7日目⑬


     *


 おれたちが居間に戻ると、美冬たちが《神坂文也》を囲んでいた。

 エルフィがおれをみる。

「このひと、ご主人さまを助けろって言うんですよ。生かせば面倒なことになりますよ」

 おれは美冬に尋ねた。

「どうしてこいつを助けようと思うんだ。おまえを殺そうとしたんだぞ」

「この方を否定すれば、お兄さまの過去を否定することになります」

 美冬がおれを見つめる。おれは折れた。

「エルフィ。頼む」

「仕方ありませんね。面倒なことになったら、わたしが面倒をみます。正直、理由もなく一緒にいるほど好きではないのですが」

 《神坂文也》の体に両手を当てる。

「でも、理由があっても一緒にいたくないほど嫌いではありません。ヒール!」

 《神坂文也》の深い創傷が回復していく。

 つゆりが呆然とつぶやく。

「時間が反転しておるのか? 熱力学の法則の克服はここまで可能にするのか」

 創傷が治癒したあとも《神坂文也》は失神していた。

 エルフィが気軽に言う。

「心配いりません。気絶しているだけです。このまま寝かせておきますね」

 そのあいだにエルフィに事情を説明することにする。おれたち全員は居間の床に車座になった。

 夏未が言う。

「それにしても、この顔立ちで日本語が流暢なのはすごい違和感だし」

「わたしからすれば、外国人のあなたがわたしたちの言葉をしゃべってるのが不思議なんですけどね」

 エルフィに事情を説明する。

「…だから、おまえはおれの書いた小説の登場人物なんだ」

 動揺するかと思ったが、エルフィは首を傾げた。

「《ショウセツ》って何ですか?」

 おれは脱力した。

 美冬が補足する。

「小説は近代にできたものです。中世の文学は叙事詩だけです」

 エルフィに言いなおす。

「おまえはおれの書いた叙事詩の登場人物なんだ」

「はァ」

 エルフィは鈍く反応した。とくに気にならないらしい。おれはガッカリした。

 美冬が言う。

「あなたの登場する場面はわたくしたちとの合作のようなものです。ですので、あなたはわたくしたちの子供のようなものかもしれませんね。…わたくしの子供にしては胸が下品ですが」

 エルフィは立ちあがり、居間を1周した。

「ここがご主人さまの言ってた異世界なんですね。調度品はわたしたちのものと同じですが、建材はみたことがないものです。石灰石でしょうか」

 庭に出ようとして窓ガラスに頭をぶつける。

「こんなに大きい板ガラスはみたことがありません。それも、これほど透明度が高く、表面の滑らかなものは。しかも、それが平民の家に使われているなんて」

 蛍光灯の照らすエルフィの顔が、窓ガラスに反射した。

 夏未が声をあげる。

「待って! 異世界が本当にあるってことは、お兄が異世界転生するのも本当ってこと!?」

 壁時計をみる。

「明日まであと何分もないじゃん!」

「そうだな。長いお別れになる」

 秋加がおれの両肩を掴む。

「また戻ってこれるよね」

「どうだろうな。この世界におれがいるうちは2つの世界はつながっていたが、おれがいなくなれば、そのつながりもなくなるかもしれない」

 つゆりが言う。

「マルチバース理論が現実のものだとすれば、1つの世界を特定するのは砂漠で1本の針を見つけるようなものじゃ。とても適わぬ」

「そんな…」

 秋加は絶句した。

 夏未が小声で言う。「ふざけんな」

 おれは首をふった。

「すまない」

 そのとき《神坂文也》の姿が消えていることに気づいた。居間を見回す。血痕がソファの死角に続いている。ソファに立てかけておいた聖剣もない。

 時計の針が午前0時を指す。

 美冬がおれに抱きついた。耳元で言う。

「お願い。お兄ちゃん。わたしをこの世界にひとりにしないで」

 美冬の背後に人影がみえる。

 ソファの後ろから《神坂文也》が姿をあらわす。聖剣を両手に構えている。

「おまえら全員死ねェーッ!」

 脳裏に声が響いた。

《どもー。約束の期日になったさかい、神坂文也ハンを異世界に連れてったるわ。って、神坂文也ハンが2人おるやんけ。どっちが本物やねん》

 全員の脳裏に響いているらしく、《神坂文也》をふくめ、全員が動きをとめた。

「そっちだ」

 おれはすばやく言った。

《了解や。ほな、神坂文也ハンを異世界にご案内や》

 空中の1点に《神坂文也》が吸収される。

「か、神坂文也ァーッ!」

 絶叫だけを残し、《神坂文也》は消失した。

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