2-4 戦場のテーマパーク
現代の地面にゴブリンが足を着けていた。
お洒落さ、優雅さ、癒しを兼ね備えたデートスポットは、今正に戦場と化した。
これが現実の世界での出来事なのかと目を疑う光景。
耳や鼻、そして牙が尖った魔物──ゴブリンが大量に走り回り、その姿をメリーゴーランドのファンシーなライトが照らしている。
そしてその空想上の存在である筈のモンスターと戦う人間たちで溢れている。
手から炎を出すサラリーマン風の男。回転蹴りから斬撃を飛ばすアウトロー風の男。声を文字化、物体化させて投げつけるミュージシャン風の男。ゴブリンを操ってゴブリンを攻撃させている女性。
拳や足で撃退するばかりでなく、人間の手から炎や雷が放たれ、絶命させた魔物が光の胞子に変わって霧散していく光景は──確かに異世界が現実世界へ入り込んできたかのようだった。
この異世界的戦場は、一般の人間に見ることは叶わない。
頭上に各々の名前を示した、青く発光する文字を浮かべる者だけが──異世界23区のプレイヤーだけが、その光景を見ることができ、その異世界感を味わうことができ、そして──死の迫るスリルを感じてしまうのだった。
「は……はは……す、凄ぇえええええええええええ!!」
混沌の中心で黒乃が興奮を叫びに変えていた。
黒乃を含めて数十人にはその戦場を楽しむ余裕があるらしい。
まるでゲームの中の世界へと引っ張りこまれたような、その楽しさのほうが勝っている人間も少なくはない。
「凄い! 本当に凄い! ここ日本だぞ……後楽園なんだぞ……最寄り駅水道橋なんだぞ!? 確かに現実は直ぐ其処にあるのに……非現実らしい夢のような現実が目の前でめっちゃ飛び交ってる!!」
言っている傍から、手からドス黒い直線放出型攻撃魔法を放ち、ゴブリンを光に変えるプレイヤーを目にいれ、そしてまた凄ぇ、と興奮の大声で称えている。
溢れかえるゴブリンと、それらと交戦したり逃げ回ったりしている人間たちはあまりに多く、動きの取りづらい密集した空間の中で、一匹のゴブリンが黒乃へ飛び掛かった。
無理に人を押しのけて逃げることも可能かもしれないが、他プレイヤーの戦闘の邪魔をすることになるかもしれない。
どうやら選択肢としては、一戦交えたほうが良さそうである。
といっても黒乃が手に入れた動体視力向上スキルのお陰で、ゴブリンから払われた尖った爪による攻撃を難なく横にずれて躱すことが出来た。
カウンターに見舞った非力なパンチがゴブリンのHPを三割ほど削った。
後ずさりしたゴブリンの胸辺りを目掛けて、今度は更に力を込めてもう一発。
また三割減った。
「……なるほど、これは半分ゲームだから攻撃力に実際の筋力などは関わっていないのかも。僕自身に設定されたステータスから、自動でダメージ計算を行っているのかな」
次は狙いを澄まして、鳩尾に一発。
計算的には少し余る筈のHPは、全て赤色に変わり、計三発の物理攻撃でゴブリンを光の胞子へと変えた。
どうやら弱点部位などの概念はあるらしい。
視界左下に置かれた、《次のレベルアップまで》の数値が僅かに増えた様子が、黒乃の興奮を更に煽った。
「東京都の街中で、ゴブリンを倒した……ハハ……ハハハハ!! 凄い……凄いぞこれ!!」
ゴブリンを消し去った自分の惰弱な拳を嬉しそうに見つめる。
日常的景色の中で非現実体験をした、そのギャップへ黒乃は胸を高ぶらせていた。
周囲へ目を向けてみれば、相変わらず様々なスキルや魔法が飛び交っている。
鴉間が言うには、それらは単なる視神経や聴覚神経への信号伝達らしいのだが、何処からどう見ても人間が魔法を使っているようにしか見えない。
各々が自分に定めた職業から得たスキルを使い、駆けずり周り、視界に収まっている残命量の色を赤へと変えないようにと必死になっている。
黒乃は人の流れに多少の法則性があることを見出した。
走り去って行った者たちが再び遊園区画まで戻って来るのを見て、どうやら手近な出入り口は全て、封鎖されているらしいことに気づく。
あの悪魔のような顔で笑う鴉間なのだから、今いる場所から一番遠い出入口のみが解放されているような、そんな意地の悪さが働いているのかもしれない。
やや横長気味で広大な敷地を走らせ、その間ずっとゴブリンと戦わせるつもりなのだろう。
そのことに気づかないままに走り回る者、喚く者。懸命に戦う者のスキルを発動する大声。
単なる映像体による攻撃を喰い、流れ出る血を目に入れて、非現実的現実に抗おうと発せられる悲鳴。
様々なスキルエフェクトが飛び交い、様々な音が飛び交う。
黒乃が段々とその幻想的であり狂乱的な戦場光景を見慣れてきたが、それでも一つ──あまりの美しさが黒乃の目を奪った。
彼女が──御伽りんごが、羽を広げて泣いていた。
黒いセーラー服を着た背中。その上から温かな光を放つ、二枚の羽が左右に伸びている。
「…………凄ぇ」
アトラクションの光が放つ美しさなど霞ませる、白く発光する美しい羽。
「っひ……うっ……うう……
りんごは座り込んだまま、泣きじゃくりながらもスキル名を叫び、矢のようなものを右手で
右手を離して矢を射ると、羽もまたふわりとした粒子になって消えていく。
スキルを使用する度に、羽が出現し、矢を放つと羽は消えていく。そういう仕様なのだろう。
恐らくは自分の、《ギロチン・ネイル》のような彼女だけが持つスキルだ。
先端がハートになった矢を右手で引っぱり、その手を離すと飛んでいってゴブリンの身体を貫いている。
額からは少量の血が流れ、瞼の上を通って涙と合わさって地面へ垂れ落ちる。
黒乃からはりんごのHPを見ることはできないが、いくらか減らされてしまっていることが予想される。
泣いているのは、やはり命のやり取りを強いられている為だろうか。
彼女の近くにポップしたゴブリンが、りんごへ駆け寄っていく。
──しかし彼女は矢を手の中に装填しない。
恐らくはスキルの再使用時間を満たしていないのだろう。
りんごはお尻を擦らせながら後退し、涙を流しながら奥歯で恐怖を噛んでいる。
「──ギロチン・ネイル!!」
──シャァアアアン!
