Chapter 2
2-1 夜が似合う女の子
①
その男女の出会いは言い訳から始まった。
手続き書の書きミスから生まれた──大魔法使いという名前のことなど、聞いてもいない弁明を黒乃は繰り広げ、そして自分が同じクラスのクラスメイトであると自己紹介に至るまでを急速に展開した。
「そうなんですね」
彼女は甘い香りを漂わせる重厚な黒髪を夜の風で揺らしながら、余計な口を挟まずに丁寧な対応で話を聞いてくれている。
ブランコを吊らす鎖に掛ける綺麗な指。常に背筋を正す気品の良さ。
──頑なに保たれる敬語。
物腰は柔らかいが、嫌味がない綿のような見えない壁を張り続けている。
大魔法使い──などと大袈裟な名前を名乗ってしまっている恥ずかしさに悶えながら、彼女へ安心感を与えようという熱心な黒乃に比べて、りんごは随分と淡々とした様子。
夜の公園で突然話しかけられ、警戒心が解かれていない為だろうか。
公園は街灯が照らす薄暗さで、その暗闇のブランコに腰掛ける彼女はなんだか、妙に夜が似合う女の子だった。
──そうなんですね。
微笑みと一緒に送られ、繰り返される相槌そのものに、黒乃は違和感を持った。
ニュースで報道された通り、異世界23区という謎のゲームの販売者によって誘拐されたのは一五名。
恐らくは全員が強制的にプレイヤーにさせられていることだろう。
全国でたったの一五名しかいない筈の者同士が出会ったならば、自然と盛り上がる筈だと思っていたのに。
全く理解できない、予測を超えたゲームが人生上に現れたこと。
日常生活の中でスライムという空想上の魔物と戦ったこと。
鋭利な爪、などの肉体に影響を及ぼす異変。
──命の危機にあるのかもしれないこと。
その全てを口にすることのほうが、絶対に普通だと思っていた。
しかし今のところ、りんごからの質問は一つもない。
華憐なか細い声で丁寧に返事をし続ける。まるで自分からは何も質問することがないような。
置かれた境遇になんら興味がないような。
正体不明のゲームのことなど、どうでもいいような。
今にも消えてしまいそうな──黒乃には、そんな儚い女の子に映っていた。
「──御伽さんも手続きの時、気絶させられたんですか?」
「はい。そうですね」
怖い目に遭った割りには随分と冷静な様子でりんごは答えた。
恐怖感の共有よりも、警戒心などのほうが勝っているのだろうか。
「えっと……あ、ナンパとかではないですよ」
「あ……考えもしませんでした」
りんごは申し訳なさそうに微笑んだ。
彼女の高レベルのルックスを考慮すれば、何とも厭味な謙虚さと思える。
しかし、その困惑した顔に冗談めいた素振りはない。
何やら意味深ではあるが、正直なところ黒乃の興味はそこに無かった。
聞くべきことを聞きたい──異世界23区という謎に包まれたゲームの正体を、少しでも知りたい。
黒乃は遠慮するのを辞めて、指を一本立てた。
「──身体に何か、変化とかありませんでしたか?」
「え……」
黒乃は人差し指の、獣のように曲がった爪を意図的に伸ばし、縮めた。
冷静を保っていたりんごも流石に目を見開いた。
「……ど、どうなってるんですか?」
「猫──みたいですよね。さっき弁明した通り、僕本当はユーザーネームを黒猫と書くつもりだったんです。それを間違えて、希望する職業のところに書いたみたいで。
考えづらいですけど……その影響が肉体に反映されてると僕は思ってます。もしかしたら、御伽さんにもあるのかなって」
たかがゲームの手続きに書いたことが、現実に反映されるわけがない。
普通ならそういった言葉が飛んでるところだったが、
「──羽根が、落ちてたんです」
と林檎は言った。
「……羽根……?」
「……今朝、着替えた時に部屋に羽根が一枚落ちてるのを見つけました。
白くて……軽くて……15㎝くらいの大きさなのですが、触ってることがわからないくらい、とても薄い羽根です」
初めて林檎は長く口を開いた。
その口調は相変わらず希薄で、あまり生気を感じられない。
瞳を灰色で塗りつぶしたような、そんな虚ろな表情だ。
「昨日、液状の魔物に襲われたように……今度は鳥のような魔物が寝てる間に来たのかと思って、部屋を探したんですけど他に痕跡はなくて。遅刻しちゃうなって思って、着替えを続けた時に──その時に理解しました」
──身体に何か異変はありませんでしたか、と聞いたのだ。
