桜の下に妖しきモノ②

 夜の帰路についた僕と桜木は、田舎町らしい田んぼが広がる風景を前にして舗装された道で息を切らしていた。


「はあ……はあ……、ここまで、くれば……」


 五分程しか走ってないのに、完全に息が上がってしまった。

 どうやら、僕には長距離走の才能はなかったようだ。


『ねぇ、さっきの逃げて大丈夫だったの?』


 そんな僕とは対照的に、桜木は余裕の元気さだ。生命力に溢れてらっしゃる。

 あ、飛んでるから疲れないのか? 実際どうなのか分からないけど……。


「先生の指導を振り切って逃げちゃったからな。大丈夫じゃないだろう……たぶん」


 明日の朝、学校に行くのが怖いぜ……。


『そうだよね……わたし、どうにかしなきゃって風を起こしたけど……アキトくんにとってはメーワクだったかな……』


 いや、むしろありがたかった。それを伝えたいが……腕時計は八時を指している。


「話は家についてからにしようぜ。もう八時だし、急ごう」


 蒼との調査の後、また学校に戻った僕が言うのは説得力がないだろうが、早く帰らないと家に帰っているであろう妹が心配する。出来る限り早く帰らねば。

桜木がいるけど……幽霊なら見えないし、大丈夫だ。たぶん。


『……お家に行っても、いいの?』


 この流れを察した桜木は、僕にそう確認する。


「もちろん、いいよ」

『その、メーワク……じゃないかな?』


 迷惑……? なんでそんなことを?


「迷惑なわけないだろ。桜木こそ、迷惑じゃなかったか? 成り行きとはいえこんなとこまで連れてきちゃったけど……」

『全然だいじょうぶ!』


 なら、いいんだけどね。成り行きとはいえ、ある意味誘拐しちゃったようなもんだし。


『学校でひとりでいるのは、もういやだから……』

「そっか。じゃあ、行くぞ」

『うん!』


 そんなやり取りの結果、見えない桜木を連れて再び妹が待つ自宅への道を歩き出す。

 あともう少しで、僕の家だ。

 待っていてくれ、妹よ。




「着いた。ここだ」


 途中歩いてしまったが何とか着いたな。

 僕らの前には、ごく普通の二階建て一軒家が建っている。

 表札には【村雨】の文字が刻まれており、僕の家であるということを示している。


『……わたし、入ってもいいの?』

「良いに決まってるだろ?」


 再度、我が家に入る許可を求めてきた桜木にそんな言葉をかけながら、鞄から家の鍵を取り出す。それで鍵を開け、ドアを開けて――


「ただいまー」

『お、お邪魔します……』


 やっと家に帰れた。思わぬ来客もいるが、見えないからきっと大丈夫だ。

声は……今更ながら不安になってきたぜ。

 見慣れた玄関から真っ直ぐ伸びる廊下の途中には二階へと続く階段があり、僕の自室は二階にある。そして玄関から今まさに自室へ向かうため靴を脱ごうとしたとき――


「おかえりーお兄ちゃん! 今日は遅かったね」


――僕から見て廊下の左側にあるスライド扉、リビングとダイニングそしてキッチンが一体になった部屋の扉に手をかけて、顔を覗かせている何か――

長い茶髪に茶色の瞳、背丈は僕より定規一個分ほど小さい――僕の妹がそこにいた。

僕の方を見ても驚かず、むしろ帰ってきたことを喜んでいるようだ。この様子だと妹にも桜木は見えてないらしいな。よかったぜ。


「な、和美。遅くなってごめんな?」


 妹の名前を呼び、遅くなったことを詫びる。


「ずっと、心配してたんだよ? 連絡くらい、欲しかったんだけど……」


 ムッとした顔をして僕に詰め寄ってきた。

 う、確かに。蒼と連絡先交換したとき文明の利器がどうのとか考えていたのに……。


「ごめん……」


 自然とまた謝罪の言葉が出る。


「もう、そんな悲しい顔しないでよ」


 対して和美は僕を許してくれたのか、そんなことを言って微笑みかけてくれる。


「次から遅くなるときは、ちゃんと連絡してね!」


「ああ、約束する」


 妹を心配させないよう肝に銘じておこう。


「うん。じゃあ、ご飯たべよ?」

「え? 食ってなかったのか?」


 マジか。食べる時間はたくさんあったはずなのにまだ食べてないって……。


「うん。お兄ちゃんが帰って来てから一緒にたべようって思ってたから」

「そ、それは……本当にごめん……」


 今度は頭を下げて謝る。


「もう! だからそんな悲しい顔しないでってば。それに、あたしが勝手に決めたことでお兄ちゃんは何も悪くないし」


 そう言った和美は僕が頭を下げたことで慌てたように手をあたふたとさせている。


「それにお兄ちゃんもお腹すいたでしょ? はやくあがって食べよ?」

「あ、ああ……」


 妹にそう促されて玄関を上がり――妹に続いて食堂、居間、台所が一体になった、一般的にはLDKと呼ばれる部屋に入る。八畳くらいあるこの部屋にはくつろぐためのソファやテレビ、食べるためのテーブルとイス、料理するための調理設備などが備わっている。


 そして、先に入った和美が何やら電子レンジを操作してる。


「ちょっと待っててね。あ、座って待って欲しいな。すぐ終わるから」


 食器でも揃えようかと、和美に寄ったらそんなことを言われてしまった。

 でもな……遅れて帰ったわけだし何かしないといけない気がする……。


「いや、僕も手伝――」

「いいから座って待ってて」


 和美は何も言うなと言わんばかりの形相で睨んで僕の動きを制止する。

 怖ッ! 蒼並みの眼光だぞ。やっぱり怒ってるのかな……?


