1-4 死に至る遊び

 ①

 小さい頃から疑問に思っていた。

 決定ボタン数回で易々と葬って来たスライムは──本当に雑魚なのか、と。

 一体その身は水分なのか固体なのか。

 攻撃方法は何なのか──身を千切って飛ばす投擲攻撃なのだろうか、酸で溶かすのだろうか、何処ぞに口が在って噛まれるのだろうか。

 液体とも固体とも区別のつかない、水疱と目玉が浮いた身体。

 ズルズルと這って、緩やかに迫る悍ましさ。

 ──スライムって、もしかして会ったらかなり怖いんじゃない?

 そんな疑問を考えているだけで楽しかった。


 恥ずかしくて誰にも言えない妄想だったけれど、独りの時間を埋めてくれた妄想だった。

 その妄想はいつしか、体現してみたいという夢へ変わっていた。

 そして今、夢は形を作った。

 猫町黒乃は病院の廊下でスライムと遭遇エンカウントした。

 

 長年に渡って夢見た問いの答えを噛みしめながら、黒乃は逃げた。


「怖い! 凄く怖い!」


 液体らしい身体の中で浮かびコロコロと回る目玉。

 感情が一切読み取れず、デロデロの身体を、ただただ引きずって近づいて来る恐怖。

 下手すれば命を奪われかねないと本能が訴えてくるどうしようもない危機感。

 やはりスライムは怖かった。

 しかし言葉とは裏腹に表情は笑っている。

 恐怖と歓喜の両方を胸に階段を駆け上がりながら、自分の置かれている状況を把握していく。


「だ、誰かは知らないけど、質問とか受け付けてますか!?」


 頭の中で喋る機械らしき存在へ向けて言葉を放った。


『チュートリアルを開始します。対象への攻撃を──』


 そう繰り返すばかりだった。


 音声へ舌打ちを一つ飛ばして屋上へ出る。

 誰もいないことを確認し、開かれた扉の外側へ身を隠して耳を立てる。

 ──ズルッ、ズルッ、と魔物が身を引きずる音は、今はまだ小さいが、段々と大きくなって近づいて来る。


「可能性としてはなんだ……僕のリアルな妄想が幻覚幻聴として出てきてしまったか……単なる夢か……あとは──」


 ──あとは異世界23区が存在していたか。

 半信半疑、しかし特大の期待を込めて黒乃は囁いた。

 仮にゲームの一環だったとして、どうやってこんな事態を起こすことが可能となっているのか、そのシステムは想像もつかない。

 かといって全てが気のせいだとは思えないほどに黒乃は危機感を感じていた。

 しかし、様々な憶測を並べることを直ぐに辞めた。

 ──チュートリアルをクリアすれば、自ずと答えも出るのだから。

 そう腹を決めて推理する頭を切り替え、魔物が近づいて来る音を聞き取る為に耳に集中を寄せた。

 ──ズルッ、ズルッ。

 ──ズルッ、ズルッ、ズルッ、ズルッ。

 音は大きくなってくる。

 跳ねあがった鼓動を抑え込みながら、息を潜める。


 そして階段の上をうねうねと這い、遂に水色の身体は屋上で陽の光を浴びた。

 黒乃はすかさず、グーでパンチした。

 陰気な高校生の、弱々しい不慣れなパンチだった。

 それでも、ぼわんっと音を立て、やや後退させるに至り、スライムの身体はひと際大きく、ぶるんぶるんと揺れた。


「どうだ!! ………って、あ、あっつい!!」


 殴った面に熱を感じ、手を振り乱す。甲部分の肌が少しただれている。

 火傷に近しい、肌が溶けたといった感じだった。


「酸……いや、そこじゃない! やっぱり……実在してる!!」


 幻覚は殴れない。幻覚ならば自分の肌を溶かせない。


「居る……スライムは居る!! はは……僕は……スライムと戦ってる!」


 手にうっすらと滲む血のことなどどうでもいいように、黒乃は興奮の度合を跳ね上げていた。



 ②

 再び、頭の中へ声が響く──。


『クリアおめでとうございます。続いてチュートリアル2の開始にあたり、スキルの使用を解放します。解放されたスキルを対象へ向けて使用して下さい。

 尚、発動条件は見合ったモーションを行うことに合わせてスキル名の発音が必要となり、一定以上の音量が必要です』


 突如、四角形で半透明のウィンドパネルが、幾つかの区画に小分けされ、全てが視界右端へ縦に並ぶ形で展開された。

 瞳から30㎝ほどの間隔を空けて、空中に浮いて停止している。

 

