3-6 其の後
①
気持ちを持ち直した面々に、今日一日で蓄積された疲労が襲う。
「何だかドッと身体が重くなりましたね……」
そうりんごが言って、フローリングの床にべたっと張り付くのも無理はない。
他のプレイヤーにとっては四日目の異世界生活でも、三人にとっては命を掛けての戦いを行ったのは今日が初めてのことだった。
「それにしても……」
りんごが、ちょこんと女の子座りに体勢を直して部屋の中を見渡す。
シングルベット、卓袱台、テレビと冷蔵庫。それだけの1K の部屋。
りんごが不思議そうに部屋を見渡したのは、皐の家はそれ一部屋だけであるということだった。
玄関を開けると同時にベットが見える。廊下も組み込まれていない、コーポの一室──二〇二号室。
六畳のスペースもも無いであろう、この狭い部屋に家族で住んでいるとあれば、その窮屈さはかなりのものだろうと予測できる。
「あ、あの……そういえば妹さんが出掛けているのは聞いてますけど……ご両親はお仕事ですか?」
「あぁ、うちに両親はいないぞ」
「…………ご、ごめんなさい!」
当然の疑問を口にしただけのつもりが、そのまま地雷だったらしい。
りんごは急いで謝りを入れた。
「いや謝る必要はない。うちも色々あっただけだ」
「そ、そうなんですか」
「あぁ、うちの両親も離婚していて、その上で別居している。母親が此処の家賃を払っている」
確か、今日センター街に皐とりんごの二人が残された時に、黒乃が言っていた。
──皐は同類だから。
そういう意味──りんごと同じく家庭で色々あった人たち、という意味だったのだろう。
「あ、そうだ。皐、今日ミッションクリアでもらった不可侵の盾はバイト先で使えよ」
「あぁ、そうする」
「わぁアルバイトしてるんですね! 熊杉君ご立派です!」
「いや、うちは家賃と学費は母持ちだが食費や光熱費は別だ。妹はまだ中学三年だから俺が稼がなければならないだけだ」
「た……大変なんですね……」
「そうでもない。バイトは楽しいしな」
「うへぁ……皐絶対変わってるよ……僕は出来れば死ぬまで働きたくない」
「心配するな」
「……え?」
「俺が養ってやる」
ごん太眉毛を凛々しく立てた、超真顔だった。
「辞めろぉおおおおおおおおお!!」
「何だ、嫌なのか」
「当たり前だろ! 僕は確かに駄目な奴だけど、なるべく人に迷惑をかけない駄目野郎なんだよ!」
「っち」
「舌打ちの使いどころが間違ってんだよ!」
「……よし、じゃあこれでどうだ。俺が企業して社長になる。そして気分で出勤していい自由出勤制と定額月給制でクロを雇うというのはどうだ」
「給料泥棒を職に薦める奴が居るとはな!」
「何だ、それも嫌なのか」
「企業相手のヒモは犯罪者だ!」
「よくわからんが……そうか」
短く無表情に言った。
とても残念そうであることは、長年の付き合いである黒乃だけが察知していた。
何とも馬鹿らしいやり取りを、りんごはもう一度身体をフローリングへ寝かせ、微笑ましく見守っている。
「お、御伽さん……大丈夫?」
「あ、はい! 今日は色々あって疲れたんだと思います……」
「確かにね……今日はもう帰ろっか」
「はい!」
「あ、送るよ。帰り道でエンカウントしたら危ないし」
「あ、いえ大丈夫だと思います! 私の家もここから近いので、家に置いてある不可侵の盾の領域と被ってると思います!」
言いながら重そうに身体を起こす。
「……いや、やっぱり送らせてよ。帰りにあのくノ一と会ったら、今対処できるのは僕だけだ」
「あ、確かに……じゃあお願いしてもいいでしょうか?」
「うん、あ、皐は家に居てよ」
「何、どうしてだ」
