第五話  スッパリ友だちやめてやる

 私のかよう私立高校では、その日から予定通り期末テストが始まりました。

 理系分野が少し細かい基本五科目に加えて、家庭総合、情報科目、体育などのテストがたった5日間にぎゅうぎゅうに押し込まれているんですから、学生の若い脳みそをもってしてもひどい疲労感や頭痛に悩まされることになります。ちょっと前に「この私立高校は志望校のすべり止めだった」といいました。私の学力も、その説明でなんとなくわかってしまうんじゃないでしょうかね。

 

 これまで知的(?)な話題をくり広げてきたさなっちゃんにしても、一見いっけんあぶなげなさそうなカミカミにしても、私と似たようなもんです。つつがなく済むはずもなく、テスト週間最後の日を終えて、二人の自宅がある町の駅近くのファミリーレストランで打ち上げをする私たち三人の顔には、そうして絶望的な感情がふかぶかきざまれていました。


「世界史以外死滅した……」


「わたしなんて、英語全然できなかったから、ほとんどエスペラント語で出しちゃったよー」

 

 そういったのはカミカミでした。ああ、さなっちゃんに毒されたばっかりに。なんてかわいそうな子……


「おいおい、カミカミ、日本語といいそんな非実用的な言語じゃ、この先の国際化についていけないぜ? 国連加盟国のなかで日本語を使ってるのはどこだ。日本だけだろ? エスペラントにいたっては使ううんぬんってステージにすら立っていない。よほどマイナーなヒエロクリフなんかと比べてもさらに知名度がないんだから。これからは英語だろ、JK?」


 さなっちゃんのなめくさったような顔面にあとマスクさえついていれば確実になぐっていました(女の子の顔をキズつけるという罪悪感的に)。


「んなことより、ユキはユキでやることがあるだろ」「そーそー! 世界史以外だめだからって、これからもだめなわけじゃないんだよー!」


「な、なんの話ですか?」


「ヨイシさんに決まってるでしょ!」


「あー……それね。会うに会えないんだ」


「どうして?」


「それは」実に単純明快な、そして私自身の”すぐにあきらめてしまう心”のためでした。


「このあいだ……おなべした日にさ、聞いたんだ、ヨイシさんには困ってることはないんですかって、そしたら、って。私もふつうに”まだ話せるほど、ヨイシさんと親しくないんだな”そう思ったけどね、でも、ヨイシさんはすごく仲がよかった友だちにも、後輩の子たちにも、話していいこととよくないことを区別しているみたいで。私が、この先どんなにヨイシさんと仲よくなって、信頼してもらえるようになったとしても、その関係は絶対に越えられないラインの上に沿って歩くだけのうわべだけのものなんだ、って思えて」


 私が長ったらしく話したことで、さなっちゃんもカミカミもそこまでは聞いてないんだけどなと困惑こんわくした気持ちを、態度のうえに塗りたくっていました。

 まあ、当たり前だよね。


「何いってんだ。お前は、あの人がいちばん何を大切にしたいのか、知ろうともしていないんだぞ」

 ぐっ、さなっちゃんが私の顔の横を両手で押さえつけて、無理やりにでも彼女と私との距離をちぢめてきました。


「そうだよ。ヨイシ先輩は、もしかしたらひっしにユキちゃんやその友だちたちとの関係を、守ろうとしているんじゃないかな」

 またさらに、カミカミが私の顔をつかみ、強引に視界を彼女とさなっちゃんの二人だけで埋め尽くしてきたのです。


「あたしはユキのこと好きだよ。クソみたいな冗談もエグい悪口もいえるくせに、心根こころねじゃ人のことをつねに考えてやって……」


「そうだね」


 でも、とさなっちゃんは顔をしかめました。


「でもな、くれぐれも、それで人の気持ちをわかった気になるな。決してそんなことはない。お前が知ってるあたしのことなんて、あたしの本気のほんのほんの一部だけなんだからな! ヨイシさんだってそうだ。ユキが真摯しんしになって聞こうとさえすれば、向こうだって心を開いてくれる。そういうもんだろ?」


 ……なんでしょう、これ。初めてあじわった感覚です。

 二人に褒められて、なのに叱られて、私の心の未熟さを知らしめられて。友だちの顔は、今まであんなにもはっきり見えていたのに、どんなことを考えているのか手に取るようにわかっていたのに、もうそこにあるものはただの皮ふの表面に成り果てていました。


 ……いえ、このガスマスクがあらわれるまで、ずっとそうだったはずです。私は、なぜ彼女たちがいつも私のそばにいてくれて、どうしようもなくくだらないことで笑い合ってくれて、いつまでも仲よくしてくれるのか考えたこともありませんでした。それが本当の友だちというものなのでしょうか? 


