1日目③


     *


 美冬と夏美が登校する。地元の市立中学校に通う秋加の登校が最後だ。

 秋加は昼食の用意をし、皿洗いを済ませると、おれに昼食のことを細々と説明した。

 せめて皿洗いくらいはしたほうがよかったと気づく。久しぶりに早起きしたため、いつもはみることのない朝のニュース番組をボーッと眺めていた。

 秋加は両手を胸の前で小さくふった。長身に見合わない小心そうな仕草だ。

「いいのいいの。いつもやってることだから。それより、今日はがんばってね、お兄ちゃん。お夕飯は就職祝いに豪華なものにするから。何がいい?」

「え… じゃあ、ハンバーグ」

「わかった。帰りがけに合挽き肉を買ってくるから」

 そう言うと、秋加は慌ただしく出かけた。

 妹たちは全員、おれがバイトをすることに賛成らしい。だが、他人と接することが怖い。憂鬱がつのる。

 自分の部屋に戻る。

 ちなみに、つゆりはすでに自分の部屋に引きこもっている。日中、顔を合わせることはない。つゆりに用意された昼食は気づくと食べられているため、わざとおれと顔を合わせないようにしているのかもしれない。実兄とはいえ、年齢が14歳も離れ、ほとんど会ったことがないのだから、さけるのは当然かもしれない。それに、おれは自分の醜さを自覚している。とはいえ、さけられることに不愉快さは感じていた。

 おれたち兄弟の長幼と年齢は以下のようになる。


 文也(27)

 春嵐(25)

 美冬(16)

 夏未(16)

 秋加(14)

 つゆり(12)


 5月現在、おれと春嵐だけが誕生日を迎えている。両親は早婚だったため、つゆりのときも高齢出産というほどの年齢ではなかった。ちなみに、名前と誕生日の季節が合致しているのは春嵐だけだ。二卵性双生児の2女と3女に美冬と夏未と命名し、そのまま残りの季節を当てたらしい。

 両親はどちらも理論物理学者だ。父は場の量子論、母は素粒子物理学が専門らしいが、おれには区別がつかない。父はノーベル物理学賞の授賞理由となる発見の研究チームにいたこともあるらしい。

 そうした理由で、おれと春嵐は幼少期に、両親について日本と海外を何度も往復した。転校が頻繁で、どの学校も馴染むことができなかった。そのため、おれには親しい友人ができず、人格形成ができなかった。

 春嵐が小学校に進学するころ、両親はようやく日本で定住をはじめた。だが、つゆりが3歳のとき母はふたたび渡航し、幼いつゆりも連れていった。父もまた、秋加が中学校に進学した3年前に渡米した。

 高校生で不登校になり、高校を中退し、そのまま引きこもりを続けるおれと対照的に、春嵐は成績優秀で部活動も励み、友人も多かった。東京大学の文科1類に現役合格し、法学部を卒業、経済産業省に入庁した。国外にいたのもハーバード大学の公共政策大学院に公費で留学していたからだ。その上、美人で人目をひく容姿だ。はっきり言って、顔を合わせたい相手ではない。

 だが、1年ぶりの帰国に際し、実家に帰省したいという春嵐の希望を断ることはできない。おれが春嵐に羨望心と劣等感を抱いているのに対し、春嵐は引きこもりのおれを気にかけているらしい。コンビニのバイトとはいえ、ニートから脱出すれば面目を保つことができる。

 気鬱だが、そのためにもコンビニのバイトははじめなければならない。

 だが、いまさらアルバイトをはじめて何になるのだという思いがある。おれにも、いつまでもこうして引きこもりを続けることはできないという自覚はある。だが、この社会で最終学歴が高校中退の27歳にどのような選択肢があるというのか。ただ就業することはできるだろうが、それが世間で尊敬されるものであることはない。敗者復活の機会はない。

 美冬たちが羨ましい。妹たちには未来がある。すくなくとも、全国模試1位の美冬は春嵐の後を追うことができるだろう。春嵐を上回るかもしれない。

 おれに手はないものだろうか。

 卓上のパソコンを立ちあげる。


 《小説家になろう》にログインすると通知がある。投稿作にコメントがついていた。

 期待してコメントをみる。だが、《ジャガイモ警察》だった。


『TRPGの世界で俺だけがサイコロの出目を自由に決められる』

《感想一覧

 投稿者:ナイトバロン

 ・良い点:テンポはいい。

 ・気になる点:無欲な主人公がチートで俺TUEEEしてハーレムをつくるだけの何度もみた展開。しかも流行りの作品とちがって工夫がない。主人公が何を目標に行動しているのかがわからない。ハーレムにも関わらず、キャラクターが弱く、みんな同じにみえる。セリフも誰が喋っているのかわからない。展開も行き当たりばったりで、作者が何を書きたいのかがわからない。それから、文章作法ができてなくて句読点の位置や数がおかしい。

