第二話 gas maskならぬgasp maskかな?《前》
日曜日、午前10時。時間の不規則な生活を送るお母さんが、今日は普通高校の高校生と同じ日に休みをとることができたので、一緒にテレビを観たりボードゲームをしたりする
「あ、いっけない、もう準備しなきゃ!」
「……あんたホントに、病院行かなくていいの?」
「それどころじゃなくて!」
ずいぶんゆっくりしていましたけど、実は正午すぎにさなっちゃんとカミカミと駅で待ち合わせの約束をしていた私は、昼ごはんをかき込み、私室で着替えをすませるとそのまま、ドレッサーの前でお母さんにメイクをしてもらっていました。
ついでに髪のセットやスキンケアもひと通り。さすが、化粧台の元もち主だけあって、
「あんた、パンツしかはかないよね? 夏制服もほとんど
「私服でスカートはく子は不潔なんですかー」
「そうはいってないでしょ。ただ」
「あちこち歩くんだから、動きやすいほうがいいの」
「でも下は厚底のミュールでしょ?」
「(くっ、なんでいつもより
お母さんはそれからも色々と口出しをしてきて、でもテキパキ私にお化粧をしてくれたのです。
「あ、あと、コンタクト貸して?」
「…………」
玄関で私は、念のためサイフの中身を確認しました。
「なんか荷物多くない?」
「たったカバンふたつよ?」うう……生理用品だっていっても、さすがにごまかせないし、
「ば、バッティングセンター、も行くから。着替え」
「隠語?」
「どういう意味のよ!」
「いや。なんでもないよ。いってらっしゃい」
「もう、調子くるうなー」
「ジョージ・クルーニー?」
「JKがツッコめるようにボケてよ」私が米俳優にうとくて名前しか知らないということはどうでもいいんです!
「と、とにかく行くからもう!」
これ以上お母さんに疑問を感じさせるのはまずいと思い、逃げるような勢いで家のドアを飛び出しました。
◆
「ユキちゃーん、今日もかわいいねー!」
駅の入口で、やって来たカミカミにさっそくきつく抱きつかれた私。恥ずかしい! けど、カミカミいい
「いつまでじゃれてんだ。いくら
「はーい」
冷静なさなっちゃんにたしなめられて、カミカミは私をはなしました。
「さなっちゃんは、いつも通りオーバーオールだね(おまけにツインテも相まって、むじゃきな子どもみたい。かわいい)」
「よせやい、あたしが服に興味ないの知ってるだろ」
「興味ない人は、オーバーオールなんて着ないよねー?」
「ねー」
「……ネー・トゥムルトゥアーテ」
「それってー?」
あれ、カミカミは、さなっちゃんにエスペラント語を教わったんじゃなかったっけ。
「ううん、ラテン語」
「また、使えもしない言葉を勉強して……」どこで習うんでしょう? 私にはさっぱりです。
「そうだよー! もう来週には期末テストなのに」
「だあー! これからカラオケだってのに説教やめろよ! 行くぞシスターズ!」
こうしてグダグダなまま私たちは次の電車を待ち、隣町のカラオケ店に向かったのでした。まったく
というか、私たちはそうそうカラオケで遊ぶ仲ではなかったはずです。
そもそも私が
……すみません、説明下手のくせに白熱してしまいました。
とにかくいつもなら、さなっちゃんがたとえば「ねえ、旅行いきたくない?」と突飛なことをいって、次にカミカミが「おかあさんが許してくれなそうだけど、キャンプくらいならいいよー」するとさなっちゃんが折れて「いいねキャンプ。じゃあ明日(土曜日)は○○キャンプ場に現地集合だ!」こうして休日に遊ぶ約束ができるわけです。でも今日のカラオケに限って、
「「日曜はカラオケ!」」
二人が示し合わせたみたいに提案してきたんです、おかしいと思いませんか?