「ああ……分かった」


 ここは和美の言うとおりに大人しく席に着く。

 そして、少し待っていると……チーンという音が鳴り、和美が電子レンジから香り立つ何かを取り出す。そして、僕と和美二人分のご飯とみそ汁を持って、テーブルにそれぞれが食べる席に整えて置いた。

 最後に和美がキッチンからテーブルに運んで見せてきたソレは――


「ふふーん! 今日はお兄ちゃんの好きなハンバーグだよ?」


 僕の大好物が白いお皿に乗って美味しそうな香りを漂わせている。


「おおー!」


 思わず歓声を上げる。今にもヨダレが出そうだぜ。


『おいしそー!』

「ああ! マジでな!」

「……お兄ちゃん?」


僕は後から入ってきたと思われる桜木に同意してしまい、和美は突然ひとりで声を上げ挙動不審な行動をとった兄に対し疑問符のついた声で呼ぶ。

 どうやら、和美には桜木の声は聞えてはないみたいだな。


「い、いや、美味しそうだな―って……はは……」


 誤魔化して苦笑いするしかない……。


「そ、そうでしょ?」


 何とか誤魔化せたのか、自分の分のハンバーグを持って和美も僕の対面に座る。

 まあ、桜木のことは後回しにしよう。


「う、うん。じゃあ、いただきます」


 今はこのハンバーグに集中する。もう、お腹が減って仕方がない。

 我が家ではハンバーグは箸で食べるので、一口大に割ってから……はむ。

 口に中に放り込む。


「――うまい!」


 冷めていただろうから、どうだろうかと懸念していたのだが、全くそれを感じさせない美味しさだ。肉汁もアツアツで出来たてと遜色ない風味を残している。それらに加えて、かかっているデミグラスソースは市販のものではない。恐らく特製だ。


「ほんと? 嬉しい! 今日はあたしが作ったんだ!」


 僕が食べる様子を見ていた和美が、心底嬉しそうな顔で自分が作ったと報告してくる。

 なるほど、だから僕が帰ってくるまで待っててくれたのかもな。


「そうなのか?」


「うん! お兄ちゃんの口に合ったみたいで良かったよ。さ、もっとたべて?」


 そう催促する和美は両手で頬杖をついて、また僕の食べる様子を眺める構えだ。


「ああ……」


 と返事はしてみたものの、食べづらいな……。てか一緒に食べるんじゃなかったのか?


 なるべく気にしないように次々にハンバーグやご飯を口に入れて味わう。だが――


『……ううー』

「…………」

『わたしもたべたいー』

「…………」

『たーべーたーいー』


 和美以外にも食べづらくする原因がいた。

 桜木はまるで幼女の如くハンバーグを食わせろと強請ってくるが――

やらん。断固としてやらん。ハンバーグ以外なら良いけど。

 そもそも、桜木は食べ物を食べれるのか?


「……桜木、ちょっと静かにしてくれ」


 和美に聞えないよう耳打ちする要領で桜木の声が聞えた右側にそっと語りかける。


『ご、ごめん……でも、みてたらお腹空いちゃって……』

「そうだろうな……」


 自分を桜木の立場に置き換えて考えると……これかなりの精神的苦痛だよ。

 目の前にハンバーグがあるのに食べられないんだから。


『ここにいたらお腹空くだけだから……玄関にいるね』

「ごめんな」


 軽く、でも込められる限りの誠意を込めて謝る。


『ううん。じゃあ、待ってるね』


 声がそれっきりしないので桜木は玄関に行ったんだろう。……たぶん。

 食べ終わったら迎えに行かないとな。


「……箸、止まってるよ? それに何かブツブツ言ってる……大丈夫?」


 あ、ヤバ。和美がか細い首を傾げ疑問顔で見てる。


「あ、ああ。ごめん、ちょっと考えごとしてた」

「……ふーん」


 怪しむ目で僕を見つめている。さすがに様子がおかしいのは隠しきれないかな?


「はは……今日は色々あってな」

「そうなんだ。あ、テレビつけていい?」

「う、うん」


 和美は頬杖の体制を解きテーブルの上にあったリモコンを取る。そして、テレビの電源を入れていつも見ているバラエティ番組にチャンネルを合わせた。

 一難去った、のか?


