銀河アイドル対帝国

marvin

銀河アイドル対帝国

 指先が、全身が、リズムに乗ってくるくる跳ねる。つられて上を向いちゃいそうな伸びる声、鼻息で床に穴が開いちゃいそうな決めのフリ。ときに強くて、ときに甘いその歌声が、ぼくの身体を引っ張っていく。

「誰だっけ? その娘」

 惚けた肩越しの声に台無しにされて、ぼくは尖った耳より先にフーを振り返った。

「長浜マロンだよ。知らないの?」

 目の前のモニタで弾む緑の髪の女の子は、押しも押されぬガラクティクスのアイドルだ。

 フーは困ったようにぼくを見た。まるで怠惰な猫のように長椅子に身体を伸ばしたまま、言葉を探して考え込んだ。

「ずいぶん古風な名前だな」

 やっと出た感想ががそれ? ぼくは吸った息を全部溜息にして押し出した。


 ぼくはフィンカ。れっきとした女性名を持った十五歳。でもフーはまだ幼名でフィンと呼ぶ。ガラクティクスに暮らして一年足らず。たぶんこの世界でたったひとりのエルフだ。

 フーことフースークはひょろりとした男の人。先の丸い耳と、身体がくすぐったくなるような黒い黒い瞳をしている。相対的に無限に財産のある地球領主のひとりで、帝国の専門家。この家と地球の十三分の一はフーの持ち物らしい。格好いいけど物ぐさな人だ。

 ぼくの元いたところは飛行機さえなかったけれど、ここは宇宙に船が飛んでいる。ガラクティクスは銀河の四分の一を占める人類版図、いわゆる地球が出自のアースリングの世界だ。ぼくはいま、この世界でフーと暮らしている。


「もう、あんまり疎いと置いてかれちゃうよ?」

 フーに噛みついたぼくは、振り返って壁いっぱいの三次元モニタを指さした。

「見てよ、このステージ。恰好いいんだから」

 ぼくの目の前を駆けて行くのは、少し歳上の女の子。大きな目、虹色の肌、頸の黒いチョーカーがかっこいい。ガラクティクスでいちばんの人気アイドルだ。彼女を知らないなんてフーはどうかしてる。

 そもそも、ガラクティクスはいま空前のアイドルブームだ。マロンちゃんを筆頭に、アイドル関連コンテンツだけでデータストリームの娯楽エリアは規定容量を超えている。

「そういや最近、多いな」

 ほら、世間に疎いフーでさえそう感じてる。本当は、ぼくがアイドルチャンネルばかり観ているせいもあるけれど。

「マロンちゃんだけじゃないよ、グループも多いんだ。Chu!リトルとか、シャイニー・トラペッツとか。『Yeah!Yeah!マスター』なんてよく流れてるでしょ。聴いたらはきっとまっちゃうよ?」

「深淵にな」

 うんざりしたような声でフーは言った。

 不意に間の抜けたチャイムが鳴った。歌うマロンちゃんのすぐそばに、来客のマーカがポップした。玄関のないこの家では、人のいる部屋にお知らせが届く。三次元モニタの実寸映像だ。

「あのう」

 丸い身体に細長い手脚をくっつけた男の人が、不安気にこちらを覗き込んだ。

「失礼ですが、あなたがフースーク?」

 どんな人を想像していたのか知らないが、相手は意外そうな目でフーを見た。一緒にいるぼくに気づいて目を丸くする。この世界にはエルフなんていないから、仕方ないけど。

 口籠り、幾度かアドレスを確認し、軽く咳払いをしてからようやく再び口を開いた。

「私、青島トラジと申します。長浜マロンのプロデューサーをやっております」

 すぐ隣で踊っている女の子と見比べて、ぼくは思わず声を上げた。


 アイドル界を席巻する長浜マロンは、ずっとプロデューサーと二人三脚だ。ガラクティカデータストリームの芸能チャンネルは、基本が小数運営なのだ。プロダクションが寡占した時代や、ストリームマーケティングがアイドルを運営する時代もあったけれど、結局、多種多様のファンに対応した八方美人は凡庸になって廃れてしまった。

