2-2 異世界転移、成す

 ①

 異世界23区誘拐事件────と、先日起きた不可解な誘拐事件へ、世間では名をつけて報道がなされた。

 その事件の被害者である友人が帰ってきてから四日間が経つ。

 その友人は妙に浮かれている。

 今日も何処か嬉しそうに、教室で携帯ゲーム機と睨み合っている。

 楽しそうに毎日を過ごしている。

 ──まるで誘拐されて良かった、とでも言いたげに。

 何がそれほどに楽しいのか、友人は語らない。

 皐でなければ黒乃が楽しげであるとは気づけないほど、嬉しさを抑え込んでいる。

 

「おいクロ」

「はいよ?」


 視線をゲーム機にやったまま黒乃は返事だけを皐に返す。


「今日の夜、空いてるか」

「……ごめん、無理だ」

「そうか。何か予定があるのか」

「あぁ……えっと……ちょっと出かける」


 ──それはおかしい。

 自分の知る友人は、本当は学校に来ることすら億劫で、家から徒歩三分のコンビニを遠いなどと言うような人間。

 それでいて黒乃にとって夜とは、集中してゲームをプレイできる、一日の中で最も尊い時間帯の筈。

 その夜に出かけるなどと言う。

 ──やはり、誘拐されてから何かがおかしい。


「……デートか?」

「ぶふぉっ!」

「違うのか」

「相手いないでしょ」


 ちらっと、先日転校してきたばかりの女の子へ視線を配る。

 ひょっとすると、先日公園でナンパでも行って、そして成功し、その相手である御伽りんごとデートでもするのかと思っていたが、どうやら違うらしい。

 彼女は誰と話すこともなく、教室の机について本を読んでいる。

 この三日間で黒乃と言葉を交わすところも一度として見たことはないし、公園で何があったのかを黒乃のほうからは話しては来ない。

 あの日、公園でナンパを行い失敗に終わったから、だから自分に話しづらいのだろうか。

 だとしたら、会話に出して、その苦い思い出を蒸し返させるのは可哀相なものであると思うと、


「そうか」と、皐は結局いつものように短く返した。


「その夜の用事って明日でもいいの?」

「あぁ、実は妹がまたクロに聞きたいことがあるらしいんだ」

「むっちゃん? またゲームに詰まったのかな?」

「そうらしい」

「じゃ、明日の夜でよければ行くよ」


 どうやら普通に会うことはできるらしい。黒乃は自分を避けているわけではないようだ。

 尚のこと、何かを隠しているらしい余所余所しい態度が気になる。


「わかった。伝えておく。ちなみに……夜は何処へ行くんだ?」


 皐の友人は、東京ドームへ行くと言った。益々不思議だった。


「……ナイターでも観るのか」

「そ、そう。そんな感じ」


 ──絶対的に嘘だ、と皐は確信した。

 この友人は、生活時間の全てをゲームに捧げている。

 ゲームの為に生き、ゲームと共に老け、いざ息を引き取ったとなった際の棺桶には、その頃販売されているゲーム機全てと厳選したソフトを入れてくれと言いかねないような男なのだ。

 その男が野球などと。

 そんなことを言う奴は黒乃ではないとさえ言い切れるほど、皐は黒乃が嘘をついたことを確信した。


 小学生で知り合い、仲を深め、兄弟のように過ごしてきた自分に嘘をつくとは、これはよっぽどのことである。

 皐という人間は、そこで怒りを持つタイプの人間ではなかった。

 怒りを持つのは、後で知った時である。

 

「そうか」


 短く言った頃、授業開始の鐘が鳴り、皐は1-Aの教室から出ていった。




 ②

 二〇一八年六月四日。午後八時。

 東京ドームシティという場所は、一つ一つが高クオリティの外観を持つお店が列を成し、正に一つの街のような形をした商業施設でありながら、ショッピングやグルメばかりを楽しめる場所には留まっておらず、高級感溢れるSPAや宿泊施設が併設されていて、リゾート施設としての姿も持ち合わせている。