 ……ああ、この感覚。思えばあのときとよく似ている気がするな。


「で、でも、さなっちゃんもカミカミも、私が困ってるときは全然察してくれなかったじゃない!」


 すると、とっさに私は二人の手を振りはらい、そんな罵声ばせいを浴びせてしまいました。”困ってるとき”というのは約2週間前、私が自分の顔のガスマスクをはじめて認識した日のことです。

 あのとき誰も私の気持ちを知ろうともしてくれず、あまつさえカミカミは私の気落ちした表情を見て”いつもよりかわいいね、ユキちゃん”とはきすてました。


 そう考えると、露出魔さわぎを起こしたのだって、私が悪いんじゃありません。全部みんなが私の苦しみを理解しなかったせいなんです。――一切の疑いもなく、私はそう思い込みました。だって! 


「そんなに深刻な悩みだったのに、なんであたしたちにいわなかったんだ?」


 さなっちゃんの言葉尻はするどくとがり、突き刺さった私のぶ厚い虚栄心きょえいしんに、無慈悲むじひに穴を開けていったのです。

「それは……」


「なあ、ユキ、お前とヨイシさんは似ているんだ。ただちょっとお前のほうは、だらしなくて威厳がないけどな」


 さなっちゃんは苦笑すると、一瞬手を広げて私を抱きしめようとしました。でもここがファミレスだということを思い出し、ちょっと顔を赤くしてそっと両手を引っこめます。


「いっておくけどあたしはユキにとって完ぺきな人間じゃない。ユキだってそれを承知で、それでもあたしと仲よくしてるんだろ? 友だち関係ってそんなもンだ。だから月日をかけて、よりよい付き合いにしていくんじゃないのか」


「さなっちゃん、えらい! そのとおりだよー!」


 カミカミは涙目で手をたたいて喜んでいました。

「お前もだよカミカミ……」

 さなっちゃんははなをすするカミカミを介抱するように肩をよせ合い、それから私を横目に見ていいました。「まったく、まらないよな。ユキ、あたしだってマジメなことはいおうと思えばいえる。カミカミだってっ、泣くほど熱中してるしな」「だってー……」


「だからまあ、頼りないけど、いいたいことがあるならいえ。それできらいになるときは、ちゃんとすっきりきらいになって、スッパリ友だちやめてやるからさ」


「……最低だね、さなっちゃん!」

 私も、なんだか胸が痛くなりました。目の下も痛くて、我慢できずに何度かいてしまったくらいです。

 

 それから私たちはお店の期間限定スイーツを食べて、出入口で別れました。食べた直後には味のあんまりしなかったメロンの風味が今になって口のなかをおとずれます。さすがに品種がいたりしませんけど、とても甘くてさわやかで。全部の悩みが、ご都合主義的にまるっと解決したような気分でした。

「(でも、そうは問屋とんやおろさないんだよね)」


 まだ私のなかに残った悩みの種は、フルーツの種のようにぷっとはき出せるものじゃありませんから、自分の心となんとか折り合いをつけて晴らさなければいけません。よしやるぞっ、と静かにちかいを立てた私は、とある方角へと歩き出したのです。



 って、かっこいい導入しておきながら、溜まり場である月極つきぎめ駐車場に彼女たち(あわよくばヨイシさん)がいるという根拠もなく、テーブル代わりの廃車とイス代わりの土管しかないところで30分も待っても誰一人姿を見ることはありませんでした。見切り発車とはこのことです、この物語のストーリのように。泣く泣くこの日は電車で帰った私は、きたる日曜の夜に再度アタックをこころみました。



 駅に到着し、改札を出てちょっと歩いたところですぐに駐車場に誰かがいるということがわかったのです。だって、向こうに積乱雲のように立ち昇る灰色のけむりが見えましたから。きちんと用意をして、私はそのほうに向かいました。たむろしていたのはヨイシさんを除いたあの三人の中学生たちです。


「うわっ、ユキパイセン、どうしたんすかその顔!」


「まじガスマスク!」


 と、間違っても彼女たちに私のガスマスクが視認できることはありません。


「これは私のです! そんなことより、ヨイシさんはどうしたんですか?」


 すると女の子が都合の悪そうにうつむき、

「……実は、ここ1週間誰とも会ってないみたいで、連絡も取れない感じなんです」

 あ、そういえばヨイシさんのスマフォはお鍋パーティで、ダシにされたんだった……でもそれをいうと混乱するかな。


「いま修理に出してるっていってたから、そのせいだと思うなー?」


「でも、ここにすら来ないんです。いつもは率先そっせんしてヨイシさんが来てくれるのに!」


 私は――つい最近さなっちゃんに”人の気持ちをわかった気になるな”とくぎを刺されたばかりじゃないですか! 