 三次元モニタでぼくらと向かい合ってしばし、プロデューサーの青島トラジ氏はようやく要件を切り出した。

「実は、マロンがわけのわからないストーカーにつき纏われているのです」

「ストーカー? マロンちゃんが?」

 思わず聞き返した。ストーカーなんて、陽にあたると灰になるイメージがあったから、お日さまみたいなマロンちゃんには無関係だと思っていた。だいたい、あのはち切れそうな明るさに誰が影を差そうと思うのか。ぼくには想像もできなかった。

 ぼくはふとトラジ氏の視線に気づいて目を合わせた。なぜかさっきからチラチラとぼくを見ている。嫌な予感がした。

「きみ、その耳はどこで流行っているの?」

 身を乗り出したトラジ氏から、ぼくは慌ててフーのそばに逃げた。モニタ越しでも感覚置換マーカーで触れるからタチが悪い。匂いだって再現する。ぼくはお尻でフーを横に追いやって、長椅子に割り込んだ。

「生まれつきです」

 耳を押さえてうーっと睨む。ガラクティクスのは人達は、なぜかぼくの耳を気にかける。整態や改造を延々と続けて、自分たちの方がよほど人間離れした格好をしているのに。

 そんなことより話の続きをしてよ。問題はマロンちゃんのストーカーじゃないか。

「何だって僕のところに来たのさ。業界専門の警護や制裁サービスなんていくらだってあるだろう?」

 フーは何気に怖いことを言って、トラジ氏に首を傾げた。手持無沙汰な手でさり気なくぼくの髪を撫でる。子供扱いは気に入らないけど、ぼくはしばらくじっとしていた。

「それが、そのテにはいくつも依頼したのですが、まったくストーカーの正体が掴めないのです」

 トラジ氏は困り顔で応えた。丸い顔の中央に目鼻が寄って、絵本で見た卵男のようだ。

「悩んだすえ、公安局に伺いまして」

「まあ、ふつうは順番が逆だけどね」

「そちらの紹介であなたを。こういう問題はお得意だとか」

「こういう問題?」

 いやな予感がした。フーの表情を覗き見ると、案の定、顰め面をしていた。

 公安局が斡旋したとなると、裏で采配したのはアガスティアだ。アガスティアはガラクティクスの根幹にある大規模な予測システムで、未来に調和しない不条理を嗅ぎ分けることに長けている。フーに話を寄越したのなら、恐らくそのストーカーは帝国に絡んだ厄介事に違いなかった。


 ガラクティクスはいま、とても大きな問題を抱えている。帝国と呼ばれる世界とのコンタクトについてだ。自己完結しようとしたアースリングの、驕りと油断が招いた問題だった。

 帝国は、途方もなく広くて、途轍もなく古くて、数え切れないほど姿形や考え方の違う人たちが暮らしている。もちろん、人でないものも。正式な総称はなく、帝国と呼んだのが定着したのだそうだ。ガラクティクスでさえ帝国に比べれば米粒ほどの新参者に過ぎない。

 ガラクティクスにとって、帝国は予定調和の外にある存在だった。八〇〇年の安寧が消し飛ぶ可能性もある。だから、本格的な交流に二の足を踏んでいるのが現状だ。

 その帝国の唯一無二の専門家が、なぜかフーなのだ。だからこうして、アガスティアが帝国絡みのトラブルだと断じた案件は、無条件でフーのところに来る。マロンちゃんのストーカーも、きっとそうだと判断したのだろう。でもどうして?


