いつもよりかわいいね、ユキちゃん《後》
おしゃれなドレッサーの
「ん?」
な、何を隠そう私、ネットショッピング、趣味でして。市場に安く流れてるおもしろグッズとか民芸品とか買うんです。別にコレクションしてるわけじゃないけどなんとなく持ってて充実感というか幸福感というかとにかく嬉しくてー……
そうそう! ガスマスク! ほら今もそういう時期ですし、ガスマスクも買ったんです、念のため! そう念のため。え、家のなかで着けるのはおかしい? いいじゃないですか着けてたって。女の子のおならだってクサいかもしれませんよ! だから別に変なことじゃないんですガスマスク! ガスマスクは
「お母さんに、確認してもらうしかない……」
私はダッと駆け出し、階段をすべり下りて、リビングへ行きました。
お母さんは仕事から帰って来てすぐ眠るときには必ずリビングのソファで眠るし1時間くらいで寝相の悪さからフローリングに落下すると決まっています。私は入口からソファに回りました、しかし、そこにいるべきお母さんの寝姿はなかったのです。一体どこに――
「おはよう、
背後を取られた! 違うそうじゃない!
「お母さん、大変なの!」私には、ここでもったいぶった
「?」でも、お母さんはおどろきもせず、むしろキョトンとした
「誰が阿呆面よ」
「心読まないで! お母さんそんなことより、見えないの、これ!」
「おうおう、母親に似てずいぶんと
……お母さんはこういう人です。ただ、私が深刻な悩みを抱えているときだけは、親身になって助けてくれました。そりゃ親ですもの。とにかく、
「……ちょっと待ってて」
私は一度私室にもどりました。何をしていたか、説明はいりません。お母さんの反応を見れば、
「お母さんこれ!」
「うわっガスマスク
「そんでほれ!」
私がガスマスクを脱いで、素顔「(も、なぜか今はガスマスクですけど)」を
「(これでハッキリした。このガスマスクは、私にしか見えないんだ。まあ、そりゃ、100と1だけで平均を出すものじゃないのはわかってるけど。でもどう考えてもおかしい。じゃあ、写真は……)」
私は
「お母さん。もし、もしもの話だけど」
「雪。ごはん作ったの?」
「うん……」
「おお、そりゃうれしい。じゃもって来て」
お母さんに
「うわー、今日はまた一段と手抜きねー!」
「眠いし、ちょっと
さんざん文句をいってから、お母さんは料理に手をつけます。
「ん、うんまいじゃない! あんた腕前上がったねえ!」
「ありがとう」
けなすか
「ねえお母さん、あの、もしもね、私が何かよくない病気してたら」
「間違っても、
私は笛吹くようなおちょぼ口でお味噌汁を飲み込みました。「幻覚、みたいなのなんですけど……」
私は
「そりゃなんてファンタスティックなんだ!」
「ですよね……」
結局「週末になったらつきそってやるから、我慢して学校行きなさい」という返事を引き出せただけでも、いつにない成果でした。
それにしても、ここ5年くらいは病院にかかったことがなかったのに、まさかガスマスクが見える、なんて病気にかかってしまうとは。徒歩通学中のネット検索も
だから、私の自宅からだと学校を通りすぎてさらに余計に歩くことになるので下校時以外、足を運ぶことのない駅方面へ、このとき私は走り出したのです。するとたいした時間もかからず駅には到着しました。でも、
「電車、30分後じゃん……」そう、それは、4時半起きのくせ、
針をすすめて30分後。
「あれ、ユキ子じゃん」
「もしかして
能天気むすめ二人が改札口からのこのこやって来ました。いいご身分ね、ほんと。
「おはよう。まあちょっと奇妙なめぐり合わせがあって……」
当然のことながら、二人が来るまでの時間私はずっと待合室を出入りするお客さんたちの視線を気にしていました。ガスマスクをつけた変な女の子だって思われてないか。
幸い、そういった目の人はいなかったような気がしますけど、
『JKだ』
『ブレザー
『たぶん近所の高校の子だろう』
『なんでこんな時間に?』
『
『なんだそのイカ
