第4話
「……」
「……」
「……」
「困る」の次は沈黙か。啞でもなし。愛想でもなんでも続ければよかろうに。
「……」
「……」
「……」
落ち着かぬ様子である。奴らめ。そろそろ息が詰まってきたのではないだろうか。三者一様に一文字に閉じた口が半分開きとなり始めている。まったくなんと見苦しい様か。頭の中に石でも詰まっているような白痴然とした間抜け面は眺めているだけでうんざりとさせられる。見るに堪えん。もはや内容の如何などどうでもいいから、早々に決断をくだしてしまえ。
「どうしたら、いいとお思いですか?」
「はぁ……まぁ、飼われるのであれば、可愛がっていただきたいと存じます」
聞いているだけで頭の痛くなる会話だ。こいつらは本当に霊長の頂点に立つ生物なのだろうか。その姿形を擬態した単細胞生物なのではないかと疑いたくなる程の短慮賎俗な思考である。社会に庇護されておらねば、とうに死んでいよう。
「利発そうな犬ですから、そう手間はかからないと思いますよ」
斯様な者共に俯瞰されるのは屈辱的だ。すぐにでも喉元に喰らい付いてやりたいのだが、怪我の不調でそれが叶わぬ。つくづく、自由が利かぬのが悔やまれる。
「とっても良い子ですよこの子。落ち着いていますし」
どうやらナースというのは愚鈍でも務まるらしい。私の活力のなさを、はんなりとした風に見えるようだ。しかし左様な言葉で意思を決めるようなら、この雄の薄志弱考ぶりに同情するところであるが、さて、どう答える。
「……分かりました。飼います。この犬」
そうか。同調圧力に屈したか。命を飼うなどという欺瞞に満ちた慈善に手を染めるのだな。流されるままに承諾する無責任な輩が命を管理すると。これは愉快。なんともはや救い難い喜劇である。自身の選択すら他者に委ねるような惰弱者が結構な事だ。
「あら本当」
「いや、よかった」
微塵もよくない。死に向かう道程を勝手に捻じ曲げ、挙句、その延びた寿命をどうしようかなどという身の毛もよだつ狂気の惨劇をどう見たら良となるのか。渦中にいる私の心中を考えてみよ。気楽に「よかった」などといえはすまいぞ。こいつらは思慮が足りぬのか。
「では、諸々のお手続きなどについてご説明させていただきますので、こちらへ……」
去って行きおった。私を引き取る、引き取らないという話しだというのに、当の私を蚊帳の外に置き事を進めるというのか。エゴの極みである。ここまでの茶番を鑑みると、今更言っても仕様がないのではあるが、釈然としない。
それにしてもあの三匹。まるで死に対して関係ないという態度であった。口にこそ出さねど、私の生などとは比べるまでもなく自らの生の方が尊いと言っていたように思える。人という種族に生まれた所以の尊大か傲慢か、あるいら平和に呆けているのか知らぬが、自分たちはまだまだ死なぬと。死など非現実的な事情であるといった様子であった。
確かに人の世は一見泰平安穏としている。天敵がいるわけでもなく餌にも困らぬ。夏も冬も適温に保つ便利で頑丈な家屋もある。だが、それでも生きている以上は死ぬ。永遠はなく永久は訪れず、久遠の時を経ても必滅が理なのである。それをあの三匹は、死ぬのは目の前に横たわる私ばかりだと思い違いをしている節が見受けられた。恐らく奴らは、いや人間というのは、生きていく為の保証がされているせいか、命の保証まで確約されていると信じているに違いない。野良で生きてきた私からしたらなんともお笑い種であるし、哀れでもある。まだあの軽薄な烏の方が生物として正しいと言えよう。
先の三匹が私の命運を安易に決しようとしたのは、皆自分の生命が当たり前にあると思っているから、死に想像が及ばず頓着がないからで、そもそも人間以外の命に価値はないと思っているから、犬であるという理由だけで軽率に生かす殺すという話ができるのだ。私の命などは軽いものだが、それは人間とて同じである。犬と人の命の重みにどのような違いがあるというのか。いずれも産まれ、生き、死ぬだけではないか。種として繁栄を望む以上、個が種の命を尊重するのは当然ではある。しかし、人間以外の動物は生においてそれ以上の価値をおいていない。生きているから生きねばならぬというだけで、命に関してそれ以上の優劣もないし、付加を見出したりはしていない。他の生物は捕食被食の対象であるか、無関係なだけである。だが人はどうだろう。愛玩化に始まり、同種を、事によれば異種を掛け合わせ種の存続そのものを捻じ曲げる、摂理に反する行為を平然と行うばかりか、嗜虐欲求を満たす為に嬲り殺す事も珍しくない。これを人という種そのものの業と言わずして何と言おう。人間というのは己の力で他の命を操作できると思い上がっているのだ。あのドクターにしろ雄にしろ、本人にしてみれば私を助けたつもりとなり気分はいいだろうが、勝手な都合で存命させられた私にしてみれば堪ったものではない。その上これから先、あの木偶の坊の愛玩動物として生涯を終えねばならぬとあらば、それは悲劇でしかない。
これから私は己が身に降りかかった絶望に、死んだ方がましだと嘆き続けねばならぬだろう。かといって自死する程に堕落するわけにはいかぬ。故に当面の課題は、これからの生き地獄を如何にして過ごすかである。まったく、厄ここに極まれりだ。
「では、先程申し上げた通り、この子はしばらくはこちらでお預かりします。最後に撫でて、お帰りください」
「はぁ……」
気付けばナースと雄が入室している。思案に耽り、感覚が鈍くなっていたようだ。療養の身とはいえ迂闊が過ぎた。情けない。
かくして私は人間の雄に引き取られる事となった。
その日の最後に私を撫でた雄の手はなよとして頼り甲斐がなく、血が通っていないかのように冷えていて、なんとも不吉であった。
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