「な、な、何これ!!」


 パネル色は薄紫色で半透明。

 病院から見渡せる快晴の青空を、幾らか遮ってはいるものの見えないほどではない。

 複数のパネルは淡く発光し、首を振っても視界の中へ付いてくる、収まっている。

 思わず黒乃は瞬きをしたが、目を閉じた一瞬の暗闇の中にもパネルは追っかけて来ていた。

 目を閉じても目を開いているようである。

 まるでゲーム画面がそのまま視界内に収まり何処までもくっついて来る光景。

 

 右端に縦に並んで収まるパネルは一つを除いて文字の表記などはない。

 一つには、『スキル一覧』と在った。

 黒乃のゲーム慣れした感覚が順応力を高め、スキル一覧のパネルへ、思わずといった感じで指を伸ばす。

 すると再びパネルは展開し、大部分を空欄で構成したページの中にぽつんと、『ギロチン・ネイル』と在る。


「……ギロチン・ネイル……使えるのはこれ一個だけか……」


 どうやら頭の中の声は、これを打てと言っているらしい。

 ふと液状の魔物に目をやれば、屋上へ出る扉を出たところで、ぷるぷると身を震わせながらその場で停止していた。

 チュートリアルを遂行させる為と予測される。

 動きを止めているスライムを一先ず放って、続いてスキル名、『ギロチン・ネイル』を指で触れた。

 次いでスキル詳細が展開された。


 【スキル名:ギロチン・ネイル

 垂直落下型の斬属性攻撃。

 使用方法:スキル名の呼応と共に視界内に捉えている攻撃対象へ向かって拳を振り下ろすモーションで発動可。その際、拳を対象に当たっている必要はありません。近距離でのみ発動可】


「えっと、要は……猫パンチみたいなものかな……よーし……」


 未だ動きを止めているスライムへ決意の目を向ける。

 黒乃は深く息を吸い込み、拳を握りしめたまま腕を振り上げた。


「──《ギロチン・ネイル》!!」


 勢いよく腕を振り下ろす──。

 特撮ごっこみたいで妙に恥ずかしいと、黒乃の胸に恥ずかしさが込み上げる直前。

 腕を振り下ろしたと同時に、スライムの頭上に幅1メートルほどの湾曲した白い光が現れる。

 まるでそこだけを白く切り取ったような、爪のように曲がった光。

 その白い爪をはっきりと目視したかと思うや否や、スライムの上へ豪速落下した。

 落ちて行く中で──シャァアアアアン!

 と、まるで断首台が出す金属の擦れる音が黒乃の頭の中へ響き渡った。

 その断首の斬撃は、スライムの身体を二つに分けた。

 真っ二つだった。


「う……うお……ぉおお……ぉおおおおおおおお!!」


 思う処は多々ある。

 高校生が一人きりで、病院の屋上に出て超全力状態の特撮ごっこに勤しんでいるように見えるであろう。

 友人や家族に見られたとしても、遂に狂ってしまったと思うであろう。

 スライムは誰にも見えていないし、機械の声も誰にも聞こえていないのだ。

 自分が一人で、大声で技の名前を叫び、遊んでいるだけのように思うのだろう。

 そんな自分への冷めた客観視を急速に追い越していく──込み上げる雄たけびを抑えることが出来ないでいた。


「ぉおおおぉおおおおおおおおおお! 僕の手から技が出たぁあああああ!」


 ──ゲーム世界へ飛び込んだみたいだ。

 ──異世界的能力が出せるようになったみたいだ。

 黒乃の猛る興奮が大声となって吐き出される中、二つに分かれたスライムはキラキラと輝くラメのような細かい粒子にその身を変えて、青空の彼方へ消えていった。

 猫町黒乃は、スライムを倒した。




 ③

『クリアおめでとうございます。最終ステップに移行します。対象である残り二匹を倒し、チュートリアルを完了して下さい。尚、これよりステータスバーが解放されます』


 頭の中で新しい指令が下された。

 そういえば廊下には後二匹居たなと我に返り、黒乃は周囲に警戒を向ける。

 ズルズルと身を引きずる音も確かに聞こえている。

 そして二匹ともが、外壁を伝って建物の外側から屋上へ飛び込んで現れた。


 屋上の中央でスライム二匹に挟まれる形となった黒乃に恐怖はなかったが──更に言葉を進める声が、黒乃の興奮を奪い去ることとなる。


『尚、戦闘遊戯の際、プレイヤーがダメージを負い、所持しているHPヒットポイントを全てを失いますと、プレイヤー本人が死に至ります。注意してチュートリアルに臨んで下さい』

