1日目②


     *


 居間にいくと、中学校のセーラー服にエプロンの秋加が朝食を配膳していた。

 おれに気づき、声をかける。

「あ。お兄ちゃん、おきたんだ。おはよう」

 中学3年生の秋加はこの家でもっとも身長が高い。おれの2歳年下の妹の春嵐は秋加を上回るが、大学進学でこの家を出た。就職したいまは国内にすらいない。

 秋加は身長が170センチをこえている。陸上部で短距離走をしているらしいが、中学生でこの身長なら、それだけで優秀な成績を出すことができるだろう。身長と大きな胸に見合わず童顔で、垂れがちの目をしている。髪も短くしていた。

 おれをみて微笑む。

「よかった。今日、お兄ちゃんの大事な日だからおきてくるんじゃないかと思って、朝ごはんを用意しておいたんだ」

 米飯とみそ汁、鮭の切身、サラダ、温泉卵という、和風の朝食が食卓におかれている。

 いつもはおれが昼過ぎにおきると、誰もいない居間にラップをかけた昼食が用意されている。

 スマホをいじっていた夏未が、食卓で不機嫌そうに頬杖をつく。

「そんなブタのために食事を用意してやることはないって。だいたいさ、女が料理するって構図が旧弊ッしょ」

 美冬がおだやかに言う。

「それで秋加を批難するのは不適当です。たしかに家父長制にもとづく性役割分業は労働の移動を妨げ、機会利益を減少させます。ですが、家内労働そのものを否定するのは不当です。そもそも、いまのわが家は女4人、男1人なのですから、女性が仕事を負担するのは自然ではありませんか?」

「お姉もよくそれだけ舌が回るよね。だてに生徒会長をやってないし」

 夏未がため息をつく。

 美冬はいそいそとおれに近寄る。

「お兄さま、《あーん》してくださいませ。いまの家長はお兄さまなのですから、上げ膳、据え膳で食べさせて差しあげます」

「速攻で前言と矛盾してるし!」

 夏未が怒鳴る。

「おかわりがいるなら仰ってください。よそってまいります」

「お兄を甘やかさないでよ。ッたく、1人目がこれならパパとママが知的エリートのくせに6人も子供をつくったのも納得だわ。まして、男はお兄だけだし。その末娘がまた引きこもりになるんだから、どうしようもないし」

「つゆりはおれ以上の引きこもりだぞ。昼間も部屋から出たところをみたことがないしな」

 夏未が眉をひそめる。

「なに妹を引合いに出して自己弁護してんの? ウザ」

「おれはただ事実を言っただけだ」

 突っかかられ、思わずムッとする。

「言いわけすんなし。だいたい、つゆりは今年までママにくっついてスイスにいて、それで日本の学校に馴染めなくて不登校になったんだし。ニートのお兄と一緒にすんなし」

「学校がちゃんと英語を話せる教員を雇わないから、こうなるんだよな」

「スイスの公用語はフランス語ッしょ」

 夏未が軽蔑したように言う。

「つゆりが家でも言葉を発しないのが心配です。英語でしたら、わたくしも日常会話ができます。お母さまの研究環境を考えると、つゆりもむしろ英語に馴染みがあると存じますが、英語で話しかけても応えません」

 そう話しているうち、居間につゆりがきた。

「つゆり、おはようございます」

 美冬の挨拶を無視する。

「コラ。美冬姉に《おはようございます》は?」

 夏未が咎める。

 つゆりはシリアルの箱と牛乳、シュガースティックをとってきた。皿にシリアルを盛り、牛乳を注ぎ、砂糖をかける。

「そんなものを食べない。お姉ちゃんがせっかく朝ごはんを用意してくれたんだから。ね?」

 つゆりは黙然と食事をはじめた。

 秋加がかばう。

「日本にきてからまだひと月だし、和食が口に合わないんだよ。でも、シリアルだけじゃ栄養が偏るから。バナナを食べる?」

 つゆりが黙ったまま頷く。

 秋加は台所からバナナをとってきて、剥くと果物ナイフで輪切りにし、シリアルの皿に落とした。

 つゆりは丈の大きいシャツに短パンという楽な服装だ。12歳の年齢以上に幼い。身長は低く、手足が細い。顔も小さく、あどけない面差しだが、目が大きく、睫毛が密に生えていて、美人になるだろうことを予想させる。細い髪質の髪を背中まで伸ばし、左右で2つに結わえている。

 夏未は頭を抱え、顔を伏せた。

「はァ。ロバート・アルトマンかコーエン兄弟の映画じゃあるまいし、どうしてこの家はこんな奇人ばっかなんだろ」

 口にして、慌てて言い添える。

「つゆりが帰ってこなかったほうがいい、って意味じゃないからね」

 反応はない。

「かたなしだな。おい、ギャル子」

「ウザ。…マジで死ねばいいのに」

 夏未は本気で不快そうにした。

「こんなんで来週ちゃんと春嵐姉を迎えられんのかな」

「心配いりません。そのためにお兄さまも決心してくださいました」

「コンビニのバイトをはじめるだけッしょ。ま、11年間、引きこもりだったお兄が働くんだから大進歩かもね。春嵐姉もお兄がニートからフリーターになってたら安心するッしょ。外面をとりつくろうだけかもしんないけど、1年ぶりに帰国する春嵐姉に心配をかけたくないし」

 美冬が上目遣いでおれをみる。

「わたくしはお兄さまが雌伏のときを過ごし、鋭気を養っているのだと存じています。お兄さまはニートやフリーター、正規雇用といった、労働者の身分に当てはめることのできない方です。ですが、お兄さまの真価を理解しない世間の下賤なひとびとが、そうした外面的なことでお兄さまを非難するのも事実です。そうした非難をかわすため、労をとるのも有用かと存じます。お兄さまが店員になれば、そのコンビニは日本一のコンビニになります!」

 美冬と夏未に押しきられ、今日、おれはコンビニのバイトの面接を受けることになっていた。電話で予約も済ませている。他人と話すのが久しぶりなので、かなりどもった。電話の相手先は不審そうに何度もきき返したが、最終的に意図は伝わった。

「お兄さま。証明写真と履歴書は用意できていますね? あとは実印だけあれば問題ありません。今日は生徒会と部活動をお休みして、はやく帰ってまいります。お兄さまのご出陣に付添いいたします」

 夏未が顎を上げておれをみる。

「ウチも今日は早めに帰るわ。つーか、見張ってないとバックレるかもしんないし」

 夏未の予感は的中していた。すでにおれは面接にいったことにして、予約を断ることを考えていた。他人と接することの重圧に胃が痛み、すでに義務感より忌避感が勝っていた。が、これで逃げることもできなくなった。

 秋加が小さくガッツポーズする。

「お兄ちゃん、ファイトだよ」

 つゆりは無反応だ。

 憂鬱な気分だった。

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