弐ノ段 桜の下に妖しきモノ
桜の下に妖しきモノ①
蒼を無事自宅に送り届けた僕は、また学校に戻ってきた。
突然走ったことで少しお叱りをいただいたが、それどころじゃなかったからな。
理由はもちろん――あの歌声の正体を確かめるためだ。
もし電話がかかってきて、その着信音で先生にバレないよう携帯はマナーモードに設定し、柵で封じられた校門を乗り越えあの場所へ向かう。
「確か……ここらへんだったよな」
桜の木の近くで聞えたからこの辺りだと思ったんだけど……。
『今日は始業式で、たくさん人がいたのに……放課後になったら皆帰っちゃった……』
ま、また聞えたぞッ! それも獣の声とかじゃなくちゃんとした言葉だ。
少し様子を窺ってみよう。怖いけど……ええっと、あ、草むらが。ここに隠れよう。
『……こんなことなら、皆がいるうちにまた何かしたらよかったなー』
……何かしたらよかった? この口ぶりは……もしかしなくても……?
『そしたら、気づいてくれた人がいたかもしれないのに……』
『でも、終業式のとき頑張って国旗を揺らしたのに……気づいてくれなかったもんね』
ああ、確かに揺れてたけど国旗や校旗はそういうものだから……それは選択ミスだったかもな。せめて校長先生のズラ疑惑払拭のためにそっちを揺らした方がよかったかもだ。
『だから、気づいてくれる人なんて……』
実に悲観的な口ぶりだ。こっちまで悲しくなってくる。
『――ううん、諦めちゃだめだよね。きっと誰か気づいてくれるよ!』
今度は落ち込んだ自分を励ますように無理に元気な声を出している。
なんだか、コイツに何かしてあげたくなるな。
『わたしに気づいてくれる人が、絶対にいるよ……。絶対、近くに……いるよ……』
どんどん声量が小さくなり、弱々しく庇護欲をそそる声になっていく。
(ここまでにしよう)
これ以上聞いても僕には何もできない。それが、何故かひどく悔しい。
――やっと会えたと思ったのに。
帰ろうと草むらからまわれ右をして校門へ引き返そうと歩き出す。
『……? ねぇ、そこのキミ』
その声に応じて、つい――立ち止まってしまった。
『――あ! 歩くのが止まった……! も、もしかして、わたしの声、聞えてる?』
それは信じられないものを見た驚愕が窺える声で、自分を認識できるか訊いてきた。
やっぱり僕のことを言ってたみたいだ……。
「聞えてないです」
まさか自分に話しかけられるとは微塵も思っていなかった僕は敬語で答えてしまう。
それでようやく自分の置かれた状況に気づいた。
これ、僕死んでないよね? そっちの人の声が聞えてるんだけど!
でも、まだ見えてない。だから大丈夫だ。たぶん! きっと!
『聞えてるじゃん!』
「絶対聞えてないです! 僕は普通の人間で、まだ生きてますからー!」
心霊現象について調べていた僕だけど、いざ体験してみると怖い!
情けない言葉を叫びながら、半分泣きそうになりながら校門へ走り、
『いや聞えてるよね!? て、逃げないでーーーーっ!』
そんな得体の知れない声を背に、何故か校門の傍にあった木の陰に隠れた。
コイツの正体を知りたい。でもそれ以上に、
逃げちゃいけない気がして。ここで逃げたら全てが終わってしまう気がして。
『うう、逃げちゃった……。そうだよね……普通怖いよね……ユーレイなんて……』
はい、怖いです……。て、やっぱり幽霊だったか。もう僕は長くないってことかな。
『また、ひとりぼっちだ……』
ひとりぼっち……?