「もう、他に打つ手がないのです」

 トラジ氏は、縋るような目をぼくらに向けた。

 こんな長椅子から半分ずり落ちたような格好のフーに懇願するくらいなのだから、よほど困っているのだろう。聞くところ、まだマロンちゃんに実質的な被害はないけれど、対処の当てがないことが不安でたまらないという。

「何て聞いたかは知らないが、ストーカーなんて専門外だ」

 トラジ氏が帝国絡みの案件だと知らないのをいいことに、フーは逃げ出そうとしている。

「腕の良い探偵だと伺ったのですが」

 トラジ氏の拗ねた声に、ぼくは思わず身を乗り出した。

「探偵って言った?」

 データストリームを騒然とさせた、かの宇宙大帝の事件以来、探偵といえばこのぼくの役回りだ。光速電神事件やサイコアーマー事件なんて、ぼくなしには未解決だったはずだ。この間のアタランテの一件で探偵なんてやめるって言ったけど、やっぱり探偵はぼくの天職だ。

「勘弁してくれ」

 フーはぼくの襟首を掴んで長椅子に引き戻した。ぼくが事件で活躍すると、たいていフーが面倒事に巻き込まれてしまう。フーはそれがいやなのだ。そう多くはないけれど、たまに身体を真っ二つにされたりもするから。

「マロンちゃんが困ってるんだよ? 助けなきゃ」

「お願いします。初のリアルライブも間近なのです。いま何かあっては困ります」

「僕には関係な」

 フーを長椅子の端にぎゅうと追いやって、ぼくはトラジ氏に頷いた。

「引き受けましょう、このぼくが」

 苦い顔をするフーを無視しして、ぼくは胸を張った。


 かくして、ぼくとフーは家を出て、一路マロンちゃんとトラジ氏のいるスタジアムに向かった。物理的には五〇〇〇光年ほど離れているけれど、フーは世界のあちこちに秘密の扉を持っていて、手近な場所から最短の航宙路で三日ほどの船旅だった。

 本来、扉は帝国の主要インフラで、公的にはガラクティクスにほとんど存在しない。ぼくの元いた世界の高台に浮かんでいるのは、フーの造った模造品だ。フーたちハイランダーは、その扉からぼくの元いた世界に来たのだ。

 マロンちゃんは、ゴルディロックス=ペルセウスにあるオリエンタルスターパレスのリアリオンスタジアムで来るライブの追い込み中だという。その舌を噛みそうな名前のせいで、ぼくとフーは二日ほど迷子になった。

 この世界を知らないのはぼくの方なのに、迷子になるのはいつもフーせいだ。もちろん、フーと一緒ならどこだって楽しいから問題はないけれど、今回はガラクティクス最大のアイドルがピンチなのだ。

 スタジアムに着くと、ぼくとフーには最高権限のスタッフ認証が通っていて、ステージの奥まで直行だった。奥に行くほど人の数は減って、ボットだけが慌ただしく走り回っている。最深のスタッフルームには、重力で少し潰れ気味のトラジ氏と本物のマロンちゃんだけがいた。

 緑の髪に大きな目。肌は真っ白で艶があり、虹色のラメが反射している。ピンクのタンクトップに短い丈の白いジャケット。お揃いのスカートはすごく短くて、ブーツはサイハイ。頸に着けた黒いチョーカーが、全身をぴりりと引き締めていた。

