2-6 其の後
「あの……御伽さん……」
「っひ……うぇっ……ふぁ、ふぁい……」
「今までの苦痛を考えれば……泣き足りないとは思うんだ……」
「ひぐっ……あっ……ぅうう……」
「僕も泣いたほうがいいと言ったしね……ただ、そろそろ泣き止んではどうだろう……」
「っひ……は、はい……ぅ……ぅう……」
「──此処、電車の中だから……さ……?」
二人はメリーゴーランドから出発し、ジェットコースターの下を通って東京ドームを通り過ぎ、そして出口へと向かった。
途中途中で眠っているように倒れていたプレイヤーたちを目に入れながら、競馬中継場の横を通って戦場を後にした。
倒れていたプレイヤーは、恐らくはゴブリンに襲われたか、他プレイヤーに襲われたか──人体について知識のない黒乃とりんごには知る由もないが、いずれの遺体も脳死状態だった。
悪意あるプレイヤーに出会わなかったのは、襲われない為の理由を二人が持ち合わせていた為か──単なる幸運か。
今のところ定かではなかったが、二人は無事に最寄り駅である水道橋駅へとたどり着き、肩で息をしながら電車へ駆け込んだ。
電車に乗る前も乗った後も、りんごはずっと泣きっぱなしの状態で、その隣に座る黒乃は車内の乗客から白い目線を浴びていた。
空席に恵まれ、横長に伸びている座席中央に腰掛けたものだから、尚のこと視線を集めやすい。
りんごは何とか涙を引っ込める。
子供の頃から母親の躾の域を超えた教育を受け続け、そして中学校では三年間いじめを受け──今の今まで保たれていた孤独状態から解放されたことで溢れてしまう涙は、まだまだ流し足りないほど蓄積されていたものだろう。
黒乃の与えた親交心が彼女にとって救いだったのは確かだが、そんなことで彼女の全てが救えるわけもない。
黒乃が前もってりんごに伝えていた通り、根本の解決には繋がっていない。
悲痛な過去の全てを無かったことにはできない。
ひとしきり涙を放出すると、空洞の出来た心には即座にハサミの音が木霊していた。
ある程度のストレスを吐き出すと、後悔するように──そうなるように躾けられている。教育が施されている。
洗脳の音──ハサミの音が聞こえてくる。
──本音を言ったから怒られる。
──早く謝らないと、切り刻まれる。悪い子を──殺される。
「ね、猫町君! ご、ごめんなさい! こんな嫌な話を聞いてもらってしまって!」
身体に馴染んでいる謝罪癖。カタカタと震えて膝の上に置いた両拳を固く握りしめている。
──早いうちに謝れば何とかなるかもしれない。
そして謝ったら──今度は冷えた溜息が返ってきて、怒らせた相手は安心した顔で生活に戻っていくのだ。
その背中を見て──孤独感に締め付けられるのだ。
りんごの父と母、中学時のクラスメイトによる冷遇が脳裏から離れない。
この電車の中に、父も母もいないという当たり前のことさえ理解できていない。
「や、だから聞き始めたのは僕のほうだからね?」
その切迫したりんごの顔に迫ったのは、黒乃の呑気さ溢れる、やけにむくれた顔だった。
黒乃は、やや前のめりになって言葉を返した。
初めて受ける平和的対応に、りんごは目をぱちぱちさせて驚いている。
「……そうですけど……普通は……違うじゃないですか?」
「僕から話しかけたのに、途中で話聞かないって意味わからなくない?」
「話を聞いてみて……嫌な内容だったら遠ざけるのが普通ですよ……」
「──それだと明日のゲームがつまらなくなる」
「……え? げ、ゲーム……ですか?」
りんごの緊張感は何処かへお祓いでもされてしまったかのように消え、次に何とも阿呆のような空気感に包まれる。
「そうゲーム。御伽さん……僕はね、将来サラリーマンになるのが夢なんだ」
「……い、一体何の話でしょうか……」
「──勤務は九時五時。手取り二〇以上。出世しない。残業しない。居ても居なくても困らない会社の単なる一齣になるんだ。故に責任もない。アフター5から寝るまでの全ての時間はゲームに充てる。それが僕の将来の夢……だ!」
黒乃の眼光は無駄に鋭い。
「と、とても真剣なのですね……!」
「うん……これに関しては僕はマジだ……!」
「ご、ごくり……」
「僕はゲーム時間を捻出するように日々計らっている。その為に人との関りを断ち、放課後は誰かと遊ぶことはなく全てをゲームの時間に充てている……学生という身分を存分に活かし、精一杯に駄目人間をやっている……!!」
何だか電車全体が黒乃の熱意に揺れているような、そんな擬音らしきものさえ空気中に感じる。
「僕はこの駄目人間生活を延長する為に、絶対に低レベルの大学に入る……本当は大人になんてなりたくないけど、そこは逆らいようがない……僕は駄目な奴ではあるけどガキではないつもりだ……!!