 一見、上流階級の人間のみが訪れているような敷居の高さを感じるが、小規模な遊園地も併設されていて、子供から大人まで楽しめる夢のような施設であった。


 リゾート区画や買い物区画など──幾つかの区画に分かれている中で、ウォータースライダーが設置されている遊園地区画には多くの水場があり、噴水などから漂ってくる水の清々しい匂いが人々の心を澄ます。

 ウォータースライダーの真横でメリーゴーランドがファンシーな光を放ち、更にその横には小規模なイベントスペースが設置されている。

 客席からはみ出すほどに人々が雑に列をなし、猫町黒乃は真ん中辺りに立っていた。


 黒乃にとっては、あまりにお洒落が過ぎる場所であり、多少の居辛さを感じながらも、必死に周囲に目を向けて観察を行っていた。

 その時、つんつんと背中を突く者が居た。


「──あ、御伽さん」

「ど、どうも。凄い人ですね」


 りんごは人込みの中で邪魔にならないように、小さく会釈をする。


「……おかしいよね?」

「え?」

「お店にもアトラクションにも灯りは点いたままだけど、店員さんらしき人の姿はないし……通常のお客さんが一人もいない」


 全員の頭上にはそれぞれのユーザーネームを示す青い発光文字が浮いている。

 文字が重なるほどに密集している光景は、MMORPGの世界でメイン都市にて人々が集ってたむろしている光景と酷似している。

 

 黒乃の言う通り、人の気配がするのはイベントスペースのみ。

 入場整理が行われたことが予測される。

 入場の際に入り口に立っていた黒服の人たちの仕業と思われるが、どうやって異世界23区のプレイヤーと一般客とを見分けたのかも謎だった。


「しかも……報道されてたのはたった一五名の筈だよね? それなのに……ざっと見た感じでは五〇〇人以上は居る……」

「言われてみれば……確かに変ですね……」

「しかも何だか皆暗いし、人柄に統一感がない」


 女性も居るが男性比率のほうがやや多いか。

 自分のような学生から、上は老人まで見られる。

 スーツを着ている会社員も居れば、チンピラのような柄の悪い者たちも多く見られる。

 黒乃のように、ゲームが好きだという一心で集まった者にはとても思えない。

 皆が何処か生気は薄そうに、無気力な様子で立ち尽くしている。

 隣に居る女の子も同様だ──御伽りんごも、とてもゲームが好きそうには見えない。

 それは偏見ではない。

 ゲームを愛している黒乃だから分かる。

 ──同類の匂いがしてこない。

 自分のように、死ぬかもしれない恐怖に怯えながらも、今から始まる説明会に心を躍らせている様子がない。

 この場に居る全ての者が異世界23区のプレイヤーではあるが、ゲーマーというわけではないのだろう。

 しかし謎を突き詰める気持ちは直ぐに、頭の中で鳴るリリーの声によって阻まれる。

 

『──只今より、異世界23区開発担当者、鴉間より説明会が行われます』

「うおっ」「きゃっ」


 驚く声が、黒乃とりんごも含めて一斉に上がる。

 アナウンスが各々の頭の中へ直接流れてきて、それで皆が一緒に驚いたのだと、その場に居る全員が察した。

 

「──おハロぉぉおおおおお!?」


 イベントスペースの檀上へ、マイクを握った陽気な男が現れる。

 男は現れるなり、フレンドリーな挨拶を繰り出したが、その声に対して返す者は一人もいない。

 

「……おや……何だか元気がないねぇ?」


 ニタニタと笑いながら集まった人々を檀上から見下ろす。

 一人楽し気で気味の悪い男。

 白衣の長い裾を翻しながら、人前に立つ姿に緊張などはなさそうで、眼鏡越しに見える瞳には、狂気のようなものが芯に通っている。

 