 ちょうど衣装合わせか撮影の途中だったのだろう。

「うわあ」

 三次元モニタがどれほどの再現率でも、やはり目の前の本物には敵わない。

「こんにちは。素敵な耳ね」

 マロンちゃんはそう言って、ぼくに向かって微笑んだ。

「お名前は? どこのチャンネルにいるの? 今度、私と一緒に出てみない?」

 ぼくはいっぱいいっぱいでよくわからなかったけれど、何だかとんでもない誤解をされたような気がする。

「あの、あの、ぼくは」

「探偵さんと助手の方だよ」

 そうだった。探偵はぼくの方だけれど。

「えっ?」

 トラジ氏の紹介に、マロンちゃんの表情が凍った。怯えたように両の肩を抱く。まるでお陽さまに雲が差したようだった。ストーカーのことを思い出したのだろう。

「衣装合わせの途中だろう? きみは部屋に戻っていなさい」

 トラジ氏はそう言って、不安気なマロンちゃんを遠ざけた。名残り惜しく見送った後には、瓜と若葉の残り香があった。これが本物のマロンちゃんの匂いだ。

「どうぞこちらへ」

 部屋の施錠を確認して、トラジ氏は奥にある三次元モニタに向かった。気の乗らない顔をしたフーを引きずるようにして、ぼくはトラジ氏について行った。

「これがストーカーのメッセージです」

 そう言ってトラジ氏ははモニタに手をかざした。

 ひと抱えほどの立方体に、ぼろんとおっぱいが飛び出した。

 申し訳程度のパッチを貼った、すごく立派なおっぱいだ。音声はない。正確には、身体を捩っておっぱいを振るたび、ぽよん、ぽよんと音がした。

 つい見入ってしまったけれど、これは映すものを間違えているのでは?

「これだけではないのです」

 なのにトラジ氏はそう言って映像を横に弾いた。三次元モニタにまた、ぷりん、ぷりんと大きな胸が溢れ出た。

「いえ、あの」

 ここは突っ込むところだろうか。どうしてそんなに真面目な顔をしているんだろう。これがうわさに聞くセクハラというやつか。

 不安になってフーを振り返ると、フーは食い入るようにおっぱいを見つめていた。崩れそうになる膝を堪えて、ぼくは思い切りフーを蹴飛ばした。

「見るな」

「まだまだあるのです」

 トラジ氏が悲壮な顔をして掌を振った。

「まだまだ、まだまだっ」

 次々と凄い勢いで映像を送る。次から次へとおっぱいがこぼれ出た。まるでおっぱいの平手打ちだ。ぼくの目線が、ぶるん、ぶるんと左右に揺れる。

「いい加減にしろ」

 思わずトラジ氏を蹴り飛ばした。どうしてこうも立派な胸ばかりなのだ。ぼくへの嫌がらせか。

「申し訳ない。ついかっとなって。これがストーカーのメッセージなのです」

 我に返ったトラジ氏が、起き上がりながらそう言った。

「えー」

 ぼくは思い切り耳を伏せた。本当なら、さすがに嫌だ。

 フーが調べるなんていやだったから、ぼくがしかたなくおっぱいをよく見ることにした。どれもマロンちゃんの胸よりすごく大きい。マロンちゃんのは、どちらかというとぼく寄りだ。親近感がある。そうか、この画像は当てつけかも知れない。ストーカーというより嫌がらせだ。ふと、匂いに気づいた。モニタの分子合成が湿った土と瓜の匂いを流している。かすかにマロンちゃんの香りをまねているようだ。

「彼女はこれを?」

 フーがトラジ氏に訊ねた。

「もちろん見せるつもりなどなく、ずっと隠して来たのですが」

「見ちゃった?」

 可哀そうに。さぞ悔しい思いをしたに違いない。

「うっかり見つかって以来、彼女はすっかり怯えてしまって」

 おっぱいが怖いんだ、マロンちゃん。その気持ちはぼくもわからないではない。

「発信元が突き止められなかったって?」

 フーがトラジ氏に確認した。そうだ、確かそれでフーのところに依頼が来たのだ。ぼくは我に返って意識を二人の遣り取りに引き戻した。

「ストリーム内で信号を見失ってしまうとか」

「まあ、そうだろうね」

 フーは意味ありげにそう言って頭を掻いた。あれは自分の中の物ぐさをどうしようかと思案している顔だ。面倒と戦っている。

「どういうこと?」

 フーの袖先を引いて、ぼくは訊ねた。

「こっちにない信号だから、意図解析ができなくてノイズに処理されたんだな」

「それって、やっぱり帝国の?」

 思わず口に出してしまった。トラジ氏はきょとんとしている。当然だ。月の話をしていたら、すっぽんが出て来たようなものだから。

「帝国ですって? 帝国がなぜ、マロンにストーカーを」

 不意に響いたけたたましい警報に、ぼくらは飛び上がった。何だろうと問う間もなく、トラジ氏が真っ青になって部屋を飛び出して行った。

「マロン」

 トラジ氏が叫んでいる。彼女の部屋の警報だったに違いない。ぼくは慌ててトラジ氏を追い掛けた。

「な、な、な、何者だ」

 悲鳴のような誰何に追いつくと、トラジ氏は真っ黒でてかてかしたおかしな集団と対峙していた。ざっと見ただけで十数人、通路を埋めて扉の前に陣取っている。半ば開いた扉から、数人がかりでマロンちゃんを引っ張り出そうとしていた。