だから大人になってしまうことは受け止める……ならば限りなく影の薄い責任の発生しない立場に就いて、自分を最低限食わせて、その上で死ぬまで毎日ゲームをする……そんな平穏を絶対に……手に入れる……!!」
どうしようもない人生設計だった。
どうしようもない割りには呆れるほど本気だった。
「だからそのゲームをつまらなく感じてしまうようなことがあってはならない……体調だって万全にしておきたいし、悩みだって抱えたくない。ゲーム中にゲーム以外のことに囚われていたくない……!!」
りんごとは全くの別種。
テストで悪い点を取れば自身が映る写真にハサミを入れられるような、そんな家庭環境に身を置いてきた自分とはあまりにも違い過ぎる。
怒られない為に教養を身に着けてきた自分とは、全くの別方向に熱を燃やしている。
「あ、あの……そんなにゲームしてると……怒られませんか……?」
「え、怒られるよ?」
「き、聞いた私のほうがおかしいみたいな顔!」
「怒られて辞めてしまうような……そんな甘い気持ちでゲームを好きだと言っているわけじゃないんだ……!」
「が、眼光が
「──まぁ……僕が何を言いたいかと言うとね、僕に感謝する必要はないよってこと」
「あ……」
黒乃は一応周囲に目を向ける。
青く発光した文字──異世界23区のプレイヤーや魔物の存在は確認できない。
話に没頭していても問題ないらしいことを確認する。
その実、照れ隠しの行動でもあった。
「僕は自分のゲーム充実の為に御伽さんを助けた。本当にそれだけだから。こんなにも駄目な奴なのに感謝なんかされたら病んじゃうよ」
黒乃から出た屈託ない微笑みが、その言葉が本心であることをりんごに悟らせていた。
「ごめ……ごめんなさい……」
りんごは再び涙を滲ませて謝った。
そんなにも本気でゲームの為に人と距離を置くように計らってきたのに、助けてと言って関係を持たせてしまったことについてを謝るべきだと思った。
何だかとても、自分が迷惑な女である気がした。
「──それも駄目だよ御伽さん」
「うぇ……?」
「感謝も罪悪感も、どちらも人との繋がりを強くするものではあるとは思うけど、対等性があるとは思えない。友達は必要以上に謝らないもんだよ」
車輪がレールを踏む音、車内が揺れる音、人々の話声。
りんごの中で全ての音が遮断され、「友達」の言葉を強烈な形で耳が拾い上げた。
謝らないでと言われて、止まりかけていた涙は結局──止めることができなくなってしまった。
「と……友達……」
「そ、友達」
「友……達……」
宝物でも手に入れたように大事そうに言葉を繰り返した。
「……あげられるものでよかった」
「っひ……ぅ……ぅう……」
「助けてあげられない──自分に差し出せるものがないことが一番怖かった」
黒乃は無条件に人との関りを断ちたかったわけではなく──関わった上でりんごに何もできることがなかった時、無力感や罪悪感に苛まれてしまうことを一番恐れていた。
そして今回のケースは、そうはならずに済んだようだった。
「っぅう……ぐぅ……うぇっ……」
「…………泣くの……電車降りてからにしない……?」
「……あ、あい……ぅう……」
二人は二つの世界において、フレンド登録を行った。
②
六月四日。午後八時過ぎ。東京ドームシティ外。
黒乃たち異世界23区のプレイヤーが、敷地内で戦いを繰り広げている最中のこと。
その間、異世界23区の運営者の一人である鴉間へ、一人の来客があった。
鴉間が道路へ出てから帰還用に手配した車に乗り込むまでの、短い間のことだった。
予め外に待機していた数人のボディーガードが鴉間を出迎え、即座に取り囲む。
「此方です」
「どもども~」
近くに停めてある車へと案内され、鴉間が歩きだすなり一人の大きな男が現れた。
その男は見るからに屈強そうで、年齢は三〇代後半ほどに見える。
身体から溢れる威圧感が、ボディーガードたちの動きを止め、鴉間もまたその場に立ち止まる。
