3-2 パーティープレイ

 ①

 夕方の渋谷センター街の大通りを、マンドレイクが歩いている。植物の脚が、コンクリート地面を踏みしめている。

 魔物の姿は一種どころではない。

 ケンタウロスの馬の蹄が建物と建物の間を駆け抜けて行き、TUTAYAのビル外壁にオークが背をついて我が物顔で腰を下ろし、隣にドデカい棍棒を置いている。

 信号機近くの空中にはパルピュイアが翼を広げて舞い、皐の目当てであるゴブリンが先の尖った赤い帽子を揺らしながら花壇の上を走り回っている。


 その異形の姿は通常の人間には見えない、触れない。

 多種多様なモンスターたちは、異世界23区のプレイヤーではない人間と接触することはなく正面からぶつかったとしても身体は通り抜ける。

 スクランブル交差点を渡った向こう側は──RPGのフィールドマップだった。


「ほ、本当に違う世界に来たみたいに見えますね」


 御伽りんごが肩をすくませていた。

 隣に立つ二人の男子は、りんごとは真逆で、早くこの大規模交差点を渡ってしまいたい輝きで瞳を満たしている。


「クロ、早く行こう」

「気持ちは分かるが待つんだ皐」


 りんごと皐が初対面の挨拶を済ませた後、三人は渋谷駅へと来た。

 黒乃の読み通り、駅には魔物が出現していない。

 その為、駅の真向かいにあるセンター街入り口を、スクランブル交差点を挟んだたところのハチ公口から眺めていた。

 直ぐには踏み込まず、今日すべきことと注意すべきことの最終確認に勤しむ。


「御伽さん、皐、先に注意点だけ耳に入れてくれ」

「なんだ」

「先ず皐。約束するんだ──当面モンスターには攻撃するな」

「……わかった」


 皐は渋々頷いた。

 出鼻を挫かれ、とても残念な気持ちであることは黒乃にしかわからない。

 相変わらずの無表情だった。


「説明会の日に既にモンスターを倒している御伽さんと僕はレベル3。皐は1。つまり全員超初心者だ。十分にレベルが上がるまではホイホイと敵には手を出さないほうがいい。

 ゲーム初心者がやりがちな、とりあえず興味本位で敵に手を出してみてやっぱり負けた、という失敗は僕たちには許されない。HPを0にすれば──本当に死ぬからね」


 りんごの肩がぶるっと震える。


「わかった約束する」

「まだ約束して欲しいことがある」

「なんだ」

「当面は逃げを前提に戦闘をする。矛盾しているけど、これは後で意味が分かる。

 先に細かな説明をするけど──先ず敵には無条件に攻撃してくるアクティブタイプと、何もしなければ攻撃してこない非アクティブタイプが居る。それを外見上から見分けるには、名前が赤い奴がアクティブ、青い奴が非アクティブだ。青い奴も戦闘になれば名前は赤くなる」


 遠まわしな形で始まった黒乃の説明を、いささかつまらなそうに皐は腕を組んで黙って聞いている。


「もしも偶然アクティブに絡まれてしまった場合、そして偶然、非アクティブに肩などをぶつけて戦闘が開始されてしまった場合、先ずは逃げを考える。

 例えば皐は空手を習っているし、運動神経にも自信があって、この異世界23区のゲーム性でもそれは十分に活用できることだと思う。攻撃を喰らわない自信だってきっとあると思う──それでも、先ずは逃げることを約束してくれ」


 黒乃は変わらず楽し気ではあるものの、話しぶりはかなりの真剣さを持って話している。

 二人の命が失われない為に、細心の注意を払って言葉を並べている。


「僕らには相手のレベルや攻撃力の強さが分からない。もし一発もらったとして、それがどれだけHPを減らすのかっていうのは、当たり前だけど攻撃を喰らわないことにはわからない」

「もしもその一発が絶命量だったら……ってことか」

「さすが皐、そういうことだ」


 話を進めるほどに、りんごの肩と可愛く内股の足が震えを増していく。


「実験したわけじゃないから不明だけど、MMOの仕組みで言えば一定以上の距離を離せばアクティブ状態が一旦切れる……と思う。このセンター街で出会った敵を倒さずに家まで戻ったとしても、一定以上のスピードで引き離した上でなら家まで追って来ることは恐らくない」


 黒乃のここまでの説明は、つまるところ戦いが始まったら即逃げろと言っているようなものだった。

 そもそも戦闘を行う意味がないように聞こえる。


「二人には、これから故意に戦闘を行うのに逃げろと言われて意味が分からないと思う」


 皐は一回、りんごは忙しくコクコクと頷いている。


「比較的、安全が保障された上での戦闘ならオッケーという意味なんだ。そしてそれを可能にする狩り方がある」

「なんだ」

「僕がいわゆる──釣り役をやる」

「なんだそれは」

「作戦はこう──二人には敵を避けながらセンター街最奥にあるハンズの前の駐車場に行って待機してもらう。ガードレールで覆ってあるだけのデカい駐車場だ。

 別行動の僕は、ゴブリンを見つけたら一発殴って、そして逃げる。二人の待機している駐車場まで連れていき、三人掛かりで殴る。

 三人同時で殴れば瞬殺できるから、比較的人の目も引かずに、高校生三人が駐車場で遊んでいる風に見えなくもないし、それだけに警官に注意はされるかもしれないけど長々と補導される可能性はグッと減る」


 MMORPGなどではよく見られるモンスターの狩り方だった。


「わかった。あとは何かあるか」

「最後に──他プレイヤーとの接触は絶対ナシ。報酬は早い者勝ちだから、今の内に他プレイヤーを蹴落としておこうと思って攻撃される可能性が高い。頭の上に文字が浮いてる人間を見かけたら警戒するようにね」