 黒乃はその男に覚えがあった。

 顔を見るのは初めてだが、不気味さを孕んだ陽気な声色には聞き覚えがある。

 それを聞いたのは異世界23区を購入する為に訪れた手続き会場。

 気絶し掛け、意識を失う直前に聞こえた、「異世界」の言葉を落としていった声の主だ。

 辺りを見渡せば、どうやら黒乃以外にも聞き覚えがある様子で、顔をはっとさせている者が多数いる。

 その声の主──鴉間は現れるや否や、

「──ボクらは、皆さんをボタン一つ殺せる状態にあります」と楽しそうに忠告した。

 説明会の始まりは、かなりの不穏さに包まれて始まった。




 ③

「一つ、先に忠告をねぇ……皆さんを誘拐したのは我々異世界23区の運営であると、もうお気づきのことでしょう。

 だからってこの場で恨みを晴らそうだとか、何やら最近、幻聴幻覚らしきもの体感したのはきっと異世界23区のせいなのだから、今この場でとっ捕まえて辞めさせよう……なんてことは、辞めておいたほうがいいですよぉ──死んじゃうのでぇ」


 鴉間は悪魔の笑み越しに忠告した。

 マナーの悪いお客様には退店をお願いしております、と同じ温度だった。


 「──っざけんなぁ!!」


 今まで静まり返っていた群衆の中から、複数人の罵倒が飛ぶ。

 その内の一人、チンピラ風の男が檀上へ駆け上がり、鴉間の胸ぐらを掴んだ。

 怒りに任せて胸ぐらを掴み、至近距離でガンを飛ばし、そして鴉間の顔に三回拳を叩き込んでマウントを取るまでを、やり慣れている感じでこなした。


 突然のことに静まり返ったその場に、骨まで届くような鈍い追撃音がもう二回響いた。

 群衆の中には少なからず同じ類の恨みや憎しみを持っている者が多いのか、止める者は誰もいなかったが、それが運営側にもいないことがいささか不可解なところだった。


「──うぇっへっへっへ」


 計五回の殴打を浴びても鴉間から陽気さは消えない。

 チンピラの膝元から、不気味な笑い声だけが黒乃たちへ聞こえた。


「手前ぇ……何笑ってんだぁオラぁあああ!」

「君は確か、池崎君……だったかなぁ? 現在三四歳で、アウトローな生活を送っている。ギャンブル狂いで借金がかさみ、新宿の高利な金貸しに追われて、捕まって、売られたんだっけねぇ?」