そんなことよりさなっちゃんは「朝来たことあったっけ?」と私らしからぬ今日の行動に
「一緒に学校いこー」とカミカミはあいかわらずマイペースで。
もう、しょうがないな、この人たちは……と私も一時ガスマスクのことは忘れて、みんなで
別に自分の顔は、そんなに好きでもないけど、だからといって理不尽にガスマスクに
例の先生を待っていたらいつのまにか6時限目になっていて、私はもう、
「先生、トイレ……」
「先生はトイレじゃないぞ、出鬼。あと曲がりなりにも女子なんだから、トイレを公言して挙手するのは
「曲がりなりにもって……」
「トイレ行ってこーい――って、お前ニンニク臭いぞ!」
なんやかんや危ない局面は何度かあったものの、どうにかこうにか下校時刻まで耐え抜くことができたのです。えらいぞ私! もちろんトイレで手は洗いましたよ、入念に。
それにしても、いち女子として日中鏡を見ない生活は苦痛極まりないものがありましたけど、どうしてどうしてクリアできたことには、やっぱりガスマスクが関係しているのでしょうか。クラスの子たちもなんだかこっちをチラチラ見てきたけど、駅のときみたいにそれっぽい視線じゃなかったみたいだし……って、考えたってわかるもんでもないですよね。私ってば頭脳派キャラでもないですから。もしそうだとして私が、
放課後、私は、カミカミとさなっちゃんの二人に駅までついて行きました。
先述したように学校から駅までそれほど距離はないので、私たちの会話はいつも
それが、いやでした。
いつもいやでした。
志望校のすべり止めでしかたなく入った私立高校で、社交辞令的なオリエンテーションで偶然に
私は心でそう思っていたんです。いやそれって負け組トリオじゃん。しかもエスペラントとかマイナーな言語の話題で盛り上がるとか何、マイノリティーぶら下げてイキがってんのよ真面目にモテようとか考えたら? なんて、口が裂けてもいえないので、そんな心の暗部はほうっておいて私は二人との楽しいひとときを
「小耳に
「えー、あれってそういうことだったのー?」
ああ……道ばたでそんな話したら……もう一途を通り越して三途の川に行きそう……私のおでこから下へみるみる血の気が下りていく感覚がしました。今なら
「ちょっと……生理痛しんどいんだから、気遣ってよー」
「え、そうなの? ごめん。気がつかんかったわ」
さなっちゃんが素直にあやまって来るなんて珍しい。やはり生理との付き合いは全女子共通の悩みの
「そういえばメ〇スってー、女の子にあるのに、なんでmensなのー?」と、なんの前置きもなしにいったのはカミカミ。純粋なのか、純粋に不純なのか、下ネタ好きな上におバカちゃんの彼女からさらに、私の頭へとにぶい痛みが
「(こいつら殺す気か!)」
とはいえ、ちゃんとした理由を補足する知識ももたない私はスルーぎみに「そうだねー……」と返して、さなっちゃんの後頭部にこっちを向けといわんばかりに注目しました。当然向くわけもなく。
また、私の前で二人は別のくだらない雑談をし始めます。牛のよだれ「(見たことないですけど)」のようにだらだらと。そうしていつの間にか駅前の横断歩道にさしかかると、信号機は昨日とおんなじタイミングで私たち三人の足を止めたのです。
「またかよ」
さなっちゃんから
ちょうど、枯れ葉マークの車が通ったとき、私のレンズ越しのひとみがその水晶体へと吸い込むようにとらえたものは、一瞬だけガラスに反射した、ガスマスク姿の、
「ガスマスク」
とっさに思ったことを私は口にしていました。不思議に思ったであろう二人は首の関節をぬるりといわせて振り返って来ます。どうせ見えないだろうから、私はめいっぱいの変顔を浮かべてみました。すると――カミカミが、いったのです。私のお調子者に付き合ってふくみ笑いをしながら、
「今日は、いつもよりかわいいね、ユキちゃん」って。
「え」
と、不意打ちを喰らった私の上げたみょうに高い声で、またカミカミはふくみ笑いをしました。
「ユキちゃん、お顔が真っ赤になってるねー」
「こん、
