Chapter 4

4-1 羽は美しさを増す

 ①

 薄紫色に淡く発光したパネルの向こう側に、茶道室の木目天井がある。

 右画面には自身のステータスに関するものなどのメニューパネル。

 中央上には自身のユーザーネームである、《黒猫》とレベルの表示とHPバー。

 仰向けに寝転がり、左手に携帯電話を持って液晶画面を左側に置いて、計三つの景色を黒乃は視界内に収めていた。


「……ヘイ、リリー」

『──要件をどうぞ』


 ──イベントボスに関して、と黒乃が言う。


『──イベントボスは秋葉原に配置されており、何処にいるかをお伝えすることは出来ません。探し当てた場合、近づくことで専用のパネルが展開され、操作後にボスとの戦闘が開始される仕様となっております。

 またその際、近くに居た他プレイヤーも、パーティー関係を結んでいなくても戦闘に参加することが可能になりますが、倒すことで得られる報酬は最後の一撃を加えた者を含みパーティーメンバー状態にある五名までが対象となります。

 またボスを討伐時、最後にボスが存在した地点から半径10メートル以内に他のパーティーメンバーが居ない場合は、報酬の受け取りは不可となっております』

「…………皐も御伽さんも連れていかないと駄目ってことか……」


 聞きながら、視線はずっと携帯電話の液晶画面を向いていた。

 SNSを通して、りんごからの何かしらの返信が来ることを待っていた。

 じれったくなってSNSアプリを指で呼び出す。


「……今日……家に、お見舞い……行って、いいかな……と」


 打った文字を言葉に出して、黒乃は送信ボタンを押した。

 送ったと同時に既読のマークが付く。


「クロ、御伽から連絡あったか」


 茶道室の扉が開かれ、皐が長身の頭を下げて入って来ていた。


「連絡は取れるんだよ。病院に行って風邪だって診断されたのに、点滴打っても薬飲んでも身体はよくならない……熱が瞬間的に出たり、出なかったり……身体は常に重くて食欲も出ない……ってところまでは聞いてる」

「異世界23区と……関係があると踏んでるのか?」

「……わからない。わからないから不安なんだ」

「だがパーティー内ステータスでは異常ステータスは付与されてなかったのだろう?」

「そうなんだよね……相変わらず僕らで解決出来ることなのかは不明だけど……今日お見舞い行っていいかって、今聞いてる最中」

「そうか」


 その時、ポコンという音が黒乃の携帯から鳴った。

 急いで指で触れて、画面に明るみを戻す。

 ──嬉しいですけど、恥ずかしいですね。

 そう書かれた下に、可愛らしく恥じらうウサギのスタンプが貼られている。

 うつ伏せになって寝転がってチェックする黒乃の上から、皐も一緒になって黒乃が握る携帯電話を見下ろす。


「……大丈夫そうじゃないか」

「だといいけどね」

「クロは心配性だからな」

「……そうじゃないよ。僕たちは今までと違う世界に居るんだ。用心するに越したことはない」

「……簡単に死んでしまう世界に……か」

「……うん」


 水一杯のバケツに向かって落とされた絵具が、ゆっくり広がっていくような──そんな厭らしい恐れを胸に抱えながら、二人は学校が終わるのを待った。



 

 ②

 黒乃と皐の家からもそう遠くない、十四階建ての黒レンガマンション。

 一階に住居区画はなく、インターホンと自動ドアが設置されている。

 訪れる部屋番号を入力し、部屋に居る者が開錠ボタンを押さなければ自動ドアは開かない形式のようだ。

 予めりんごに聞いていた、五〇七号室を入力し、呼び出しボタンを押す──その作業は既に三回目に達していた。

 自動ドアのガラスの扉が開く気配はない。


「……寝てるのかな」

「かもしれんな」

「だぁああああ! 落ち着かない!」


 黒乃が癇癪で頭を掻きむしる。


「たまたまでも誰か来れば一緒に入ってしまうんだがな」


 間の悪いことに誰もマンションへは訪れることはなく、住んでいる人も帰っては来ない。

 仮に帰って来て五階まで上がれたとしても、家のドアは開けてもらわなければ入れない。

 黒乃は再度SNSを開きメッセージを入れる。

 数分待つも既読がつかず、電話を掛ける。

 しかしりんごは電話に出ない。


「…………」

「出直すか」

「……もういい」

「……ん?」


 黒乃は指を目先へ伸ばす。右側に群れているパネルを触り、スキルボードを呼び出した。

《猫の爪》のスキルにポイントを割り振り、次に展開される──最終決定後は取消が出来ません、の注意書きを読むこともなく、即座に決定ボタンを押した。

 続けて予め目を通しておいた、《四足歩行》という新パッシブスキルを取得。


「おいクロ、今何をした」

「御伽さんが学校に来ない三日で僕はレベル8、皐は7になった。それで得たスキルポイントをどう使おうか、御伽さんが戻って来た時に一緒に考えようって思って使ってなかっただろ。そのポイントを今使った」