 でも――察してしまったんです。自分から、私たち三人との交友や新体操クラブへの復帰によって居場所をえたヨイシさんはともかく、この子たちは、本当にのではないか。だからヨイシさんがいない日もここに集まる。ちょうど彼女が新体操に打ち込んでいたときだって……

 

 だからヨイシさんは、この子たちのことを本当に大切に思っていて、そして世間の偏見や差別から守ってあげようとしているんじゃないのか、私はそう感じたのです。

「そっか、それは、心配だよね。私も……」


「だからオレたち、明日の朝にヨイシさんの家に行こうかって」一番チャラそうな、でも一番不安な顔つきの男の子がいいました。


「行ってだいじょうぶなの?」


「まあ、あそこの親父おやじがいなければ」


「あいつがいるとヨイシさんに会わせてもくれないんです」ともう一人の男の子が補足してくれます。


「ようするに、みんなはヨイシさんの安否が知りたいんだよね?」


 三人は顔を見合わせ、それっぽいしぐさをしました。

「わかった。じゃあ、私がようすを見に行ってくる。もしみんなが心配して学校を休むと、ヨイシさんまで心配になっちゃうんじゃないかな?」


「確かに……お願い、できますか」


「うん! まかせて!」


 私が胸を張っていうと、女の子はすなおにうれしそうに笑っていました。これまでに見せてくれたことのないくらい、むじゃきで安心に満ちあふれた表情でした。

「じゃあここ、住所です」


「(このあいだの体育館からちょっと遠く……)何時ごろがいいと思う?」


「絶対に9時以降です。じゃないと鉢合はちあわせします」


「わかった。じゃあまた今度、吉報きっぽうをまっててね!」


 私は三人に手を振って、足早に駅方面へと走りました。

「とはいえっ、お母さんにどうやってごまかそうかなっ!」

 ノープランをぷらんぷらんとぶら下げて。


         ◆


 翌朝、つまり月曜日です。まさかこんな短いスパン(なんのとはいいません)で時間が流れるとは思いもつきませんよね。そのせいでロクな作戦も立てられなかったので、私がどうやってお母さんに怒られず朝9時をむかえたのか……実に簡単な方法でした。


「今日はねテスト終わりの振り替え休日なのー(棒読み)」


「……そっか。よかったわね、家にこもってないで有意義ゆういぎに使いなさい!」


 お母さんは私のお母さんというだけあって単細胞なので、こんな見え透いたうそも鵜呑うのみにしちゃうのです。

 しかし有意義に使いなさいとは、まるでこれから私がしようとしていることを見抜いたような言葉に思えてなりません。

 それからお母さんは8時をすぎるころに出かけていきました。私は、その約1時間後、まんして家を出ました。


 はじめて体験する平日午前中の近所は、味気なくしんと静まりかえっています。人の姿があってもそれは散歩中のおじいさんだったり犬に散歩される中年のおばさんだったりして、地域の高齢化を危惧きぐせざるをえません。


「行こう!」


 私の足はもう物怖ものおじせずに歩き出したのです。

 でもさすがに、駅までの道のりで学校の前をとおったときは、知り合いが見ていないかという強烈な恐怖に駆り立てられました。まあ、カムフラージュの意味で無地のポロシャツにパンツルックとその上さらに帽子もかぶっているので、バレる可能性は低そうですけどね。髪もまとめてるので性別すらわかりづらいと思います。断固としてスタイルは関係ありません。


 いや、待てよ、お尻が大きい=くびれがはっきりわかる、つまり私こそ最も女性的なからだつきをしているのでは? いやん、これじゃバレちゃう! フェロモンバシバシで、悪意ある男の人に撮影されて、美少女がいるってネットで炎上しちゃう、そんで人気者になってお母さんにズル休みがバレちゃって! 


