書かなければよかった。次に、成長させなければよかった。そしてもう一つ、病気の情報は事前に与えられていた。死なない為の機会も攻略ヒントも与えられていた。

 そういうのをさぁ……ゲームじゃ詰みゲーって言わないよねぇ? 単なるバットエンドフラグ……地雷フラグを踏んだだけ、つって。

 黒猫君だってさぁ……ADV(※アドベンチャーゲームの意)くらいプレイしたことあるよねぇ? 地雷フラグを踏んでも選択肢の前までセーブデータを戻して、結局クリアして……そうやって四苦八苦してゲームを楽しんだことはあるんじゃないのかぁい? 

 そんなのはADVじゃ基本仕様だぁ。君はADVを全否定するつもりでボクのところに来たのかなぁ? ねぇ?」


 何か言葉を返したい。

「ぅっ……」

 返せる言葉は浮かばずに、そんな息を漏らすだけで精一杯だった。

 この悪魔は正しい──そう感じてしまって居た。

 ──有る。そうやって間違った選択してしまい、ゲームでバッドエンドを迎えたことは何度もある。

 その度にやり直し、真エンドを手にした時の達成感を感じてしまったこともある。

 黒乃は反論すること叶わず、やり切れない想いを拳の中に固く握り込んで立ち尽くした。

 ──何か。

 何か言わなければ。黙って立って居るだけではりんごは助からない──。

 

「このゲームはADVじゃないんだから! ADVのルールなんて当てはまらないだろ!」


 ──あぁ糞、こんな揚げ足を取るような言葉しか吐けない。

 黒乃は言いながら気づいた。それこそが誤解点三つ目だった。


「そうさ黒猫君。それこそが誤解点三つ目。このゲームはオンライフ型ゲームとジャンルを銘打ってから発表し、そして君たちプレイヤーには了承を得ている筈だろう?」


 ──ゲームの為に、人生の全てを捨てられるか。

 それは命も例外ではない。


「このゲームはMMORPGでもADVでもない。オンライフゲームなんだよ。

 知らず知らずの内に間違った選択をしてしまうこともある、何時掛かってしまうともわからない病気に怯え備えながら生活を送る、普段は遠くに感じているだけで何かの弾みで極近くに死という存在を感じてしまう──ボクも君たちも送ってきた人生ってやつ。その人生の形を成したゲームなんだぁつってね」


 鴉間の言葉を聞きながら既に論破されていることは認めていた。

 ──世の中には色々な奇病があってねぇ。

 説明会時、鴉間はむしろ丁寧に教えてくれていたのだ。地雷フラグの存在を知らせていたのだ。

 そして鴉間の知らぬところで、それを美しいと称え、天使と書いたりんごを肯定し、後押しした。

 先ず、彼女の羽を褒めなければよかった。次に、美しい褒めていたとしてもスキルの割り振りの話し合いの時に、自分が全て使い方を指定すればよかった。

 彼女の死を回避する為の選択は、鴉間が知らないところで他にもあった。

 彼女をバッドエンドルートへ推し進めたのは──外ならぬ黒乃だったのだ。

 これ以上喚くのは、黒乃のゲーマーとしての誇りを瓦解させることに等しかった。


「……鴉間、悪かった……子供の八つ当たりだった……」

「フフ……随分と素直なんだねぇ」

「はぁクソ……僕は駄目な奴ではあってもガキじゃないなんて思ってたけど……とんでもなくガキだった……ゲームが上手く攻略できないからって糞ゲーだとか、運営にクレーム入れるとか……最低だな」


 本当は全て分かっていた。

 初めてりんごと公園で会った時に羽を羨ましがり、出会って数分で地雷フラグを立てていたことも。

 その証拠に彼女は、瀕死の中で天使の微笑みを繰り出して羽を嬉しそうに見せてくれた。

 ──綺麗ですか?

 そう言って、衰弱して今にも死んでしまいそうな中で笑ったのだ。

 そんな彼女に今何をすべきか。

 彼女の微笑みを思い出すと、黒乃はようやく悟ることが出来た。


「──天使病はどれくらい命を保っていられるんだ」

「個人差はあるだろうけど、要は栄養を吸う病気だからねぇ。点滴さえしていれば直ぐに死んでしまうということはないだろうけど……それでも永遠じゃないだろうねぇ。持って数週間じゃないかなぁ?」