「帰り道小町に遭遇したら、守る者は一人のほうが僕が動きやすいんだよ」
「……………………そうか」
「どんだけ落ち込んでんだよ」
黒乃を独り占めしてしまったことに申し訳なさそうに笑って、りんごは黒乃に送られていった。
②
それから五分も経たない内に、皐の妹は帰宅した。
確かに二人の外見には同じ遺伝子を感じる。しかし違う点もまた多い。
太さが過ぎる眉毛は同じだが、皐が決してイケメンではないことに比べて妹のほうはかなりの美女だった。
老けている──という点で共通点はあるものの、それは老けているというわけではなく中学三年生にして十分に大人の女性に見えるということだった。
黒髪のロングヘアーを一つに纏めて横から流し、目は釣り気味で眼光は兄と同じく鋭く、気丈そうであると同時に色気もふんだんである。
セーラー服に身を包んでいなければ、やり手で美人のキャリアウーマンか何かに見えるほど。
その誇り高そうな彼女は、帰って来た時にはその気丈さを崩し、大粒の涙を目に溜め込んでいた。
「ど、どうした
「兄上……」
彼女の手に握られた道着を包んでいた帯がするりと、すり抜ける。
ぼさっと道着が地に落ちた時、彼女もまた膝から崩れて落ちた。
俯く彼女の顔の先にある木の床へ、ポタポタと涙が垂れる。
「
ベットの側面へ背中をつけ座っていた皐が心配で飛び上がる。
「たった今……そこで……
「お、お、女と……一緒に居た……」
まるで幽霊を見たような──あり得ないものを見てしまい恐怖のどん底に落ちたような顔。
「あぁ転校生でクラスメイトだ」
「…………殺めるか」
「お前が言うと本当に聞こえるから辞めろ」
「……兄上……私は本気だ……」
「刑務所でクロと面会したいのか」
「っく! 流石にそれは……!」
「あの二人は別に恋人同士じゃない。安心しろ」
「…………やるしかない……完全犯罪を!」
「話を聞け睦月。クロが喜ばないと言ってるんだ」
「……どうして……どうしてだぁああああ!!」
ヒステリーに拳を床へ叩きつける。木の床に亀裂が入った。
自分の兄に想いをぶつける為に起き上がった顔から、涙がぱっと咲いた。
「どうしてだ! あんなゲームばかりしている黒兄が女性と関係を持つなどと思わずに安心していた!
中学生相手では恋愛対象にならないだろうと、私は来年まで告白するのを待っていたのに! どうしてあんな女が現れるのだ!」
りんごと黒乃は恋人同士というわけではない──兄のそんな言葉は届いてはいるが、黒乃に近しい異性が居ること自体が許せないような怒りだった。
「兄上は何をしていた!」
「お、俺か……?」
「そうだ! 私が子供の頃から黒兄を好きだったのは知っていただろうが!」
「そ、そうだが……かといって俺が何を──」
「黒兄に近寄る女全てを、空手で鍛え上げた正拳で抹殺していけばいいこと!」
「……睦月、それでは俺が犯罪者だ」
「っく……どうして……どうしてだ……あんなゲームばかりして……ゲームの為に兄上以外の人間との関りを断つような駄目人間に……ゲームのこと以外に感情の起伏を見せない気持ち悪いオタクに……どうして女の友達が……!!」
自分の居ない間に黒乃は思いっきり卑下されていた。
「黒兄に近づこうと思ってゲームを始めた! アニメも見るようになった!」
言いながら彼女はセーラー服の上着を脱ぎ、亀裂の入った床へ叩きつけた。
インナーは首元から腰元まで女の子キャラクターの顔デザインが入っている──萌えTだった。
「見ろ兄上! 今では私も立派なオタクだ! 朝早くから夕方まで学校、一度家に帰って来て一息ついたら道場……終わって帰って来てから撮り溜めたアニメを見て、見終わったらゲーム!