 ……よそう。なんだか縁起えんぎが悪いわ。あと思考が気持ち悪い。

 冷静になったころあいに駅につき、私は電車で三駅はなれた○○駅へ向かったのです。三駅とはかなりの距離で。しかし反対に旅路たびじは退屈しませんでした、なぜならヨイシさんが通学するときにいつも見ている景色を、ほとんどそのまま私も見ることができたんですから。


「ヨイシさんの住んでる町かー……」

 

 このあたりは中小企業の工場や工事現場が多く、またそこに勤務する人たちの住居もたくさんあって、彼らをお客にする飲食店にカラオケ店にスーパーまで、いろどりゆたかでとてもにぎやかな街でした。閑静かんせいな住宅地育ちの私にはそれが大都会の光景のように思えて、うらやましい気持ちになりました。


  電車を下りると、このまえ早生ダさんがずり落ちた階段に人が殺到さっとうし、その痕跡こんせきを踏みしだいていきます。町立体育館前に来ると、夕方スポ少の子どもたちを送迎してくる親御おやごさんたちの車が一台も止まっていない、寂莫せきばくとした駐車場が目に入りました。

 よくあること、当たり前のことといえばそうかもしれません。でも私にはそれが信じられないことでした。人は、こんなにも自由に自分の居場所を決めたり、変えたりできるものなのかな、と。

「(私もそうなのかな……)」

 今、もしかすると私のクラスではちょっとしたさわぎになっているかもしれません。無遅刻無欠席、これが唯一私の学校中にほこれる長所でしたから。それを曲げてでも私は今日ここに来たんです。


「(もし、自分の居場所を自分の思いどおりにできるのなら……私は、ヨイシさんのそばにもいてあげたい!)」

 そんなことを考えながら、ひたすら歩きました。あの女の子の丸文字とちょっぴり下手な地図で書かれた與石よいしまでの道のりを、じっくりと目の奥に焼きつけながら。スマフォを一度もさわらずに来たせいで、與石家の門の前に到着したときはじめて時間を確認すると、駅からなんと20分も歩いていたことを知りました。これならあしもちょっとはせますねb


 さて、問題のヨイシさんの安否確認をするために私は、迷いを振り切り家のチャイムを鳴らしました。

 返事はおろか、そのまましばらくたって二回目を鳴らしても、玄関の引き戸が開かれることはなかったのです。私は、まず普通に不在をうたがいました。どこかへ外出しているのかな。しかし、どうにも胸の中心あたりがざわざわして落ち着かないんです。


 不法侵入だとあとで糾弾きゅうだんされてもいいと割り切って、おそるおそる家のなかに入ってみました。靴がありました! しかも二足……「(まずい、お父さんがいる!)」

 私は反射的に身構えました。

 ところが家のなかで目立った反応はなく、それどころか二足の靴も、サイズが明らかに小さく女性用のものだと思われました。つまりどっちもヨイシさんの靴なんです。学校指定のローファーはありません。「(まさか、学校に行ってる? 入れ違いになった? でもそれなら安心……)」ただ安心じゃないことといえば、ヨイシさんが何か危険な目にっていることでした。


 万が一を考え、「おじゃましまーす……」私は與石家のいたる部屋を見て回りました。


 リビングと思われる机だけ置かれた部屋。

 浴室と思われるタイル張りの個室。

 トイレと思われる黄ばんだ洋式便器がある個室。

 お父さんの私室と思われる本がたくさん置かれた部屋。


 そして、ヨイシさんの私室と思われるベッドとお母さんらしき女性とのツーショット写真がかざってあるだけの部屋。ちょっとでも気になればくまなく調べました。しかしどれも真実を推しはかる情報としてはあまりに不充分でした。


 私は一度家の外に出ました。庭のほうにも回ってみました。

 すると、「倉庫、おっきい……」あったのはガレージのような倉庫でした。でもそれははっきりガレージではないとわかりました。その倉庫があるのは、家の門の反対だったからです。


「もう見るところもここしかないや」

 

 最後の悪あがき、という軽はずみな足取りで、私はその倉庫に近寄ります。――おや、おかしいですね、なんだかかん高い音がします、とてもテンポが速く、リズミカルで、それでいて苦しげな、まるでのような音が。興味ひかれた私はためらいない手つきで倉庫のとびらを開きました。






―――――

 もしも、自分のよく知る人間の暗部が、想像を絶するものだったとき、あなたは目をそむけずしっかり前を見ることができますか。自分の知りたいようにマスクすることを、否定できますか。

 私は、人同士がたがいに偏見をみとめ合って、見た目が変わらないマスクのように見え方を押しつけ合って、そのうえで友だち関係にあるんだと思いたくありません。だから、絶対にこの”仮面”を剥がします。剥がしてみせます。


 次回、終幕Ⅱ、さよならホッケーマスク。

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