「………………え?」


 自分の声に反応しないことは確認済だったが、思わず聞き返してしまった。

 ──今、なんて言った。

 死ぬ──と聞こえた気がする。この遊戯は死に至る。そう言っていた気がする。

 先ほどまで湧きあがっていた興奮は途端に失せ、たかがスライムは一層強敵に見えた。


 攻撃を行わない黒乃に構わず、片方のスライムは自身の身を団子状に切り離して黒乃へ飛ばした。

 べちゃっと黒乃の右手に着弾すると、ジュワジュワと音を立て黒乃の肌を溶かした。


「う、う、うぁあああああ!!」


 腕をぶん回し、手に付いたジェルを取り払う。

 手の甲の肌は、何処かへ擦ったようにピンク色になり、血が滲んでいる。  

 その時、黒乃の視界中央上部に細長い横棒のような表示が存在していたことに気づく。

 青と赤の二色に分かれ、赤の割合が少ない。

 魔物の頭上にも、《スライム》と文字があり、その真下に色付きの横棒が表示され、スライム側は全て青色である。 


HPヒットポイントバー……か……」


 幻覚ではない魔物の身に溶かされた、じんじんと鈍く痛む右手を抑えながら、自分の身体が恐怖に冷えていくのを感じていた。

 あの色の付いたバーが全て赤色に変わった時、声の言っていた通りになる──死ぬ。

 ──きっと嘘ではない。

 ──右手を襲う痛みは現実のものだ。


「……なるほど……オンライフってのは……そういう意味か……」


 既に異世界23区というゲームが存在していることを疑わない。

 カテゴライズされたジャンルは、全方位型RPG。

 何処かへ仮想空間などの隔離スペースを作って、そこでゲームをするわけではない。

 自分の日常は今までと同じく存在し、そのの生活の中にモンスターが現れる。

 人生の上に、ゲームを乗っけられた。

 

 ──ゲームで死ねば、現実でも死ぬ。

 その意味を身をもって理解した黒乃は、ヒリヒリと痛む右拳の中に固く勇気を握り込んだ。

 実際に死に至ると言えど、これはチュートリアル。序盤も序盤。たかがスライム。初歩の初歩だ。

 そう恐怖する自分に言い聞かせた。


 「ギロチン・ネイル!!」


 瞬く間にスライムのHPバーは赤色に変わった。

 二つに別離されたジェルの身は、光になって空へ舞っていく。


 「ギロチン・ネイル!!」と、黒乃は続けざまに叫んだが、爪型の光は上空に現れない。

 視界右下の方で、爪のマークに薄暗いフィルターが掛かっているのを発見する。

 それは時計周りで次第に明るみを取り戻していく。


「そうか……これがもしもMMORPGみたいなゲームを人生に介入させているとしたら、普通あの手のゲームは技の連発は出来ない……少し時間を置かないと!!」


 もたついている隙をついて、スライムが黒乃目掛けて突進した。

 身体中を半液体が覆い──スライムにくるまれた黒乃の身体は、反動で屋上の低いフェンスを越えて投げ出された。

 両足は外壁から離れ、気づいた時には真下には病院の芝生が見えた。

 