 池崎という男の怒りは更に燃え上がる。

 鴉間が述べた男についての情報はどうやら当たっているらしい。


 もう手加減など要らないと、殺意を固く握り込んだ拳を振り上げる。

 しかし何が起きたのか、直後に倒れたのは池崎のほうだった。

 鴉間の上へうつ伏せに倒れ込み、ピクリとも動かない。

 溜息を一つ払って、動かない池崎を押しのけて、むくりと起き上がった鴉間は、酷く膨らんでしまった顔を、相変わらずニタニタと陽気に笑わせていた。


「彼ね、死んでるんだよん。ほら、ほらほら」


 ほら、ほらほら、ほらほらホラホラホラホラホラホラホラ、と言いながら男の身体を足蹴にしていく。

 何度蹴られても踏まれても、池崎というチンピラの身体はぴくりとも動かない。


「正確には、死ぬ少し手前。見た目に外傷はなく、まるで眠っているだけのようにも見えるよねぇ。

 しかし実のところ呼吸は自力ではできないし、痛みなども感じないし……脳がね、停止してるんだ。回復することもない。二度と、ねぇ。

 原因不明の昏睡状態ってやつだ……そういうのを医療では脳死と判断を下すんだよぉ」


 チンピラを足蹴にする為に、群衆へ背中を向けていた鴉間は、くるりと振り向いて、

「これを皆さん限定で意図的に引き起こせるので、ボクや運営への攻撃は辞めましょうねー?」と、群衆へ多少歪になってしまった満面の笑みが送られた。


 頬や目の上は腫れあがり、口の中を切ったらしく血を流しているが、痛そうにする様子はない。

 そして反論や罵声などの声が立たないことを、にやけ顔で見渡すと、涎と血に糸を引かせ、口端を更に釣り上げた。


「此処に来ている異世界23区の運営者は勿論、ボク一人ではありませんよぉ。

 色々なところへ待機し、監視カメラなどを通して無線で連絡を取り合って、君たちを監視していますねぇ。

 その仲間の一人が、ボクに危害を加えたコイツを殺しましたってわけです──エンターキーでね?」


 察するにパソコンのエンターキーのことだろうか。

 動かないチンピラを見て、ボタン一つで人を殺せるという信じがたい内容を誰もが受け止め始め、そして鴉間を捕えようと思う意思は見事に削がれた様子だった。

 怒りを鎮めるように歯を食いしばり、目の前で人が死んだ恐怖に怯え、群衆は鴉間に視線を注ぎ続けた。


「何ぁ故、脳死なのかぁ。頭がボンッと爆発するわけでもなく、何故眠るように死ぬのかぁ……これは君たちが、何故スライムと戦ったのかと深く関わってくること。

 君たちはボクたち運営に誘拐された時、ある手術を施されていますぅ」


 鴉間は倒れたチンピラの、首の付け根辺りに人差し指を押し当てると、「此処」と言った。


「──脳幹。皆さんの此処にナノレベルチップが埋まってますよつって」


 その場に居る者の八割が悪寒に襲われ、自分の首元を手で覆い始める。

 その光景を楽しむように、鴉間の笑い声が響き渡った。


「ハハ……ハッハッハッハ! こんの脳幹という場所は、全ての神経の出発点と呼ばれています。つまり神経が全て集まっているんですねぇ……ここに電気信号を発信するチップを埋めさせていただきましたんっ。

 ナノチップには異世界23区のデータと、他にもあらゆるデータが含まれています。ソーシャルゲームなどのように、外部からのアップロードも可能。このシステムが様々な奇跡を皆さんにもたらしている原因。

 例えば皆さん、昨日スライムを見ましたねぇ? 我々が作成したスライムのデータを電気信号に変えて視神経へ送ると、現実には存在していない魔物を、実際の現実に居るかのように見せることが可能ってわけでーす。

 眼球を通さずに視神経へ直接働きかけているので、君たちにはスライムを、という『経過』がなくても、『結果』としての、を体現可能としているわけだねぇ──ヘッドギアの要らないVR機と思ってもらえれば? わかりやすいかなカナ?」


 つまりは眼球と視神経の、その間に直接映像を差し込んでいるということだろうか。

 スライムも、ゲームの中で操作するようなウィンドパネルもの、発動したスキルのエフェクトも、自分の残命をグラフ化したHPバーも。

 既に、見たという『結果』を体験済みの面々だったが、それでも鴉間という気味の悪い男の言うことを、未だ信じきれない。否定もしたい。

 鴉間はその空気を感じ取りながらも、お構いなしに続けていく。


「……この中に、スライムと戦った時に、怪我をさせられたーなんて人……いらっしゃいますぅ?」


 複数人が手を挙げた。

 その挙げた手には絆創膏やガーゼが貼られている者が多かった。

 猫町黒乃もまた、挙手をしている一人だった。


「不思議ですよねぇ? つまりは単なる映像体に攻撃されただけなのに、どうして現実にある身体が怪我を負うのかなつってぇ。それは対象が攻撃判定の範囲内に触れた時、同時に映像体が触れている筈の部分の触覚神経を刺激しているからですねぇ。

 そんなもんで怪我をするのかっつって? 其処まで仮想と現実がリンクするのかつって? そう思うことと思いますけどぉ……それがするもんなんですよー? プラセボ効果の応用だねぇ。

