仲直りのしるしに②
帰りのHRを終え何故か睨んでくる蒼を尻目に教室を後にした僕は、今朝久保田先生に言われた通り保健室、の前に来ていた。ちなみに保健室は専門教室棟一階にある。
ちょっとの期待を胸に、深呼吸をして保健室にはいると……もう久保田先生がいた。
軽く会釈をして、スライド式のドアを閉める。
「話というのは何ですか? 久保田先生」
まず、用件を訊こう。話はそれからでもいいだろう。
「ええっと、その、言い難いのですが……」
赤くなり俯いて、久保田先生がそこで言葉を区切る。
な、何だろうか? 言い難いってすごく気になる。
「立花さんのことでお話がありまして」
と久保田先生は続けた。
「立花……? 立花って、あの?」
一応、念のために確認する。
「はい。三年生の立花さんです」
――立花春花
名前は漢字しか分からないが日本に於ける大手企業グループ、立花グループのご令嬢。
立花グループは立花家が経営する立花ホールディングスという持株会社と、その傘下の主要子会社で構成されている。いわゆる財閥のような企業グループだ。
立花グループは情報技術、工業、ギャンブルなど幅広い分野で特出した企業グループであり、その活躍は今の日本を支えていると言われている。経済分野ではもちろん、政治分野でもかなり目が効くという噂が流れているが……実際のところは不明だ。詳しいことは僕も知らないが、業種を問わずかなり活躍していることで知られている。
どうして、そんな社長令嬢がこんな田舎の低俗高校にいるのかは……知らない。
昔ここ一帯を統治していた武家とか公家とか、はたまた神社の巫女の一族だったとか、そういう噂なら聞いたことがある。何にせよ、僕とは程遠い存在には違いない。
「実は立花さん、最近精神的に疲れているみたいで」
「疲れている?」
思わずそう聞き返す。
「はい。それもかなり深刻で、ここ数カ月保健室登校なんです」
久保田先生は頷いて立花先輩の現状を告げてくるが……。
「……その立花先輩の話と僕に何か関係が?」
何の関係性も見出せなかった僕は、それを立花先生に訊ねる。
「村雨くんは私が生徒のカウンセラーを担当しているのは知ってますか?」
僕の質問はどこへやら、久保田先生はそんなことを訊いてくる。
「はい、一応は……」
去年までカウンセラーの先生は男性教師だった。だがしかし、カウンセラーは女性の方が適任だろうというPTAの方針によって、この新米教師久保田先生に変わったのだ。
いまいち、その事実が浸透していないので、このことを知っているのは僕と草加くらいなもんだろう。じゃないと、ここ保健室は男子生徒で埋め尽くされているはずだ。
「本当ですか! はああ! 良かった!」
自分がカウンセラーであるとあんまり知られていなかったため、僕が知っていたのが嬉しかったのか、全身で喜びを表現している。久保田先生高校生みたいだな……というか、制服着せたら本当に女子高生、JKだ。
「――村雨くん、折り入ってお願いがあります」
いつの間にか、目の前の美人教師にブレザー制服を着せて脳内着せ替えごっこに興じているイケナイ生徒に、久保田先生はマジメな顔を向けていた。
「どうか、立花さんとお話をしてください!」
腰から九十度に折り曲げて礼、いわゆる最敬礼をしてきた。
い、いけません、いけませんよ! こんなところ男子生徒に見られでもしたら――死。
「あ、頭を上げてください! と、とにかく、詳しい話を聞かせて欲しいです!」
と、慌てふためく僕は詳細の説明を求める。
「す、すいません。私ったら……じゃあ、そこの長椅子でお話しましょう?」
少し赤くなりつつ新米教師感を醸し出しながら、久保田先生が指差した先には――黄緑色のソファがあった。見た限り、ふたり座るのが精一杯なサイズだな。
「は、はい」
これは……さっきの久保田先生に頭下げさせてる図よりヤバいんじゃ……。
と思いつつ、僕と久保田先生はそのヤバいソファに腰掛ける。
そうすると案の定、僕の足と久保田先生の太ももが密着し、傍目から見なくても十二分にヤバい構図になった。なったものは仕方ない……生きて帰ることを目標にしよう。
それからしばらく久保田先生に立花先輩の話を聞いた。
久保田先生はカウンセラー担当になったときから立花先輩に相談を受けていたこと。
肝心の精神的に疲れた原因はさっぱりで本人もよく分かっていないこと。
どうしようもなくなり、ひとまず、誰か近い年齢の人と話をしようとなったこと。
そこで白羽の矢が立ったのが、同じ桜美高等学校に通う二年生、村雨秋人。
何故か僕だということ。
大事そうな部分は伏せられたが、それは仕方ない。そういうもんだと割り切る。
精神的なものだそうだし、立花先輩が伝えて欲しくないこともあるだろうしな。
だが、どうしても気になる、引っかかるところがある。
「その、立花先輩と話すのはいいんですけど……どうして僕なんでしょうか?」
その話は僕ではなく、然るべき機関などにするべきだ。
百歩譲って高校生にするにしても僕はないだろう……。
「……彼女の要望通りの人が村雨くんなんです……」
「要望通り?」
僕がその要望通りの人物……なのか?