私にナイショで決めたに違いありません。こればっかりは、カラオケを出たあとに問い詰めなければと決意したものの、結局、二人に何も聞けないまま駅までの帰り道を終えることになってしまいました。
「ユキ、どうする? あたしとカミカミはこれからごはん行くけど」
時刻はフリータイムが失効する少し前の午後19時。初夏の空は空色と雲の
「どうして?」
きっとさなっちゃんの気遣いだろうと嬉しく感じた一方、自分だけ特別扱いされたような、さびしい気持ちが私にそう質問させたんだと思います。
「いや、だって乗る電車、あんたん
さなっちゃんはわかりやすくこの駅周辺で夜まですごすことを避けていました。だったらなんで最初から、二人の下りる駅の近くのカラオケ店に行かなかったのでしょう。学校の近くにはお店がないことは知っています、だから電車に乗ったんです。
でもどうして
「そっか。また明日」
「お
「……やさしいな、二人とも」
やがて、私の自宅方面の電車が到着します。私がそれに乗って帰宅することはありませんでした。もちろん、そうしない目的がありましたから。
「(まだ時間が少し早い。でもいいや……リーマンがいないだろうから、散歩中のおじいさんを狙おう)」
そう、あのときの暴挙は”欲求不満”が私にそうさせた過失ではなく、私自身にそうしようとする故意があったんです。私はあの日――この顔にガスマスクを
おかしいですよね。こんなの、人前でカミカミに抱きつかれるよりずっと恥ずかしいことのはずなんです。でも、思い出すと、だめなのに
あの男の人の
あの時間あの場所に、理性的な人なんて誰もいなかった。私も男の人も、本能に忠実な動物のように、社会的なしがらみから完全に解放されて、すなおだった、そうに決まってる。
自分の顔が見られなくなって、またその苦しさをお母さんも友だちもみんな理解してくれなくて、孤独という名の箱にぎゅうぎゅうに押し込まれた私の心を、”性欲”がみちびいてくれたんです。
でもさなっちゃんとカミカミは、金曜に学校で会ったときからずっと隣町に出た露出魔の話に夢中で、二人に挟まれて「(バレないかな……)」と緊張しっぱなしだった私に見向きもしなかったし、さっきも駅で別れるまで同じように知らん顔をしていました。
いえ、いいんですそれで。気づかれないままで。
私がこんな、帽子だけの下手な変装をして、6月にあるまじき分厚いコートの下から
「(来た……っ!)」
私が隠れている電柱のほうに歩いて来たのは、休日出勤だったのでしょうか、またもやくたびれシャツのリーマン男性です。そのほかに人影はなく、それどころか夜ごはんどきというのに住宅地全体のふいんきは母親に声をかけられた思春期の息子の態度に並ぶ冷たく静かなものでした。このあと父親が怒鳴り込んできてきっと
そして、今だっと思い、私は男性の目の前に
「ぎゃあーっ! いいもん見たーっ!」
昨日の男性とはまたおもむきの違う反応で、リーマンはその場から逃げていきました。き、気持ちいい……○ッちゃ、わらひ〇ッひゃう……
「露出魔の、
声? 誰の? いや誰でもいい声がした。見られた!
私は首がちぎれる覚悟であたりを見回しました。しかし、さっき確認した通り、誰の姿もないのです。外灯の少ない道路がおそろしく静まりかえっているだけでした。なんだ、緊張のあまり聞こえた幻聴か、私は胸をなで下ろします。すると本当にマリオネットの操り糸が切れたように、全身の力が抜けました。
「!」
そのとき突然、ゲームの特殊演出のようなエクスクラメーションマークが視界に飛び出してきたのです。”そのとき”というのは視線を足元に落としたときでした。
無意識のうちに
ホッケーマスク!
をつけた人らしき姿が見えてしまったのです。思えばなぜ声のする方向がはじめにわからなかったのか……とにかく私は気が動転しつつもその人を踏みつけないようにしながら、前方に距離を取りました。一体何をされるか見当がつかず、とても
「ごめんごめんw(あまりに軽薄なあいさつだったので、私の耳にはその人の言葉の語尾に草が生えているように聞こえていました)」
ホッケーマスクの
「あんたのは、うーむ……gas maskならぬgasp maskかな?」
「そんなことより誰ですかっ!」
あらぶる声が住宅地の空気を一変させます。今の私からは完全に落ち着きが失われていました。そのようすを見てホッケーマスクの相手は、ここで自分が優位な立場に立っていることをことさら主張してきたのです。
「名乗るべきはあんたからだよ。なんてったってこっちは証拠写真をもってる。ほら(私にスマフォを向けてきます。画面は発光しすぎてよく見えません)」
「ま、まさか私の未開のクレヴァスを……」
「ばかなこというな全身像だ! ま、まあでも、さすがに情けで背中からの写真だけど。どう、少し気楽になった?」
「(この人、私をおどすつもりだ……)」そうだと頭脳で理解しても、私の
「へえ。どう書くの?」
「
「ユキちゃんって呼ばれるでしょ、普段?」
「ええ、まあ」
「あたしはヨイシ。字はいいよ。そう呼んで」
「もう、あんまり関わり合いになりたくないんですけど……」
私の言葉に、ヨイシと名乗る人はふふっと
「でしょうね。こんな
「狩り場って……まあそうですけど」
ヨイシと自称したホッケーマスク怪人(このとき私はまだ相手が仮装していると思っています)の軽口と、そして落ち着いてからよくよく見るとベージュのパーカーの上に私と同じ私立高校のブレザーをはおっていることに気がついた私は、とてつもなく、何もかもがどうでもいいやという気分になっていました。
「それで、ヨイシさんは、私をどうしたいんですか? 抱かれたらいいんですか。そのおみ足のかぐわしいかほりが染み込んだローファーでも舐めればいいんですか?」
「キモチわりーいい方すんな!」先ほど私の
「(時どき口調変わるなーこの人……)人生かける覚悟ありますんで、ジブン」
「よせ! とにかく、悪かった。別におどす気はなくて、この写真ってのも、ここであんたを逃がさないための1枚のカードにすぎない」
すると急にヨイシさんは私の目の前で、露出魔現行犯(=私)の証拠写真を自分のスマフォから消したのです。いったいどうして?