『せっかく、話せそうな人見つけたのに……また、ひとりになっちゃった……』
そんなの……僕には関係ない。
『やっと……見つけ、たの、に…………う、ううぇ……』
芽生えた希望がまた虚無の絶望へ変わったような悲しい響きが、僕の鼓膜を震わせる。
『もう、ひとりは、やだよ……』
その声が、昔の幼なじみの声に重なって――
『うぇ、え、ああああああああああああーーーーっ』
悲しい叫び声の聞える方へまた戻る。
「そ、その」
勇気を出して、今度は自分から声をかけるが、
『あああ……』
聞えてない。しかたない、怖いけど、手を握り締めて、
「あの!」
大きな声を振り絞ってもう一度呼びかける。
『あぁ、あ……え?』
やっと、気づいてくれたみたいだ。良かった。
『ええええ! ま、まだいる!』
『よかった……本当に……よかったよ……うぇ……』
喜びに震えるような声で、さっきと打って変わって今度は嬉し泣きしている。
「……ひとつ、訊いてもいいですか?」
一番僕が気になっていたこと、それをまずははっきりさせよう。
『うぇ……うん! いいよ! 何でもきいて!』
嗚咽を押し殺し、かわりに明るい声が聞えた。
「性別は、何ですか?」
まあ、大体見当はついてる。この子供のように明るく抑揚の激しい声は――
『せ、性別? ええっと、女の子……だよ?』
「女の子……?」
『うん! そうだよ!』
やっぱりそうですよねー。この可愛い声が男の声帯で出るわけがない。
「僕の推理は外れてたみたいだよ……蒼……」
『推理? あおい……?』
頭に疑問符が浮かんだ声がする。
「いや、こっちの話です。気にしないでください……」
『う~ん……気になる――て、キミ! ちゃんとわたしの目をみて話してよ! ひさびさに人と話せてウレシイけどさ~ちょっとかなしいよ』
ユーレイさんはどうやらご立腹の様子。
と言われましてもねぇ……。
「目を見ろって言われましても……君の姿が見えないのでしょうがないんです……」
目が見えないんだから見たくても見えない。
声のする方角は分かるのでその方角を向いて話すのが精いっぱいだ。
『え? そうなの? じゃあ、わたしのいるところがどこか分からない……かな?』
何処にいるか、か。それも大体しか把握できない。
「声の聞えてる方向は何となく分かるので……それで判断するしかないです」
『そっか……ちょっとザンネン……』
いや、ちょっとどころか、かなり残念そうな声してますけど……?
『でもでも! 声は聞えるんだよね!』
おお、今度は嬉しそうな声色だ。テンションの高低差が激しいな。
でも、さっき久しぶりに人と話したとか言ってたから無理もないか。
「う、うん。声なら聞えます……」
『そっか! そっか! やったー!』
本当に嬉しそうな声で万歳してそうな元気な女の子が容易に目に浮かぶ。
なんか見えてないのに見えてるみたいな、そんな感じがする。
『あ、ごめんね。人と話せて嬉しくて……大きな声出しちゃった!』
「い、いや……大丈夫です。気にしないでください」
さっきまで怖がっていたのが馬鹿らしくなるほど、この子と話していると朗らかな気分になる。
『キミ、優しんだね! あ、敬語とかしなくていいよ。せっかく仲良くなれそうなのに、何だかキミが遠く感じちゃうから』
敬語にしていたのは初対面だったからなんだけど、本人がそう言うなら普通に話すか。
「……分かったよ。そうする」
『うんうん! あ、そうだ!』
何か思いついたような声がする。何だろう?
『キミのこと、教えてほしい!』
声が一気に僕に近づいてきた。
「ぼ、僕のこと?」
それに戸惑いながら再度確認する。
『うん! 名前とか、好きなこととか、色んなこと知りたいんだー』
『……だめ、かな?』
下から声がしている。たぶん、上目遣いで僕のことを見ているな。
勝手に可愛い女の子が脳内に浮かんでこの状況を再現、リピートしてくる。
その破壊力は抜群で僕は赤面せざるを得ない。
「いや、だめじゃないよ。僕のことなんかで良ければ、教えるよ」
『ほんと? やったー! じゃあさじゃあさ! 名前はなんていうの?』
「な、名前? 名前は……村雨秋人、だよ」
『ムラサメ? 変わった名字だね……名前はアキト、くん。だよね?』
「そうだよ」
まるでメモをとるように復唱している。覚えようとしているんだな。
『最初見たとき女の子かなって思ってたから、ちょっとびっくりしちゃった。声は男の子なのに……見た目がカワイイから』
なん、だって?