 チップの中には、あらゆる『痛み』に関するデータも内蔵されていますでぇす。攻撃された箇所に、それに見合った痛み、症状を送ることで、実体のないものに攻撃されたにも拘わらず、あまりに現実的過ぎて、脳を誤解させるって寸法だぁねぇ。ま、応用すれば故意に風邪を患ったりとかもできる」


 鴉間は深く深呼吸して、「脳ミソ、すんばらしいぃいいいい!!」と叫んだ。


「……脳の偉大さはそれだけに尽きません。ちなみにこのチンピラには、脳の働きを全て停止させる信号を送ったげたの。外傷を与えず、脳の働きだけを止めるってわけです……これでお見事、脳死体の完成だぁあああ!!」


 鴉間はチンピラの遺体を足で踏み、右腕を大きく上げて人差し指を翳して叫んでいた。


「……他にも……皆さんも既に気付いてると思いますけど、手続き書に書いた職業が、肉体にも相応の変化を与えていますよねぇ? わかりやすいのは、人間以外の生物を書き込んだ人……その人たちはなんと、その生物の特徴が、肉体に現れたりしてるわけですぅ。脳とはそれほどに、影響力ばっつぐん! 貴方たちの! 神! ゴッド!」


 ──例えば、猫と書いた者の爪が猫のようになったりしてねぇ、と鴉間が言い、黒乃は生唾を一つ飲んだ。


「他にも……ドラゴンになりたいと書いた人は、肌に鱗が出て、口から火が出たり?

 あとは、ゴーレムと書いた人は、肌が石のように変わり始め、ポロポロと欠けたり……ね? そんな風に空想上の魔物も可能でござんす。

 ──んまっ、これに関してはボクが細かな設定をしてるのだ。

 世の中には色々な奇病があってねぇ。鋭利な牙が伸びてきてしまうとか、尻尾が生えてくるとかさ……そういうデータを取り込んで脳に信号を送っているわけだ。

 まるでライオンのDNAでも入り込んでしまったかのように見える……面白い演出だろう?

 しかも見た目のことばかりではないし、そして悪いことばかりじゃない。

 たったの一日で足が速くなったり、身軽になったり、頭が良くなったり、筋肉が増強したり……脳への刺激ってのは時間の概念を無くすのさぁ。変化内容は人それぞれ、記入した職業に応じた変化が、これから先も起こることでしょう」


 途端に鴉間の口調に熱が籠る。

「超面白ぇゲームだろう?」と言って、説明口調だった語りは、演説に成り代わり始める。


「空想上の魔物がまるで目の前に現れたかのような興奮! 現実生活ではありえない、レベル概念などのRPG要素の投入! スキルを使うのは快感だぞ……? 手から炎が出るんだぞぉ……? 子供の頃、手から炎や氷や雷を打ち放ってみたいと思っただろう?

 炎が広がるデータを視神経へ送ると同時に聴覚神経にも炎の音、被弾させた音を送っているので、実際のところ高度な映像を見ているだけではあるが、それはまるで自分の手から出した炎が魔物を焼いていることを、疑わない水準! 面白ぇ……面白ぇよ異世界23区ぅぅううううう!!」


 自ら興奮を掘り出し、自ら抑え込むようにカタカタと双肩を震わせる。


「ゲームと現実のリンクなんだよぉ……まるで現実で魔法が使えてることを疑わないようなゲームなんだよぉ……そんなにも現実とのリンク率が高いんだからさぁ……。

 全てのHPを失った時にさぁ……教会で復活して小言を言われる程度じゃあ……勿体ないだろぅ……? ゲームの中でHPがなくなったらさぁ……ちゃんと……ちゃんとさぁ…………────」


 ──ちゃんと死ななきゃ、勿体ない!!