「……ねえ、お兄ちゃん」


 テレビに視線を固定したまま、僕を呼ぶ。


「な、なんだ?」

「今日は、始業式だったよね?」

「ああ、そうだな」


 その始業式も霞みそうな出来事が目白押しの一日だったけどな。


「じゃあ今日は、なんで遅くなったの?」


 テレビから視線を外した和美は問い詰めるように目を細くし、僕を見つめて何故帰りが遅くなったのか、その理由を訊いてくる。


「え……?」

「その……ちょっと気になってて……」


言いたくはない……でも、今日は遅く帰って心配させてしまったもんな。

 言わなきゃ、それが家族の筋ってものだ。


「……笑うなよ?」


 去年は友達に話して笑われたので、そう念を押す。


「……? 笑わないよ?」


 和美はキョトンとした顔で、そう答えてくれた。

 妹だしな……大丈夫だろう。たぶん。


「学校に幽霊を探しに行ってた」

「…………え?」


 そう一言だけ言っただけで和美は沈黙してしまった。

 何か、変なこと言ったかな?

予想した反応は笑うとか、馬鹿にされるとか、そういったものだったんだが……。


「どうか……したか?」


 想定外の反応に、食べるのを止めて和美の顔を覗きこむ。


「お兄ちゃん……今すぐ病院に行こう!」

「は?」


 この妹は何故か突然そんな物騒なことを言い出した。

 な、何で? 僕は何所も悪くないぞ?


「絶対どこかおかしいよ! お医者さんに診てもらおう?」


 心配そうに僕の手をとってギュッと両手で握ってくる。

 や、柔らかい。てそうじゃなくて、


「いや、大丈夫だって」

「大丈夫じゃない!」


 僕の手を握る力が強くなる。心配してくれているのは分かるんだけど……やりすぎじゃないかな? 和美さん?


「和美は心配症だな……」

「全っ然、普通ですぅ! 妹として心配なだけですぅ!」


 そう口を尖らせ僕を握っていた手を解いて、腕組みをしてそっぽ向いてしまった。

 何なんだ一体……。


「そ、そんなに心配しなくていいぞ? 大丈夫、ちょっと気になっただけで……暇つぶしみたいなもんだよ」


 暇つぶしとは違うが、こう言えば和美は納得してくれるだろう。


「そ、そうなんだ……てっきりマジで探してたのかと……」

「はは……」


 せ、セーフ。丸めこんだ感があるが何とか無難に場を収めることができたな。

 これで、やっとハンバーグの味に集中できるぜ。


「でも、本当に探してもお兄ちゃん一人だけじゃ見つからなそうだね」

「そうだな。まあ、蒼と一緒に探したんだけど」

「……え?」

「蒼が誘ってくれてなー。幽霊騒動の事件現場を回ってたんだ」


 蒼には感謝しかないな。後で電話でもしよう。


「ちょ、ちょっと待って」

「……? なんだよ?」


 また、何か地雷でも踏んだかな?


「あおいって、氷室神社でお兄ちゃんと剣の稽古をしてたっていう……あのあおい先輩、だよね?」

「ん? ああ、そうだけど……」


 妹が作ってくれたハンバーグを頬張りながら答える。

 懐かしいな。氷室神社。最近行ってないからな。今度遊びがてら行ってみるか。


「お、女の子とこんな時間までいたの?」

「い、いや、まあ、そうなる……のか?」


 今も女の子を玄関に待たせてるけど……。


「女の子とこんな時間まで、暗い学校で、仲良くふたりきりで……」

「あの……和美、さん?」


 何か、俯いてぶつぶつ言ってるけど……どうしたんだ?


「……ダメ」

「へ?」


 ダメって何がだ?


「いけません! あたしはそんなこと許しません!」

「ちょ」


 突然立ち上がって、バン!

 支えにするように強く両手をテーブルについた。な、何だ?


「不健全! えっち! 不潔! ゼッタイいけません!」


 ふぅふぅと漏らす吐息、肩を上下に揺らす仕草と共にひどく興奮した顔で僕を罵倒し、怒っている。

こんな和美を見たのは初めてだ。


「お、落ち着けって……何も……して……ないし、蒼とは何もないから……」


 途中言葉に詰まったのは、スカートめくりの件を思いだしてしまったからで、別にやましいことを考えていたとか、そういうわけではない。断じてない。


「ふん! お兄ちゃんなんて知らないっ!」


 ふん、でそっぽを向いて、その方向にあったスライド扉のほうへそのまま歩いていってしまう。


「おい、人の話を聞け! 和美!」


 と、呼び止めると――

何かを思い出したときにする頭をピクッとさせる仕草をして戻って元の席に着いた。


 かと思えば、残っていた和美の分の夕食をガツガツ凄い勢いで食べていく。

 それなりの量があったのにも係わらず、数分で全てを平らげてしまった。


「あと! 片づけといてね!」


 全部食べ終わった和美は、そのまま二階にある自室へと行ってしまった。


「……何なんだ……一体……」


 僕はただ残された食器と今は口にしたくないハンバーグを眺めることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る