「か、可愛い?」
『カワイイよ! それに、たぶんだけど、わたしの身長とあんまりかわらないんじゃないかな?』
ユーレイさんは僕にとって精神的に攻撃力が高い一撃を無意識で放った。
そんな……またか、また僕は女子に身長で負けるのか……。
「マジか……分かってはいたけど、僕身長低いんだよな……」
何で幽霊に悩みを打ち明けたのか分からないけど言ってしまった。
「はあ……」
深い溜息がでる。憂鬱だな……。
『あ、そんな、気にすることないよ! その、少なくともわたしより高いと思う……よ?』
「慰めなくてもいいよ。それに、もし君より高くても見えないし……」
『う、そうだった……。見えないんだったよね。……ごめん』
い、いかん。女の子に気を使わせてしまい、どうでもいいことで謝らせてしまった。
「いや、大丈夫。こっちこそ、なんかごめん、気を使わせて……」
『そんなことないよ。気にしないで! 諦めちゃだめだよ!』
この人良い人だ。幽霊なのに。今まで散々諦めろと言われてきたから、素直に嬉しい。
「……君は?」
『え?』
「君は何ていうんだ?」
ぜひ、名前が知りたい。
『えっと、もしかして……わたしの名前?』
「うん。教えて欲しい」
『うーん……教えてあげたいんだけど、それはできないんだぁ……』
できない? それは一体?
「え? どうしてなんだ?」
『その、わたし、覚えてなくて……名前がないの』
覚えていない……そんなことがあり得るのだろうか?
「――名前がない?」
『うん。ちょっと記憶消失? みたいで、名前が思い出せないの……』
そんな、にわかには信じ難い話をしてくる。でも、嘘じゃないのは分かる。相手の目をみれば……のように声でも、何となくではあるけど分かるもんなんだな。
記憶喪失な幽霊さんとは……片方だけでも珍しいのにその両方を兼ね備えているのか。
「そうなのか」
『うん。だから教えたくても教えてあげれないんだ……ごめんね?』
そんな謝罪の言葉を口にする。いや、むしろ僕が謝るべきだな。
「いや、こっちこそ辛いこと思い出させて悪かった。ごめん」
どこにいるか正確には分からないから、その声が聞えるほうへ頭を下げる。
『ううん。これがいままで普通だったし……いまさら気にすることないよ』
そんな前向きな調子で僕の謝罪を受け入れてくれた。
強い。僕とは正反対の眩しい人だ。幽霊だけど。
「君は優しいんだね」
さっき言われた言葉をそのまま返す。
『そ、そんなこと……』
少し照れて頭を掻いている女の子が目に浮かぶ。
ここまで分かりやすい女の子は僕の中では初めてかもしれない。
『あ、そうだ。いいこと思いついた!』
お、唐突だな。さっきもだったけど。
「何?」
『ちょっとしたお願いなんだけど、いいかな?』
お願い? 何だろうな。でも、出来る限りこの子のお願いは叶えてあげたくなる。
「僕にできることなら、いいよ」
『ありがと!』
『キミが、わたしに名前をつけてよ!』
驚きの言葉が幽霊の口から飛び出した。
「え? 僕が……君の名前つけるの?」
そんな大切なもの、僕なんかがつけてしまっていいのだろうか?
『うん! 名前がないと不便だし、あったほうが仲良くなれそうだからね!』
まあ、それはそうだろうけど……でもな。
「理由は分かったけど、いいの? 僕が名前つけても」
『うん。――キミにつけてほしい。だから、たのめるかな?』
僕に名前をつけて欲しい。
そんなことを言われると……良い名前をつけたくなる。
まるで、子供ができたという知らせを聞いた父親の気分だ。たぶん。
「分かった。少し考えるから、ちょっと待ってて」
『うん!』
必死になって考えを巡らす。この子が生きて行く上で一番重要なものだ。粗末で適当につけたみたいな名前は嫌だろう。僕もそうなので、しっかり考えよう。
ふと見上げると、月明かりに照らされた――桜が目に入った。
そこからイメージされるものを繋げていく。より可愛く、いい名前になるように。
――よし、決まった。
「桜夜花――桜木さやか……なんてどうかな?」
漢字にすると桜木桜夜花。なんだか、ごてごてしてしまった。
だから名前は平仮名のほうがいいな、これ。
『サヤカ? うん! いい名前だと思う! 可愛いし!』
名前の漢字表記を知らないユーレイさんは、喜んでくれているみたいだ。
よかった、のかな?