その問いに対しての答えが部屋の異変では噛み合わない。
既に黒乃は思い当っていたが、信じることができずに林檎が話すのを待っていた。
「──背中に、羽が生えてたんです」
はっきりと言った。
相変わらずあまり興味は深そうではない。
泣いて、怖がって、病院へ駆け込んで転校初日の登校など、すっ飛ばしてもいいほど大ごとなことなのに。
りんごは至って落ち着いている。
そして。
事態に見合った感想を抱かない人間が、もう一人居た。
「……い……いいなぁ……!!」
黒乃の表情は、心からの羨望に包まれている。
まるで自分では手に入れられなかった玩具を持っていた友達を見つめるように、黒乃の瞳は子供のように輝いた。
「……へ?」
「あ……ごめんなさい。大変なことなのに……不謹慎でした」
ふふ、と彼女は笑って、今度は瞳が見えなくなるほどに微笑んだ。
ここまで話して、やっとりんごの感情らしい感情に触れた気がした。
「あの、羽についてもう少し聞いてもいいかな? 勿論、嫌じゃなければ」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
「…………飛べるの?」
「あはは……いえ、生えてるって言っても、本当に凄く薄いんです。ティッシュよりもっともっと薄いですかね……服を着ても膨らまない程度ですよ」
そう言ってりんごはくるりと背中を向けた。
黒字に白線の入ったセーラー服の背中に膨らみは見られず、確かに見た目ではわからない。
「そっかぁ……残念だったね」
「ふふ……これ以上に羽が増えたら洋服に困りますよ?」
「あ、そっか。そういう問題か」
りんごはもう一度、呆れたように笑った。
黒乃は羨ましがりながらも、思考をゲームの謎へと戻していた。
どうやら彼女は自分のように爪ではなく、人間に生える筈のない羽が生えてきたらしい。
手続き書に記入した職業内容によって、それに応じた変化が身体に現れると予測される。
半信半疑ではあるが、と全てを信じきれないまま、黒乃は獣のようになった爪に目をやる。
彼女は一体──何と書いたら羽が生えたのだろう。
「……御伽さんは、手続き書の職業欄に何を記入したの?」
「……私は…………」
不自然な間が、少し空いた。
「あ、すいません。言いたくないこともありますよね」
「あ、はい……すいません……」
どうやら、彼女は自分のことについてあまり話をしたいわけではないらしい。
更にいえば、自分が命を落とすかもしれないゲームへ参加していることなども、さほど興味がないらしい。
何故そんなにも危機感が無いのか、と聞くのもまた、彼女のことについてなのだから聞くべきことではないのだろう。
自分たちが参加させられているのはゲーム。
もしかしたら共闘形態を取るような内容のゲームかもしれないが、逆に対立することもあるかもしれない。
ランキング戦などのイベントが催された際、自分が定めた二つの職業についてを知る人間は少ないほうが優位だろう。
彼女がそれについてを危惧して話さないとは、とても思えないが──。
聞きたいことは未だ沢山ある。
都内に設置されていた手続き会場は、何処へ行き、自分と同じように気絶させらたのか。
ゲーマーのようには見えないが、どうして異世界23区をプレイをしようと思ったのか──ゲームの為に、人生の全てを捨てられるかという問いに、肯定意思を示したようには見えないけど、とか。
──帰宅せず、公園のブランコに一人座っているのは何故なのだろうか。
聞きたいことは、全て彼女についての話になってしまう。
つまるところ、既に異世界23区についての会話も、彼女自身についても、全ての話は終わったのだった。
「御伽さん、色々ごめんね。あ、それと最後に」
「いえいえ。何でしょう?」
「明日から一緒のクラスで過ごすことになるけど、僕には極力話しかけないほうがいいかも。御伽さんと話したくないとか、そういうことではなくて、僕はクラスで浮いてしまっているので巻き込まれない為にって意味でね」
彼女は転校生。
どんな事情で転校してきたかは知らないが、輝ける新生活をスタートして早々につまづいてしまうのは可哀相だ。
クラスでも孤立している自分と関わらせて、クラスメイトが抱く印象を悪いものにさせることはない。
黒乃なりの気遣いだった。
「……まさか……いじめ……!」