「マロンを放せ」

 トラジ氏は果敢に飛び出した。が、そのまま仰け反って床にひっくり返った。頭を打って昏倒する。やられたというより、相手の突き出した手に自ら突っ込んで行って自爆したようだ。

「プロデューサーの役立たず」

 悲鳴を上げていたマロンちゃんも容赦がない。

 ぼくはトラジ氏の屍を越えて飛び出した。つもりが、彼の丸いお腹を踏んでしまい辺りに蛙の断末魔のような呻き声を響かせた。

 黒いてかてか集団が飛び上がり、ぼくを振り向いた。相手が呆然とするすきに、僕はマロンちゃんを掴んだ何本もの腕を払いのけた。

 マロンちゃんの前に割り込むと、黒いてかてか集団はぼくに掴み掛かって来た。必死に振り払うもきりがない。ぼくはとうとう手脚を押さえられ、黒いてかてか集団に抱え上げられてしまった。通路の天井が目の前に迫り、発光パネルに目が眩んだ。もがいても、もがいても振り払えない。

「やめて、その子は関係ないの」

 マロンちゃんが叫んだ。黒いてかてか集団は、ぼくを抱えた上げたままぶるぶると震えて、どういうわけかそのまま走り出した。

「おーい」

 ようやく追いついたフーの間の抜けた声が遠ざかって行った。


 あれからぼくは、延々と目の前を過ぎて行く天井の継ぎ目を数えていた。気を抜くと寝てしまいそうだ。何しろこの人たちは一言も喋らない。息遣いさえ聞こえない。抱え上げて攫ったくせに、何となく扱いが丁寧だ。

 マロンちゃんは無事だろうか。どういうわけか攫われたのはぼくだけだ。

 気づけばぼくは、ステージ裏か資材置き場のような、何もない大きな空き部屋に担ぎ込まれていた。連中は薄暗い壁際にぼくを降ろすと、大勢で遠巻きに取り囲んだ。思ったより数が多い。しかも全員が同じ格好をしている。

 真っ黒でてかてかしているのは、どうやら顔までつるんと覆われたラバースーツだ。顔の凹凸は微かに目鼻の辺りだけ、口許は小さな穴の開いた丸い玉が嵌っている。しかもよく見れば、大きな胸をこれ見よがしに強調した、裸のようなシルエットの女の人ばかりだ。

「どうしよう、変態だ」

 ぼくは思わず呟いた。

 不意に目の前の変態が、両手を上げて身体を前後にくねらせ始めた。大きな胸が、ぱるん、ぱるんと立て続けに揺れた。呼応するように周りの変態が、やがて全員が、ばよん、ばよんとくねり始めた。

 頭がおかしくなりそうだった。

「助けて、フー」

 思わず叫んだその刹那、金属の打ち折れる音が響いた。

 音というより振動に反応するように、変態集団が一斉に振り返った。変態の隙間に見えたのは、ひしゃげて落ちた扉の上に立つフースークだ。

 何て格好良いんだろう。やっぱりぼくのフーは素敵だ。そう思ったのも束の間だった。

「フー?」

 腰に手を当て立ちはだかるフーは、なぜか胸許に大きなくす玉を二つぶら下げていた。

 格好良く決めた表情のまま、フーは不意に腰をくねらせはじめた。

 変態集団が騒めいた。身震いしながら後退る。フーが激しく腰を振るたび、胸のくす玉がころん、ころんと跳ねて意図を立てた。何となく緊迫した雰囲気はわかるのだけれど、ぼくはただ頭痛に耐えて呆然と見守ることしかできなかった。