寝るのはいつも深夜の三時を回った頃……そんな生活ペースでは当然朝は辛い……辛いが……全ては黒兄に近づく為だったのに!」
睦月は鬼の形相で両拳を固く握り込んでいる。今にも暴れ出しそうな勢いだった。
「あの女は何者だ!」
「だから……友達だ」
「違う! どうやって黒兄に近づいた! 色香か! 金か! 弱みでも握られたか!」
「……どれも違う。御伽は可哀相な奴なんだ」
「可哀相…………だと?」
「あぁ」
「そういう……ことか……また黒兄の可愛いところが出てしまったのか……」
「まぁ……そうだな」
「ゲームの為に人と関わらないとか言いながら、困ってる人間を見捨てるのはゲームの邪魔になるとか訳のわからない理屈で……全く……あぁ……黒兄……なんて愛おしいんだぁああああああああああああ!!」
「ご近所迷惑だ。睦月」
長い黒髪を振り乱し、涙を撒き散らし、睦月は最終的に押し入れから幼女が水着を着たデザインの施された抱き枕を引っ張り出し、抱きかかえてジャンピングし幼女と共にベットへ沈んだ。
そして抱き枕を防音に使って大泣きを始めた。
「うわぁあああああああ!!」
「睦月。もうすぐクロが家に来るぞ」
「うぁああああ………………何?」
「今御伽を家に送っているんだ。終わったらお前に会いに戻って来る」
「何!?」
涙は栓をしたように止まり、ベットから再び、折り畳んだ膝から足の裏がお尻に着くほどの大ジャンプで飛びあがり、睦月は再び押し入れをガサゴソと漁り出した。
「それを早く言え兄上!」
「お前がゲームのことで聞きたいことがあると言ってただろう。先日それを伝えて、今日来るそうだ」
「そうか! まぁ攻略法なんぞはその辺に転がる、このネット時代にそんなものは嘘なのだがな!」
「……そうか」
「ククク……兄上……あの女は未だ友人関係だというのは本当だろうな……?」
嘘をついていれば兄とて容赦はしない。そういう殺意の籠った瞳で兄を睨む。
「あ、あぁ」
「ならば差をつける好機……何を着るべきか……黒兄は結局オタクだろうからなぁ……メイド服やアニコスで出迎えたいところだが勇気が出んなぁ……そもそもギャル系が好きなのか清楚系が好きなのかも一向にわからん……召し物よりもやはり黒兄よりゲームが上手くなって興味を引くのが一番近道か……」
ブツブツ言いながら押し入れを探る睦月の座った瞳。
何かしらの行き過ぎた妄想が始まってしまっているのは、兄の目にも明らかだった。
睦月は結局普段着であるTシャツと短めのショーパンを履いた。
異性的魅力を出す為に露出を多くし、結局オタクはニーハイが好きだろうという安易極まりない発想で黒いニーハイソックスに足を通した頃──インターホンが鳴った。
「っ!」
「睦月が出るか?」
「どどどどどどうしよう!? 出たい! いやでも兄上が出てくれ! いやしかし!」
「……どっちだ」
「ああああにあにあに兄上が出てくれ!」
皐が玄関のドアノブを回して内側に引く。
そこには睦月が期待した黒乃が立ってはいたものの、何やら深い謎を抱えたような、浮かない顔をしていた。
「どうした?」
「……何か、御伽さんがおかしい」
「……どういうことだ?」
「身体が重いとは言ってたんだけど……歩いていただけなのに肩で息をし始めて、倒れ込むように家に入ってった」
「……今日色々あったから、じゃないのか」
「わからない……何か……嫌な予感がする」
最終的にパーティーステータス画面では、何のステータス異常がなかったことを、睦月に悟られないように皐へヒソヒソと告げる。
今日の戦闘では怪我を負っていないのは行動を共にしていた黒乃と皐は把握している。HPは一度として赤色に変わっていない。
あのくノ一にも何の攻撃も与えられていない。
風邪でも引いたのだろうか。そんなにも疲れていたのだろうか。
今のところは暫く様子を見ようという見解を出した二人だったが。
その日から三日間──御伽りんごは学校を欠席した。
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