 二人が頷いて三人揃って大型交差点を斜めに切る。

 横断歩道を渡って一番に黒乃がセンター街の奥へ走り出して、振り返った。


「御伽さん! 皐は同類だから、だから大丈夫だよ!」


 大声で伝えて、黒乃はセンター街の中へと消えていった。



 ②

 ──何か話さなければならない。

 皐はそれだけを悟りつつも正解の言葉を生み出せずに、怯えた様子の女の子の隣を歩んでいた。

 御伽りんごは黒乃に言われた通り、何者にも接触しないように肩をすくめて歩き、モンスターが横切る度に、「っひ」と言って緊迫感を声に出している。


「御伽……さん」

「は、はい! あ、呼び捨てで大丈夫ですよ!」

「そうか。御伽は誰にでも敬語なのか?」

「あ、はい……子供の頃からの癖でして……」


 皐はりんごの怯えが膨れたのを感じた。

 人によっては──特に同年代の人間によっては執拗な敬語は癇に障ることもある。


「俺はこんな見た目だからな。年上に見られることが多いから、そうなら訂正しようと思っただけだ」


 りんごが落ち込む前に皐の言葉は飛んできた。たったそれだけで、皐が優しい人なのだと、りんごの中に皐への印象が根付いた。


「御伽にまで俺のミッションに付き合わせてすまない」


 りんごは続けて悟る。

 ──どうやら自分のことについては皐には伝わっていないらしい。

 どうして自分が此処に居合わせているのかを皐は知らないのだろう。

 それが黒乃の優しさによるものだと察すると同時に申し訳ない気持ちになる。

 二人の間に秘密ごとを作らせてはいけない。

 りんごは自分についてを駐車場までの道すがらで話すことを決めた。


「いえいえ! 私……実は両親の離婚をきっかけに転校してきたんです」

「そうか」

「母の過度な躾と中学校でのいじめに耐えきれなくなって……現実から逃れたい一心でゲームに参加することにしました」

「……そうか」

「ずっと悪い子だと言われて育った私は、ゲームの前でくらい良い子でありたいと──正しい存在で在りたいと願って、天使の職業を希望する旨を記入しました」


 黒乃とは違って何か言葉を返したりはしない。しかしその寡黙さに冷えたものも感じない。

 話してくれ、と言ってくれているような包容力を皐に感じる。


「私、説明会が終わって直ぐに死にそうになりました。怯えて、立てなくなって……泣いて……私の何処かへ行ってしまいたい決意なんて、物凄い弱かったんだなって思い知りました。あんなに怖かった母の元へ帰りたいと……少し思ってしまいました」


 ──そうか、としか言わない皐の瞳はとても優しいものだった。

 まるでりんごの痛みを自分の痛みであるように、気持ちを入れて話を聞いてくれていることが分かる。


「──そんな時、猫町君が褒めてくれたんです。私何も教えていないのに……、『天使って書いたんでしょ』って子供みたいな羨ましそうな顔で……褒めてくれたんです……。

 今まで否定ばかりされてきて、天使なんてなれたらいいなと思いつつも、そんなことを書いた自分が恥ずかしいとさえ思っていたのに……心底羨ましそうに猫町君は、初めて私を肯定してくれたんです」


 言いながら泣きそうになったりんごの、その感極まった気持ちを余裕の速度で追い越して──りんごより先に皐が涙した。

 皐の本日三度目の猛烈な涙を、夕焼けが輝かせている。


「ぇ、ええ、えええ!? 熊杉君!?」

「すまん。いつものことだ、気にしないでくれ」

「は、はい……」

「そうか……クロが……そうか……」


 皐は涙を拭ったりはせず、夕日に焼いてくれと言わんばかりに突き進んでいる。


「お二人に隠し事をさせてしまって、すいませんでした」


 歩行の邪魔にならない程度に、りんごはペコリと頭を下げる。


「あぁ、それは気にしなくていい」

「それで猫町君は……私に必要なのは友達だって言ってくれて……それで今日連れて来てくれたんだと思います」


 その言葉がトドメとなって皐から涙を止める気は失せた。

 丁度駐車場に着いた頃だった。

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。いつもこうなんだ」

「表情……全く変わらないんですね……」

「あぁ、漢泣きというのだ」

「そ、そうですか……」

「──おーい! 二人ともー! 準備してー!」


 黒乃が駐車場へと走り込んで来る。その後ろにゴブリンが一匹くっついている。


「え!? 皐は何で泣いてるの!?」

「感動した」

「……ま、いいや。とりあえず殴って!」


 黒乃は余計に手を加えないように、りんごが怯えながらポコポコと、皐が重厚な正拳突きを叩き込む。

 黒乃の見立て通りゴブリンは一瞬にして光へ変わって、渋谷の街へと風に流されていった。


「っし!」

「クロ、簡単過ぎないか」

「ひぃぃ……ドキドキしましたぁ」

「……確かにな、次二匹連れて来るか」

「待てクロ、俺にもやらせろ」


 全員の視界内にある、「次のレベルアップまで」の数値が少し増えた。

 最後にゴブリンを絶命させたのは、攻撃が可愛らしい連打の形になっていたりんごの攻撃だったが、それでも皐のミッション達成に必要な数値も1増えていた。

 皐は駐車場を出ようと走り始めたが、足を止めて黒乃へ振り向く。


「クロ、俺にも分かったぞ」

「何が?」

「……確かに、ゲームは面白な」

「……はは……遅いよ! だろ!?」


 ニヒルに笑って皐は駐車場を出て行った。

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