 だが、遂に黒い変態集団はそれぞれに身体をくねらせ、その場に崩れ落ちた。

「フィン、大丈夫かい?」

 うずくまって震える黒いてかてか変態集団を縫ってフーが歩いて来る。ぼくはフーに駆け寄って、ひしとしがみついた。胸のくす玉が頭に当たってすごく邪魔だった。

「もうやだ」

 警備ボットが駆けつけた。颯爽と現れたフーにくらべて随分おっとり刀の対応だ。帝国絡みの無用な騒乱を避けるため、フーが敢えてそうしたのかも知れない。

 アースリングも多種多様で、今となっては人間離れした形態も多いけれど、さすがにこれだけの黒いてかてか変態集団には警備ボットも困惑した様子だった。フーは超越法規を仄めかし、適切な引き取り手が来るまでは見て見ぬ振りをするよう彼らに言い包めた。

 もっとも、黒いてかてか変態集団はすっかり大人しくなっていて、時折ぷるぷると胸を振る以外は、うずくまったり寝転んたりしたまま動かなくなっていた。むしろ立って歩くことすらできなくて、警備ボットは仕方なく彼らを壊れた人形のように引きずって行った。


 黒いてかてか変態集団を人目に付かないよう隔離したあと、ぼくらは二人の待つ部屋に戻った。

 トラジ氏はなんとか無事だったようで、おなかについた足型も連中のものだと思っているようだ。丸い身体をいっそう丸めて、ぼくらに礼を言いった。

 マロンちゃんは何度もぼくの無事を喜んでくれた。視線が擽ったいくらい。けれど、マロンちゃんはなぜかフーを警戒している。そんな素振りを見せていた。もしくは怯えているような。きっと胸にぶら下げたくす玉のせいだ。変態だと思っているのだ。残念だけれど半分正解だ。

 トラジ氏は縋りつくようにフーの手を取り、彼らについて聞かせてくれと詰め寄った。

「あの連中は一体。あの胸の具合、やはり例のストーカーでしょうか」

 一撃で床に沈んだ癖に、見るところは見ていたようだ。あんなのただ大きいだけなのに。フーは仕方ないといったふうに頭を掻いて、トラジ氏に言った。

「あれは、おっぱい星人です」

「ええっ、おっぱい星人ですって?」

 ぼくは真面目な顔をして言うフーの向う脛を思い切り蹴飛ばした。

「いい加減なことばっかり」

「いや、本当、だって、仮称だけど」

 脛を抱えたフーが跳ねながら反論した。

「発声言語じゃないから意訳だけれど、そんな意味だ。帝国疎通圏の人だよ」

 マロンちゃんが言葉を失くして蒼褪めた。いきなり帝国と聞いて納得できるはずがない。変態の方がまだましだ。いや、ましじゃないけど。

 トラジ氏は困惑してぼくらを見渡し、フーに答えを急かした。

「わけがわかりません。マロンと帝国にどんな関係があるというのです」

「え?」

 どうして君が知らないのだ、とでも言いたげな顔をして、フーはトラジ氏を見た。

「え?」

 どうして私が知っているはずがあるのだ、と言いたげな顔をして、トラジ氏はフーを見返した。

 フーは所在なさげにもういちど頭を掻いて、どうやって説明しようかと唸った。

 徐にマロンちゃんを振り返った。表情を欠いて佇んでいたマロンちゃんの肩が、びくりと跳ねた。フーはマロンちゃんに歩み寄り、間近に顔を覗き込んだ(近い近い)。マロンちゃんの頬を両手で挟むと、そのまますぽん、と頭を引き抜いてしまった。

