1日目④
*
おれの住む静岡県M市は首都圏のベッドタウンだ。画一的な建売住宅が並び、遠くに木々の繁茂した山脈を望む。
おれの家はそうした住宅街の1軒だ。
家を出ようとするおれを、美冬たちが引きとめた。
「お待ちください、お兄さま。サンダルはさけたほうが無難かと存じます」
おれは普段どおりのパーカーにジャージのズボンだ。裸足にサンダルを突っかけるところだった。外出するときはこの服装だ。
「少々お待ちくださいませ。お父さまの服をもってまいります」
美冬が父のシャツとジャケット、スラックスをもってくる。ベルトとおれの靴下もある。
夏未がうなずく。
「いくらコンビニのバイトでも、せめて襟のあるシャツでいったほうがいいッしょ」
「いいよ。このかっこうで」
うるさがったが、美冬たちに強引に着替えさせられた。ジャケットは流行遅れだがいいものだ。
父の革靴を借りる。片手に履歴書をいれたクリアファイルをもっている。
「すてきです。お兄さま!」
美冬が歓声をあげる。
家を出る。普段しない服装のため、他人にどうみられているのか気になる。緊張したままコンビニの前に着いた。
「ご武運をお祈りします」
「じゃ、ウチらはさきに帰ってるから」
すでに面接を受ける勇気より緊張感のほうが勝っていた。帰りたかったが、美冬たちが監視していた。
仕方なく店内にはいる。レジには店員が1人いるだけだ。店員はタバコの在庫を確認していて、話しかけていいかわからない。店内を見回す。1人の店員がいたが、やはり仕事中だ。しかも女子高生だ。緊張して話すことができない。妹たちも女子高生だが、家族と他人ではちがう。
帰りたい気分が急激に高まる。ガラスごしに店外をみると、美冬たちはまだいた。
覚悟を決め、カウンターの店員に話しかける。
「あ。あの」
「はい。何か御用でショウか」
外国人留学生らしい。ネームプレートは「楊」と記名されていた。
「あの、神坂ですけど」
他人と話すことがないため小声になる。
「はい?」
楊は疑問そうにする。
「あの。予約入れてて。神坂です」
緊張を抑え、精一杯、意図を伝えようとしたが、楊は不思議そうなままだった。
「あの、何か御用でショウか」
はじめと同じことを言う。
品出しをしていた女子高生が慌ててくる。
「バイトの面接の予約を入れてた神坂さんですね。いま店長を呼んできますね。ごめんね、楊さん。バイトの面接のひとがくることを伝えるの忘れてた」
そう言い、女子高生はバックヤードにいった。
かわいい子だ。この店にはよく立読みにくるが、何度か見かけたことがある。もしここで働くことになったら、親しい関係になるかもしれない。店長を待つあいだ、脳裏に夢想が広がる。オッサンとJKの恋だ。
店長がくる。40代ほどの温厚そうな男性だ。
連れられてバックヤードにいく。壁際にスチール棚が並ぶ。床に数個のダンボール箱がおかれている。片隅に事務机があり、ノートパソコンのおかれた卓上は雑然としていた。
パイプ椅子を勧められる。店長は事務用椅子に座り、面談をはじめた。
「あれ。きみ、もしかしてよく立読みにきてる?」
「え? あ、はい!」
反射的に答えてから、否定したほうがよかったと後悔する。
店長はおれの体を手でしめした。
「いつもとちがってちゃんとした格好で。ねえ?」
親や教師のような穏やかな微笑を浮かべている。会話の間口のつもりらしい。羞恥心で死にたくなる。
「それじゃ、履歴書をみせてもらおうかな」
「はい!」
クリアファイルを差しだす。
店長は履歴書に顔を近づけた。
「ごめん。住所の最後のところ、何て読むのかな」
長らく字を書いていなかったため悪筆だ。読みを伝える。
「あ、近所か。そりゃそうか」
羞恥心が高まる。
「高校を中退して、その後は空欄だね。フリーターをやっていたのかな。やっぱり、ここみたいなコンビニとかかな」
「自宅警備員です!」
場を和ませようとギャグを言う。だが、店長は真面目に受けとった。
「え、警備員? 職歴には書いてないけど、そうなんだね」
慌てて否定する。
「あ、いや。自宅警備員っていうのは引きこもり、です」
店長は考えていたが、やがて合点がいったらしく、何度もうなずいた。
「あ。そういうことね。なるほど…」
おれに質問する。
「学校にいってなくて、働いてもいないって、資格試験の勉強とかをしていたのかな。他にやりたいことがあったとか」
助け船のつもりらしい。だが、おれの緊張感はますます高まり、手指の末端が冷たくなってきた。
「いや。とくに何もしてない、です」
店長は微笑したまま「うーん」と唸った。
「どうしてこの店で働こうと思ったのかな」
「はい。明るくて活気があって、やりがいがあると思ったからです!」
考えていた文句を言う。
店長は首をひねった。
「活気、あるかなぁ。ウチに」
言葉の調子を変える。
「最後にシフトの確認をしますね。希望は平日、10時から17時までのシフトですね」
「はい」
重圧感で胃が締めつけられるようだ。
「じゃあ、採否の通知はのちほど電話しますので。今日はどうもお疲れさまでした」
おれに低頭する。
「あ。どうもお疲れさまでした」
バックヤードを出る。
虚脱感で気力がない。店のトイレの個室にはいり、鍵をかけた。
面談を反芻し、失敗したと思ったところを脳裏で何度もやりなおす。
そうしているうち、壁越しに声がきこえてきた。バックヤードと接しているらしい。
《お疲れさまでーす。休憩はいりまーす。あ。山辺さん、お疲れさまです》
さきほどの女子高生の声だ。
《はーい、お疲れさま。じゃあ、これからシフトにはいりますね》
中年女性の声だ。
《そうだ、山辺さん。いつも立読みにくるキモいオッサンがいるじゃないですか。そのひとが今日、バイトの面接にきたんですよ。いつものパーカーじゃなくて、なんかジジむさいかっこうをしてましたけど。お洒落のつもりなんですかね。採用するんですか、店長?》
店長の声が応じる。
《うーん。彼みたいなひとも苦労しているんだろうけどね。自分のところで預かるのはちょっとね…》
《よかったー! もし採用してたら、あたし、バイト辞めてましたよー》
媚びをふくむ甲高い声で言う。
《履歴書みますね。汚い字。あ、あのひとまだ27なんですか。てっきり30すぎのオッサンだと思ってましたよー》
《へえ、そんな若いんだ》
《いや27でも充分、オッサンですけどね。でも、あのひとまだ童貞なんじゃないですか? アハハ》
新たに声がする。
《楽しそうデスね。何かありマシタか?》
《あ。楊さん、さっきのひと、やっぱり採用しないって》
《そうデスか。でも、よかったデス。一緒に働くことになってたら、チョト、困りマシタ》
《アハハ。楊さん、天然ー》
水を流し、トイレを出る。店から路上に出る。羞恥と興奮で心臓が激しく動悸していた。
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