3-5 装備適正
高熱と吐き気と眩暈。
それが異世界23区内で定められた毒の症状だった。
それを消し去る道具──毒消しは、小瓶に粉を詰めた形式のものだった。
汗にまみれた黒乃が持ってきたその粉を、皐は水と一緒に飲み込む。
ものの三分もしない内に、皐は健康体へと戻った。
「もう大丈夫だ……」
「……三分が……三日間くらいに感じたぞ」
体力は切れ、それでも気力だけで駆けずりまわった黒乃は、未だ肩で息をしながら言った。
「クロ、御伽。すまない」
「辞めろ、余計に不甲斐なく感じるだろ」
「…………っひ……よ……よかったですぅ……」
りんごは永らく待った安堵を涙で出迎える。
それからは誰かが何かを言いだすわけでもなく、部屋は重たい空気に包まれる。
走り回った黒乃も、毒を喰らった皐も、皐に肩を貸したりんごも──体力の消耗は激しく、上手く回らない思考の中で、全員が自分の甘さを胸の内で叱責していた。
こんなことで、この先戦い抜いていけるのだろうか、普通の生活に戻れるのだろうか。
三人で鴉間の店で買い物を行った時の、楽しかった気持ちは褪せてしまっていた。
沈黙の間に、りんごが鼻を啜る音だけが響いていた。
「──粉、漢方みたいな味だった」
皐がぽつりと零した。
あまりに間の抜けた感想を言われた二人は、目を点にさせる。
「……ははっ。九死に一生を得て最初の感想がそれか」
「っひ……ふふ……っうう……えへへ……」
りんごが涙を拭いながら笑顔を取り戻す。
皐が上手く気を回していた。
全員が壁にを背をつけなければ、三人は座れないほどに部屋は狭い。
シングルベットの上に誰かが座ればよかったのだが、妹の領域ということで三人はフローリングの床に腰を下ろして丸まっていた。
狭い室内だけに暗い雰囲気は充満しやすかった。
皐が狙って冗談を言わなければ、何処まで三人が落ち込んでいたかは不明だった。
「高熱症状と極度の酒酔いを足して毒を演出させてあるんだってさ」
「最悪だな」
「まともに戦闘出来る筈もないよね。ちなみにその粉、本当に半分は漢方で、もう半分は風邪薬らしいよ」
「そんなもので治るのか」
「勿論、運営が定めた配合比でのみ毒が回復するように設定されているらしいけどね。つまり市販の風邪薬と漢方を適当な量飲んでも治せないんだってさ。会計時、丁寧に早口で説明してくれたよ」
鴉間伝いの解説を行うと、黒乃は天井を仰いで深いため息をついた。
「僕さ、毒なんて……RPGじゃ喰らっても治さない時もあるくらいなんだ。
歩く度にHPが1づつ減って行っても、別にって感じでダンジョンの奥へ突き進んで、気づいたら治ってる。そんな毒に……こんなにも苦しめられるとは思ってもみなかった」
言いながら、黒乃は体育座りの中に悔しさを詰め込むように背中を丸め、顔を俯けて蓋をした。
「……もし喰らったのが麻痺だったら、睡眠だったら、混乱だったら……状態異常なんてまだまだ種類は沢山ある……もし仮に魅了とか洗脳とかが存在してて、もし僕が喰らってて……二人を攻撃することになっていたら……そういう最悪を考える想像力が足りてなかった」
丸まった黒猫から声だけが二人に届く。
瞳を輝かせてゲーム世界を堪能していた少年の面影は、今は封じ込まれているようだった。
「足りてなかったのは……覚悟だ」
皐は言ったが、視線は黒乃に向いていない。
自分自身に向けたものだった。
「はは……体育会系っぽいな」
「……心の何処かで、これはゲーム……死ぬことはないと思っていたんだ」
「…………そうかも」
「あのくノ一のほうが、よっぽど覚悟が決まってるのかもしれない」
「……だからって他プレイヤー見かけたら即倒しにかかるのは違うと思う」
「勿論だ。どんなプレイヤーになるにせよ、それ相応の覚悟が必要だってことだ」
「……どんなプレイヤーで在りたいか……か」
「スキルと一緒だ」
「……どう在りたいかは……自分で選べるってことか」
「あぁ、クロはそういうの得意だろう」
皐はいつも通り、見透かしたように言った。
言われた通り、自分には昔から掲げていた理想像があったことを思い出す。
定時で就業するサラリーマン。残業なし。周囲の反感を買おうとも、同僚との親交を深めたりせず、それが原因で孤独感に苛まれようとも、全てを犠牲にしてゲーム漬けの日々を歩み、ゲームと共に生涯を終える──。
──僕はそういう駄目な奴だった、と思い出す。
膝と膝の間から持ち上げられた顔には、少しの明るさが戻って来ていた。
「決まったか」
皐がニヒルに問いかけた。