今までの会話ぶりからは違和感を感じ取れるほど、林檎は敏感な反応を見せる。
その表情は何処か痛々しい。
「あ、クラスの人たちの名誉に関わるだろうから言っておくけと、いじめとかはないよ。まだ五月の終わりで、少ししか経ってないけど今のところは聞いたこともない」
「……猫町君は……一人でも平気なのですか?」
頷いてばかりだったりんごの、初めての質問だった。
「別のクラスに一人だけ友達が居てね。それだけでお腹一杯だよ」
「で、でも……クラスでは一人なんですよね……? 寂しくないですか……?」
「あ、僕ずっとゲームしてるから大丈夫」
そうなんですね、と再びりんごは言ったが、今までの冷めた感じの相槌ではなく、驚きを含んだものだった。
「そういうわけだから。またこの先、ゲームをプレイする上で会うことがあったら、その時は宜しくね」
「あ、はい……」
黒乃は手を振って、公園を立ち去った。
②
りんごと話をするのに邪魔になると思い、視界の右上に小さくしまわれている青いパネルを見て思い出す。
「そういえば、ニュースを直ぐに読めとか言ってたな」
右上に浮くパネルを人差し指で触れると、視界の右端が青色で埋められ、複数のパネルが展開される。
メニューと書かれたパネルに触れ、今度はニュースの文字をタップした。
便箋マークが一つ。その横に題名が記載されている。
《説明会のお知らせ》
黒乃が便箋マークに触れると、別のウィンドが開かれ、視界中央を占拠した。
幾らか邪魔ではあるが、半透明の為に向こう側が見えないほどではない。
────説明会のお知らせ。
六月四日。午後八時。東京ドームシティ、SPA楽阿ビル一階、イベントスペースにて。
今回、ゲームサービスの開始にあたりまして、説明会を行うこととなりました。
ヘルプやメール等での質問の受け答えではなく、その場で出た質問にも迅速に答える為に、こういった機会を設けさせていただきたく思います。
異世界23区のプレイヤーの皆さまは、是非振るってご参加下さい。
また──参加は自由となっておりますが、不参加の場合はゲームをプレイする意思はないものと見なし、ゲームオーバー扱いとさせていただきます。
その為、参加いただけなかった方の命はなくなります。
これはゲームの意味合いではなく、実際に死ぬということです。
皆さまには既に、遠隔操作で脳死に至れるように細工を施してあります。
嘘等をお疑いの方は、くれぐれもご注意の上、判断いただければと思います。
────異世界23区運営委員会より。
「…………すっごい丁寧な、脅迫だな」
──脳死。もう一度、不吉さ漂う文字を目に入れる。
しかし黒乃が抱いた感情は、恐怖とはほど遠い想いだった。
ようやく。
ようやくこれで謎に包まれていたゲームの全てが明らかになる。
一体何をどうすれば、自分の視界内にウィンドパネルを張り付けられるのか。
まるでパソコンやゲーム画面が、日常にそのままくっついて来ているようである。
他にも空想上の魔物、自分の手から放たれたスキルの存在、ゲームが及ぼしていると考えられる肉体への変化、死ぬという言葉の真意。
その全ての謎を明かす為の説明会とやらに違いない。
その説明会が終わった後、ゲームは始まるのだろう。
「……ようやく、ゲームができる」
黒乃に湧きあがっていたのは興奮だった。
それは無数のゲームをプレイしてきた黒乃でも、中々に味わえないものだった。
ソーシャルゲームで強いキャラクターが追加されると発表された時。
長編大作の新シリーズが出ると発表された時。
周回要素のあるゲームを一度クリアして、もう一度初めからプレイする時。
色々なシチュエーションで胸が高鳴る想いを味わってきたが、そのどれをも超越する興奮。
最早、命を失うという脅迫の文字は黒乃の眼中と意識になかった。
先ほど話していた華憐な少女のことすら忘れ、黒乃はゲームのサービス開始に焦がれていた。
「……あ! ヘイ、リリィィィいいいい!!」
夜道、人目をはばからず黒乃は叫ぶと、頭の中へ直接声が返ってきた。
『──要件をどうぞ』
「ユーザーネームの変更!」
楽しそうに、待ち遠しそうに、黒猫と名前を変える手続きを行いながら、黒乃は帰路についた。
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