「……そうか」


 皐のように短く言って、受付を背に向け店を出て行こうとする黒乃。


「……これからどうするんだぁい?」

「──クリア、するよ」


 もしもりんごが、現代医療を持ってしても救えないような病気に掛かってしまっていた場合。

 そしてその病気が異世界23区に関与するものであっても運営が取り合ってくれなかった場合。

 そんな彼女を救う唯一の正攻法。

 クリア報酬で受け取ることが出来る──結構な願いごとを二つ叶える権利。

 それを使えばりんごをまだ救うことが出来る。

 鴉間は説明会の時、奇病データが脳内チップに埋め込まれていることを知らせると同時に、クリア報酬で絶命以外の大概のことは治せるとも伝えている。


「……まぁ、それしかないよねぇ」

「僕、本当は分かってたんだ。何だか取返しの付かないことになってしまっているんじゃないかって……そんな不安に怯えながら少しづつ準備を進めてた」

「そうは言ってもさぁ……黒猫君、今レベルいくつよ?」

「8だ」

「ダァーッハッハッハッハ!! 最早、縛りプレイの域だねぇ!」


 彼女を唯一救う方法は残されてはいるものの、手にするのは限りなく不可能に近い。

 人間の欲望を満たしてくれるという報酬を守るボスは、強大な存在であることは違いない。

 レベル8などという、未だ初心者の域を抜けきらぬ、RPGなどのゲームで言えば最初の街から、次の次の街くらいに訪れた程度の強さで勝てるかどうかは愚問。

 ──それでも。


「前例がないわけじゃないからね」

「……まぁそうだねぇ。レベル1で全クリとか、仲間を誰も連れずにクリアとか……まぁハンティングアクション系で言えば、装備無しの裸でラスボスを倒すとか……そういう縛りプレイを見事こなした前例は、あるにはあるけどねぇ。

 ただ異世界23区どういうゲームには、どういうプログラムが組まれているかを知る術がない為にシステムの裏を掻くことが出来ない。セーブも出来ないから失敗した時は死ぬってことになる。

 テレビでやってるゲームとは違って、死という恐怖を目の当たりにしながら、その一桁レベルでのクリアってのはさぁ、不可能に近いと言っても良いと思うけどねぇ?」


 それは黒乃の愚行を止めているようで、その意を含んだ言葉ではない。むしろ煽りに煽っている悪魔の囁き。


「それでも、やるさ」


 黒乃は呆れた素振りで言った。

 どうして今呆れ笑いなどが彼から沸いたのか──鴉間には不思議でならなかった。


「そんなに御伽りんごが大切かねぇ? 恋人か何か? 僕が知らないだけで実は兄妹とか?」

「はは……そんなんじゃないよ。この間会ったばかりのクラスメイトだよ」

「なら益々不思議だねぇ。赤の他人の為に黒猫君が命を懸ける必要ってあるかい?」


 ──それこそ愚問だった。


「──明日のゲームがつまらなくなるだろ」

「……は……ハッハ……ダァーッハッハッハッハァ!!」

「僕は本当に……駄目な奴なんだよ」

「ククク……いやぁ僕も忘れてた。君はPLだもんねぇ」


 PL──異世界23区内では事前登録者を指す。

 他のプレイヤーとは違い、死に至ってしまうような問題を抱えてて生活を抱えていたわけでもない。

 単純にゲームがしたくて──ゲームの為に人生を投げ打った少年。


「僕がゲームで退き下がるのは違うだろ」

「……クハハ……君少し狂ってるよねぇ」


 確かに狂ってしまっているのかもしれない。自覚していたからこそ、そんなゲームしか大切なものがないような自分が馬鹿らしくて情けない。

 もっと情けないのは──その存在意義からも逃げようとして運営に噛みつきに来ていた自分だった。

 あまりの不甲斐なさに、思わず呆れ笑いが零れていた。


「なぁ、出来ればでいいんだけどさ」

「なんだい?」

「一週間後、秋葉原に居てくれよ」


 鴉間は目を大きく見開いて瞳を点にさせながらも、口端をヒクヒクとさせている。

 ──それでこそ黒猫君。

 そう言いたげな笑みだった。


「……はは……まぁさか一週間でクリアするとでもぉ?」

「うん、そういう予定を、今立てた」

「ハ……アァッハッハッハッハ! 面白いから別にいいけどねぇ」

「ボスを倒したら、その場で直ぐに願いごとを聞いて欲しいからね」


 運営サイドからすれば、それは侮辱にも聞こえる。

 自分たちの設定したボスは──結構な願いごとを二つ叶えてくれる報酬を守護するボスは、レベル8のプレイヤーに簡単に倒されるほど生易しい存在ではない筈だ。

 MMO色の強い異世界23区のゲーム観でのボスと言えば、きっと一発殴ってもHPが1ミリでも削れるかどうかという強さが通常だろう。

 本来なら何人ものプレイヤーで殴り掛かり、陣形を組み、各々が盾役、攻撃役、回復役などの仕事を全うし、見事な連携の上で勝利をもぎ取る──それがMMOのボスを倒す通常の方法だ。

 何人ものプレイヤーで数十分殴り続けなければ倒せないような硬度を誇りながら、プレイヤー側が攻撃を受ければ一発がそのまま致命傷になりかねないほどの攻撃力も備えていることも予測される。

 レベル8の黒乃にとっては、それはもうRPGではなく、一撃死が義務付けられた横スクロールアクションやシューティングゲームの仕様であろう。

 同様のゲームに施されているような気軽に復活できる残機システムも無い。

 死ねば終わり──人生と相違ないシステムの中で、黒乃はボスを倒さなければならない。

 ゲーム好きの黒乃にとって、如何に難しいことに取り掛かろうとしているのか理解するのは容易かった。

 しかし今の黒乃の顔は、迷いを晴らしたような清々しい顔を携え──これから一週間後に自殺行為を行おうという者の顔ではなかった。


「じゃあ、一週間後、秋葉原で」


 一言置いて、黒乃は店を出ていった。


「……何やら急に怒鳴り込んできたかと思えば、直ぐにふらっと出て行ってしまって……全く……猫みたいだねぇ」


 カランコロンと店のドアが閉まる音に向かって、鴉間は呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る