「う……おっ」


 ──死んだ。完全に死んだ。

 病院は十階ほどはある、中々に上等な病院だ。

 転落死は免れない。

 多分、死因は事故死となるのだろう。

 スライムは誰にも見えない。肌の数か所がただれているだけで、屋上を監視カメラが捉えていたとしても自分一人で暴れていた変質者に見えることだろう。

 事故死。事故死か。自分の最後は事故死か。

 何があったかなど、親にも友人にも理解されてずに死ぬ。

 折角望んでいたゲームが手に入ったというのに、こんな序盤で死ぬなんて──。


 そんなことを考えられるほどに──黒乃に流れる時間は緩やかに感じていた。

 ──これが死の間際に訪れるという、スローモーション。

 タキサイキア現象。


 ではなかった。

 どう見ても時間の流れが緩やかだ。

 手を伸ばせば病院の外壁に手が届くであろうほどに、そんなことが可能だと思えるくらいに、自分の落下速度は緩やかだ。

 いや、きっと緩やかなのは時間の流れではない。

 視覚神経への伝達が異常に早いように感じる。


 咄嗟に黒乃は外壁を伝うパイプに両手を伸ばし、がっちりと掴んだ。

 両足を外壁に引っ掛け、壁に張り付いた。

 それはまるで、高いところへ投げ出された猫のような動きだった。


「……ぇええ……どうなってんのこれ……」


 助かったと思っている矢先、手がスライムの液体でぬるぬると滑っていく。


「う、ちょ、ま、待って!!」


 一命を取り留めたかと思えた黒乃は、再び滑り落ちた。


「ぅわぁああああああ!!」


 しかし。

 やはり落下速度が緩やかだ。

 黒乃は壁を何度も手で叩き、蹴りを入れ、時には元から可能だったかのように宙返りをしながら、スキップ気味に落下していった。

 そして病院が敷いた芝生に四つ足で着地した。

 やはり、猫のようだった。


「……本当に……どうなってるんだ僕の身体は……」


 ──べちゃっ。

 落下中に分離したスライムが芝生へ叩きつけられる。

 そして再びうねうねと身体を山型に形成していく。


「──ギロチン・ネイル!!」


 スキルの再使用時間を満たしていた。

 間髪入れずに黒乃が放ったスキルで、最後のスライムも光となって空に放たれた。

 黒乃は右手以外に痛みを感じていない。

 見上げれば景色の全てを奪うように建っている病院。その屋上から落下したというのに、骨折一つない。


『チュートリアルを全て完了しました。

 正式なサービス開始は販売を予定していた四日後の六月四日となります。

 暫くの間、お待ちくださいませ。

 ユーザーネーム、『大魔法使い』様、この度は異世界23区を購入いただきありがとうございます』


 何やら疑問を持たざるを得ない言葉を聞いた。

 ──今、何と。

 またもこの機械の声は爆弾発言を落としていった。

 確かに最後に、ユーザーネーム、『大魔法使い様』とこいつは言った。


「待て待て……僕はユーザーネームは黒猫って書いた筈じゃ……」


 手続きの記憶を掘り起こす。

 全ての記入を終えた後に、ミスがないようにと書いた項目の復唱まで行った筈だと思い出し、再び記憶を遡って口に出して確かめていく。


「確か──『はい』、『大魔法使い』、『ソードマスター』、『黒猫』」


 次に項目の順番を思い出す。

 ──ゲームの為に命を捨てられるか否か、ユーザーネームの記載、現在の職業、希望する職業の順。

 

「…………あ。そういえば……現在の職業を書く時に、ちゃんと書きミスがないように上から詰めて書いて……とか、あの時思った気がする……」


 つまりは。

 ユーザーネーム:大魔法使い

 現在の職業:ソードマスター

 希望する職業:黒猫


 と書いたことが発覚する。


「最悪だ……そうか……だからネイル……猫の技だったのか……」


 頭を抱え込み、その場に蹲る。

 どうやら手続き会場で自分が立てた憶測は正解していたらしい。

 手続き書に記入した職業は、ばっちりゲーム内に影響を与えていた。


 病院からは、屋上から落下した少年の様子を見る為に、医者と複数の看護士が駆け出して行く。

 当人である少年は手を含めた身体の数か所に火傷を負っているものの、特に重症箇所は見られず、それよりも何かに苦悩して絶望している様子が目立っていた。


 異世界23区という謎のゲームの、サービス開始が迫る。

 現代の姿はそのままに、様々な幻想が形を成して牙を剥く。

 現実の生活を残したまま、まるで異世界へ入り込んだプレイヤーとして、冒険者としての異世界生活も歩んで行かなければならない。

 現実と幻想が交差した現代ファンタジーは、何やら酷く落ち込む少年の前で幕を上げたようだった。

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