1ー2 ジョブの取得

 ①

「凝った演出だな」


 黒乃の耳に、なんとも現実的見解の言葉が入ってきた。

 どうやら友人と二人で手続きに来たらしい、男二人組の購入者の会話だった。


「──な。あれだろ? 遊園地のアトラクションの入り口みたいなもんだろ?」

「そうそう。ここから先は別の世界になっておりますっていう演出な」

「要は、面白過ぎて仕事とかサボったりして生活環境を乱す恐れがありますって意味だろ」

「自社ソフトを面白ぇぞって言い切るって、凄ぇ自信だな」

「まぁ……確かにそれだけの期待感はユーザー側にもあるわな」


 会話内容がなんとか聞き取れるほどに、広場には人が少ない。

 別の区にも手続き会場が設置されているらしい為に、他の購入者は分散されたのかもしれないし、自分のように学校をサボって手続きに来ているような不真面目な奴でないと、今の平日昼間の時間帯には来づらいのかもしれないと、黒乃は周囲を見渡しながら思った。


「全方位……ってことはやっぱVRだよな!?」


 興奮した様子の男二人も同様に、仕事をサボってきているのだろうかと推測を浮かべながら、黒乃は盗み聞きを続けていた。


「ゲーム機本体不要って言ったって、全方位って言ったらやっぱVRしかないよな」

「全方位の視界で自分の身体を動かしてモンスターと戦うって……マジヤバいよな!」

「ゲーム内動画ヤバかったもんなぁ! フィールドが東京都世界ってところがまたそそるよな! ゲームの中じゃ、この新宿の空にドラゴンが飛んでるかもしれんぜおい!」

「そのギャップはそそるなぁ!」

「だよなぁ!」


 ──わかる、わかると黒乃は盗み聞いた会話に、胸の中で勝手に同調していた。

 オークとの戦闘模様を写した動画の、その背景にはまるで実写のような都会の街並みが写されていた。

 それが新宿駅前の建物と酷似していたことと、ソフト名に、『23区』と書いてあることと合わせて、フィールドマップは東京都全体なのではないかとの推測がなされていた。


「ってかさ……ヒット判定は自身の身体に依存するって……システムどうなってんの?」


 男二人の会話は、手続き書そっちのけで続いていくようだった。


「わからん……神経接続型VRでもないと無理だろうな」

「まるでラノベだな」

「新しい据え置き型ハードの発売ってのが一番濃厚な線だな」

「価格未発表でか?」

「うーん……わからんけど、実際に自分の身体を使ってモンスターと戦うってことに変わりはなさそうだよなぁ……しかもオンライン形式で他プレイヤーとの共闘が可能……ゲーム始まったら先ず一緒に夢を叶えに行こうぜ」

「なんだ夢って」

「え。スライムと戦うことだろ」

「夢小さいな!」

「いやいやスライムだぞ!? あの定番のスライム様だぞ!? 実体験に近い感覚で、あの魔物がどんなもんか確かめてみたいだろうよ!」


 ──超わかる。

 黒乃はまたも深い同調を得ていた。

 思わず腕を組んで頷いてしまうほどだった。


 一層、早くプレイしたいと焦る興奮が膨張する。

 その為には先ず、異世界へ渡る為のパスポートの意味合いを持つこの紙に記入を終えなければならない。

 黒乃は再び、暫く放置していた手続き書に意識を戻した。

 



 ②

 結局、黒乃は一問目の質問を保留にし次の質問を見て様子を伺うことにした。

 

 ・プレイヤーネームを記入して下さい。

 ※ゲーム開始後でも変更は可能です。


 続く項目はゲームを開始するにあたって定番中の定番。

 一問目が孕む不穏さと、打って変わって拍子抜けするほど普通の項目だった。

 ──あぁ、やっぱりただのゲームなんだな、と妙に安心感を得てしまう。


「いつも黒猫でやってるし……これも後で書けばいいか……」


 ゲーム登録の際、自身のニックネームを決めるというのはどのゲームにもよくあること。

 その度に名前を考えるのは面倒であると感じていた黒乃は──猫町黒乃という本名の中から二文字を取って、黒猫という名前でプレイすることにしていた。

 そうやって空欄のまま飛ばした次の項目で、また黒乃は動きを止めざるを得なかった。

 するすると書き進められるかと思っていた憶測は、完全に裏切られることとなり、再び大きな謎に包まれることとなった。


 ・現在の職業を記入して下さい。

 ※尚、ゲーム開始後は変更不可能です。


「……なんだ……これ……? 現在の職業を……ゲーム内で変更不可能? どういう意味だろう……」


 そのまま書くとすれば、猫町黒乃は高校一年生。

 学校をサボっていることに罪の意識がないのか、黒い学ランで手続きを行っているような学生。

 職業欄への記入は学生、と書くべきである。しかし黒乃はそれを躊躇った。


「ゲーム内で変更不可……ってことは……ゲーム内に影響を及ぼすってことかな……此処で記入したことがゲーム内に影響するなんて……そんなことあり得るのか……?」


 もし憶測が当たっているならこの上ない興奮だ。

 もしも学生と書いた場合、それに見合うスキルが手に入ったりするのだろうか。

 もしも、「魔法使い」などと書いた場合、ゲーム内ステータスでは知力の割り振りが多くなったり、スキルでは魔法スキルに優遇されるのだろうか。


「例えばここで大工さんって書いたら……クラフト系スキルが優遇されるとか……? 例えばここで、自衛隊員……とか書いたら、物理系ステータスが多く付くとか……」


 此処での記入がゲーム内生活を左右するなどという憶測が当たっているのだとしたら、とんでもない空想的な職業を記入することで、ゲームを優位な立場でスタートできるのではないだろうかと黒乃は考える。