 黒乃は苛立ちを極めた顔で、爪をシャキンと鋭利に立てながら、

「ベランダから入る」と言った。


「………………そうか」


 ──五階の部屋のベランダから入る気なのか。

 そんな無茶を、と思いつつも同時に黒乃の苛立った顔を見て愚問であることを悟り、皐はいつものように短く返した。


「もぉ~う待てない……もしかしたら何か病状が悪化して倒れてるかもしれない。事実茶道室でメッセージ送った時は、即座に既読が付いたんだ。

 きっと御伽さんのことだから、友達とのやり取りが嬉しくて携帯画面とずっと睨めっこしてるんだよ。それが今送っても既読は付かない。何かあったと思うのが普通だ」


 言いながら黒乃は自動ドアから遠のき、マンションの外壁に爪を引っかけ、両足を離して体重を預けた。

 ──ギギギギィ、と爪のスキルレベルを一段階引き上げたことで強度が上がっている為に、爪が折れるということはないが、身体は滑り落ちて来てしまう。

 武器としては十分に成り立つであろうが、爪が壁へめり込むような鋭利さはないらしい。


 黒乃は一度壁から爪を離して、マンションから距離を取ったところで両手の平を地面へ着けた。

 スキル、《四足歩行》──四つ足での移動時のみ、速度ステータスが爆発的に向上する。

 速度を引き上げてから壁に激突気味に飛び込んでいって、両手足を壁に着けて着地すれば、余りに高い速度が作用して、一瞬壁に張り付いたようになるかもしれない。


「よし、行ってくる」

「警察呼ばれたらどうすればいい」

「人命救助だ!」

「……そ、そうか」


 まるで怒筋が二つ三つ顔の上に描かれている様相で、黒乃は、両手足に溜め込んだ力を爆発させて蹴り上げた。

 獣のように道路上を四つ足で駆け、ジャンピングして身体を真横にさせた状態で着地した。

 ビタン、と先に強固になった爪から着地し、衝撃を吸収させて手や手首を痛めないように配慮し、再び四つ足を着くように壁に張り付くことでスキル発動条件を満たす。

 再び爆発的速度で更に上に蹴り上がる──それを繰り返せばビルなどを上れる。

 ──ダン! ダン! ダン!

 重力を感じさせない身軽さで、黒乃はマンションの外壁を登っていった。


「……まるで……まるっきり……猫のようだな」


 遠くなる黒乃のお尻に向かって、皐がぼそりと言った。



 ③

 黒乃は外壁を伝って二階まで上がると、そこからマンション内の廊下へ降り立って階段で五階まで上がる。

 試しに五〇七号室の前まで行ってインターホンを鳴らすも、やはり出て来る気配はない。

 再び廊下から外壁に出て、横に移動しながら何とか五〇七号室のベランダに辿り着いた。


 ベランダに面している部屋は二部屋だった。

 黒い遮光カーテンが床にまで伸びている部屋と、ピンクのカーテンの後ろに白いレースのカーテンが降ろされている部屋。

 どちらの部屋もカーテンでしっかりガードされていて中の様子は見ることができないが、どちらがりんごの部屋なのかは明白。

 