「そこの男に用がある」
「ボクぅ? どちら様かな?」
鴉間は男の頭上に目をやる。文字は浮いていない。
ということは異世界23区の関係者ではない。自分たちが誘拐した者ではない。
「熊杉皐という」
「アッハッハ!! その見た目で皐って!」
「よく言われる」
「苗字も……確かに熊だね熊杉君つって!?」
「……それもよく言われる」
「ダッハッハッハ!!」
何とも失礼な態度の鴉間にも動じない。何処かの戦場で修羅場でも潜ってきたかのように見える男は、よく見れば学ラン制服を着ている。
着ている衣服を意識させないほどの覇気、風格が漂っていた。
「で……何の用で?」
「説明会、聞いていた」
「……あ、そぉ」
別に聞かれない為に細心の注意を払ったわけでもなかった。
異世界23区のプレイヤーにならない限り、到底信じることのできる話ではないと、鴉間がよく知っていた為だった。
仮に信じて運営という存在に近寄る者が居るなら、処理してしまえばいい──鴉間にとって、それだけのことだった。
「…………録音でもしたのかな? 脅迫か何か?」
ボディーガードたちが皐へ一歩近寄る。
いつでも何か行動を起こせるように、腕を少し広げて拳を柔らかく握る。
殴るでも掴むでも、何が飛んできたとしても対応できるようにと、場には緊張感が張り詰める。
目の前に居る学ランを着たおっさんのような人物に、細心の注意を向ける。
しかし、皐は別に動く素振りや敵意を見せない。
「──友人がいるんだ」
「プレイヤーの中に? 助けてやってくれってこと?」
「……いや、助けようがないのはもう話を聞いて理解したつもりだ」
「なら益々もって謎だねぇ。てっきり友人を助けてくれ、さもなくば録画した音声を世間に公表するぞーとか言いに来たのかと思ったけど」
皐はゆっくりと首を横へ振った。
「──俺をゲームに参加させてくれ」
鴉間の陽気な笑顔は悪魔のモノに変わる。
「本気かぁい? 話聞いてたんだよねぇ?」
「あぁ」
「結構な確率で死ぬよぉ?」
「あぁ」
「……クク……ハハハ……友達の為ぇ?」
「いや……」
「おや、それは違うのかい」
「……自分の為だ」
「アーッハッハ!! 良いねぇ気に入った!! そうさ人間全て自分の為に行動を起こすものだ! 素直な点がグッドだ!」
すかさずボディーガードが苦言を呈しに鴉間へ駆け寄る。
異世界23区の実態を知りながら、それでもプレイを志願する者など、運営にとっては初めてのこと。
何かしらの罠が貼られているのかもしれないと、あらゆる危険性を鴉間に耳打つ。
「異世界23区は来る者拒まず、去る者殺す……つって。いいじゃないの、友人が関係してる様子ではあるようだ。
付き合わせてあげたほうが親切かもしれないよぉ?」
鶴の一声。ボディーガードは無線で連絡を取り合い、皐は車へ同乗するように促される。
説明会の全てを聞いていた皐は、これから脳に細工を施されると知りながらも、後部座席で足を大きく広げ姿勢を正して、どっしりと座り込んでいる。
「ちなみにさぁ、教えてよぉ?」
「何をだ」
「お友達の名前だよぉん。気になるじゃんかぁ」
「──黒乃、猫町黒乃だ」
全てのプレイヤー情報を記憶している鴉間にとって、皐が述べた名前は思わず吹き出してしまうものだった。
──猫町黒乃。猫町、黒乃。猫、黒──黒猫。
「ぶふっ!!」
「なんだ」
「いやいや失敬……!!」
先刻、お気に入りと定めたプレイヤーは何とも楽しませてくれる。
開発者冥利に尽きる質問を投げかけるばかりか、貴重なモルモットの一匹を提供してくれるのだから。
鴉間は込み上げてくる爆笑と歓喜を必死に抑え込んでいる。
「何とも……これからが楽しみだ……」
鴉間は囁いた。
────この日から六月七日までの、約三日間。
熊杉皐は行方不明となった。
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