 その絶叫がぼくのだったかトラジ氏のだったか、それともマロンちゃんのものだったかはわからない。たぶんフー以外の全員だ。

 マロンちゃんの身体は、ばらばらになって床に転がった。胴体はそのまま落ちて、肩甲骨辺りで繋がった両手と腰で繋がった脚は部屋の中を跳ね回った。足はひとつにくっついて、器用に辺りを這い回り始めた。

「私、宇宙人なんです」

 フーの抱えたマロンちゃんの頭が、しおらしい声でそう言った。わかりたくないけれど見ればわかる。マロンちゃんに促され、フーは手に持った頭を少し項垂れさせた。指摘されて二、三度角度を調整した。


「私は帝国疎通圏から派遣された扇動員なのです」

 椅子の上に置かれたマロンちゃん胴体が捩れるたび、それに合わせて机の上の首が喋った。マロンちゃんの頭はアースリングの行動翻訳機であると同時に、三つの従属体を統合する装置なのだ。

 マロンちゃんの腕も、脚も、くっついた足も、古くは別個の生物で、おっぱい星人(仮)に従属体として使役されているのだという。このセットの統合体が比較的アースリングの体形に近いということで選ばれたらしい。ただし、これほど長くの統合は稀で、擬態にはかなり無理をしていたようだ。

 腕と脚とくっついた足は、しばらくすると指などの細部が癒着して、虹色のぬるぬるした表皮に変わってしまった。それぞれに跳ねたり、くねったり、あちこち這い回ったり勝手に動き回っている。

 おっぱい星人(仮)の問題は、マロンちゃんの頭のような高度な行動翻訳機をいくつも用意できなかったことだ。マロンちゃんを追ってやって来たあの黒いてかてか変態集団は、最低限アースリングを模した(つもりの)サポートスーツだったのだ。何を参照してああなったのかは知りたくもないけれど。

「擬態期間が長過ぎたのでしょうか。いつの間にか私は長浜マロンとして生きていました。任務を疎かにしてしまったのです」

 それで、痺れを切らした本国の同胞がマロンちゃんにせっせとメッセージを送りつけた。トラジ氏はそれをストーカーだと思い込んでマロンちゃんに隠してしまった。偶然マロンちゃんがメッセージを覗き見たときは、すでに裏切り者を処分するところまで状況が悪化していたというわけだ。

「きみが帝国のスパイだったとは」

 ショックのあまり妙な自己陶酔に嵌まり込んだトラジ氏は、妙にマロンちゃんの脚になつかれて粘液だらけにされていた。

 ただし、トラジ氏の理解は微妙にずれている。おっぱい星人(仮)はあくまで帝国疎通圏の一種族に過ぎないし、スパイというより今後予想されるであろう交渉を有利にするための扇動役といったところだ。民意を動かす作用点になぜアイドルを選んだのかはよくわからないけれど。

「アイドルは民衆の理想となり人を導くもの。私はそうなるために来たのです」

「何か変なコンテンツでも見たのかな」

 マロンちゃんの夢見るような表情に、フーはあっけらかんと突っ込んだ。

「アイドルはファンの理想に従う職業だ。だからきみ、間違えたんだな」

 フーは机の上の頭をつついた。マロンちゃんの本体はその胸なのだから、フーが指摘したのは行動翻訳機の方だろう。そのオートンだ。

「アイドルが理想から外れたら憎まれて捨てられるのがオチだからな。任務を果たすためにはアイドルになり切るほかなかったんだ。きみたち、頭を高性能にし過ぎたんだよ」

 何気に酷いことを言って、フーはマロンちゃんを慰めた。もしくは馬鹿にしたのだろうか。長い擬態の副作用かどうかはともかく、マロンちゃんの頭も目的を慮るほどには高性能だったということなのだろう。

