ドブネズミで……バタフライ《後》
帰宅後、私はさっそくその番号に電話をかけてみたのです。SNS以外で、しかもお母さんや友だちではない人にはじめて電話をかけるとあって、私の心臓は痛いくらいに
スマフォに当てた、ガスマスク(幻覚?)からはみ出た左耳のうらがわで終始血流の音がはっきりとしていたほどです。やがて相手に電話が通じ、ちょっ
とにかく今しがた時計を見ると、徒歩では次の電車に間に合わないというので制服を着たまま自転車にのり全力走行しました。体育の授業でもやらないくらいの頑張りようでした。
駅について「
でも、なぜか胸のまわりだけは未付着でした。もしかして、
とはいえ、コバエの死がいでカップ数バレる系女子はゴメンなので「(触りたくもないけど)」手で払い落とし、とりわけ利用者が多い時間でも
「(手でやらずに、目の前にいたおじさんの
なんて思考は女子として絶対アウトでした、以降気をつけます。
はてさて、私が下りて来たプラットホームのすぐそばの階段で、なんとワセダさんらしき女性が出待ちしてくれていました。なんて気が利く人なんだろう! ここ最近ロクでもない人間「(私も含めて……)」ばっかり相手にしてきたせいか、いつもならそんなに気に留めることもないささいな思いやりに、つい涙が出そうになりました。ほんとは階段で立ち止まっちゃだめなんですけどね。今だけはいいんです。
でもワセダさんのほうはいつまでも私に気づいていないようすでした。初対面ですし。気がついた私のほうから声をかけるべきだと思いました。
「ワセダさーん!」
すると彼女の顔がはっと
と、「ぎゃっ」小さなうめき声とともに、階段からすべり落ちたワセダさん、しかも顔から。
心配性な待ち合わせのうえに、なかなか相手に気づかず、あまつさえあせりすぎると腹すべり……ちゃんとヨイシさんの親友なんでしょうね? 先ほどの尊敬はどこへやら、不安しかありません。
「き、来てもらってありがと。
「自己紹介より先に、だいじょうぶですか……」
「ずっこけ慣れてるから」
私は階段と地面の
「あはは、色いろめいわくかけるね。自紹のジョートークもスベッてたし」
「いやいや、目からうろこでしたよ! 早稲田大学って、
「……はてな」
「え、だって”おおくまさん”って」
「?」見るからに幼少期から熟成されてきたと思われるぶちぶちメガネの早生ダさんはフレームの片側をくいっと上げて
「そ、そういえば早生ダさんがっ! わ、私に見せたいものって……」なんだか空気が悪くなった感じがした私は、とっさに彼女のそでを引きました。
「ああ、これから、町体に行くんだ」
「町体って、町立体育館ですか?」
「そう。そこに、
当たり前だけど、夜遊び人に限らずスポーツは誰もが楽しめるものだし、もしかしたらヨイシさんも後輩の子たちと何かに
今まで自分自身のなかでも納得がいっていなかったことだけど、どうしてヨイシさんの”仮面”はその、ホッケーマスクなんでしょう?
ホッケーマスクであること自体に意味はないんでしょうか。確証はないけど、ヨイシさんがひそかに何かのスポーツ選手を目指していたとしたら、その
「着いたよ」
短いあいさつのあとで早生ダさんの足は急停止したのです。
「正面玄関から入ると、身分証明とかめんどうだから、こっちの裏口から入ろう」
「私はこれからどんな
「そんなめったなものじゃないよ。むしろ気に入ると思う」
目を細めて早生ダさんは私に笑いかけてくれます。
裏口から見た館内に人影はありませんでした。おまけにとても静かで、とても暗くて、赤と青の自販機が
「こっち」
しかし、近くの階段から2階
聞き耳を立てるとそれが
目を一度しばたたくと、スクリーンが点滅する錯覚をおぼえた私の視界には次の瞬間、
「(Z席なんてとんでもない、ここは、最善列)」
光沢の
「きれい……!」
「近所の小中学生の新体操クラブ。わたしと糾巳が”昔”
「ヨイシさんは、どこですか?」
なんて、聞かなくたって、あんな変わった見た目の人を見つけられないはずないのに。わかっていながら、私は信じないぞという気持ちで質問していました。
早生ダさんがもったいぶるように指でしめすと、その場所に、周りの女の子たちと比べるとひときわ背の高い”
”美少女”を、遠巻きに一見しただけだと明らかに肌色が目立ち卑猥さばかり強調されている。かたく凹凸のない床面上で。でもそのしなやかな筋肉のうでから脚へと流れる、天衣無縫なフラフープの生き生きした情感の表現や、彼女自身の洗練された柔軟と足さばき、さらに露出魔を経験した私でさえ最初嫌悪感をおぼえたほどのレオタードの食い込みやシワが、演技をとおして、単純な性的扇情から、たとえばダビデ像の男性器に見るアート的あるいは超越美的に計画された装飾へと昇華され、結果的にもとの卑猥さを打ち消すどころか最高の芸術へと観客をみちびいてくれる。これは革命だ! 素材がホッケーマスクをかぶった1留不良少女だなんてうそのようだ! 私は感動した!