私の赤面をまっすぐ見たことのない二人は、笑ったりスマフォを向けたりして私を冷やかしました。私はそのあいだ二人のいいなりでした。
ひとしきり笑われたあとで空気を察した歩行者用信号機の赤いランプは点滅し、青に代わって、さなっちゃんとカミカミを駅のほうに送り出しました。
「いやー笑った笑った!」
「また明日ねー」
ひかえめだけどきっちり大声で二人のあいさつが聞こえてきます。
やがて、見慣れた
私は、腹を立てていました。”どうせ見えない”ガスマスク越しの自分の顔だからふざけていられたのに、カミカミのひとことが、私の脳内にそのときの
「ガスマスクに表情をうばわれるのってどんな気分? こんな気分よっ!」
やるせなさが私を向かわせるのはいつもネット通販です。
誰にも理解されないつらさが、孤立感が、衝動的な購買欲を
それに、さなっちゃんたちへの想いにウソをついたことはありません。だからこのときの私は、このとき”腹が立つ”と表現した”欲求不満”に対して
私はもうガスマスクなんて見たくなくて、スマフォのなかを流れる商品情報から、ちょっとも目を離せません。
制服にパグの笑顔のように深いシワが
人間、おこりすぎるとどうやらお腹が空くようで、私の苦痛な心情と関係なく、ピーと機械音チックな腹時計が鳴りひびいたのです。
「そろそろごはん食べないと……」
お母さんの声がしないリビングに下り、冷凍カレーをチンして食べた私は、今度は、なんていいますかその、ムラムラしてきて、部屋にもどるとやにわに通販サイトを閉じて「(露出プレー……)」エッチなサイトにアクセスし、特にナニをするでもなく
実際はまだ16歳の私がそういうサイトを閲覧するのはよくなくて、お母さんにも「
生理中だからとかガスマスクだから(?)とかどうでもよくて、ただエッチで
「お散歩もの、エッチだなー……」すっかり
そのとき、私の記憶回路に、今日の出来事のすべてが呼び起こされました。ガスマスクとの出会い、別れ……とはこないで友だち二人と初めての登校、下校時の恥ずかしい気持ち、全部ぜんぶ振り返って。私は、ひどい思い込みにとらわれてしまいました。
「(これってほんとに思い込み?)」
自分でも疑わしいことでした。
「(みんな、ずっと私を見てた?)」
ガスマスクが見えないはずの、お母さんもさなっちゃんとカミカミも同級生たちも先生も駅の待合室の人たちも駅前の通行人たちもみんなみんな、今日かならず一度は私と目が合っていたんです。
まあ、結局、それが思い込みでもそうでなくても、もうどうでもよくって。私にはどうでもよかったんです。ただ、このなんとも説明のつかないトゲトゲした胸のつかえをどうやってなくならせたらいいのか、それだけでした。
ガスマスクのナゾ? なんで、急に私の顔にあらわれたの? そんなの知ったことじゃありません! 不要な考えです! わかっています。今の私に必要なものは、あの
茶のぼけた
ちょうど時刻もいいぐあいです。下車したのは県内の発展途上地区に位置する無人駅で、そこから数分歩くと、
ここは私の知っている、私のほとんど来たことのない場所。せいぜい中学時代、学校を休んだ女の子の同級生にプリントを届けに行ったくらいの、そんなに気を
そんなような恐怖心が、今朝、私の感じていたこの”
本能にしたがい
コツコツは近づくとしだいにカツカツと切れあじの
そうした冷静な思考がだんだんと、私のなかの底知れぬ怖いもの見たさの心を
「あのぅ」
声をかけた。
「ん?」
私に応じ、顔を上げたのはヒゲ
しかし私と目が合って次の瞬間には、悲鳴にもならない草笛のようなかん
「異常性欲、ダイバクハツッ!」
そのときいやに元気はつらつとした私の感情表現が事実、男性の意識の糸を断つ
―――――
あわわ……なんだか大変なことになってきましたね。
それにしてもなんで私、最後のところだけ語尾がおかしくなってたんでしょう?
次回、不良少女あらわる!
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