「宗教家にでもなれば良かったのに。勝ち逃げできなきゃアイドルは難しいよ?」

 フーの言葉になぜかトラジ氏は神妙な顔で頷いた。騙されちゃだめだ。フーは適当なことを言っているだけなんだから。

「私は裁かれるのでしょうね」

 マロンちゃんの胸が小さく震えると、机の上の頭がそう呟いた。

「もう捌かれてる感じだから、好きにすれば良いんじゃないかな」

 面倒臭そうにそう応えて、フーはひらひらと手を振った。

 帝国諸種族はガラクティクスの異種族接触憲章の適応外だ。処分を下す公的機関がない。こうしてフーが呼び出されるのは、フーがその権限そのものだからだ。

 フーはそれが面倒でたまらないのだ。

「マロン、君さえよければ」

 跳ねるマロンちゃんの脚を抱いたトラジ氏が進み出た。

「私と一緒にアイドルを続けてくれないか?」

 目線がうろうろしているのは、机の上の頭と椅子の上の胴体のどちらを見るべきか迷っているからだろう。マロンちゃんの胸が大きく揺れた。潤んだ瞳が机の上からトラジ氏を見上げる。

「ありがとうプロデューサー。とりあえず、私の足を捕まえて来てくれませんか?」

 ばたばたと跳ねる脚を抱いたまま、トラジ氏は部屋の外に這い出したマロンちゃんの足を追って飛び出して行った。途中で腕に蹴躓いて転んだ。

「でも、何だってぼくが攫われたんだろう?」

 ぼくはフーを見上げて訊ねた。マロンちゃんを差し置いてぼくを連れて行った意味がわからない。胸だけで識別していたとしても、ぼくとマロンちゃんでは大きさも違う。

「あの拝まれてたやつな」

 フーは頭を掻きながら呟いた。帝国なんて異文化の理屈は、きっと根が深くて解り難いに違いない。フーも言葉にするのが面倒なのだろう。

「拝む? ぼく拝まれてたの?」

 あの、おっぱいダンスのような腹踊りのような、くねくねした動きがそうなのだろうか。

「連中にはフィンの方がアイドルに近かったんだ」

「アイドル?」

「神さまとか憧れとかのアレだ」

 言葉がまどろっこしい。胸をふるん、ふるんさせて、伝えられるとも思わないけれど。

「女の子なのに胸が平らだっていうのが連中の崇拝対象なんだ」

 ぼくの胸を指先でつついて、フーは遠慮も気遣いも何もなく言った。

「貧乳神というか、処女信仰の一種というか」

 ぼくは耳の先を真っ赤にしてフーを蹴飛ばした。フーが何か言おうとしても、ぼくはその無駄に長い脚を何度も蹴飛ばした。

 おっぱいなんか、大嫌いだ。


 ◆


「エルフィンちゃーん」

 フーの声援に合わせて浮遊するペンライトがくるくると踊った。長椅子から身を乗り出したフーの視線は、壁いっぱいに拡がる三次元モニタのステージに釘付けだ。

 駆け回るのは新進気鋭の異世界アイドル、エルフィン。そう、ぼくだ。

 マロンちゃんの事件を切っ掛けに、少しばかりの興味と強引な勧誘もあって、ぼくはガラクティカデータストリームにアイドルデビューしたのだ。マロンちゃんにはまだまだ届かないけれど、チャンネル占有率は急上昇、ぼくの長くて尖った耳は大ブームだ。

 ぼくみたいなつけ耳をするのがファンの代名詞なのだけれど、耳の長いフーを見るのは何だかおかしな気分だった。大体、ステージママやダンサーの格好をして散々ぼくを茶化していた癖に、デビューしたら夢中になるなんてずるい。

 フーの目線が追い掛けるぼくは、とても一生懸命だ。おなかはまる見えだしスカートの裾もすごく短い。自慢したいのと恥ずかしいのとで、ぼくは、いっぱい、いっぱいだった。

「エルフィンちゃーん」

 でも、そのうち腹が立ってきた。フーの間の抜けた顔が見ていられない。ステージの僕に声援を送るフーを睨んで、ぼくは三次元モニタを消してしまった。ペンライトを従えたまま呆然とするフーを長椅子の端にぐいぐいと押しやって、ぼくはフーに背中を押しつけてうずくまった。

 だって、本物のぼくはここにいるじゃないか。

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