 ・一言:12話にジャガイモの料理が出てくるのが不自然です。あらすじでは「中世ヨーロッパ風ファンタジー」となっていますが、ジャガイモは南米原産の作物です。コロンブスがアメリカ大陸を発見するのが1492年、中世が終わるのが東ローマ帝国の滅亡する1453年です。中世にジャガイモは存在しません。自分の書かれる時代のことを勉強したほうがよいのではないでしょうか?》


 《ジャガイモ警察》とは中世ヨーロッパ風ファンタジーにジャガイモが登場するのを見つけると、それが歴史的に誤っていることを主張するひとびとの俗称だ。ジャガイモに限らず、歴史との相違の全般で同じことをする。そういうひとびとは時代考証が正確であることの作品への影響には関心がなく、ただ自分の知識を誇示したいだけだ。

 気分が鬱屈していたところに、期待を裏切る反応で、しかも自分の作品にケチをつけられたことに激昂する。怒りのままに返信を書く。


《・返信:「わからない」を連発していますが、投稿者さまに作品を読みとる能力がないのを作者のせいにしているだけではないでしょうか? ジャガイモについてのご指摘ですが、作品の舞台となる地理は架空のものです。それが地球のヨーロッパ大陸の歴史上のある時点と同じ植生でなければならない理由は何でしょうか? その程度の見識で他人の作品に助言できるなど大したものです。むしろ、投稿者さまに「お勉強を」と言いたいです。》


 送信する。画面上に反映する。それをみると、興奮した気分がやや落着いた。長く吐息を漏らす。

 だが、この作品はダメだろう。『TRPGの世界で俺だけがサイコロの出目を自由に決められる』は、異世界に転生した高校生、佐藤昴が1人だけその世界がTRPGの作中であるという自覚をもち、サイコロの出目を操作して活躍するという物語だ。しかし、主人公の能力が強すぎて単調な展開になってしまった。

 簡単に最終話を書く。主人公は末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし。投稿し、作品情報を《連載中》から《完結済》にする。さようなら。リザ、ルゥ、ロゼ、レイ。

 《小説家になろう》に投稿をはじめてから長い。ポイントを稼ぎ、ランキングの順位を上げる要領はわかっている。何より大事なのが更新の頻度だ。同じ分量でも、分割して投稿し、更新の回数を増やしたほうがいい。

 他に人気の出る理由は偶然によるところが多い。おそらく、キャラクターがファンを獲得することにかかっているのだろう。個性があるということではない。むしろ、キャラクターの個性は読みやすさを損ない、読者を得る妨げになる。キャラクターの造型はあくまでテンプレートでなければいけない。だから偶然なのだ。そのため、ランキング上位にはいるためには多数の作品を投稿し、人気の出なかったものは削除するという戦略がもっとも有効になる。

 《小説家になろう》の投稿作から書籍化した作品でも、サイトでのPV数やブックマーク数、ポイント評価の総計と売上は相関しない。それでも、サイトのランキングで上位になっていなければ書籍化されることはない。

 《小説家になろう》では、400人に1人が書籍化を経験し、3000作に1作が漫画化する。さらに3万2000作に1作が映像化する。

 累計発行部数100万部のような作品の著者になれば、もはや社会的地位に悩むこともない。

 おれは頭を抱えた。

 わかっている。そうした夢想に現実味はなく、ただ現状の認識を先延ばしにしているだけだ。

 だが、ならどうすればいいというのだ。

 新作を書きはじめる。

 おれは悪い人間ではない。攻撃的な性格ではないし、弱者をいたわる道徳心ももっている。もしおれが富と権力を手にしたら、それを他人のために使うことができるはずだ。だが、この社会でおれが認められることはない。

 おれがやり直すことのできる社会を考える。

 『真面目系クズの異世界下剋上』。新作の題名だ。はじめの数話はまとめて投稿する。

 こんなことを続けても、何の解決にもならないことはわかっている。

 そろそろ美冬たちの帰宅する時間だ。バイトの面接にいかなければならない。

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