 鴉間はそう叫びに変えて、興奮のピークを夜空に向けて放出する。


「……まぁ……でも何もない善良な市民を巻き込むのはね、少々心が痛むでしょ。だからこうして死んでもオッケーな人だけを集めたってわけだぁ」


 黒乃は話を聞きながら合点がいくのと同時に疑問が湧いた。

 ──ゲームの為に人生を捨てられるか否か。

 手続き書で受けた質問の意図はまさしく、ゲームの中で死ぬことになったとしても構わないか、という意味だったのだろう。

 しかし。

 自分と同じ境遇にある者は全国でたったの一五名だと聞いていた。

 にも拘わらず鴉間は、此処に居る数百名の人間の頭の中にチップを埋め込んだと言い、そしてこの集団に向けて、『死んでもいい人たち』と言った。

 端に警察などの組織が把握できている件数が一五件だった、ということなのだろうか。

 違和感は鴉間の足元に転がるチンピラの男。

 やはり、ゲームを好み、ゲームの為に全てを捨てられる人間には──自分と同類には思えない。

 

「……ギャンブルで借金苦……追われて……売られ……」


 黒乃は鴉間が言った池崎という男の情報を呟いて並べていく。

 はっ、と脳裏に憶測が立つ。

 そして死んでもいい人たちという、不謹慎極まりないワードと掛け合わせると、その憶測は確信へ変わる。


 この集団の中には、恐らく様々な事情で死を決定づけられたものが集められている。

 いやむしろ、その割合のほうが圧倒的に多いのだ。

 わざわざゲームをプレイしたいと、正式な手続きを踏んだ上で誘拐されたのは一五名だけなのだ。

 大多数は、報道にもならないような裏社会から集められている。

 黒乃は自分や御伽りんごのほうが少数立場であることを理解した。


 そして隣に居るりんごをチラッと見る。

 彼女は手続き会場に足を運び、自分と同じように自ら異世界23区のプレイを望んだことには肯定していた。

 しかし、やっぱりゲームが好きなようには見えない。

 本当は無理やり連れて来られた側だけど、嘘をついているのだろうか。裏社会から来たことを隠そうとしているのだろうか。

 それもまた不自然なほど、彼女は育ちも良さそうで何処か気品のようなものがあり、犯罪的な気配は全く感じられない。

 ゲームが好きなわけでもなければ、無理やり連れて来られたわけでもない。

 一体、彼女は何を望んで異世界23区のプレイヤーとなったのだろうか。


 黒乃は彼女を見ていることを気づかれない為に、視線を外したまま、少し彼女のことを考えていた。


「ま、詳しくは言えないけど、死んでもいい人たちを集めたんだから、死ぬようなゲームに参加させられても文句は別にないでしょ? アナタガァタ?」


 不躾な物言いが耳に入ると黒乃もまた鴉間の説明に意識を戻す。


「……むしろ文句どころか……アナタガァタから礼を言われても良いくらいだ。

 皆が絶望の断崖に立っていたところを、気絶させて別の世界に連れてきたのはボクらなのだから。

 高層ビルにコンクリート道路……姿こそ変わらない東京都内の風景ではあるけれど、随所に魔物が蔓延り、倒せば倒すほど強くなって以前よりも自分の命の存在を強く実感することでしょう」


 ──確かに。死んでもいいとさえ思った。

 ゲームの為なら死ねると、確かに黒乃は思った。

 だからこそ、魔物が出現するような恐怖の世界へ連れて来られたとしても、別に文句などは湧きはしない。

 むしろまるで生まれ変わったかのような、そんな気さえした。


「──テンプレート……」


 黒乃は呟いた。

 一度死にかけ、助かったと思いきや、其処は別の世界。

 それまでの記憶を引き継いだ状態での、新たな世界のスタートへ、黒乃は比喩を呟いた。

 鴉間が、再びマイクを強く握る。


「レベルの概念……装備の概念……多種多様なスキルの入手……モンスターの存在、二つのジョブと選んだジョブが影響を与えている、今までとは違う自分の肉体……ゲーム内でしか使えない通貨……仲間とも敵ともわからないプレイヤーたち…………新しい世界へようこそ」


 陽気さを消し、狂気さを閉じ、しかし瞳は輝きに満ち。


「──異世界転移、ここに成る、つって」

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