「はい。立花さんには『もしそんな人が見つかっても話さないで欲しい』と言われているので内容は話せません……ごめんなさい、村雨くん」
「それなら仕方ないですが……逆に僕なんかでいいんでしょうか?」
これも先と同じ理由だと割り切れるが、どうしても自信がない。
「……? どうしてですか?」
久保田先生は頭の上に疑問符を浮かべて、理由を訊いてくる。
「だってその……僕女の子のことが全然分からなくて……それなのに立花先輩の力になれるのかな、と……」
昨日の妹然り、今朝の蒼然り……こんなんじゃ立花先輩の力になんてなれないと思う。
「大丈夫ですよ。むしろ、そのほうが立花さんの力になると思います」
久保田先生は逆にそんな風に言ってくれるが……慰めにしか聞えてこない自分がいる。
「だと、いいのですが……」
苦笑いでそう答えていると、コンコンとドアをノックする音が保健室に響いた。
それに反応し、久保田先生が「はーい、どうぞ!」と座ったまま入室を許可すると、
「――すいません、遅くなりました」
去年から見慣れた顔が保健室のドアを開けて入って来た。
「コウタ先生!」
久保田先生が立ち上がって、その人物の名前を呼ぶが、
「私の名前はコウタではなくミツダです」
と訂正されている。そう、我らが担任、光田先生のご登場だ。
「す、すいませんミツダ先生」
慌てて謝る久保田先生は失敗したなっていう顔だが、正直可愛い。
でも、光田っていう名字はコウタともミツダとも呼べるわけだから仕方ない間違いではあるんだよな。といっても二分の一を外すとは……僕も最初間違えたが。
「いえ、次から気をつけていただければいいです」
よくされる間違いなのか、光田先生は大して怒ってない様子だ。良かった。
「久保田先生、あの話は、もう彼に?」
あの話? もしかして立花先輩の話かな?
「はい、引き受けてくれました!」
久保田先生はにこっと笑いながら両手を胸の前に添えて答えている。
「そうでしたか。それは良かったです」
光田先生も、笑って返しながら座っている僕の方を向き、
「村雨君、僕からも立花さんのことお願いします。彼女には君が必要です」
と、光田先生にもお願いされてしまった。さすがの僕も先生方が立っているのに座ったままお願いを引き受けるほど礼儀を捨ててはいないので、ソファから立って、
「わ、分かりました。出来る限り努力します」
と引き受けた。
「頼みました。いやー、本当は私のほうからお話しするつもりだったんですがね……」
頭を掻きつつそんなことを言っているが……この話光田先生から話す予定だったのか。
「そうだったんですか?」
久保田先生はカウンセラーの先生だから分かるが、光田先生とは関わりがなさそうな話だと思うんだけど……。
「ええ。去年から久保田先生に相談を受けて、担当する学年やクラスは違えど立花さんのことはどうにかしてあげたかったんです」
去年からってことは立花先輩が久保田先生に相談していた頃だな。久保田先生はそれをすぐに光田先生に相談していたというわけか、なるほど。
にしても、本当に教育者魂に溢れる先生だな。
「村雨くんが引き受けてくれて、何よりです。昨日はその話をしようとして、逃げられてしまいましたから、どうなることかと心配していました……」
うん? ナンダッテ?
「もしかして、昨日のちょうどいいというのは……?」
「立花さんのことを話すいい機会だと思ったので」
なんだ、そういうことだったのか。
僕を教務室へ連行し、説教やら指導やらをしようという訳ではなかったのだ。
「はは、そうなんですか。では僕はこれで――」
「待ちなさい」
話は終わったと思ったので帰ろうとドアの方を見ると、光田先生に止められた。
な、何で?
と思いながら、恐る恐ると振り向くと、
「立花さんのことを引き受けてくれたことは感謝します。しかし、あんな時間帯に村雨君がいたこととは全くの別問題、詳しく聞かせていただきましょうか? 村雨秋人君」
それとこれとは別というような光田先生の言葉が待っていた。
「そ、それは……」
幽霊を探しに行ったらいなくて、でも歌声が聞こえたから戻ってみると本当にいて色々話してました、なんて言えないし、第一この人から行くなと注意喚起されていたのでより一層言えない。……もう散歩で押し切るか。
「場所を変えるのも面倒ですね。久保田先生、保健室をしばらくお借りしても?」
そ、そうだ。まだ活路はある! あのときは桜木がいたが今は久保田先生がいる。
久保田先生に助けてという目を向けると、少し悩む顔をして改めて光田先生を見た。
「は、はい……どうぞ、使ってください……」
そう光田先生に答えた後、ごめんなさいという憐れみの目が僕に返ってきた。
僕の敗因はただひとつ、しっかりとした言い訳を準備しなかったという一点に尽きる。
「ありがとうございます。では、村雨君、何故未成年者が夜間外出を控えるよう――」
久保田先生にお礼を言った光田先生は僕の方を向いて、教育的指導(論理)を始める。
(これは長くなりそうだな……)
でも、意外なことがひとつだけあった。
隣で久保田先生も一緒に光田先生の話を聞いているのだ。何で?
も、もしかしてだが……責任みたいなものを感じているのかもしれない。
久保田先生……まごうことなき天使だ。でも、罪悪感しかない。
隙を見て、久保田先生だけは保健室から逃がしてあげないとな。
そんなことを考えつつ僕は場所が教務室から保健室に変わっただけの指導を空耳にして、久保田先生との約束とは違う、放課後のもうひとつの約束について考えるのだった。
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