と、重厚感を持った金属の擦れる音と一緒に黒い学ランの姿──黒乃がりんごの前へ割って入った。
ゴブリンの身体は二つに割れ、血などを流す演出はないままに光の胞子へと変わって消えていった。
「…………ね、猫町君……?」
唖然としたりんごの顔は、まさか助けてもらえるとは微塵にも思っていないだろうというものだった。
当然ではあるが、黒乃のことは赤の他人にしか見えていなかった。
驚愕の顔で割って入った黒乃の背中を見つめている。
「──絶対に、ありがとうとか言わないで欲しい」
「…………へ?」
「僕は本当に駄目な奴なんだ。感謝されるっていうのが、どうしても嫌なんだ」
「猫町君! もう一匹来てます!」
言われる前に、既に黒乃の瞳はゴブリンを捉えていた。
──案外、書きミスをしてもよかったのかもしれない。
黒乃へ向けて振り下ろされるゴブリンの爪は、やっぱり鈍間に見えている。
上から振り下ろされる爪を、身体を横へずらすだけという必要最低限の動きで躱し、ゴブリンの腕が下がり切ったところで、黒乃は魔物の顔に一発お見舞いした。
ギロチンスキルは今打ったばかり。再使用時間を満たしていない為、後退したゴブリンに二発追い打ちをかける。
──ベチ、ベチ!
喧嘩に慣れていないことが分かるような情けない追撃音ではあったが、ゴブリンが光に変わったのを見届けた後、黒乃はりんごの元へ駆け寄った。
「絶対に──感謝はしないでね」
そう言う黒乃の顔は、助けた側であるというのにあまり得意げではない。
「え?」
「感謝されるのが嫌なんだ。僕は本当の本当に駄目な奴なのに……それなのに感謝されるっていうのは、騙してるってことになる。凄く気分が落ち込むんだ」
「……じゃあ……どうして助けてくれて……」
「羨ましかったんだ」
「……え」
言葉を進めていると、黒乃が心底羨ましそうに瞳を輝かせた。
「御伽さん、きっと手続き書の職業欄に天使って書いたんでしょ? その発想はなかったなぁ……凄い綺麗で、幻想的で、ゲームのキャラみたいで凄い羨ましいよ」
──だから死んじゃうのは勿体ないよ、と言った黒乃の瞳はキラキラと輝いている。
その何処か悔しそうで楽しそうな笑みが、りんごの涙をぴたりと止めた。
「だから、僕の気まぐれみたいなものだから、感謝の気持ちなんか絶対持っちゃ駄目だよ。MMOで通りすがりの人が回復魔法をかけて去っていくみたいな、そんなもんだと思っていてよ」
黒乃は呆れたように笑っている。恐らくは彼が言うところの、駄目な奴である自分に向けての呆れなのだろう。
──感謝なんかしないで。
人との距離を取る為の冷たい言葉。冷えた言葉を自虐というオブラートに包んで、いくらかマシに聞こえさせた。
そうすることで、人を傷つけないまま遠ざけることができるから。
そういえば公園で、「学校では僕に話しかけないほうがいいかも」と言われたことをりんごは思い出した。
どうやらこの男の子は、自ら孤立を望んでいるらしい。
──独りで寂しくないのだろうか。
りんごは公園で聞いたが、何だかはぐらかされてしまった。
今一度聞きたいと思ってしまうほど──りんごは孤独感に苛まれた女の子だった。
黒乃が他者を遠ざけようと放った言葉は、まんまと裏目に出て、りんごの興味を強く引いてしまったのだった。
「ね、ねこ、猫町君……お願いがあります……」
「はい、何でしょう?」
「助けて……助けて下さい……」
確かに──女子高校生一人で大量に沸いているゴブリンたちに、冷静な対処を行いながら、この広大な施設から抜け出そうというのは厳しいのかもしれない。
自分が同伴していくほうが、難易度は格段に下がるだろう。
──MMOではもっぱらソロプレイヤーなんだけどな。
そうぼやきたいところではあるが、もしも救助を断って、明日から学校で彼女を見かけることがないなんてことになると、それもまた目覚めが悪い。
「──わかった。一緒に駅まで行こう」
「……違うんです……」
「え?」
女の子座りをしたまま、目の前に立つ黒乃へ手を伸ばす。
「──は、話を……させて下さい……」
「……え?」
「お話、させてくだ……さい……絶対に……うぅ……絶対に、感謝……しませんからぁ……」
何とも聞き分けのいい幼い子供のように言って、りんごはもう一度泣きじゃくった。
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