「誤解してたよ。二人を守ろうとすることで、何だか僕は結構凄い奴なんじゃないかときっと思ってしまってたんだ……でも……全然違う。
僕はゲームの為に人生の全てを捨てられると、ナチュラルに肯定してしまった大馬鹿なんだ。馬鹿で駄目な奴……それが僕だったことを忘れていた」
「おい……何か思ってたのと違うぞ」
てっきり前向きな答えでも拾い上げて来たような明るい顔をしてるかと思いきや、黒乃から飛び出した言葉が屈折的だった為に、皐もりんごも心配そうに黒乃を見つめている。
「あ、いや別にいじけてるわけでも腐ってるわけでもないんだ。僕はそういう奴だったってことを自覚し直しただけ。ブレてただけなんだ。
どういうつもりで異世界23区をプレイするのか──それは最初から決まってのに、忘れてただけだったんだ」
「ならいいが……どうするつもりだ」
小さい頃──初めてRPGをプレイした夜、その遊具はあまりの衝撃を与え、その日の睡眠にまで影響を与えた。夢にまで出て来た。
自分の手で剣を取り、盾を取り、皮の服を着て額当てを被り、スライムと対峙した夢だった。
それ以来、リアルな妄想が趣味になっていた。
薬草って塗るのか、飲むのか。毎晩宿屋に男女のパーティーで宿泊を繰り返して卑猥なことは何も起こらないものなのだろうか。
寝起きで貴方は勇者ですと聞かされて、いきなり旅を無理強いされて、心の整理はついたのだろうか、彼の中の葛藤はどんなものだったのだろうか。
魔王とは果たして本当に悪なのだろうか。魔物にも魔物の生活があるのではなかろうか──数えきれないほどの考察と妄想を繰り返してきた。
その中の一つが──スライムって目の前で対峙したら、やっぱり怖いのだろうか、というものだった。
「初めてスーファミを触って……ドキドキして……いつしかその興奮にも慣れてしまって……新しく買ってきたゲームの最初の敵がスライムでもさ、何の感情もなく無機質に決定ボタンを押してた。はいはい、経験値経験値って感じでさ」
その作業感は皐とりんごにはわからないものだった。黒乃もそのことは理解していた為、殆ど独り言のようなものだった。
「攻略サイトを見て、それぞれのゲームに定められたゲームの世界観を味わいきらないままに、どれだけ早くクリアして、そして如何に早く次のゲームに移るか……そればっかりだった」
プレイスタイルは効率化を極める中で、時代は進化し、グラフィックが向上し、ゲームの中に引きずり込むような圧倒感を持つようになった。
その時、自分の考察は再燃した。
スライムってやっぱり怖いんじゃないか。ゴブリンって本当は雑魚でもなんでもないんじゃないか。
しかし──それにもいつしか慣れてしまった。
「そういうんじゃないんだよね、きっと。僕がこの異世界23区に望んだものはさ。スライムってどれくらいの割合で固形で液体なんだろうとか……ゴブリンって何食べて生きてんのかなとか、リザードマンって水場に居る癖にどうして炎を吐くように進化したんだろうとか、ドラゴンの背中に乗るってどんな気分かなとか……。
他の人には単なる恐怖的世界でも……僕には……僕というどうしようもない馬鹿な駄目な奴にとっては……夢を叶えてくれたような場所だった筈なんだ」
りんごも皐も、安心を交えて──黒乃へ微笑みを返した。
「──死ねるほど遊戯する」
深い決意を込めて、黒乃は言った。
「……らしいな」
「はい、猫町君っぽくて良いと思います」
「うん。死ねるほどの現代ファンタジーを……恐怖と夢を、楽しむ──それが僕のプレイスタイルだ」
異世界23区の世界とは、現実を過ごしながら命のやり取りを強いられる。
その狭間に身を置かれた人間にとって、精神の置き場所を何処にするかは非常に悩めるものである。
他プレイヤーを蹴落とし、いつ死ぬともわからない恐怖に怯えながら、登校、就業を済ませなければならない。
この先、中間テストと戦いながらもオークと戦うようなこともあるであろう。
人によっては会社の会議に胃を痛めながら、サキュバスの魅力に癒されるようなこともあるであろう。
他プレイヤーを蹴落とす必要も感じながら──他プレイヤーとの間で友情を深めることもあるのだろう。
決して良いことばかりではないこの世界で、正しい心の置き場所を見出すのは困難であったが──。
どうやら猫町黒乃は、今日のところ迷い猫にならず、自分に見合った装備を見繕うに至ったようだった。
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