3日目④
*
深夜、扉が静かにノックされた。時刻は午前0時を過ぎている。
美冬が入室する。その服装をみて、おれはギョッとした。裸にベビードールだけを着ている。胸のところはレースで意匠が施されていて、あとは薄布が白い裸身を透かしている。股間は細身のショーツを着けている。
「何だ、その格好は」
美冬は両手で頬をはさみ、赤面した。
「言わなければおわかりになりませんか?」
「あえて考えないようにしてたんだよ!」
おれは怒鳴った。
「まさか、お兄さまから臥所をともにすることを誘っていただけるとは思いませんでした。何分こうしたことに経験がないもので、不調法かと思いますが、お許しください。失礼ながら、お兄さまにも経験はないものと存じます。たがいに不慣れで見苦しいことにならなければよいのですが、書物で多少、勉強してまいりましたので、どうぞお任せください」
「そういう問題じゃないだろ…」
おかしいところはあると思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。妹とセックスしてたまるか。美冬は美少女だが、妹の裸をみてもどうとも思わない。
「キリスト教だって近親相姦は禁止してるだろ」
美冬は顎に指を当てた。
「わたくしは思うのですが、アダムとイヴのイヴはアダムの肋骨からつくられたのですから、遺伝子的なクローンで兄妹ですよね。つまりキリスト教徒にとって理想の性交は、兄妹間の近親相姦のはずです」
「おれたちは日本人だ!」
「『古事記』の最初の記述はイザナギとイザナミのセックスなのですから、兄妹間の近親相姦は日本の国是です」
「国是!?」
「愛国者なら『古事記』に範をとり、兄妹でセックスをすべきです。お兄さまの生まれたこの国を愛するわたくしも、そのつもりです」
「こいつ、国内外すべての右派を敵に回すつもりか」
わが妹ながら戦慄する。
「各国で同性婚が法制化され、婚姻制度のあり方が問われているいま、近親婚も法制化すべきだと思いませんか?」
「左派まで敵に回せという意味じゃない!」
美冬は小首を傾げた。
「そう思いませんか。実子をもつことができないという点において、同性カップルも兄弟姉妹も同じでしょう。わたくしはお兄さまの子供なら産みたいですが。…もっとも、同性婚を法制化することの主な理由は、財産分与と相続の制度化だそうですので、もともと2親等の兄弟姉妹にはあまり関係ないそうです。春嵐姉さまにお伺いしました」
「現役の官僚に何をきいてるんだ」
「それはそうと、御用がないようでしたら失礼します」
扉に手をかける。
「待て! 妹を夜這いに誘うなんてふつうは最後にくる用事だろ!」
「それではどのようなご用事でしょう」
美冬はベッドに腰かけた。
『真面目系クズの異世界転生』の時代考証を正確なものにしたいが、おれには知識がない。そのため、全国模試1位の美冬に助言を頼むつもりだった。
だが、いざとなると緊張する。時代考証を依頼するためには、当然、小説を読ませなければならない。知己に自作の小説を読まれるのは、自分そのものを評価されるように感じる。
覚悟を決めて言う。
「じつはおれは小説を書いてるんだ」
美冬は両手を合わせた。
「すばらしいです! やはりお兄さまは雌伏のときを過ごしておられたのですね。小説を世に問うには、新人賞に応募するものと伺っています。『新潮』、『群像』、『文學界』、『すばる』、『文藝』の文芸5誌のいずれに応募されるのでしょうか」
「うッ」
言葉に詰まる。よく知らないが、美冬の挙げた誌名は純文学系の文芸誌なのだろう。
兄妹ではあるが、やはりおれと美冬はちがう世界の住人だ。異世界に転生してチートをふるい、ハーレムを築くライトノベルを読ませても、軽蔑するだけだろう。
おれはすでに後悔していた。世界でただひとりおれを慕う美冬が失望し、関心を失うことを恐れた。
「いや。おれのは純文学系じゃないっていうか。もっと大衆向けっていうか。商業主義を目指してるっていうか…」
小声で言いわけする。
「どうか美冬にも拝読させてくださいませ」
「いや。やっぱいい」
「そうですか」
言葉には出さないが、不審そうだ。慌てて撤回する。
サイトのものは公開停止にされているため、ローカルのテキストに保存するものをみせる。
腹をくくる。どのような評価も甘んじて受けいれよう。
美冬はデスクの椅子に腰かけた。
1時間ほどして、美冬は読了を告げた。
背中ごしにおれをみる。
「お兄さま。正直に申しあげます。この小説は…」
おれは批判を覚悟した。
「面白すぎます」
顔が上気している。あきらかに興奮している。世辞ではない。
「常識にとらわれないストーリー展開、擬音語や擬態語を多用した自由な文章表現。わたくしはこのような小説を読んだことがありません。ジェイムズ・ジョイスが近代文学に革命をもたらした、いえ、セルバンテスが近代文学を創始した以上の、文学史上の画期です。お兄さまは天才です」