「あたしもね、いろいろやる
「…………」
「でもしょうがなくて、あたしのほかに何人もばかな連中がこの町でくすぶってる。だから露出魔なんて出て、警官やら地域の
ヨイシさんは、そのふざけた
「あの、ごめんなさい、私も本当はこんなことしたくなかったんです!」
「ウソつけ! あんたあのリーマンに逃げられたあと、口が
「!」
ぜ、全然意識してなかった。
「隠さなくていい。それに、あたしら同類だから。よかったら”うち”に来なよ、ユキ?」
「……は、はい!」
そういって、私はヨイシさんにやさしく手を引かれ、駅方面に向かいました。
「そういえばヨイシさん、私のこれ、見えるんですかっ?」
「なんか嬉しそうだな」
「そ、そんなことはありませんよ……っていうか”口が緩んでた”って、どこの口ですか!」
「どうやら、マスクが見えるのはつけてるもの同士だけのようだ」
「……ヨイシさんは、ほかのその、マスクをつけた人には」
「当然会ったことない。だからあんたが、なんでそんな若いからだをもて余して露出魔なんてめったなマネしているか、納得できたんだ」
「どうして?」
「そりゃ、あたしにコイツが出たときも、同じようなことがあったから」
そのあと私がいくらせがんでも、ヨイシさんは詳しいことを話してくれませんでした。「とにかくうちに来たら、すぐに受け入れられる。期待してついてきな」
私たちは早足でいつの間にか駅のホームを南に通り越し、とある人気のない
すっかり暗くなったそこには外灯なんてありません。また人気がないとはいえ、周囲はたくさんの一軒家に囲まれていて、とてもこんな夜遅くに騒ぎ立てることなんてできないようになっていました。来た道を振り返ると、駅からわずかな黄色い光があふれていますけど、はて、ヨイシさんが私に会わせようとしている人たちはここでどうしてすごしているんでしょう?
じゃり道の上に立ち尽くした私の手をまた、ヨイシさんが引きました。案内されたほうに歩き出したそのとき、
「うっ、こ、この臭いは……」
その
「
と私はヨイシさんに差し出されました。
「ひゅー!」
「むっちゃかわいいじゃん!」
「よろしくねーちゃん!」
そんな声が、スモークをたいたなかから聞こえてきます。心底、これが焼肉大会だったら、よかったんですけどね……
「ほら、あんたもあいさつして」
「ユキでーす」なんでしょうこのキャバ
すっかり
「ユキちゃんほら、ここ座って!」
「はーい……」
「あ、マジで? ユキちゃんノリよすぎかよ! じゃあよろしくぅ」
って、ほんとに出て来ちゃったよ
と、とはいえいい出しっぺが
「じゃあ、へへっユキちゃんの谷――いや太ももで」
「(くそっ、いいたい放題しやがってえ! っていうかやだよフツーに!)」
私が悪かったです。ごめんなさい。調子のって露出狂とか露出魔とかいってイキがってました。
「もうそのへんにしとけよ」助け
「好き勝手やって、自分の身をほろぼすのならまだいいが」
「(いいの? それもどうなの?)」
「その手前勝手に他人を巻き込むな。特に、”先輩にはリスペクトを忘れるな”中学で習わないのか?」
「だ、だって、ハダカ見られて興奮するって聞いたから、ヤッてもいいんだと」
「いいのか?」
どうやらわたされた助け舟は
「い、いくないに決まってるでしょ! こちとらゴリゴリメ〇ス中の
や、やだ、つい怒鳴っちゃった。わらひ○されちゃう……「何ビクンビクンしてるんだ?」「ビクビクです!」
「どっちでもいい……お前ら、ユキを気晴らしにコンビニ連れてってあげて」
「オッケー」
「(全然気晴らしになりませんよ!)」そんな取りとめのない会話の流れで、私は三人の後輩(?)とともに500メートルほど先のコンビニまで行くはめになってしまったのです。しょぼん。
「ユキちゃんって高校生なんスね?」
「まあそのようなものを名乗らせていただいてます……」
「さっきの荷物は?」
「はい、全裸コートに変身する前の、世をしのぶ仮の姿です」
「何それ。ユキパイセンほんっとボキャ
「へへ、ども……」
中学生男子の好奇心というか性欲ときたら、なんとも
「ユキさんめっちゃメイク気合入ってますよね。よかったら教えてほしいなー」
「あ、えっと、これお母さんにしてもらって」
「本当ですか! いいなー」
あ、ちょっとなごんだかも……やっぱり不良かどうか関係なしに、同性の子とは気が合うみたいです。私はなるべく男子二人の質問攻めをかわしつつその子との女子トークを楽しんだあと、コンビニに到着しました。
「(ああ、よかった。取りあえず甘ーいカフェオレでも買って、このあとの苦境を耐えぬこう!)」
そんな感じで、私のなかに少しだけ安心がもどって来たような気がしていました。
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