先輩のこと、よく知りませんでした《後》

部屋での私とさなっちゃんとヨイシさんの空気はなんともいえないものでした。眠気をさそう時間のせいでおのずと話題がおこることもなくて、ただただ静かにおとなしく三人、鍋をもった彼女の帰還きかんを待っていたのです。しかしあるとき、突然さなっちゃんが私に目配せしました。……


「あの、ヨイシ先輩って、ユキとどこで知り合ったんですか?」


「んっと……(私の露出魔さわぎを話していいものか考えているんだろう数秒間の後)まあ、町中で、制服姿ですれ違って、そっからかな」


「ふーん……」 

 会話のあともやっぱり私はさなっちゃんの気持ちを理解できていませんでした、だからきっとさなっちゃんはしょうがねえなという気持ちで、私を置きざりにしてヨイシさんに向かってこういったんです。


「あの、ですね、先輩に謝りたいことがあるんです」


 そこでヨイシさんは何か返事をしようとしました。でもさなっちゃんは言葉をさえぎるように大げさに息を吐くと、自分の吐露とろを続ようとしたのです。


「あたし、今まで先輩のこと、よく知りませんでした。なのに知ったかぶりして、うらで”ディッチのビッチ”なんて陰口かげぐちたたいてました」


「おいおい、うらでいってることをわざわざ表沙汰おもてざたにすることないだろ? あたしは気にしないって」


 するとさなっちゃんは低いうなるような声で「いいえ!」と強い主張をしました。

「あたしは陰口たたかれるのなんてゴメンッなので、謝罪するところは謝罪します。ほんとすみませんでしたっ!」


 頭を下げて、深く、深い陳謝ちんしゃを、さなっちゃんは口にしました。もう相手のヨイシさんの顔すら見えないくらい顔をつっしているんです。


 対してヨイシさんは私のガスマスクに目を転じて、ホッケーマスクのうまく説明できないぶきみさと威圧いあつ感から、たぶん私をにらみつけていました。「(バレたかな……)」今度こそ、私は相手が伝えようとしている事柄ことがらを理解できていました。だからこそ私に弁明する気はなかったのです。


「……ああ、わかったよ。その謝罪を受け入れる。こっちこそめんどうに巻き込んで、すまなかったな」


 さなっちゃんの真摯しんしな姿勢に、ヨイシさんのもヘシ折れてくれたみたいです。むしろ開き直ったすがすがしさで「はてさて、君はあたしにどんな罪滅つみほろぼしをしてくれるのかな? おっとユキもだった」


「ひゃいっ」


「ジブン来生らいせもかける覚悟あります、姐御あねごっ!」


「お前らそろっていうこと重いな……」


 ヨイシさんは自分でまいたたねとはいえ私たち二人の奇矯ききょうな言動に振りまわされ、「うーん」しばらく悩ましげに鼻の頭(と思われる部分)をかいていました。

「わかった。その決意を評してここは、”すいきょう”にしよう。――二人とも町内全裸で」


「そうは問屋とんやおろさないんだよー」


「「カミカミッ!」」


 計ったようなタイミングで、お鍋を手にしたカミカミがもどって来ました。

 私とさなっちゃんは振り向きざまに声を上げ、ヨイシさんは悪事がばれた小心者よろしくびくんっとちぢみ上がったのです。


「すみませーん、あいだ、失礼しまーす」


 といってカミカミが強引に私とさなっちゃんのあいだに上半身をかがめて来て、さらにその姿勢で鍋敷きも何もないただのテーブルの上に熱々鍋をじかきしました。

 ただ、私が気にしているのはそんなことじゃありません。中学生のころからずっと、揚げものをするときいつも一緒だった、愛着ある、6千円のちょっといいエプロンが……こいつの、こいつの巨乳のせいで! 明らかに伸びてる! 


「(くそっだから料理するときにエプロンするようなあざと系の女はキライなんだ!)」

 

 今ごろ焦げついていそうなテーブルの表面よりももっとどす黒い嫉妬心しっとしんたたえる私に構わず、カミカミは「ヨイシさん、二人のことをゆるしてあげてほしい……とまではいいませんけど、二人とも女の子なんだから、すこーしだけ優しくしてあげてくれませんか?」たくましい笑顔で、ヨイシさんを説得しようとしてくれていました。

 すると彼女のけなげさに感化されたヨイシさんは、照れくさそうにふくみ笑いしたのです。

「それもそうだな。じゃあ……まあ、今後どっかであたしを見かけたら、話しかけてくれるとうれしいな。って、こんなこと頼むもんでもないよな……」本当、心底しんそこ照れくさそうに。


「よかったー!」



「なるほど……問屋が卸したのは、大根だったってわけか……」


 それからカミカミが作ってきてくれた”みぞれ鍋”を、四人で仲よく囲んで食べました。いえ実は、仲よくとはいえ、途中あやういやり取りもあったんですよ。


「あー、ユキちゃんのメガネくもってるー」「これでお前も今日からビン底メガネキャラに」


「もー、だからキャラっていわないでよ」


「ええっ! ユキ、あんたメガネだったの?」


「アちゃ! 白いの飛んでますよ、もう。見たらわかるじゃないですか、ヨイシ先ぱーい?」「先ぱーい」


「あ、そ、そだよな……」


「先輩だってー、垂れ目にそばかすってーかわいいじゃないですかー」


「そりゃもう鍋と関係ないし! だいたい、ICコンプレックスなんだよ、それ……」


「ええっ! ヨイシさんって(黒髪オールバックでヤンキー中学生みたいなパーカー常時じょうじ着てるのに、っていったら失礼だけど)垂れ目そばかすとかいう地味カワタイプだったんですか?」