『けど……なんで名字まで?』
「な、なんとなく」
フルネームあったほうがいいかなって思ったからな。
『ふーん。ま、いっか! 素敵な名前をつけてくれて、ありがと!』
たぶん、お辞儀してるな、声の聞え方で何となく分かる。
「どういたしまして」
こちらもお辞儀をする。
『えへぇ。サヤカ……サヤカかー』
繰り返し自分の名前を呼んでいる。
「喜んでもらったみたいでよかった」
『うん!』
『ねね、キミのこと、アキトくんって呼んでもいい?』
下の名前か。
いきなり親近感のある呼び方をしてくるあたり、相当人に飢えていたのかもしれない。
「ああ、好きに呼んでくれていい」
『ほんと! じゃあ、アキトくんはわたしのことなんて呼んでくれるの?』
「え? そ、そうだな……」
名前をつけたものの、どう呼ぶのかまでは考えてなかった。
ここは無難に――
「桜木、かな」
名字で呼ぼう。せっかくフルネームでつけたんだからな。
『ええー!? 上の名前ぇ?』
だがこのユーレイさん、改め桜木は僕がそう呼ぶことに大層ご不満なようで、不服の声を上げている。
「い、いいだろ! は、恥ずかしいんだよ……!」
女子を名前で呼ぶなんて……幼なじみの蒼はともかく、恥ずかしい。
それだけは堪えて欲しいと伝える。
『ふーん。そっか! サクラギね。ちゃんとそう呼んでよ? ゼッタイだよ?』
そんな純情な少年の心を理解してくれたのか、桜木と呼ぶことを許してくれた。
「分かったよ、桜木」
ユーレイさんの名前を初めて呼んだ。うん、これなら呼べそうだ。
『えへへ、名前を呼ばれるのすっごく懐かしいカンジ!』
嬉しくて飛び回っているのか、周囲に風が出てきた。ということは――
ゲーム的に言えば当たり判定があるのか、はたまた不思議な力が備わっているのか……何にせよ……どうなってんだろうな。
桜木とはまだ話したいことがあるけど、もう夜だ。
こんな場所にいたら、先生どころか警察のお世話になってしまう。
そろそろお暇させてもらおう。
「そ、そうなのか。じゃ、僕はこれで――」
そっと、校門のほうに足を向けたそのとき――
「――村雨君? こんな時間にどうかしましたか?」
聞き慣れているのに今一番聞きたくない男の声が聞えた。
恐る恐る声のした方を振り返ると――いた。
――生徒指導の鬼、光田先生だ。
教務室から僕を発見して急いで出て来たからか、手には今朝回収していた春休みの課題である問題集を持っている。
まさかサービス残業をされてらっしゃるとは……。
「み、光田先生……! いえ、ちょっと散歩でもと思いまして……」
などとありきたりな言い訳で現状の打破を試みるも、
「こんなに暗くなってるのに、未成年者が出歩くのは関心しませんね」
この先生の前では無力。まあ、言ってることは至極当然だからな。
「……すいません」
素直に謝って帰してもらおう。
「……ちょうどいいかもしれません。村雨君、ちょっと教務室に来なさい」
ちょっと考える仕草をしてそんなことを言ってきた。
ちょうどいいって、そんな……。
光田先生の口からまさかの教務室出頭勧告が出た。これは指導前に行われるもの。
即ち、もう僕は駄目かも? い、いやーーー。
「え? 今から、ですか?」
一応、確認する。
「当たり前です。あ、帰りについては安心してください。私が責任を持って自宅まで送りますから――」
『――それぇぇ!』
光田先生が何か話そうとしている途中、桜木が掛け声を上げながら何らかの方法で風を起こし、
「え? 風が急に……うわ!」
手に持っていた問題を吹き飛ばしてしまった。
なんでそんなことをしてくれたのかは分からないけど――
――これは逃げるチャンス!
「先生、ご心配には及びません! ひとりで帰れますから……では!」
「逃げるぞ! 桜木!」
桜木に叫びながら、自宅への道が通ずる校門に猛ダッシュする。
先生の指導を避けんがための長距離走がスタートしてしまった。
『え? ちょ、ちょっと待ってよぉ!』
という桜木の声と、
「――ま、待ちなさい! て、桜木って……誰ですか……?」
光田先生の「それ誰?」という最もな疑問の叫びを背に僕は学校を後にした。
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