「なーんか、失礼なこと考えてない?」
「いえいえそんなこと!」もどって来ました。前のダラダラくだらない文章は誰が書いたんでしょうねまったく……
「それより、なんでヨイシさんは」
「ボランティアだよ、自主的な。きっとクラブへの恩返しだろうね」私の発問をさえぎって早生ダさんがいいました。
「糾巳はね、フラフープの名選手だったんだよ。小5のころ地元新聞が”
「へえー」
「ほんと目立ちたがりでさ! そのくせ人間ぎらいがこじらかして、男の子とほとんど話せなかった」
「早生ダさんは同じ小学校だったんですか?」
「ああ、いや。でもお互いの学校行事に呼び合うくらいには仲よかったよ」
「中学は」
「別々ね。でも、クラブで一緒だった。わたしは、糾巳っていう目標がいたからさ、今まで新体操つづけてこられたんだ」
「そのいい方だと、今もつづけてるんですね」
すると早生ダさんはぴたりと黙ってしまったのです。
それから私たちは静かに、小さな女の子たちと楽しそうなヨイシさんのようすをながめていました。
「(ドブネズミで……バタフライ)」
私だけでしょうか。ヨイシさんが、自分に向けられたまったく
今までもそうでした、ヨイシさんは後輩の子たちの非行行為にケチをつけない一方で、彼女から見ればいかにも健全な私から彼らを遠ざけようとしていました。自分の
――と、急に冷たいものが全身を走りました。しかし1秒後には、やさしい
「ユキさんが電話くれたのって、糾巳のうわさのことだったよね?」
実は、早生ダさんは私以上に、ここへ来ることについて
「わたしさ、
「……私もです」
「そっか。だから
「そうだったんですね」
「そう。んでそのうえ男ぎらいでしょ? たぶん、お父さんは
早生ダさんは、わずかにうるんだ目で、レオタードを着たヨイシさんを見ていました。
子どもたちに囲まれるヨイシさんは私と同じくらいの身長なのにスレンダーで大人びた
でもよく観察すると手足は
「……早生ダさん。あの、どうしたら私、ヨイシさんの役に立てますか?」
「うーん……」
「すみません、頼ってばっかりで」
「それはいいんだ、お互いさまだから」
「ありがとうございます……」
「わたしも糾巳の力になりたい。でも、糾巳は自分なりに、変わって来てるんだ」
わっ、と1階の練習場から声が上がりました。またヨイシさんが演技のお手本をしめしているようです。
「ボランティア、やるようになったの、わたし知らなくて。恩師に連絡とったら、3か月前から急に来るようになって、そんでユキさんにわたしの番号教えてくれた子も、ここ最近糾巳が男の子友だちとも付き合いだしたっていっててさ。おかしいよね。会ってまもないユキさんから見て、どう、
「あの……」
私は、即座に答えることができませんでした。いえ、少し時間をもらっても、きっと答えられないと思います。そして私はものすごく恥ずかしい気持ちになりました。
「しめっぽくなったね、ごめん。帰ろっか」
さびしげに早生ダさんはそういうと、
――待って!
私にはどうしてもこの人にいわなければいけないことがあります。だから少し大きな声を出してしまって、階下のヨイシさんに私の存在がバレてしまったとしても、そこで私は強く、早生ダさんを呼び止めなければいけなかったんです。
「早生ダさんは、もし今のヨイシさんが前のヨイシさんから変わったとしたら、それは”いい変化だ”と思いますかっ?」
「どうだろうね。好きだった新体操も再開できて、人間関係も広がって、これ以上いい変化はないと思う」
「でも、それがもし”変わらなければいけない状況だったから、変えるしかなかった”んだとしたら!」
「なんの確証があって……」
そこで、早生ダさんはわざと言葉を切りました。正確には、その先を自分が口にしてはいけない、という使命感に駆り立てられたみたいでした。
数分たち、早生ダさんが「おうちの事情で、もう帰らなきゃ」ときっぱりいってくれたおかげでようやく私にもあきらめるきっかけができました。別れぎわ、早生ダさんから一枚のメモをもらいました「これ、糾巳のケータイ。わたしからは電話しづらいけど、もしかしたら、ユキさんなら」といって。なんとも
「ヨイシさん、きれいだったな……」
今、私の胸のなかを支配しているこの感情こそ、
―――――
《前》で筆者がお詫びをしましたけど、私からも重ねてお詫びもうし上げます……。
結局、私の力だけではヨイシさんの助けになれないとわかったこの日、考えたんです「じゃあ、二人にも手伝ってもらえばいいんだ!」って。『他力本願かよ』『使えねー』『もっと短くおもしろく速く書けよグズー』ひー! すみません! こんな私が主人公でごめんなさい! でも、でも、私は非力なりにくじけず頑張ります……たとえまた露出狂に走ろうとも!
次回、鍋パする! こんどこそギャグ回やる!
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