「そう。さらに並太なみぶとまゆ」「なんてこった!」


「やめろ! もうここで終わり! メシえ!」


 という、聞いたこともない、かなりドスのきいたヨイシさんのお叱りの声でどうにか収拾がついたんですけど、この私の”ガスマスク”やヨイシさんの”ホッケーマスク”が見えないさなっちゃんとカミカミにもう少しで違和感をもたれてしまうところでした。


 はて、もうすでにもたれているんでしょうか。真偽のほどは確かめられませんけど、とにかく二人にむだな心配をかけたくない私はもっと気を引きしめていかないとと反省しました。そんなことより、この話もかなり進んだのにマスクの糸口は全然つかめてませんね、恥ずかしながら……



「じゃあな、ユキ」


「ばいばーい」


 鍋パの片づけも終わってすっかり日も落ちた夜に、私とヨイシさんは、さなっちゃんとカミカミを駅で見送っていました。でもどうしてヨイシさんだけが電車に乗らずここに残っているのかというと、


「あんた、この前クラブに顔出してただろ? そんで友だちにも教えた……」


「やっぱり、問い詰められると思いました」


 だだっぴろくて、人混みもまだあるのに、そこだけ別世界のようにうす暗くてさびしい駅待合室のわずかなライトが、私とヨイシさんの影をぼんやり浮かべて揺らしています。別世界といいましたけど、本当はそんなにきれいなものじゃなくて、囚人しゅうじんたちを閉じ込めるための独房どくぼうのようでさえありました。


「ユキの気遣きづかいわかるよ。あたしに、頼れる場所を作ろうとしてくれた」


 マスク同士だからでしょうか、見透かしているといえばいいのか、手に取ってながめているといえばいいのか……取りあえず双方が、相手にウソも方便ほうべんもいう必要がないということをはっきり知っているんだと感じました。

「いってもあたしとユキの付き合いは、ほんの数日だ。おたがいなんでもざっくばらんに話せるわけじゃない。それはわかってるでしょ?」


「はい……でも、ヨイシさんがその、何かはわかりませんけど、何か大変なことをかかえ込んでるんじゃないかって。私、ヨイシさんの手助けがしたいんです! だってヨイシさんは」


「いいんだ。誰にだってひとつやふたつおおやけにはいえない秘密がある。それをわきまえてるから、あたしら、今まで仲よくやってこれたんじゃないのか」


 ヨイシさんは、小さくため息をもらしました。


「(……でも、”ディッチのビッチ”をえなければ、本当のヨイシさんに出会えないままなんです)」


 私は、思い切った質問を彼女にぶつけました。

「あの、ヨイシさんは、お父さんと二人暮らししてるんですよね?」


「だね。めったに話すことでもないけどさ」


「その、えっと……お父さんに、ヤなことは、されていないんですよね……?」


 聞いたあと、ヨイシさんは組んでいたあしの上下を入れ替えたのです。「親子とはいえ、異性だからね。うまくいかないことも色々あるよ」「そう、ですか……」


 やがて、ヨイシさんは素振そぶりをし始めました。


「ユキはこのマスク、なんだと思う?」

 ヨイシさんの声は自信なさげで、ひかえめでした。


「わかりません……」私はすぐに返事をしました。ヨイシさんに向かって失礼なくらいあきらめ切った答えでした。

「私には、このマスクがどういうものなのかってこと以前に――このマスクを取るべきなのか、ないほうがいいものなのかってことすら、わからないんです」


「そっか。あたしも、色々調べたけど、ざんない結果だったさ。でもこいつがあらわれてからあたしの生活は、変わった。ぜんぶ悪い方向にね。だからあたしはこいつを受け入れようだなんて思わない、絶対に」


 そのときヨイシさんの帰る方面の電車がもうすぐ到着するというアナウンスが、大きく放送されました。


「まあ、あんまり思い詰めないで、気楽に遊びに来いよ。ついでにおたがいマスクが取れるといいな?」


「はい……」


 ヨイシさんは音もなくしとやかに席から立ち上がりました。シワのつきそうもないデニムスカートをていねいに手でなでつけると、


「またな」


また、そのひとことで私たちの時間をしめくくったのです。

 そして残った、待合室のなかから遠巻きに人の流れを見つめているだけの私には、このあと、駅の改札へ歩く彼女の背中をずうずうしく追いかける勇気なんて、これっぽちもありませんでした。






―――――

 今回はギャグパートがすぎて、疲れちゃいましたね。もうここではボケません。

 

 私は、今までもこれからも、何かと戦う力もろくにもたない非力な女の子です。あるものといえば取ることができないガスマスクと、誰かの助けになりたいという少しばかりの正義感だけで。そんな私は、たとえどうあがいても徹頭徹尾てっとうてつびヨイシさんに頼られる存在にはなることができないのです。

 ……このお話で私が犯した大罪とは、露出魔でも窃盗でもなくて、実は”自分の弱さに立ち向かわなかったこと”なのかもしれません。


 次回、終幕Ⅰ、戦線準備。守りたいその笑顔マスク

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