 黒乃はピンクのカーテンが降ろされている部屋をドンドンと、荒くノックする。

 それでも反応はなく、黒乃がりんごの名前を大声で呼ぶ。


「──ま……く……」


 消え入りそうな声がうっすらと返ってきた。

 自分の中に小さく抑え込んでいた不吉さが弾ける──小さい割に、爆発力がとびっきりの不吉さだった。


「……御伽さん!? 居るの!?」

「ね……ち……」

「御伽さん! 大丈夫!? 僕だよ! 猫町黒乃だ!」


 ──ズッ、ズッ、と引きずる音が、部屋の中からゆっくりと近づいて来る。

 りんごが身体を引きずってベランダへと向かって来る。

 ──ドン! と音がすると同時に部屋の中から、手形がカーテン越しに押し当てられ、そしてようやくドアは開いた。


「御伽さん!」

「猫……町…………く……ん……」


 黒乃の向かって倒れ込むりんごの身体を慌てて身体で受け止める。

 両腕の中に横たわる彼女の異変は、黒乃の血の気を引かせていた。


「な……なん……だ……何だよこれ!」


 りんごの顔は扱けていて、かなり痩せてしまったように見える。

 腕は骨がやや浮き上がり、肉感が薄まっている。

 黒乃はりんごの背中に手を回し、上半身を自分の膝の上に置いた。


 その時、風が吹き荒れ、ドアから突風が入った。

 部屋の中で──何枚もの羽が舞った。


「……な……は、羽?」

「どうして……部……屋に……?」

「何で……何があったの!?」

「私にも……わ……わからな……いんです……」


 黒乃は取り乱す自分に喝を入れ、頭を回転させる。

 携帯を取り出し皐に連絡を入れ、救急車の手配を命じた。


「羽……羽が何か関係してるのか……御伽さん、ごめん!」


 謝りを先に入れ、黒乃はりんごの上着を脱がし、横向きにベットへ寝かせる。

 背中には下着に挟まって、大量の羽が伸びていた。

 淡く白色の光を放ち、異様なまでに目を奪う美しさだった。

 まるで──命が輝いているようだった。


「羽……」

「えへへ……」


 衰弱しきった様子のりんごは、荒く呼吸をしながらはにかんだ。


「御伽さん……?」

「綺麗……ですか……? 猫町君が……褒めてくれるかなって……」


 黒乃の中でパズルのピースがハマった。

 りんごが容態を悪くしたのは、異世界生活四日目のこと。

 皐が帰還し、皆で渋谷のゴブリンを狩り、買い物をした。

 そこまでは何ともなかった。

 思い当るとすればその後。


 くノ一に襲われた時に、りんごは攻撃を受けていない。

 犯人はあの女ではない。

 もう一つやったことと言えば、スキルの割り振り。

 回復魔法を手に入れ、そして残りのポイントを自由に使えと言った。


 最初にりんごと公園で会った時。その時点で聞いていた羽の長さは15㎝ほど。

 しかし今、部屋に落ちている羽と、りんごの背中から伸びている羽は倍以上──30㎝以上はある。

 羽は成長している。

 自分の爪スキルと同じように。

 彼女は恐らく、余ったスキルポイントで羽スキルを一段階引き上げたのだ。

 

 同時に説明会時の、鴉間のことを思い出す。

 ──世の中には色々な奇病があってねぇ。鋭利な牙が伸びてきてしまうとか、尻尾が生えてくるとかさ……そういうデータを取り込んで脳に信号を送っているわけだ──。

 奴は、悪魔のような顔をしてそう言っていた。


「奇病……」


 黒乃は急ぎ携帯電話を操作する。

 検索ワードに、『背中に羽が生える』と記入し、スペースを空けて、『奇病』と追加記入した。

 その奇病は検索結果画面の上から二番目に出てきた。

『天使病』と書かれている。

 ──背中から羽が生えてきて、その人の生命力を吸って大きくなる病気。大きさを増すほどに美しく、美しくなるほどに、その人は弱っていく──間もなくして死に至る。

 そう説明書きが施されていた。


 黒乃が全てを悟った時、同時にインターホンが鳴った。

 皐の叫ぶ声と、救急隊員の声が玄関のほうから聞こえた。

 りんごは直ぐに服を着させられ、担架に乗せられる。


 止めることのできない涙を流しながら、茫然とその様子を黒乃はただ見ていた。


「どうしよう皐……」

「どうした!」

「僕の……僕のせいなんだ……僕が羽を綺麗だと言ったから……」


 天使病のことを知らない皐にとっては、黒乃が何を言いたいかもわかる筈もない。

 しかし皐にはりんごから聞いていたことがある。

 ──猫町君が褒めてくれたんです。

 その一言を頼りに、皐は黒乃に何を言うべきなのか──その正解を選び取った。


「…………クロは今、綺麗だと言ってやったのか」

「……え?」

「御伽は! クロに褒めて欲しくて羽を成長させたんだろう! その御伽を褒めてやったのか!」

「…………まだ……まだ言ってない……!」


 黒乃はりんごを運び出す救急隊と、担架で横たわるりんごに向かって走り出した。

 玄関を出た辺りで追いつき、そしてりんごの手を握り取る。


「御伽さん!」

「猫……町……君……」

「羽! 凄い綺麗だった! 物凄い綺麗だったよ! ありがとう!」

「……え……へへ……凄く……嬉しい……です……」


 その微笑みはまるで──天使のようだった。

 救急車への搬送が終わると、救急隊員はマンションから車を出す前に、皐と黒乃にある程度の事情と病状を尋ね、最後に同乗するかを尋ねた。


「皐、御伽さんについて行ってやってくれ」

「……クロはどうする」

「鴉間だ! こんなの……御伽さんからすれば……いずれ死んでしまうことが決まってるゲームなんて詰みゲーだろ! 理不尽過ぎる! 掛け合うんだよ!」


 黒乃は109の地下へ向かって走り出し、怒鳴り込みながら店へと入って行った。

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