美冬はパソコンに向きなおった。
「他にあるテキストファイルもお兄さまの小説でしょうか。不躾けではありますが、読ませていただけませんか」
語調が熱を帯びている。
「好きにしていいが…」
おれは当惑していた。
つまらないとは言わないが、よくも悪くも《小説家になろう》のよくある異世界転生モノで、とくに秀でたところがあるわけではない。
『TRPGの世界で俺だけがサイコロの出目を自由に決められる』を含め、さきに投稿した3作も同じだ。『貧乏領主の次男に異世界転生しましたが、スローライフを送れているのでまあまあ満足です』も、『竜ですが、何か?』もそうだ。
美冬は「おお」や「はー」などと嘆声をあげながら読みすすめている。『貧乏領主…』を読了すると、満足そうに「ふーッ」と嘆息した。
ひと呼吸おき、次の小説にとりかかる。
思えば、いつも澄ましている妹がここまで感情を出すのは幼児のとき以来かもしれない。
美冬が読みすすめているあいだ、することがなく背中をみていた。細い体つきだ。肩も薄く、鎖骨は力を入れれば簡単に折れそうだ。
全作品を読了したときには朝方近くになっていた。美冬は椅子の背もたれに体をあずけた。
「生まれてはじめて徹夜をしてしまいました」
体をおこす。おれに正対し、床に正座する。
「どれも傑作です。出版社に持込みしましょう。これら御作が上梓されれば、世間の愚昧な大衆もお兄さまを認めるにちがいありません。お兄さまにこのような文学の才能がおありだとは存じませんでした。既存の小説に比べるとやや実験的なので、出版を断られることもあるかもしれませんが、いずれ才ある編集者の目に留まるはずです」
真剣そのものの眼差しだ。
さすがにおれも美冬が誤解をしていることに気づいていた。
慎重に尋ねる。
「美冬、ライトノベルを読んだことはあるか?」
「書店でコミックスのコーナーに陳列されているのをみたことはあります」
「エンターテイメント自体、読んだことがあるのか?」
美冬は口元に手を当てて考えた。
「そうですね。いままで読んだ小説で、もっとも時代が新しく、娯楽性の高いものだと、大江健三郎と三島由紀夫でしょうか」
やはり。そもそも美冬はライトノベルはおろか、娯楽小説を読んだことがないらしい。小説の概念が古典文学を指すところに、いきなりウェブ小説を与えたのだから、劇物のようなものだろう。
尊敬されるのは心地いいが、これでは時代考証の相談ができない。
「おれが書いたのはどれもパクリなんだ。いや、パクリというか、フォロワーというか。パクリが公けに認められてるジャンル、みたいな」
「つまりポップカルチャーですか」
おれにはよくわからないが、美冬はすぐ意を得たようだった。
「実際に読むのが早いだろ」
本棚から異世界転生モノを数冊抜きとる。文庫と大判のソフトカバーの両方がある。
美冬が読みはじめる。すべてを読了したときには夜が明けていた。
おれをみて感想を言う。
「どれも楽しめました。とくにわたくしはこの『異世界のんびり農家』が好みでした。数的に記述される開拓の進展が、独特の読書体験を与えてくれます。《世界の十大小説》は『ロビンソン・クルーソー』をのぞき、本作を加えるべきです」
表紙をみせる。
「たしかにお兄さまの小説と合致するところもありますが、模作は芸術のつねです。気にするほどではないと存じます。わたくしにはお兄さまの小説が一番おもしろかったです」
「それはおれの小説を最初に読んだからだろ」
さすがにその評価を額面どおりに受けとるほど自信家ではない。叙述トリックは最初に出会うと衝撃を受けるが、2回目はやや感動が薄れ、回数を重ねると予見するようになるのと同じだ。
「だとしても、当人であるわたくしには正否を判断できません」
美冬は平然と答えた。
目を伏せて言葉を継ぐ。
「じつを申せば、わたくしは意図的にこうした文化に触れないようにしてきました。お兄さまが趣味になさる高尚な芸術を、わたくしの見識で理解する自信がありませんでした。お兄さまと心理的な距離ができることが恐ろしく、興味がありつつも、お兄さまの蔵書やコレクションに触れることは遠慮してまいりました」
晴れやかに笑う。
「ですが、まったくの杞憂でした。真の芸術は万人に理解できるものです。どうか愚かな妹とご嗤笑くださいませ」
ちなみに夏未はアキバ系サブカルチャーを毛嫌いしている。実兄が引きこもりで、アキバ系サブカルチャーに耽溺しているのだから当然かもしれない。美冬をオタ化したことを知ったら殺されそうだ。
「ところで、わたくしをお呼びになった理由は何でしょうか。愚察しますと、はじめに読ませていただいた小説が未完であることと関係するのではないでしょうか」
おれは事情を話した。
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