 魔物使いと書けばモンスターをペットにできるのか、鍛冶屋と書けば自分で武器を産み出せるのではないだろうか、はたまたドラゴンと書けば巨大な翼で空を飛べたり炎を吐けたりもするのだろうか──。

 現段階では全ては憶測でしかない筈なのだが、気づけば──折角の全方位視界を存分に楽しむ為には一体何と書けばいいのだろうか、と黒乃は必死になって頭を回していた。


「次の質問は……希望する職業の記入か……これもゲーム内変更不可だ。

 つまりセットでの質問なのかな……二つの職業を選べる……それぞれが真逆なものにしたら、思いっきり楽しめるかもしれない」


 謎の多いゲームではあるが、まるで現実で空想的モンスターと戦うという、臨場感たっぷりの戦闘が用意されているのは間違いない。

 折角なら全方位の視界で魔法を楽しみたいし、現実感溢れる場所で剣を振るってみたい。

 結局のところ黒乃は、現在の職業を『大魔法使い』、希望する職業を『ソードマスター』と記入することを決めた。


「勇者や魔王ってのもアリだけど……どっちも僕の柄じゃないしなぁ……勇者ほど正しい行いをする自信もないし……魔王ほど悪意を持ってるわけでもないし……でもゲームの中でくらい強くは在りたいけど……最初から強過ぎるのも飽きちゃうしな。この二つがベストかな」


 空欄がないようにと、上に詰めて順番に──大魔法使い、ソードマスター、と記入して黒乃は満足気に紙を眺める。

 そこで既に残りの質問は一つもないことに気づく。


「他に質問はないか……よし……最初に戻ろう……」


 ──ゲームに人生の全てを投げ打つことが可能であるか。

 その問いに答えるべく、黒乃は紙の最上部にまで視線を戻した。

 今一度、質問と正面から向かい直す。


「……考えてみれば、僕は出来れば仕事なんて就きたくないし、ゲームだけして生きていければと思ってるような駄目な奴だったな……そんな僕が、ここで、『はい』の方に丸をするのは、とても僕らしいことなのかもしれない」


 黒乃は自分に呆れ笑いを向けると、『はい』の方を丸で囲った。

 その肯定は、この現実世界に居ても存在意義を見出せないと思ってしまっている、どうしようもない孤独感を持ってしまっていることを認める意味合いのものであると──心の何処かで悟りながら、黒乃は少し寂しそうに丸をつけていた。


「……これでオッケーかな…………あ、忘れてた……プレイヤーネーム書かなきゃ」


 最後の記入を行う為、ざっと紙を眺めて空欄の空いている場所へ、『黒猫』と記入した。

 一応空欄がないかどうか、口に出して確認していく。


「上から、『はい』、『大魔法使い』、『ソードマスター』、『黒猫』と。よし大丈夫だな」


 その後、係員の女性に提出する為に歌舞伎町広場の奥のテントへと歩いて行く。

 手続き書を受け取った女性は紙を受け取り紙を眺める。

 もしかして現在の職業の欄で、大魔法使いなんて書いたことに注意を受けるかもしれない。

 しかし女性は直ぐにチェックを終え、そして受付の隣の布を大きく捲り上げ、「奥へどうぞ」と感じのいい営業スマイルと一緒に黒乃を促した。


 これ以上一体何の手続きが必要なのだろうかと、黒乃は疑問を抱きながら入り口の布に頭を下げて入り込んでいく。

 一歩踏み込む。

 テント内は暗い。何が置かれているのかもハッキリとは見えない。

 とてもゲームか何かの手続きを行う為の場所とは思えない。

 どっちかというと、これから犯罪めいたことが起こりそうな──そんな不穏な空気。


 ──あ、これはまずった。


 黒乃がヤバいと思った時は既に遅かった。

 もしや新手の詐欺か何かと、不穏な気づきを得て、後ずさりした瞬間。

 首元を強烈な痛みが襲った。


 黒乃はその場に倒れ込む。視界はぐらぐらと揺れよく見えない。

 失いかける意識の中で確認できたのは、目前に上から現れた黒い影。

 恐らくは誰かの足だろう。

 必死に意識を保ちながらも、上を見上げては見るものの、視界が定まらない。


 詐欺。誘拐。拉致。監禁。

 様々な悪意の可能性が過る。

 テレビやウェブ広告をふんだんに使用して、こんなことを日本中で繰り広げているのだろうか。

 一体誰が。何の為に。

 こんな何のステータスもない高校生を誘拐して何に利用しようというのだろうか。


 混濁する意識の中で、様々な可能性を浮かべてみるものの、次第に頭も回らなくなる。間もなくして、黒乃は全てを諦めた。

 その時、目の前にある足の上から声が放たれた。


「──さぁ、異世界転移を始めようかぁ、つって」


 その言葉が暗いテント内に響いた直後、黒乃は意識を完全に失った。

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